はじめて聞いたときは小さい頃に読み聞かされたおとぎ話みたいだって、思った。
試練を乗り越えて王子さまと結ばれたり、夢がかなったり・・・そんなキラキラしたお話を思い描いたわけではなかったけれど・・・。どこかで大丈夫だって、なんとかなるって・・・・・信じ込んでたんだ
「・・・・・っは、・・・あ、ぐ・・・・・・・・ああっ・・・・・!」
だんだん空気が重くなる。・・・・耳がきぃんといたくなって、瞬きをするのも忘れそうになる程のプレッシャーに包まれた。完全な、吸血鬼。柳くんの掠れた呻き声をなぜか遠くに聞きながら、わたしはその言葉を繰り返していた。
いよいよだ。かたく閉じていた瞳がゆっくり開かれる。こわいのに、まるで縫い付けられたように体は動かない。・・・・・柳くん、そう呼びたくて口を開くけれど・・・唇からは息が漏れるだけだ。
そんな最中、一瞬だけみせた表情はいつもの柳くんだった。それなのに・・・瞬きをする間に跡形もなく面影は消え・・・薄く開かれた口元から覗く牙に小さく息を呑む。
「っ・・・・・・い、あ・・・・っ・・・・・ん、んっ・・・・・」
それからはあっという間だった。首筋に牙を立てるのに迷いなんてない。
侵食するように痛みと共に高陽感が広がり、息絶え絶えに助けを求めるけれど・・・
猫のように目を細めた柳くんはより一層深く、わたしの血を啜る。
「っ・・・・ふ、・・・・あ、・・・・・っ・・・・」
・・・からだが熱い、くらくらする。時折聞こえるはしたない水音は耳のすぐ近くに響き・・・ふわふわした景色に身を任せれば意識を持っていかれそうだ。
それに・・・あんなに痛かったのに、不思議と感覚はもうない。
じたばたと足を動かしたところでどうにもならず、観念してだらりと伸ばした太股を撫でる手つきに肩を震わせた。
「・・・・・っやな、・・・・く、」
小さな呼び掛けに答えるように、すこし憂いを帯びたような瞳がこちらをじっと見つめている。
熱から一気に解放されたわたしは気だるさを感じながらもなんとか胸いっぱいに酸素を取り込んだ。
そうして、うわ言のように繰り返す声はか細くあたりに響く
「っ・・・・・柳くんを、助けにきたの。・・・守り、たいの」
・・・声は、柳くんに届いてはいないのだろうか。
勢いこそないものの、静かに・・・すこしづつ血を啜るその姿はまさしく吸血鬼のものだった。
やがて、意識は遠くなり・・・・瞼を閉じるとそこには冬の空が広がっていた。灰色に染まる空はいまにも雪でも降りだしそうだ。思い出すのは暖かい手のひらと・・・・・とても柔らかな眼差し。
・・・・そっか、わたし・・・こんな大事なものを忘れていたんだ。記憶のなかの柳くんがわたしの名前を呼ぶ。その声は遠く・・・・けれどしっかりとわたしのなかに響いてくる。
いつか、いつか思い出す時がきたら。・・・救ってやりなさい。懐かしい・・・・おじいちゃんの声。
それから、パレットの上で絵の具を混ぜるように景色が入り交じっていく。吸い込まれていく色はどれもわたしの知っているものばかりだ。そうして、瞬く間に変わった世界は真っ白で、降り注ぐように散る桜の花びらが落ちてくる。真新しい制服。
・・・・・・・・"やっと会えた"
入学式、わたしに声をかけてくれた男の子・・・・・あれはきっと・・・・柳くんだったんだ。
「なまえ」
優しい声をきいて、ゆっくりと目を開く。
先ほどと変わらない景色の中でわたしを見下ろす柳くんの表情は、心なしかずっと柔らかくなっている。
「・・・・・柳くん・・・・?」
・・さっきのは夢?・・・わたしの記憶がみせた夢、なんだろうか。わからないけれど、それが一番しっくりくるかもしれない。
ようやく絞り出した声は思ったよりもずっとか細く、恥ずかしくなるけれどそんなことを気にしている暇もない。混乱するわたしを前に、柳くんは小さく安堵の息をついて・・・・不意に涙を溢したのだった。
「・・・・っ・・・!」
「や、柳くん・・・?・・・ど、どこか痛い・・・?それとも・・・わ、わたしの血のせい・・・?」
「・・・・・・調子が狂うな」
「・・・・・どういう、」
瞬きをした時には再び柳くんの腕の中にいて・・・・・伝わる熱と共に首筋の傷がじくりと痛んで目を見開いた。まだ柳くんの目は赤かった。つまり、まだ吸血鬼でいるはずだ。・・・ならばどうしてこうなっているのか。そんなの、考えたってわかるはずもない。
息を吸い込めばふわりと柳くんの匂いでいっぱいになって、頬に熱が集まる。・・・傷は痛むのに、どうにもアンバランスだ。
デジャヴを感じながらも行き場のない腕をどうしようか、再び思考を巡らせているそんなとき。柳くんは震える声で静かに話し始めた。
「・・・ずっと、怖かった。・・・・・・俺は、吸血鬼なんだ」
「・・・うん」
「・・・・幸せに、できない。それなのに・・・・想いを、止められなかった。・・・・その結果、巻き込んでしまった」
段々抱き締める力が強くなる。驚いて顔をあげようとしたところで阻まれてうまくいかない。・・・・まただ。また、柳くんはわたしを突き放そうとしてる。昔と同じ。・・・わたしだけがすべてを忘れて幸せに生きていく、・・・・そんな事、今更出来るはずないのに・・・!
柳くんを助ける。これはわたしが出した答えだ。どうして助けたいのか。・・・そんなのわからない。
でも、ただ一つ言えるのは・・・・・・・・
「柳くんは、柳くんだよ。・・・吸血鬼だなんて関係ない」
はじめて吸血鬼だって聞かされたとき。柳くんがとても怖かった。・・・おじいちゃんがわたしに託した最後の願いなのに、わたしには力なんてなかった。柳くんのことを、自分の身に起こった事すら知らなかったのだ。
ゆっくりと体が解放され・・・半歩下がれば、柳くんは酷く驚いたような表情でわたしをみていた。 まだその瞳は深い赤を宿してる。けれど・・・・不思議とこわくはなかった。
ずっと、ずっと考えてた。その答えを出すときがきたんだ。漠然とだけど・・・そう思う。
「柳くんの事、嫌な人だって思ってた。・・・わたしは、なにも知らないだけだったのに・・・・たくさん、助けてくれたのに・・・・・・・柳くんはわたしを一度も責めなかったよね?」
「・・・・・っ、」
「辛い思いをさせてごめんなさい。だけど・・・・わたしは、・・・柳くんの気持ち・・・嬉しかった!・・・・・柳くんに会えたこと、後悔してないよ!」
瞬間、わたしの気持ちに応えるように腕にはめたブレスレットが小さな暖かい光を発し・・・
不思議な光は吸い込まれるように空気中に融けていった。・・・その光景はどこかあの雪の日の空に似ているような気がして、すこし寂しいような気持ちになる。
柳くんもおなじようにその光をぼんやり見送り・・・そうして、不意にわたしの頬をふわりと右手で包み込んだ。穏やかな笑顔をみて、すこしほっとしながらも空気が変わるのを肌で感じたわたしはそっと瞬きを繰り返す。
「・・・・・・変わらないんだな、あの頃と。・・・好きだ、・・・・なまえ」
「・・・・っ、」
「ずっと・・・・ずっと会いたかった」
・・・・柳くんが、わたしを。そんなこと、一度だって考えたこともなかった。
・・・だけど・・・・優しい、声だった。それに、本当に愛しげに告げられたその言葉は間違いなくわたしに向けられてる。
・・・・何度も傷ついて・・・それでもちょっとしたことで一喜一憂したりして・・・・・
・・・違うんだ、って・・言い聞かせてきた。・・・言葉にするのが怖かったのだ。だけど、いまは・・・・
「・・・・・・わ、たしも・・・・・・・・わたしも、柳くんが・・・・・・・す、すき・・・」
たとえるなら、心に風が吹いたみたいだった。もやもやしたもの全部消えていくような、そんな暖かい風だ。気持ちに嘘はない。・・・・わたしは、柳くんのことが好きだ。
「・・・・・そうか、・・・・・いつでも俺を助けてくれるんだな」
「いつでもって、」
「幼い頃も、いまもさ」
「なにもしてなんか・・・!それに、どっちもわたしのせいだよ」
「・・・それもそうだが」
穏やかに微笑む柳くんとは裏腹に、わたしは普通に返事をするのがやっとだった。・・・・恥ずかしい。恥ずかしくて消えちゃいたい。ため息をつくと同時に柳くんが神妙な面持ちでこちらを見ていることに気付く。
・・・・本当にされるとは思いもしなかったんだけど。キスされたのは、顔が近付いて・・・・求められるがままに目を閉じたすぐあとだ。
触れるだけの短いキスは何度も繰り返すうちに深くなっていく。じきに、空いた右手は指と指を重ね合わせるようにしてからめとられ・・・わたしの心臓はどくりと跳ねた。
重なった唇からとろとろに融けてしまいそう。そんな恥ずかしいことを考えては頬を赤く染め、小さくみじろぐ。
唇が離れてからもなんだかぼんやりしてしまい・・・慌てて目をぱちぱちと瞬かせる。
そうして、思いきりどぎまぎした挙げ句、二の句を告ぐ間もなく再び唇を塞がれたわたしは身動きもとれずにただただ柳くん越しにみえる景色をみつめ・・・
「・・・・あ!そういえば・・・・その、儀式は・・・・?」
「・・・・・・・成功したみたいだ」
「・・・・え、ええ!?いつ!?」
「さあ、俺にもわからん」
柳くんの瞳からあの燃えるような赤はきえ、そこには変わらない景色があるだけだ。・・・助けられてばかりだって、その意味がようやくはっきりした。つまり、柳くんは
「っじゃあ、もう・・・」
「ああ、ただの人間だ」
・・・・元々見た目はきちんと人間だったから、変化がすぐにわかるわけじゃない。でも、たしかに先ほどわたしを包んでいた嫌な空気はすっかり消えてしまっていた。
・・儀式は、成功?つまり・・・・・それは、・・・"そういう事"で。お、思わずキスなんかしちゃったし、柳くんはわたしのことを好きで。わたしも、返事をして。・・・それって・・・・
悶々と考えるわたしの手を包むようにして握る柳くんは再び口を開く。
「まずは一緒に探そう、血の封印の仕方を。そして・・・家族の方に、きちんと謝りにいこう」
「・・・・・っ」
「納得のいくまで説明するさ。・・・後悔、しないんだろう?」
「・・・・うん!」
強く頷くと・・・繋いだ手に力がこもる。握り締めるとおなじように握り返してくれるのが嬉しくて、何度も何度も確かめあうように繰り返した。
これから、そんな言葉がしっくりくる。幼い頃に一度知り合っているのに不思議なものだ。きっと楽しいことばかりじゃない。それでもきっと大丈夫だ。あまり根拠はないのにそんな気がして・・・大きな手のひらを益々強く握り締める。
・・・二人を祝福するように揺れるブレスレットは光を浴び・・・・あの日の空を写し出すように白く輝いていた。
前略、おじいちゃん。いろんな人に助けられて・・・彼は今、わたしの隣にいます。
20150211
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