通い慣れたビョリの部屋、私の定位置は、ソファーを背もたれにしたラグの上。
今日はビョリも私の隣に座って、2人で他愛もない話を繰り返しながらワインを飲んでいた。

2本目が開こうとしている時、不意に触れ合った手に何かが崩れる音がした。



『…ビョリ、』


「ん?」



ダメ、ダメだ。
少し飲み過ぎたのかもしれない。冷静になれば、きっとなんて事ない。だから落ち着かなきゃ。
そう思うのに、たった一瞬触れただけの温もりが忘れられない。

名前を呼んだまま何も言わない私を不思議そうに見てくるビョリ。

ああ、もう、限界だ。



『好き。』


「……」



瞬きもせずに見つめ合ってどのくらいか、何秒、何分、そうしていただろう。



「何、いきなり。」


『……』


「私も好きよ、当たり前でしょ」


『…違う』



目を逸らして下手くそに笑って、手を強く握り締めて俯くビョリ。

本当はこんなはずじゃなかった。そんな顔をさせたい訳じゃなかった。こんなの、最悪だ。



「…なんで、」


『……』


「…なんで、言うの…っ」



顔を上げたビョリは唇を噛み締めていて、綺麗な目には涙が溜まっている。



『…ごめん、でも、』


「やめて、聞きたくない」


『…愛してる』



ただビョリを見つめたままぽつりと言った言葉に、ビョリはとうとう涙を流した。

心がキリキリと痛む。
想いを我慢していたさっきまでより、ずっと痛くて、息の仕方が分からないくらい苦しい。

私を拒否する言葉も、ビョリの涙も、何もかもが嫌だった。分かっていたはずなのに素直に傷付いた自分の心も、馬鹿みたいで。



「…帰って。」


『ビョリ、』


「……儚、私達は正しい事なんて出来ない。儚はそれが許される立場じゃない事くらい、自分で分かってるでしょ?」


『……』



私はとある企業の社長令嬢で、所謂跡取り娘。
いつかは結婚して後継者を産む事が義務付けられているようなもの。

生まれてからずっと、敷かれたレールの上を歩いてきた。
そんな私に両親が唯一手を焼いているのは、結婚の事。
私はビョリが好きで、彼女と生きていきたくて。だからお見合いも全部断って、でもそれも限界だと分かっていた。



「…儚は、ちゃんと生きていかなくちゃいけない人よ。」



分かっていた。
ビョリがどうして私の気持ちにも自分の気持ちにも気付かないフリをするのか。気持ちを伝えたところで、それが叶わない事も、その先で自分がどう生きていくのかも全部。

分かっていても、私はビョリが好きで。



『……ビョリにはそんな事、言って欲しくなかった』


「っ…」



違う。ビョリが悪いんじゃない。
どうせ鳥籠の中でしか生きていく事が出来ないのに、彼女を好きになった私が悪い。
ビョリの優しさを無視して、我慢できなくなってしまった私が悪い。



「儚、」


『帰るね』



立ち上がった私を座ったまま見上げたビョリと目を合わさないまま、足早に部屋を出る。

こんな形でも、終わらせるしかなかった。そうでなきゃもうこれ以上、ビョリの事だって縛りつけたままではいられなかったはずだから。



「っ儚…!」


『……』



玄関のドアを開けようとした時、後ろから手首を掴まれる。
そっと振り返ると、苦しそうな顔で私を見つめるビョリ。

ビョリ、これで私達、前に進むしかなくなっちゃったね。
だけどいいよね、もう、きっとビョリだって限界だったでしょう?

触れるだけのキスをして、ゆっくり顔を離して目線を合わせる。
目を見開いて固まったままのビョリは、また涙を浮かべた。



『……ごめんね。』



掴まれた手首が、触れた唇が、熱い。本当はもっと優しく触れ合えたなら、どんなに幸せだっただろう。きっと深く傷付けてしまった今、私はもう彼女を愛する資格すらないのかもしれない。

立ち尽くすビョリから離れて部屋を出ると、今度こそ、彼女は追いかけては来なかった。
それでいい。これでもう、自分達の気持ちにさよならしよう。