別にしなくてもいいんだけど、あれだ。
気合入れる感じ。
そのままドアノブに触れて──やめた。
こういうのはやっぱ、ちゃんとしなきゃだ。
「──三郎くん、私、夏帆だよ。入ってもいい?」
声を掛ければ、扉の向こうから小さく物音。
だけどそれ以上、耳を澄ませてもなんにもなくて。
なんとなく、私は視線を彷徨わせた後にもう一度口を開いていく。
「三郎くん、あのね。……私の腕には今、枕があります」
すると、また扉の向こうから、さっきよりももう少し大きな物音が。
なんというかあれだ、こう、壁に腕か足をぶつけた時みたいな感じ。
それに大丈夫かなと思いつつ、まあ聞こえてるんならいっか、と私は次に口にする言葉を選んでいく。
「敷布団も、掛布団もありません。枕オンリー。他の二つは、返しちゃった」
痛いくらいの静寂が、ぴりぴりする。
だけどなぜだか、三郎くんは今全身全霊で私の話を聞いてくれてるんだなあという確信が、あって。
なんでかそれが凄く凄く、嬉しくて。
今すぐにでもドアノブを回したい気持ちを抑えながら、私は言葉を続けていく。
──ああでもやっぱり、そろそろ顔がみたいかも。
「ねえ、三郎くん。入っても、いい?」
枕を持ち直したら、がさりと腕に引っかけた袋が鳴った。
別に気にならない重さだけど、邪魔といったら邪魔だ。
ついでもこれも早いとこ鞄の中に仕舞いたいなあと思っていた、ら。
「──……はいって、いいよ」
三郎くんの、声。
ついでに、あ、鍵掛かってなかったんだとも思ったり。
だけどそれは取り合えず置いといて、許しも出たわけだしと遠慮なくドアノブをガチャリと回す。
そうしてまだ見慣れていない部屋をぐるりと見渡して。
部屋の一番奥のベッドの上で、真ん丸に膨らむミノムシを見つけた。
頭から爪先まで、すっぽりと入りきっているようである。
三郎くんてば、あんなに身体大きいのに。
ずいぶんと上手く入り込むものである。
部屋に入って、後ろ手で扉を閉める。
そうして扉のすぐ横に置いてた私の鞄近くに、持っていた袋をがさりと置いて。
そのまま、恐らく三郎くんが隠れているんだろうベッドの方へと、迷くなく一直線で歩いていく。
「三郎くん」
「……」
取り合えず立ったまま声を掛けてみるけど、返事がない。
まるで屍のようだ、とか思いつつ、近くにあった座布団を引っ張ってお尻に敷いた後に、床に座ってまた声を掛けてみる。
「おぉ〜い、三郎くん〜?」
「……っ、…」
するとずびっと小さく鼻の啜る音が聞こえて。
ああ泣いてたんだなあとベッドに頬杖を突きながら理解する。
じゃあ、今は喋りたくないだろう。
私だったら、なんなら息だってしたくない。
だって友達に泣いた後の鼻声とか、聞かれたくないし。
なので色々考えた後に、取り合えず腕の中の枕を三郎くんの枕の横に押し込んでみる。
ぴったりと並べればほら、寝る準備は万端って感じ。
「ねえ三郎くん、今日の夜は、いっぱいお喋りしようね」
「……」
肘を曲げて、その上に顎を載せた。
空いたもう片方の手は、手持ち無沙汰だから三郎くんがいるであろうお布団の上で冒険させてもらうことにする。
人差し指と中指の先っぽをお布団に触れさせて、そのまま歩くみたいに交互に進めていく。
ベッドのマットからお布団──掛布団の方に歩みを進めて、端の方から確かめる様につんつん動かしていけば。
布団の中の三郎くんが、少し身動ぎしたのを感じ取る。
ちゃんと、中身はある模様。
いやうん、そりゃそうか。
「一緒に寝ながらクトゥルフするのもいいよね。でも寝てるから、メモはなしで! 意外と三郎くんなら出来ちゃいそう。あ、でもスマホでメモするのもありかもね」
恐らく頭があるっぽいところを登ろうとして、あえなく崖から落ちてしまった登山家のようにずるずると表面を滑り降りていく。
振り出しにスタート。そう簡単に天辺にいけちゃつまんないし。
「でも普通にクトゥルフじゃなくてボドゲもしたいんだよなあ。どうしよっか。
相手の駒を外に押し出すか、マス内にある動かせる丸い穴コマの中に相手の駒を落とすかして、計二個の駒を先に取った方が勝ちになる単純だけどかなり頭を使うタイプのやつ。
場所も取んないし、手札とかそういう相手に見せちゃいけない道具もないし。
枕の位置を下げたら、意外と出来るかも。
「……あ゛さ、起きたら、コマなくなってそうじゃん」
「あ、たしかに。ボドゲはじゃあやめよっか」
けふんと咳の音が聞こえたけど、それは聞かなかったことにする。
多分、喉を整えたんだと思う。
しかし、確かにそりゃそうだ。
三郎くんの部屋はきちんと整頓されてて綺麗だけど、もしも隙間とかに落ちちゃったら見つけるの大変そう。
ボードゲームって基本道具の買い足しとかできないから、駒やカードひとつなくなるだけでゲームが成立しなくなっちゃうので、割とそういうのは大問題である。
ちなみに私の指は、今三郎くんの肩を一生懸命登ろうとしている。
するとお布団の中の三郎くんが、肩を少し低くしてくれた。
どうやら、私のやっていることを察してくれたみたいである。
それにありがとうーという感じで、登った後に喜びを表明するべくぴょんぴょん飛び跳ねてみる。
といっても、としとし指で突いてるようなもんだけど。
「じゃあやっぱりクトゥルフにしよっか。ん〜あ、でもやっぱりお喋りも捨てがたい……。どっちもやろうよ。いっぱい喋って、いっぱい遊ぼ」
「……お前、寝落ちしそう」
「しないしない。頑張って起きてるよ」
すん、と鼻を鳴らす音と共に、お布団の中から聞こえる少しくぐもった声。
次いで、ごそごそと中身が動いたから、折角頭上付近に挑戦していた指先探検隊はまたまた最下層まで滑り落ちてしまうのだ。
まあ、探検隊って言っても、二本指だけなんだけど。
ずるずると下まで落ちていった私の指先は。
しかし、今度は挑戦することなくマットの上で
いやだって、意味深に私の探検隊付近のお布団が、トンネルみたいな穴をぱかりと開けたからだ。
──これはなんだろう、空気穴かな。
ついに三郎くん、呼吸がしにくくなったのだろうか、なんて考えつつも、取り合えず中指を進めてみる。
なんで中指なのかは、あれだ、気分だ。
第二関節まで入って、そのまま人差し指も入れてみたら。
ふうっと息を掛けられて、そのまま飛び上がるように穴の外へと華麗なる脱出を決めてみる。
もしも私の二本指に声が吹き込まれていたなら、きっと素晴らしい声量で叫んでいたことだろう。
というかこれは、あれだな。
「冒涜的な怪異が居るやもしれぬ……!」
「神話生物かよ」
というかなんなのその口調。
そう続け様に呟かれる笑い交じりの声音に。
なんだかちょっと気が抜けて、私も半分笑いながら唇の端を弛めて言葉を返してく。
「なんせこちら、指先探検隊なので」
「二本じゃん」
「ちなみに人差し指が隊長。先陣斬らされた中指が部下」
「人身御供。エグい縦社会を見た」
「い〜け〜に〜え〜〜」
「ふっなんでドラえもん風なの」
おおう、国民的アニメ。
H歴でも元気にリメイクと新エピソードを重ねて映画もしっかりやってるし、なんならよく従妹と観に行ったりもする。
毎度意外と泣かされるんだよなあ、と思いつつ、いつか三郎くんと映画とか観に行きたいなあとも考えたり。
三郎くんは、どんな映画観るんだろ。
やっぱり推理ものだろうか。
海外ドラマとか好きそうだな。
推理ものもそうだけど、海外ドラマあるあるのホラーに科学力で挑戦するタイプの話も好きそう。
あっちのドラマって、日本のと違って映画みたいだよね。
再度布団に中に潜り込んだ私の指先探検隊。
その中指が、なにやら冒涜的な五本指にぐわしと掴まれた模様。
指を引き抜こうとしてみるけど、しかししっかり掴まれている為引き抜けない。
「お前の勇士、忘れないからな……。そう呟き、人差し指隊長は踵を返すのであった」
「助けようともしてないよね。あと逃がさないし」
「ああ〜〜っおやめくださいっお止めくださいミノムシ様っ!」
「絶対やめない。てかミノムシってなに」
「お布団にくるまってるからミノムシ様」
「ネーミングセンス磨いた方がいいと思うよ」
いいじゃんミノムシ様。可愛いじゃん。
なんて思いながらも茶番を入れてたら、人差し指も長い指に巻き取られて。
そのままずるずると強い力で引っ張られていく。
というかもう手首まですっぽりだ。
そしてやっぱり、お布団の中にいるせいか三郎くんの手、めっちゃ熱い。
「お布団の中暑くない?」
「あつい」
「お布団捲ったら拗ねる?」
「怒るんだよなんで拗ねるんだよ」
「三郎くんは怒る前に拗ねる印象」
そう言いながら、そろーっと顎を乗っけてた方の手でお布団を捲ってみる。
するとそこから見えるのは、不満そうに尖がった唇。
「拗ねてるように見えますな」
「拗ねてないし」
「んじゃあご不満な模様」
「……似たような意味じゃん」
にぎにぎと、握り込まれていた指先の間に、三郎くんの指が一本差し込まれた。
中指を指の間を押されたり、側面に爪を立てられたり。
そうしている内に、段々と指と指がひとつづつ絡んでいく。
私の指の付け根部分の出っ張った骨を、三郎くんの指先がボタンを押すみたいにぐりぐり弄るのだ。
「ご開帳〜〜」
「なんでだよ」
「だって骨ボタン押したじゃん」
「ここがボタンとか初耳なんだけど」
「ご開帳〜〜」
「聞けよ」
言いながらも、三郎くんは抵抗しない。
お布団の中から覗いてきたのは、尖がった唇と、赤くなった瞳。
目尻まで、じんわり赤い。
ついでに、つんと高い鼻先も。
でも半分熱いからっていうのもありそう。
「APP的にこりゃあニャル様だな……」
「なに、僕って邪神なの?」
「三郎くんの顔は間違いなくAPP18越えだよ思うよ。やったね、美人さんだね」
「ふぅん」
もの凄く興味なさそうな反応に、顔を覗き込んだまま思わずしょっぱい気持ちになる。
私なんて親戚のおじちゃんとかに、将来美人さんになるぞ〜〜って身内の贔屓目で言われるだけなのに。
将来っていうから今は確実に美人ではないと公言されてるようなもんなのに。
これは、こやつ、三郎くん君ってやつは、他人様に言われ慣れてやがるな。
「凄い言われ慣れてそうな反応が癪〜」
「まあ実際、言われ慣れてるし」
「うわーーっ何それ言ってみたいんだけど」
これだから美人は。
そう思いながらもゆっくりと瞬きをしながら私を見る三郎くんに、小さく笑いかける。
でも実際、美人な三郎くんとこうして顔を寄せ合ってるのって、なんか凄く、いやうん、凄いことだよね。
「では美人な三郎くん」
「……なに」
「私と一緒に、寝てくれますか?」
躍りに誘うみたいにゆっくりと、そう問いかければ。
三郎くんは、ほんの少しだけ、まだちょっと濡れ気味な瞳を細めて。
そうして、意地悪そうに唇を吊り上げた後、顔を軽く傾けながらこう言葉を返すのだ。
それはまるで、高飛車なお姫様みたいに。
「──僕と、寝たいの?」
うわあ小悪魔風。
なんて素直な感想を胸に抱きつつ、私もにんまり笑って唇を弛める。
空気はとっくに、柔らかいものになっているから、大丈夫。
「うん。寝てくれたら、嬉しいなあ」
「ふぅん、どうしよっかな」
──私と一緒に寝たくって、泣いちゃった癖によくもまあ。
なんて思うけど、それは絶対に口にはしない。
言ったら最後、拗ねてまたお布団の中に引きこもってしまうこと間違いなしだ。
まあそうなっても、何度だって私の探検隊が冒険しに行くだけだけど。
「ミノムシ様! 是非とも、今晩ご一緒させていただきたく!」
「ミノムシは生贄を所望す」
「今ならお喋りとおすすめクトゥルフシナリオとキーパーが付いてきますぞ! あ、私が探索者でもありでっせ!」
「口調統一してよ」
そう言いながら、三郎くんは私の手でまた遊び時始める。
爪を指で撫でたり、指の表面を滑っていったり。
私よりも指が長いから、私よりも大分器用に動くようだ。
その動きを私も目で追っていたら、ふいに、ぴたりと三郎くんの指は止まって。
そのままほんの少しだけ力が入ったと思ったら、またしっかりと手を絡めなおして、ぽつりとこう呟いた。
「………、…そんなに、僕と、一緒に寝たいんだったら、……まあ、寝てあげても、いいよ」
──うおぅ。
三郎くん、目を離してた内に、なんだかめちゃくちゃ赤くなっている。
いやもう、どうしたってくらい、いや、熱あんの?ってくらい、めっちゃ赤い。
いやだけど、あー、うん。いやだけど。
多分きっと、いやほんとに多分なんだけど、多分、私も赤くて。
じわじわと熱くなってきた気のする頬に、気を抜いたら弛んじゃいそうな唇に。
きゅっと力を込めながら、私もじっくりと間を持ってこう応える。
なんだか、声まで燃えちゃいそう。
「……うん。一緒に寝たい」
「……ん、」
そう言葉を落とせば、またきゅっと、三郎くんの指に力が入った。
だから私も、ほんの少し、きゅっと力を込めてみる。
三郎くんの指は、やっぱり私のよりも長くって。
だけど私の指よりもなんていうか肉付きが薄いから、力が入ると、割とすぐ骨を感じられる。
なんというか、やっぱり、三郎くんは男の子なんだ。
「……一緒に夜更かしして、下らないこと、喋りたい」
「うん」
「いち兄は、いつもは早く寝ろっていうのに、オリンピックの時と、自分が見るアニメと、友達が泊まりに来た時は言わないから」
「うん」
「僕も、と、友達と、夜更かししてみたい」
──一郎さん、アニメ見るのか……。
あんなに格好良くて男の中の男!って感じなのに、めちゃくちゃ意外だ、と思いつつ。
なんか、可愛さの極みみたいなことを言ってる三郎くんに胸が締め付けられるような心地を覚えてしまう。
え、なにそれ三郎くん。
なんかもう、すっごく可愛いんだけど。
「めちゃくちゃ、いっぱい、夜更かししちゃおう。私が寝てたら突っついて起こしていいよ! オールナイトしちゃおう! 明日も朝から一緒だし」
「……やだ。朝は朝で遊びたい」
「よっし寝落ちする時間決めよう」
この我儘プリンセスめ〜〜!
だけど、そう思うんだけど。
その我儘っぷりすら可愛くってたまんないのは、もう、ほんと、流石って感じ。
なんだろうこの感じ。
弟がいたら、こんな感じなのかなあ。
「どうしよっか。二時までは起きてたいよね」
「二郎は越えたい」
「二郎さんはいつも何時まで起きてるの?」
「んー、何時だろ……。やっぱり二時は越えてるかも」
色んな所を行ったり来たりで視線を彷徨わせていた三郎くんが、ふいに私のことを見て。
私の髪の毛に視線が動いた時に、あ、といった顔をした。
それも思わず、私もああと口を動かす。
そういえば、髪の毛まだ、乾かしてなかったや。
「……まずは、三郎くんはお風呂入んなきゃだね」
「……、夏帆、は、髪乾かせば」
まあもっとも、髪の毛はもう半分近く、自然乾燥しちゃってるんだけど。
だけどそれは言わないで、今の今までずっと立てた肘の先──つまり、手に引っ掛けたままだったお布団を、ついにぺいっと開いて捲ってあげる。
するとお布団は三郎くんの後頭部を滑り落ちていって、ほんの少しだけ、三郎くんはライトの光が眩しいのか瞳を細めた。
「ドライヤーどこにあるのか教えて。聞かないでそのままこっちに来ちゃったんだ」
「枕抱えて?」
「そう、枕だけゲットして」
「……ふ、優先順位間違ってんだろ」
それだけ早く三郎くんのとこに行きたかったんだよ。
──とは、言わないでおこう。
なんとなく、そう、なんとなく。
そっちの方がいいかなと、思うわけだから。
三郎くんが、ゆっくりと起き上がる。
そうしてそのまま、繋いだまんまの私の手を引っ張った。
「ドライヤーの場所、教えてあげる」
「うん」
髪乾かすついでに、タオルで濡れた肩も一緒に乾かしてしまおう。
そう思いながら、私は素直に三郎くんについていく。
手はそのままだと歩きにくかったから一度だけ離れたけど、やっぱりもう一回、繋ぎなおして繋がって。
じんわり汗は滲んできちゃってるけど、なんでか全然、気になんないのだ。
だってむしろ、喜びの方で、胸の中はぽかぽかしてる。
「三郎くん」
「なに?」
「いっぱい、遊ぼうね」
そう言えば、三郎くんはぴたりと止まって。
そのままちらりと私を振り返って、やっぱり小さく、ほんの少しだけ笑って、こう応えてくれえる。
「──うん、そのつもり」
小さいけど、ご機嫌な素敵な笑顔。
それを見て、私の頬も、にんまりと持ち上がる。
なんたって、まだまだ時間はたっぷりあるのだから。
私たちの夜は、これから始まるのである。