私史上、もっとも悪い日
イルミ=ゾルディックが女を連れてくるのはそうそう珍しい事ではなかった。ゾルディック家は伝説の暗殺者一家と称され、「誰も真の顔を見たことがない」「顔写真ですら一億ジェニーの値が付く」などといった噂もまことしやかに囁かれていた。そしてゾルディック家は暗殺一家という裏にもう一つ秘密があった。ゾルディック家は吸血鬼である。と言う事だ。暗殺一家という名だけが広がっているこれを知るものはほとんど居らず、むしろ信じる者など話したところで居ないのである。
更に言えばこのゾルディック家で執事をしている自分も吸血鬼の類に分類するのだが…仕事を終えたイルミ様を出迎えると肩には一人の女を抱えている。死んではいないようだが完全に気絶をしていた。
彼は気に入った餌を定期的に連れてくる事があるので、私から見ても特に珍しい光景でもなく、今回もその類なんだと理解しては屋敷へ戻る彼の後姿を見送った。しかし、彼は飽きっぽいため一週間も経てばどうせ捨てられるのだろう。今までもずっとそうだった。まだ若そうな女に同情すら覚えてしまった。果たして、あの女はいつまで持つだろうか。
「ここは…?」
目を開けると知らない部屋の天井とふかふかのベッドにわたしは横になっていた。眠っていたのだろうかだるい身体を起こしては部屋の中を見回した。どれもこれも高価な家具が目に付くそこは明らかに豪邸の一室なんだとわかる。下手したらわたしの家よりも凄いかもしれない。
「あ、起きた?」
「ひっ!」
声を掛けられてそちらを向くと、自宅で出会った男と目が合い思わず息を飲んだ。まただ、張り付けたような真っ黒の目に見つめられると途端に動けなくなってしまう。
「いつまで経っても起きないから死んだのかと思った」
「ここはどこなの?」
「どこ?って、オレの部屋」
さぞ、当たり前のようにオレの部屋です。なんていう彼に驚きを隠せないでいる。
「母さんにお前の事言ったら怒られたけどまあ、許してもらったよ。母さんも吸血鬼だし、お前の価値を理解してくれたみたいだし。よかったね」
「きゅうけつき…?」
「知らない?血を吸って生きている種族のこと」
吸血鬼を知らないわけではない。わたしは本を読むのが好きなので、図書館に通っては色々な本を読んでいたのだ。気に入っている本の中で、女性の吸血鬼が人間の女の子と恋をするお話があった。そういう御伽噺の類だと思っていたのに彼の言葉や自分がされたことを思い出しては自分の腕を見る。二つの赤い痕がかさぶたになってそこに残っていた。
「まあ、血を吸う事以外、人間と変わらないし食事だって普通に取れるけど、定期的に血を摂らないと餓死しちゃうかもなんだよね、オレらって。今まで適当な人間で済ませてたけど、お前凄く美味しかったし生かしてあげるから、生き餌になってよ」
「ちょ、とまってよ!なんでわたしが!」
オレは吸血鬼です。生かしてあげるから、血を寄越せ。なんて無茶苦茶な要求聞けるわけないじゃない。
「イヤなの?じゃあ、殺すしかないか。残念だなー」
安心してね、殺した後は一滴も残らず吸い尽くしてあげるから。そんな事を言っては彼の手がわたしの首をつかみ、そのまま気道を圧迫させられる。呼吸が出来なくて、苦しく手が痺れてきた。確実に殺すつもりの彼は手を緩める事無く、ぎりぎりと締め付けてくる。死にたくない、こんな時に生存意欲が芽生えてくるなんて。悔しくて涙が頬を濡らした。彼の生き餌になるくらいなら死んだ方がましだ…なんて思いながら、わたしはこんなに生きたいんじゃないか。
「わ、かった…なるから、…ころさないで」
意識を手放しそうになる手前、回らない口で絞り出した言葉を放てば彼の手は首から離れる。生存本能が必死に酸素を取り込もうと呼吸を激しくさせた。酸素が回ってくれば意識もはっきりとしてくる目の前の男は表情一つ変えず、わたしを見ていた。
「じゃあ、決まりだね。」
こうしてわたしはゾルディック家もとい、この長男に飼われる事になったのだ。