世界はこんなに美しい1 [ 2/2 ]

港に行ったところまでは思い通りだったが、そのあとクロコダイルは足止めをくらった。
彼を運ぶはずだった軍艦にトラブルがあったと、マリンフォードから連絡があったらしい。
不機嫌全開で海兵を睨みつけてみたがその顔が青くなる以上の効果はなく、結局マリージョアに宿泊することになった。

宿の手配が済むまで待ってほしいと頭を下げられ、仕方なく宛がわれた部屋に戻ることにした。
溜め息を吐きながら、待たされた分の補填に何を要求してやろうかと考えを巡らせる。
特にいい思いつきもなく中庭に足を踏み入れたクロコダイルの視界に、先ほどと同じ白のワンピース姿が現れた。
その膝には猫が乗っている。

『まだ居やがんのか』

さっきはスモーカーが迎えに来た様子だったと、クロコダイルは記憶をたどった。
動いていた足が自然に止まる。

まだここに居るということはスモーカーに急用ができたのだろう。
軍艦のトラブルに関する何かかもしれない。
となると、あの女も自分と同じ状況である可能性が高いと、クロコダイルは結論づけた。
暇つぶしにはちょうど良い。
何せ、女には全く興味のなさそうなスモーカーの恋人だ。
上手くいけば弱みの1つでも握れるかもしれない。

頭を出した好奇心に身を任せて、クロコダイルは女に近づく。
気配に気づいた女の顔がクロコダイルに向いた。
その上半分は鍔の広い帽子のせいでよくは見えない。
しかし、下半分だけでもそれなりに美人であることは予測がついた。

「先ほどは失礼しました」

クロコダイルが声を出す前に女が頭を下げる。
その瞳が自分を向いた様子は、クロコダイルには感じられなかった。
怪訝に思いながら眉を寄せても、女は視線を上げようとはしない。
座ったままの目線の高さで、ただ顔を向けているだけだ。

「私の周りで葉巻を吸っているのはスモーカーだけですから、間違えてしまいました。注意すれば香りの違いくらいわかりそうなものなのに。ご気分を害されたでしょう?」

形の良い唇が、苦笑いを浮かべながら穏やかな声を発する。
クロコダイルの不機嫌は察していたらしい。

不意に猫がするりと女の膝を離れ、地に足をつける。
女の顔はその動きを追わなかった。
ただ、白い指先だけが明後日の方向に少し伸ばされ、諦めたように元の位置に戻る。
その動きで、クロコダイルは女の状態を察した。

大きな右手が、無遠慮に帽子を取り払う。
驚いた女がようやく顔を上げた。
その目は、クロコダイルの想像通り閉じていた。

「お前、見えねェのか?」
「…はい。あの、帽子を…」
「何で被ってんだ?特に必要もねェだろ」

「日除けにしては季節違いだ」と、クロコダイルは付け加える。
実際、マリージョアの今の気候ではこんなに鍔の広い帽子は必要ない。
女の出で立ちには合っていたが、それだけとも思えなかった。

「それは…」
「あァ、その前に名前教えろ」
「**です」
「そんなに簡単に教えていいのか?おれがどこの誰だかもわからねェのに」
「サー・クロコダイル様では?」

**が首を傾げながら口にする。
クロコダイルは一瞬驚いたが、すぐに誰が教えたのかを思い当てた。

「何だ、さっき教えられたのか」
「はい。スモーカーに知り合いなのかと聞かれました。あの…帽子を、返していただけませんか?」
「質問に答えたら返してやる」

意地悪そうにクロコダイルが笑う。
対する**は困惑顔だ。
急に現れた七武海の1人が、こんな風に絡んできたのでは無理もない。
仕方なさそうに肩を落としながら、**は俯いた。

「それは…顔を隠すために」
「何故、隠してる?そう悪くねェ顔だと思うがな」

俯いた表情を窺うようにクロコダイルは膝を折って**を覗き込んだ。
近寄った気配を感じるのか、その身体が僅かに後退する。
半ば世辞のつもりだったが、驚いたように眉を上げる**の顔は上物の部類に入るものだった。

「そんなことは初めて言われました」
「本当か?」
「嘘をつく理由があるとお考えですか?」
「あァ」
「それは、どのような?」

**が首を傾げた。
柔らかそうな前髪がさらりと揺れるのを目で追い、クロコダイルは笑みを深める。

「お前の相手はそんなことも言っちゃくれねェのかと思ってよ」
「相手…ですか?」
「しらばっくれんな」
「しらばっくれてはいませんが?」

クロコダイルの言葉をオウム返しに使いながら、**が不思議そうな表情を作る。
それはわざとらしいものではなかった。
純粋に、クロコダイルの言葉の意味がわかっていないらしい。

「お前…スモーカーの女じゃねェのか?」

クロコダイルが眉を寄せて発した質問に、**はきょとんとした様子だった。
数秒考えたような間のあと、その唇が柔らかに弧を描く。
一瞬見入ったクロコダイルの視線を知ってか知らずか、その口元はすぐさま白い手で覆い隠された。

「ふふっ、違いますよ。確かに、スモーカーとは長く友人関係ではありますけれど」
「さっきは迎えに来させてたじゃねェか。奴を待ってたんだろ?」
「待ってはいましたが、スモーカーが来るかどうかはその時々ですよ。あれは、私を伯父様の元に連れて行くために来てくれたのです」
「…おじ?」
「はい。私は、大将サカズキの姪ですので」

告げられた事実にクロコダイルは目を丸くした。
サカズキに姪など、初耳である。
いや、そもそも兄弟が居たという話すら知らなかった。
興味を持ったこともない領域だが、人というのは付き合ってみないとわからないものだ。

言葉を失った様子を察しているのか、**は少し可笑しそうに笑った。
口元に添えられたままだった手が降ろされ、膝で組まれるまでの仕草を、クロコダイルは何故か目で追ってしまう。

「この話を聞いて驚かない方はいらっしゃいませんね」
「当然だ。なるほど、あいつに用事ができたからまだここに居るのか」
「えぇ、何やら伯父様の管理下にある軍艦でトラブルがあったとか」
「おれはそれに乗る予定だった」
「それで戻って来られたのですね」
「あァ」
「そうですか。何だか、伯父様によって引き合わせられたみたいですね」

言いながら笑みを深めた**に、クロコダイルの表情は益々怪訝なものになる。

大将の姪ならば、七武海についてもそう良い話は聞いていないだろう。
特にサカズキはクロコダイル達を信用していないどころか、敵視している雰囲気さえある。
可愛い…と思っているかどうかはわからないが、僅かでも血の繋がりのある姪に、「関わるな」と言っていない方がおかしいと思えた。
それなのに、**のこの反応は何だろうか。
この出会いを歓迎しているように思える態度に、クロコダイルは戸惑いの心境さえ覚えた。

不意に、白い手がクロコダイルに向かって伸びた。
それはゆっくりと探るように、躊躇うように近づいてくる。

「何だ?」
「あの、帽子を…」
「まだ言ってんのか」
「ないと、落ち着かないので」

申し訳なさそうに眉を下げた**は、尚も手を動かす。
気配を見極めているのか、その手は次第に帽子に向かっていた。
ふらふらと頼りなく進む手指を見つめながら、クロコダイルは意地の悪い考えが浮かばないことを感じていた。

いつもの自分なら、にやりと唇を歪めて帽子をその辺に放るだろうに。
あのいけ好かない大将の姪ならばそうしたいと思っても不思議ではなかった。
しかし何故か、そんな気は起きない。
その手が届くのを待っていたい気持ちが強いのか。

じっと動かないクロコダイルが持つ帽子に、**の手がたどり着く。
安堵の様子が表情に見えたところで、クロコダイルは立ち上がった。

「あっ、あの…」

急な動きに対応できず慌てた**の頭に、クロコダイルの右手が伸びる。
白い帽子は、何事もなかったかのように元の位置に収められた。

「その目を隠すために被ってんなら止めとけ」
「え?」
「見えないのは恥じゃねェ。むしろ、欠点だと思って隠す方が、他人にとっちゃ迷惑だ」

「おれにもな」と続けたクロコダイルに、**はスモーカーと彼を取り違えたことを思い返した。
あの時、**が帽子を被っていなければ、クロコダイルはすぐにその目が見えないとわかっただろう。
もし、すぐにわかっていたならば…。

「わかっていれば、間違いを不快に思うこともなかったと?」
「いい頭してんじゃねェか。そういうことだ」

自分が今笑ったことを、**はわかっているのだろうか。
そう思いながらクロコダイルは新しい葉巻に火をつける。
時間を確認すればもういい頃合いだ。
そろそろ、部屋の方に海兵が呼びに来るだろう。

「じゃァな」

そう言って踏み出したクロコダイルだったが、その足は2歩目を前に止まった。
重いコートが地面に落ちる音。
やけに涼しくなった肩越しに振り返れば、**がコートの裾を掴んで固まっていた。
その表情に、驚きと焦燥が広がってゆく。

「も、申し訳ありません!」
「いや、構わねェ」
「えっと、これは…」
「コートだ」

**に教えながら、クロコダイルはコートを拾い上げてついた土埃を払った。
まさか咄嗟に手にしたのがコートで、それに袖が通されていないとは思わなかったのだろう。
目が見えないのなら、クロコダイルの出で立ちがわかるわけもない。

「あの、大丈夫でしょうか?」
「問題ねェが…何で引き止めた?」

地に落ちたコートよりも、クロコダイルは**の様子の方が気になっていた。
帽子は返した。
それ以外に、彼女が引き止める理由は見当たらない。

じっと返答を待つクロコダイルに、**は少し迷ったあとで口を開いた。

「明日も、ここにいらっしゃいますか?」
「さァな」
「そう、ですか…」

短い言葉を受けて、**が残念そうに肩を落とす。
その様子は何故かクロコダイルの罪悪感を煽った。
もう少し話がしたいと、そういうことなのだろうか。
サカズキの姪ならば、話し相手がほしいと言えばいくらでも用意してもらえるだろうに。

何故**がここに居るのかと、クロコダイルはその時初めて疑問に思った。
この庭園に居るのは、会議に出ているサカズキを待っているからだと推測できる。
しかしそもそも、ここに、マリージョアに連れてくる必要のある女なのだろうか。
会話した限りでは、近くに置いておかなければ危ないという気質にも思えない。
わざわざ人目につく場所に連れてくるのは、何か理由があるはずだ。

三白眼がちらりと時計を窺う。
今、問うている時間はなさそうだ。
もう一度、その視線が**に戻る。
見つめられたことを感じ取ったのか、その顔が上がった。

「…暇なら、来てやる」

そう言って、クロコダイルはすぐに踵を返す。
**の顔が視界から消える直前、その口元は綻んだように見えていた。

「お待ちしています」

背中に投げかけられた声が、少し弾んだものだったのは気のせいだろうか。
自ら人の気を窺うなど何年ぶりだろうかと、クロコダイルは煙を吐き出した。

時間がないという先ほどの考えは、やけに言い訳じみていた。
実際、海兵が呼びに来たところで待たせておけばいい話だったはずだ。
それなのに、わざわざ明日に持ち越した。
**の残念そうな顔を、そのままにできなかったのだ。
クロコダイル自身、そのことには気づいていた。


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公開:2013年2月19日

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