その数秒後に聞こえた、叩きつけるようなドアの音。
そうして部屋には、死にそうな顔をしているお兄さんたち。
つまり──修羅場というやつだ。
とりあえず状況を確認しようと思う。
私はお風呂から上がって、ドライヤーがなかったからタオルで髪を拭きつつ状態でリビングに戻ってきた。
ついでに、次の人にお風呂バトンタッチしようとも思って。
そしたら、三郎くんがなぜか泣いていた。
そう、泣いていた。
いやうん、バッチリ見えてしまった。
あれは確実に涙を流していたよ。
しかし、なぜ。
私がお風呂にはいるまでは、確かに和やかな雰囲気だったのに。
お兄さんたちもなんかこう多分微笑ましい感じで見守ってくれていたと思ったのだけれど。
いやしかし三郎くんは泣いていて、ついでにお兄さんたちの様子からして、泣かされたっぽくって。
──いやいや、え、なんで?
肩に掛けたタオルで水滴が落ちないよう髪を拭いつつ、お兄さんたちに視線を向ける。
一郎さんはソファーに座っていて、二郎さんはその向かいのテレビの横に立っている。
そうして、三郎くんは、一郎さんの横に座っていた。
──ついでに、一郎さんの足元には、積まれたお布団。
「……」
その布団を見た瞬間に、私の脳裏にとある閃きが生まれた。
いや閃きっていうか、どっちかっていうと直感っぽい方だけど。
いやしかし、まさか。
いやでもしかし、今までの三郎くんの反応からして。
いやでもう〜〜ん? え? まさか??
三郎くんの涙の原因って、もしかして?
じっと布団を見詰めながら立ち竦んでいる私に。
少し気まずそうな一郎さんの声が投げかけられる。
「あー、ごめんな夏帆ちゃん。吃驚させたよな」
「え、あ、いえ! 大丈夫です!」
いやぶっちゃけると色んな意味で大混乱の極みだけど、大丈夫と言うしかない。
いやもうなんか、え、なにこの気まずさ。
一郎さんは二郎さんに目配せした後に、私の方を見直して。
そうして、ちょっと困ったように笑いながら手招きしてこう言葉をかけてきた。
「立ったままじゃ疲れるだろ。こっちに座らないか。二郎、お前も座れ」
そう言ってその指が指差したのはソファーで。
その三人掛けっぽいソファーの真ん中を、指していて?
──え゛っマジでか。
「……、…、……おっお邪魔しますっ」
正直そこに着席するのは気まずさマックスなんだけど、いやでも断れる筈もなく。
凄いな、お兄さんたちサンドイッチだ、と謎のコメントを脳裏で思い浮かべながらすすす、とお隣に移動する。
というかあれだ、拭いてるけど髪の毛の水滴がソファーに落ちないかとても不安。
私が一郎さんの隣に座った後に、二郎さんも私の隣に座って。
その瞬間に二郎さん寄りに沈んだソファーに、おおう体格差、とまた謎のコメントが脳裏に浮かんだ。
うん、つまり現実逃避である。
「……」
「……」
「……」
──きっまず!!
思いの外重い沈黙に、無言で手首に引っかけてた着替えとお風呂セットの入った袋を足元に置いた。
ここまで重いと、ちょっと、いや割と居たたまれない。
え、なんだろうこの空気。
私から切り出した方がいいんだろうか。
そうぐるぐる頭を悩ませてつつ、両サイドの戸惑う──いや違うな、困ったような雰囲気も確かに察してて。
なら、もしかしたら。お兄さんたちの方が今とても気まずいのかもしれない。
そうならば、きっと私から切り出した方がいいはずだ。
もう、言うしかない。
いやでもなんて言えばいいんだろ。
泣いてた?いやでもそれってちょっと不躾な感じもする。
え、どうすればいいんだろ。
オブラートに、オブラートに包みたい。
ああだめだ、考えがまとまらない。
だけど、この空気からは早く脱却してしまいたい。
「さ、三郎くんの──えっと、その、様子がおかしかった件、ですが、」
散々迷って絞り出せた言葉は、そんな感じのものだった。
いや様子がおかしかったってなんだよと思いつつ、もう言ってしまったものは仕方ない。
だって、事実として三郎くんの様子はおかしかった。
泣いてたし、なんかこう、怒っている風にも戸惑ってる風にも、見れたから。
「げ、原因は……これ、ですか?」
そう言って、躊躇いつつ足元の布団を指さしてみる。
というかまあ、原因はほぼこれで確定だろうとは察してる。
なんたって、私がお風呂に入る前まではなくて、お風呂に上がったらあったものは、これしかないんだから。
「あ〜〜、うんまあ、そうだな」
絞り出すように呟かれた一郎さんの言葉に、無言でだろうな、と心中で相槌を打つ。
そしたらあれだ、なんでああなったのかちょっと予想が付きやすくなった。
二郎さんはもう、無言を貫き通していて。
多分一郎さんの言葉を待っているような感じ。
そんな二郎さんの様子も踏まえてか、一郎さんは気まずそうに頭をぽりぽりかきながら言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いているようだった。
「……夏帆ちゃんはもう察していると思うんだが、三郎はその、あんまり友達が多い方じゃなくてな。家に誰かを呼んだりとか、それこそ今みたいに泊まらせたりとか、した事がないんだ」
──いや、まあ。
それは正直、ちょっと察してた。
何か言おうかと悩んで、まだ一郎さんが喋りそうだったから口を閉ざす。
とりあえずは、今は家族の話を聞いた方がいいのかもしれない。
「んで、今あいつは相当はしゃいでいる」
「……」
「はしゃいでるんだ」
──えっと?
それはつまり、どういうこと?
確かに神妙な感じには呟かれたんだけど、思わず一郎さんを二度見してしまった。
はしゃいでるからどうしたんだ。
なんでそこで言葉を切ってしまうんだ。
その先。大事なのはその先だよ。
大事なことだから二回言ったことはわかるんだけど、意味がちょっとよくわからない。
マジではしゃいでるからなんなんだろう。
そりゃ、友達を初めてお家に招待してるんだったら、いやうん、はしゃぐのわかるけど。
でも、だからなんなんだ。
一郎さんも多分困ってるしいっぱいいっぱいなのはわかるんだけど、いや相当言葉選んでるのはわかるんだけど。
しかしそれだと、ここからどうすればいいのか私もわからない。
はいゃいでるから、私はどうすればいいんだ。
この人たちは、私にどうして欲しいんだろう。
そんな、二人して困り果ててる姿を察してなのか見ていられなくなったのか。
今度は反対側の二郎さんが、ぽつぽつと喋り始めた。
「あー、んーと。俺は三郎と違って、友達をよく家に連れ込んでんのね。んで三郎は、そんな俺と友達を見てきてる」
「え、はい」
「俺が友達と普通に遊んだり、泊まってるところも見てるわけだ」
「はい」
なんとなく、神妙に頷いてしまう。
視線はもう二郎さんに釘付けだ。
割と早いスパンで続けられる言葉は、言いたいことがもう決まっているんだろう。
そんな二郎さんは、私じゃなくて足元の布団を見詰めてる。
「俺が呼ぶのはもちろん男友達だから、人数少ないと同じ布団で寝たりすんの。やっぱりほら、くっ付いてた方が喋りやすかったりするし」
「あぁ、はい」
「んで、三郎はそれも当然見て来てる」
「……」
──どうしよう、予想通りかもしれない。
というかここまでくると次に来る言葉が大体わかってしまって、私はもう、苦笑いを浮かべるしかない。
そりゃあ、そんなの。
自分だってって、思っちゃうかもしれないよね。
「あいつは、三郎は。夏帆ちゃんと、一緒に寝る気満々だったんだわ」
「……ええと、はい」
「そして、それはダメだと俺達で指摘した結果が、さっきのアレです」
「あー、……」
「……」
「……」
気まずい沈黙が、再度空気を重くする。
いやあ、うん。
なんとなく察してはいたけど、うん。
「……三郎くんは、その、こう、ええと、私を、いやちがう、えっと、広い意味で友達と捉えていますね……?」
──なに言ってるんだ私。
そう思うんだけど、咄嗟に思いつけた言葉が他になかった。
もっとちゃんと考えてから喋ればよかった。
まさに後悔。
後で悔やむから後悔。
「……面目ない」
「えっいやっお、怒ったりとかそんなんじゃないですっ! ないですよ!」
絞り出すように吐き出された謝罪の言葉に、思わず一郎さんの方を振り返って弁明する。
いやほんと、別に不快感とか抱いたわけじゃあないのだ。
だから顔を覆って俯いている一郎さんに、だけどやっぱり言葉を選びきれない状態のまま、それでも慌てて自分なりの弁解を吐き出していく。
そんな風に落ち込まないで欲しい。
ほんと、だって、ぶっちゃけちょっと予想はしていたし!
「さ、三郎くんがその、じゅっ純粋? なのはわかってました! だって私女なのに遊んでくれるし、連絡いっぱいくれるし! 家呼んでくれるし! それはほんと、嬉しかったですし!」
──あ゛〜〜ダメだ何言ってるんだろ私!何言ってんの!
そう思うんだけど、しかし最早パニックに近くって言葉が止まらない。
というか今とんでもなく頭がパニック。カオス極まってる。
いやでもうんほんと、嫌では、嫌ではない!
「わ、わた、私もほんと、た、楽しみでっ! なにして遊ぼうかなってわくわくしてましたし、えっと、いやだからっ、ほ、ほんとに、三郎くんの友達になれて、嬉しいです!」
顔がめちゃくちゃ熱い。
いやもう顔どころじゃなくて身体全身熱い。
さっきのあっつあつのお風呂並みに熱い。
だめだヤバい、火吹きそう。
私何言ってるんだろう。
「お泊りの件も、私も嬉しくって、た、楽しみだったから、気付かなくって、い、いえ、家に帰ってから色々っ気付いて……えっと、だから、」
そうだ、私も同じだった。
もっと遊べるって、舞い上がって。
もっと一緒に遊べるってわくわくして、はしゃいでた。
それこそお母さんに泊まりにいくねって許可取るまで、頭の中じゃ三郎くんと何して遊ぶかなっていっぱいだった。
そうだ、私だって、同じだ。
同じ、三郎くんと、同じだったのだ。
だって、友達になれて嬉しかったのは、私だって同じだったのだから。
──いや、というか、あれ。
「…………これ問題ないのでは?」
「えっ」
「えっ」
ふと思い至った結論に。
思わずと言った拍子で呟いてみれば、驚いたような声が両サイドから聴こえたけど。
しかし、ひとつ考えがまとまれば、うん。
これやっぱり、なにも問題ない気がする。
「三郎くんの中で、私は友達じゃないですか。で、私にとっても三郎くんは友達で。ほんとに、全く、変な意味とかなくって。だから別に、あれ、これほんとに一緒に友達と寝るだけなのかも……?」
「……いや、いや待て、ちょっと待て夏帆ちゃん」
「いやいやいやいや」
両サイドから手が伸びてきたけど、どっちも宙を掴んで彷徨っている。
動作的に多分、私に触っていいかとか悩んだんだと思う。
動きが凄くそっくりだった。
凄いな、流石兄弟。
しかし、それは今はどうでもいい。
「だって、確かに私と三郎くん、性別違うんですけど、友達ですし。お泊りっていったらやっぱり枕をくっつけて深夜までお喋りが定番じゃないですか。ね、そうですよね二郎さん」
「えッアっうん? えっうん……?」
「ちょっおまっなに肯定してるんだよ二郎ッ!」
ぱっと二郎さんの方を振り向いてそう問いかければ、なぜか両手のひらを私の方に向けながらもそう答えてくれる。
なんだろうそのポーズ。位置低いけど参ったのジェスチャーみたい。
しかし二郎さんからは了承が取れた。
なら、次はこっちだと今度は一郎さんを振り返って言葉を続けていく。
「一郎さんだって友達と寝る時は枕くっつけたことありますよね?」
「──いやある、あるんだけどな、やっぱり世間的な、」
「え? 世間なんてどうでもいいじゃないですか」
ちょっと吐き捨て気味になっちゃったけど、これはもう勢いだから許してほしい。
そして、そうだ、世間なんてどうだっていいんだ。
というか、これがダメなことだったとしても、バレたらいけないことだったとしても。
一体全体、いつ、どこで、それはいけないことになったんだろう。
どうして、この家の中で起こったことが世間にバレるというんだ。
だって、そんなの言わなきゃいいことだし。
私が家に帰っても、お母さんに言うのはただ"楽しかった"の一言だ。
そうしたらお母さんは、きっと"よかったね"って言ってくれる。
そう、それだけ。
それだけで、問題なんてなにも起きない。
だって、私、楽しみだったし実際楽しいし。
三郎くんと遊べることが私は楽しくって、一緒に居られるのが嬉しくって、遊べることが幸せ。
それのどこにもいけないことは存在してない。
誰かに怒られるようなことは、ひとつだってない。
なら、だったら。きっと一緒に寝るのだっておんなじことなのだ。
──うん、世間なんてどうでもいい。
なんたって、私たちは友達なのだ。
友達が友達と一緒に居て、寝て、それの何が悪いというんだろう。
そうだ。
世間なんて、そんなの。
誰かが勝手に決めた基準じゃん。
「もしも、仮に例えば、私と三郎くんが友達であることを誰かがダメだって言ったとしても、そんなの知ったこっちゃないです。そのダメな理由が男女だからっていうんだったら、もっとどうでもいい。だって私たちが友達であることに誰かが口を出すだなんて、そんなの変じゃないですか」
じっと一郎さんを見詰めて、心に浮かんだ言葉をぽつぽつ吐き出していく。
だって、私たちの関係は恥ずかしいものじゃない。
いけないものなんかでもない。
ただ、一緒に居たいから一緒にいる。
それだけの、それが全ての"友達"だ。
「
──ああうん、口に出したらなんかすっきりした。
軽い達成感みたいな感情に、ふう、と息を吐いて。
そうして三郎くんと似た大きな瞳で私を見詰めている一郎さんに、なんとなく頷いて続けざまにこう言葉を掛けていく。
こういうものはもう、言い切っちゃえば踏ん切りがつくと思うのだ。
「というわけなので、私三郎くんのとこに行きますね。一緒に寝よって誘います。
お兄さんたちが男として
今こうして私が誘って、三郎くんと一緒に寝たいって我儘言ったのだ。
だから三郎くんはなんにも悪くないし、お兄さんたちも全く悪くない。
問題とやらが起きたとしても、私が問題と思わなかったら、それはなにも悪いことじゃあないわけで。
「そのお布団、使わないのでしまって置いて頂けますか? あ、枕だけ貰っていきますね」
「……え、あ、ああ」
足元のお風呂セットを持ち上げて、そのまますくりとソファーから立ち上がる。
反対側の手でしっかりと枕を掴んで、それを腕に抱えこんで歩き出す。
三郎くんの部屋の場所はもうわかってるから、後はもう、突撃するだけだ。
布団を避けてリビングの出入り口に歩いていけば。
ふと、後ろから最後と言わんばかりに声を掛けられた。
どっしりと、しっかりした声。
これは一郎さんの声だ。
「……夏帆ちゃん」
「はい」
その声に、素直に立ち止まって振り返る。
するとそこには、兄弟揃って似たような顔をしている二人の姿。
だけど若干一郎さんは脱力してて、二郎さんの方は、ちょっと笑ってる。
私に声を掛けた一郎さんは、ゆっくりと瞬きをして。
そうして、ほんの少しだけ瞳を細めたまま、静かに唇を開いていく。
「──三郎と友達になってくれて、ありがとな」
真っ直ぐに届けられた、その言葉。
それを私も真正面から受け取って、ほんのちょっとこそばゆくなりつつも、こう返すのだ。
やや、少しだけにやけたような顔になってしまうのは、ご愛敬と取ってもらいたい。
「私も、ありがとうございます、なので!」
枕を抱きかかえつつ、ぺこりと二人に頭を下げる。
そうして今度こそ出入り口の方まで進んでいく。
だって、今は、なによりも。
──早く、三郎くんの傍に行きたい。

小さな背中が、迷わずこの部屋を立ち去って数秒。
言葉も出ないまま、呆然と扉の方を見ていたら、ふと横から声が掛けられた。
俺と同じくらい呆けた様子の、二郎の声だ。
「……女の子って、凄いね」
「……ああ、凄いな」
世間なんて、どうでもいい。
それはとても衝撃的で、インパクトのある発言だ。
──男だから、女だから。
あれだけうんざりしていた区別だと言うのに。
それに知らず知らずに縛られて当て嵌めていたのは、自分の方だったのかもしれない。
確かに昔は気にもしていなかった。
男だろうが女だろうが、そこにひとつの差だって感じていなかった筈なのだ。
だけどいつの間にか、自分自身気付かない内に、その言葉に囚われてしまっていたらしい。
──ああ確かに。
下らないことに囚われていたのは、こっちの方だ。
身体が徐々に脱力していって、ぐったりと背中からソファーに沈んでいく。
足を少し伸ばせば自分で出した布団に当たって、それをぐぐっと足で押しながら、自然にこぼれた笑いのままこう呟く。
「……布団、片付けっか」
「うん、もういらないしね。兄ちゃんは座ってて。俺が片付けるよ」
そう言いながら、直ぐに布団を抱えだす二郎に。
脱力した身体のまま、気付けは吐き出すようにこう言っていたのだ。
「──女の子って、強いなあ」
布団を抱えて一度たたらを踏む二郎は、それでも取りこぼすことなく布団を持ち上げて。
ぐったりとソファーに沈む俺になんとも言えない顔を一瞬浮かべた。
しかしそれでも、次の瞬間、笑ってこう言葉を返してくる。
「そりゃなんたって、三郎の見つけた友達だからね」
──ああ、そうか。
そうだあの子は、三郎の見つけた友達なのだ。
ふう、と息を吐き出して目を瞑る。
二郎はそんな俺を見てか、布団をしまいに歩き出したらしい。
その足音に耳を澄ませながら、俺はそうっと言葉を吐き出した。
「……よかったな、三郎」
お前の見つけた友達は、結構すげえ奴だぞ。
そして、そんなすげえ奴を見つけた、お前も同じで。
──ああ、そうだ。
流石、俺の弟だ。