満月の訪問者

わたしは、人と比べると恵まれている方だった。
お父様は大きな組織を束ねる責任者でお母様もそれなりにいい所の娘だったと聞く。お金と地位、名誉、色々なものが生まれた時からわたしの傍にはあったのだ。だから、不自由な思いは一度もした事がない。苦労なんてものは知らないし、勉強も出来る方だった。学力もあって、お金もある。何もかも上手くいっていた、幸せだった。あの日を迎えるまでは…

「ただいま。お迎えがなかったから、普通に帰って来ちゃった」

いつものバイオリンの稽古に行った帰りのこと、いつもなら使用人が迎えに来るというのにこの日はいつまで経っても迎えが来なかった。携帯に連絡しても応答はなく、このまま待っていたら朝を迎えてしまうような気がして、自分の足で自宅まで戻った。バイオリン教室から出ると辺りは暗くすっかり夜でまん丸の月が夜道を照らしている。普段はこんな日に出歩かないけど、今日ばかりは仕方がない。お腹が空いたので帰ってご飯が食べたい。今日はなんだろうと夕食の事を考えながら自宅に着くと鍵を開けて、扉を開けると屋敷内は電気が付いてないようで辺りは真っ暗だった。使用人の迎えがないどころか人気すらないのである。何かがおかしい。そう直観したわたしはバイオリンのケースをぎゅっと握りしめて屋敷の中を歩く。

「……なに、…これ」

暗い廊下の照明を灯した瞬間。床、壁、至る所に血、血、血。噎せ返るような血の臭いに吐気すら覚えてくる。強盗でもはいったのだろうか。いやでも、ここのセキュリティは容易破られるものではない。お父様は無事なんだろうか、お母様も。恐ろしく震えながら少しずつ足を進めるとつま先に何かが当たる。

「っひ…ぁあ……!!!」

こつん、と足に当たったそれは間違いなく人間の頭だった。それは胴体と繋がってなくて無造作に床に転がっている。首の正体は顔の知っている執事で目は光がなく、黒く濁っていた。ここで耐え切れなくなり、吐気を催すと床に胃の中の物を吐き出してしまった。怖い、涙が出てきて視界が歪み、腰は抜けて床に尻をついてはもう歩けやしない。

「そうだわ…警察…」

早く連絡しなくては。そう思い、鞄から携帯を取り出すとそれは何かによって奪われてしまった。

「あれ、全員殺したはずなのにまだ残ってたんだ」
「だれ…」

声のする方へ振り返ると、そこには身体にべったりと血を付着させた長身の男が立っていた。まるで張り付けたような真っ黒な目に瞳と同じ色をした黒い長髪。直感でこの男がやったのだと分かると恐怖で身体が震える。男に奪われた携帯は彼の手によって握りつぶされ液晶が割れ、基盤などが剥き出しになり無残な姿で床に投げ捨てられた。

「依頼主には全員殺れって言われてんだよね…でも、お前……」

男は品定めをするかのようにわたしをじろじろと見てくる。突き刺さるような視線に逃げたくなってくるもこの男に見られてる状態では指一本も動かせやしない。見られていると当時に動いたら殺す、と念を送られているようでまさに蛇に睨まれた蛙という状況だろう。

「凄くいい匂い。さっき吸った女よりもずっと」
「は?」

次の瞬間、腕を引かれてはそのまま剥き出しの腕に男の唇が当たった。ぬるりとした感覚に肌を舐められたのだと気付けば「ひ、…」と息が漏れる。そして

「ん……」
「や…」

舌が触れて少し濡れた肌に男の歯が食い込んだ。ぷつり、と肌を貫く痛みの後、血液を吸い取られるような感覚。血を…飲んでる?何で、そういう性癖?そんな事を考えていると彼はやっと唇を離しては噛み痕に舌を這わした。

「へえ…なるほど……」

男は何かを考える仕草を見せた後、あ!と思いついたようにわたしを見る。

「依頼主には全員殺せって言ってるんだけどさ。お前の血悪くなかったんだよね。だから、殺すのは勿体ないなあ…って思うんだけど……だから、オレと一緒に来なよ」

オレと一緒に?この男は何を言ってるんだ。馬鹿な事言わないで!と恐怖を押し殺して男に抵抗してみせると軽い舌打ちが聞こえてくる。

「じゃあ、無理矢理連れて行こう」


そう言われて、首の後ろに打撃が入ると視界が暗くなっていくようにその場で意識を手放した。

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むにむに。