世界はこんなに美しい6 [ 2/3 ]

「わしがその一報を受けたんは、大将への昇進が決まってあの子をここに呼び寄せたその日じゃった」

数ヶ月前、執務室に呼ばれたスモーカーが聞いたのは、最近の行動に対する小言でも何でもなく、ただ淡々としたサカズキの声だった。

「…何の話ですか?」
「**の話じゃ。お前、あの子の目が産まれた時からのモンじゃと思っとったか?」
「違うんですか?」
「違う。あの子はな…自分から目を潰してくれと言うたんじゃ」

告げられた事実を、スモーカーは上手く理解できなかった。
息を呑んだ様子を見たサカズキは「無理もない」と言いながら深く溜め息をつく。

あの日、マリンフォードに弟一家を呼び寄せたのは自分だったと、サカズキは話し出す。
大将への昇進祝に、久しぶりに夕食でも共にしようと声をかけたのだ。
弟と、その妻と、そして**。
3人は何事もなくマリンフォードに到着し、弟夫婦は準備していた手はず通りに宿へと向かった。
**は、夕刻までの間、海兵に本部内を案内してもらう約束になっていたという。
好奇心の強い年頃だというのはサカズキも弟夫婦から聞いて知っていた。
自分を慕ってくれる可愛い姪が、できればマリンフォードで仕事を探したいと言っていたのも。
本部の見学はその判断材料になれば良いと、そんな軽い気持ちだった。

きっかけは、その時ちょうど本部を訪れていた政府の役人が落とした、たった1枚の書類。
そこには、ある機密事項が書かれていた。
運悪くその書類を目にしてしまった**は、付き添いの海兵と共に一時拘束された。
サカズキに報告が来たのはその時だったという。
すぐに手を回して**を牢から出したものの、彼女が書類の内容を正確に覚えていたことはその日のうちに政府の上層部に露見する。
「大将の姪」という立場が功を奏し、しばらくの間マリンフォードからの出港を禁ずると言い渡されただけでその場は収まった。

しかし、問題はそのあとだった。
政府機関に帰った役人が「**が書類を盗んだ」と上司に報告したらしいということが伝わってきた。
自分が一時紛失したという失態を隠すための嘘だと、サカズキはすぐに気づいた。

姪の不祥事。
当然、サカズキにも疑惑の目が向く。

センゴクやガープといった海軍の中心人物は、その話を信じようとはしなかった。
サカズキの性格も、**の人柄も知っているが故の判断であった。
しかし、そんな人情は政府の中枢には通用しない。
センゴクが何とか話を収めようとしたが、上層部は「**を差し出せ」の一点張りだったという。
それを伝えられたサカズキは悩んだ。

**は何も悪くない。
彼女はただ、運が悪かっただけだ。
悪いのは書類を落とした役人。
それなのに、何故**が身柄を拘束されなければならないのか。
年頃の少女だ、親と別離させるなど考えられなかった。
拒否の態度は即刻、政府への反乱と見なされるだろう。
サカズキが確認した書類の内容は、確かに重大なものだった。
**がそれを知っていることが世に漏れれば、その身も危ない。
できれば手元に置いて、安全な場所での生活をさせたかった。
しかし、政府側はそれでは駄目だという。
インペルダウンに収容するという話まで出たらしい。
何の力も持たない少女に何たる仕打ちかと、ガープなどは激昂していた。

大人達が頭を抱える最中、急に**がサカズキに会いたいと執務室を訪ねて来た。
その表情が、信じられないほどに穏やかだったのをサカズキは今でも覚えている。
2人きりになって数分後、**はとんでもないことを口に出した。

『私の目を潰して下さい』

息を呑むサカズキの前で、**は尚も言葉を続ける。

目が見えなくなれば、1人では容易に逃げられなくなる。
その状態でどこか、マリンフォードでも別の場所でも、1カ所に幽閉しておけばことは収まるはずだ。
自分はそれで構わない。
親元に戻るのが心配だと言うのなら、縁を切っても良い。
サカズキ達は自分を殺せない。
政府は自分を殺したい。
それなら、その間をとれば良い。
1人ではどこにも行けない身体になれば良い。

それが、**の決断だった。

20歳に満たない少女の決意は、周囲の大人達を圧倒するほどに固かった。
センゴクもガープも、口達者なつるでさえ説得に回ったが、誰1人としてその心を動かすことはできなかった。

そして、約1週間後、サカズキは決断する。

『**の、思う通りにさせる』

弟夫婦には、何度も頭を下げたという。
彼らはサカズキを責めなかった。
責めるべきが誰であるかはわかっていると、涙を堪えていた。

政府上層部との交渉の結果、**は視神経だけに手を加え、失明を促す手術を受けることが決まった。
眼球は血の通ったまま残る。
瞼は閉じたままで居られるよう、特殊な処置を施すらしい。
サカズキ以外の親族は、彼女に帰郷の思いを募らせる可能性が高いため、面会不可。
幽閉の場所はマリージョアの一室。
軍関係者でさえ容易には入って来れない政府の中枢で、一生を過ごすように。

**は、この条件を聞いても、顔色を変えなかった。
両親とは一生会えない可能性が高い。
目が見えないのでは、写真や映像でその姿を知ることも叶わなくなる。
「本当にそれで良いのか」とサカズキは何度も口にしたが、**は頷くだけだった。

手術の日、サカズキはセンゴクの計らいで、マリージョアで行われたそれに立ち会った。
何事もなく終わった手術のあと、目元に包帯を巻かれた**は、サカヅキにこう言った。

『大丈夫よ、伯父様。これで、私は美しい世界を手に入れたから』

微笑みすら浮かべる表情は、強がっているようには見えなかった。
サカズキがその言葉の真意を知るのは数ヶ月後。
原因となった役人と笑顔で接する**を見た時だった。

相手の顔が見えないから、想像するしかない。
その想像の中で、その役人は現実とは違う姿を与えられているのだ。
だから、**は怒らない。
自分を陥れた相手にも笑うことができる。
それが如何に悲しい現実であるかは、意識しなければいい話。
サカヅキや周囲から注がれる憐憫の眼差しも、彼女には見えないのだから。

そうして、**は今でも空想の世界を生きている。
自分の都合の良いように相手を改変しては、現実から目を逸らしている。
たまに相手とかみ合わなくても、全く気にしていない。
大多数の者は、1度きりしか会わない人間なのだ。

愛想笑いと、現実の排除を徹底した思考回路で、あの状況すら楽しいと思い込もうとしている。
それが真実だった。

「…そんなことがあったんですか」
「あァ、本当に…何度自分を責めたかわからん。しかし、最近少し変わってきたようじゃなァ」
「はァ」
「うっすい反応しよってからに。わしが何でお前にこの話をしたと思うちょるんじゃ」
「…一応、友人の立ち位置だからでしょうか」
「惚れちょるクセしてよう言うのう」

呆れ混じりの溜め息に、スモーカーは僅かに肩を揺らした。
見透かされていたらしい。
理由をつけては頻繁にマリージョアを訪れていれば、バレないわけもないのだろうが。

「クザンがお前を勧めてきた時にはどうしたモンかと思うちょったが…まァ、**には良い効果があったようじゃな」
「そうですか」
「あァ、あの子が自分から「友人」と言うのはお前だけらしい。訪問を喜ぶのもなァ」
「…初耳です」
「本人に言いやせんじゃろう。わしはなァ…あの子を預けられるんは、お前だけだと確信した」
「どうしてまた」
「今まで色んな人間に会わせてみたが、お前ほどに心を開く者もおらんかった。わしは、あの子を早くあそこから出してやりたい。随分前から機密については「もう忘れた」と言うちょるし」

言いながら、サカズキは遠い目で窓を眺める。
海原の向こうに思いを馳せるような仕草に、スモーカーは眉を上げた。

「…つまり、おれにあいつと結婚しろと?」
「そうじゃ。軍に婿ができれば、裏切りを懸念する声も収まるはず。マリンフォードに住む理由にもなるしのう。あの子が、10年前に望んでいたことを叶えてやれる」
「確かに、メリットばかりですね」
「都合良く、お前は**に惚れちょるしな。問題行動は多いが、軍を裏切らん男だという認識は広まっちょる」
「…まァ、否定はしませんが」
「否定させるか馬鹿モンが。…すぐにとは言わん、考えちょってくれ」

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