世界はこんなに美しい8 [ 2/2 ]

日付の感覚どころか1日の感覚も曖昧になってきている。
そんな中、久しぶりにリフトがレベル6に到着する音がした。
アレを使うのは、最近新入りの護送の時だけだ。
また誰か入ってきたと周りの男達が騒ぎ始める。
クロコダイルは興味なさげにその様子を見ていた。

ふと、話し声が聞こえてくる。
聞き覚えのある男の声に、クロコダイルは眉を寄せた。

『…マゼラン?』

監獄の署長がレベル6に何の用なのか。
近頃の囚人の収監には立ち会っていなかった男が何故来たのかと、疑問が脳裏をよぎる。
すると、獄中の男達が一斉に檻の隙間から外を窺いだした。
不審な動きに呆れていたクロコダイルの耳に、別の檻からの話し声が届く。

「女だ」
「本当だ。囚人じゃねぇ。副看守長のドミノも居るぞ」
「やけに美人だなー」
「ああいうのは可憐っつーんだよ」
「どっちでもいいだろ、とにかく良い女だ」
「よー、マゼラン、そのねぇちゃん誰だ?てめぇの女か?」
「黙らんか貴様らっ!!」

軽口を一蹴したマゼランがのしのしとクロコダイルの居る檻の前に歩み出た。
その目はゆっくり獄内を見渡し、彼の元に来てぴたりと止まる。

「お前に客だ」
「…あァ?」
「さ、どうぞこちらへ。あ、署長、お触れにならないで下さい!」
「お前は触っているじゃないか、ドミノ」
「これは引率のためです。ああ、あまり近づかれますと危険ですので…」
「大丈夫です。人の気配はわかりますから」

最後に響いた声に、クロコダイルは目を剥いた。
まさか、こんな場所に来るわけがない。
彼女はマリージョアに幽閉されている。
どこかに出かけるにしても、インペルダウンなどサカズキが許すはずがない。

「あの…退いていただけませんか?」

クロコダイルの視界を塞ぐ囚人達に向かって、懐かしい声が言う。
しかし、男達は下卑た笑い声を上げるばかりで従おうとはしなかった。

「退いてもいいぜ、ねぇちゃんが1晩相手してくれるならな」
「お話ならいくらでもお聞きしましょう」
「そう言う意味じゃねぇよ」
「では、どのような?」

律儀に反応を返す声音は、目の前の大男達に全く動じていなかった。
いや、動じる理由がないのだ。
おそらくこの女は、目が見えていない。

「こらっ、貴様ら!大将の姪御さんに向かって何て口を…」
「退きやがれ」

クロコダイルは思わず、マゼランの声を遮った。
海楼石のお陰で力の入らない身体を持ち上げる。
振り返った囚人達は、不機嫌そうな三白眼が睨みを利かせると震え上がって道を空けた。

その先に見えたのは、やはり思い描いていたワンピース姿だった。
彼女は開かない両目で檻の中を窺っている。
クロコダイルの気配を感じたその表情は、一瞬で笑顔に変わった。

「クロコダイル」
「…何で、ここに居る?」
「ああ、意外に元気そうな声ですね」
「こっちの質問に答えろ」

威圧しているように見えたのか、マゼランの手が反応する。
しかし、気づいた**が軽い仕草でそれを制した。

「少し、離れていて下さいませんか?」
「いや…しかし…」
「大丈夫です。この人は間違っても私に手を出したりはしません。ね?」

クロコダイルが沈黙と苦々しい表情でそれに答えると、マゼランとドミノは渋々引き下がった。
それを見て、クロコダイルは可笑しそうに笑いを漏らす。
**の顔が向き直り、その口元にまた笑みが浮かんだ。

「地獄の監獄署長も大将の姪には敵わねェってか。で?何でここに居る?」
「自分で連絡を取って、訪問を許可してもらいました。伯父様には内緒です」
「そんなことができるのか?」
「マリージョアを出ましたから。今は別の場所に住んでいます」
「…何だと?」
「プルトンが葬られたのです。それによって、私の知った機密の重要性も無に還りました」

**の告げた言葉に、クロコダイルは再び目を見開いた。
嘘を言っている雰囲気ではない。
楽しげに弾む声は、2年前と変わらぬ響きでクロコダイルの耳をくすぐってくる。

「貴方が去ったあと、私は全てを思い出しました。私が見たのは、プルトンが設計図として残っているという事実と、その在処を示す書類でした」
「…そうだったか」
「予想の範囲内だったのですね」
「まァな」
「私はプルトンのアルファベット表記と共に、別の文字も覚えていました。「W7」、それが場所のことだなんて随分長い間気づきませんでしたが」
「数字ってのはそのことか。ウォーターセブン…なるほどな」
「行ったことがあるのですか?」
「水の都だろ。人生で一番行きたくねェ場所だから覚えてた」

苦笑混じりにクロコダイルはそう口にした。
まさか、造船業の島に伝わっていたとは。
設計図という話も加味するならば、プルトンは戦艦か何かだったのだろう。
そこまで思考を巡らせて、クロコダイルはふと別の疑問を浮かばせた。

「「葬られた」ってのは、どこで知った?」
「伯父様から聞きました。麦藁のルフィをご存じ?」
「ご存じも何も、おれをここに入れた張本人じゃねェか」
「ふふっ、そうですね。私もその話はスモーカーから聞きました」
「ここに来てまでその名前は聞きたくねェ」
「そうですか?彼は心配していましたよ」
「お前のことを、だろ。で?麦藁のルフィがどうした?」
「司法島を襲撃したそうです」
「…はァ?」
「ニコ・ロビンという女性を助けようとしたとか。プルトンの設計図はその際に別の方が持っていたのですが、政府の手に渡すまいとして燃やしたのだそうです」

ニコ・ロビンという名前もクロコダイルには久しかった。
どういう経緯で麦藁のルフィが彼女を助けようとしたのかは知らないが、そのどさくさでプルトンは消滅したということのようだ。

何と皮肉なことかとクロコダイルは乾いた笑いを漏らす。
自分を獄に送った男が、**を解放するきっかけを作ったらしい。
自分の野望を阻んだ男が、一番愛しい人間を救ったのだ。
これ以上の皮肉はこの世にないと、クロコダイルには思えた。

「そうか…あいつに救われたのか」
「いいえ、違います」
「何が違う。お前がマリージョアを出られたのは、麦藁のルフィのお陰だろう?」
「違いますよ、クロコダイル。彼はきっかけをくれただけ。私を救ったのは、貴方です」

微笑みと共に滑り出した言葉は、クロコダイルには理解ができなかった。

「おれは、何もしてねェ。結局、計画も失敗に終わった」
「いいえ。私の知った機密が無用のものになると、最初に教えてくれたのは貴方です。私はあの時、確かに救われた。マリージョアを出られると聞いた時よりもずっと、あの時の方が嬉しかった」

懐かしむような心境が声音に現れる。
些細な変化だったが、クロコダイルは聞き分けられていた。
それは、彼女を恋しく想っていたが故なのだろうか。

白い手が檻に伸びる。
器用に隙間をすり抜けた指先は、迷わず左の義手に向かった。
遠目ではドミノが反応していたが、マゼランがそれを止めている。
2人の間を漂う空気に、何かを感じたのだろう。
何とも気の遣える男だと、クロコダイルはにやりと笑みを浮かべる。
ほぼ同時に、**の手が義手に添えられた。

「ずっと、貴方に会いたかった。こんなに自分の目が見えないことを後悔したのは初めてです」
「見たって面白くもねェよ」
「いいえ、きっと面白いはずです。えっと…囚人服というのは、白と黒の縞々なのですよね?」
「…くだらねェことを覚えてくるな」

苦々しい声音でクロコダイルが呟くと、**は実に楽しそうな笑顔をみせた。
その瞼の裏の暗闇で、自分はどんな姿を与えられているのだろう。
想像するだけで背筋に妙な感覚が走りそうだった。

何気なく視線を落とした先で、クロコダイルは**の手に何かが隠れているを認識した。
その瞬間に、今度は逆の手が檻に向かって伸びてくる。

「手を、握らせて下さい」

切実な声音にクロコダイルは眉を寄せた。
感じたのは違和感だ。
本当に、そうしたいと思っているのだろうか。
渦巻いた疑念のまま伸ばされた手を右手で握ると、**はそれを自分の方に引き寄せた。
海楼石の手枷が檻に当たって音を立てる。
それ以上は引き出せないとわかると、**は自らクロコダイルの右手に頬を寄せた。

「貴方を、ずっと待っています」

クロコダイルにしか聞こえない小さな呟きと共に、義手に添えられた手が動く。
白い指先が、義手と服の間に素早く何かを滑り込ませた。

なるほど、とクロコダイルは納得の思いを感じる。
先ほどの切実な声に違和感を感じたのは、それが演技だったからだ。
本当の目的は、何かをクロコダイルに渡すこと。
そのために、身を寄せても違和感のないように声音を調節したのだ。

クロコダイルは視界の端でドミノやマゼランを窺う。
彼らは何も気づいていないらしい。

**がするりと檻から離れる。
それを見計らってドミノが駆け寄ってきた。
差し出された手に、**が自分のものを重ねる。

「あぁ、そうだ、もう1つだけ」

思い出したように振り返った**が真っ直ぐにクロコダイルを見る。
開かない瞼の向こう側にその瞳を見た気がして、彼は僅かに息を呑んだ。

「貴方の言った通りでした。私が思うよりも、世界はずっと美しかった」

満面の笑みとその言葉は、クロコダイルに**の近況を教えた。
サカズキとの溝は埋まったらしい。
スモーカーとは…いや、考えないことにしよう。
そう決めて、クロコダイルはいつもの位置に腰を下ろした。

リフトの音が遠ざかり、そして止まる。
それを確認してから、クロコダイルは左腕の袖を口で捲った。
同時にはらりと紙片が落ちる。
**が潜り込ませていったのはこれらしい。
騒ぎ出しそうになった他の囚人達を威圧し、クロコダイルは紙片を拾い上げる。
広げてみても、それはそう大きなものではなかった。
書いてあるのは日にちと、方角と、距離。

『…マリージョアからの航路か』

**が移り住んだ島への行き方だと、クロコダイルはすぐに察した。
どうにかして出てこいと、迎えに来てくれと、そういうことらしい。
紙片を眺めていたクロコダイルに口元に笑みが浮かぶ。
まったくどこまでも大胆な女だと、耐えきれない笑いが口から漏れる。

「どうやって出ろってんだか」

そうは言いながらも、クロコダイルは紙片を丁寧に折り畳んで義手の隙間に押し込んだ。
上機嫌な笑い声はそのあともしばらく続く。
それを周りの囚人達が気味悪そうに眺めていたのは言うまでもない。

麦藁のルフィがインペルダウンへの進入を果たし、クロコダイルの前に再び現れるのは、ここからそう遠くはない話。


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公開:2013年4月9日

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