世界はそんなに美しいのか(後編) [ 2/5 ]

ダズが自身の先の行動に考えを及ばせた時だった。
何かが、彼の背をざわりと撫でていく。
よく知ったその感覚に、彼はむしろ緊張を忘れて穏やかな気持ちにさえなった。

殺気だ。

考えるよりも早く、身体が反応する。
**を引き寄せ、盾になるように抱き込んだ直後、背中に衝撃が走った。
金属が激しく擦れ合うような音。
振り返った先のニックは、武器の類いを持ってはいない。
それでも、背に残る感触と近くの壁に出来上がった傷跡が、斬撃による急襲であったことを物語っていた。
この業をダズは知っている。

「嵐脚…」
「ダズ!?」

腕の中で**が焦りの声を上げる。
そういえば、彼女は自分の能力を正確には知らなかったかも知れない。
しかし、説明をしている暇はないと、ダズは次の行動に出る。

「失礼します」

声をかけて腕の位置をずらすと、**は大人しくダズに身を預けてきた。
理解の早さに感心しながら、華奢な身体を持ち上げる。
一旦は廊下の先にと思ったが、背後からの発砲音を聞いて思い留まった。
鉄の身体は銃弾を難なく跳ね返したが、それは同時に、今まで意識しなかった能力のデメリットをダズに教える。
狭い廊下で自分が側に居たのでは、跳弾の危険がある。
彼が今、最も優先するべきは**の身の安全だ。
必然的に選択肢は限られた。

続く銃撃を避けながら、ダズは**を抱えて中庭に飛び出した。
残念なことに、そこには花壇があるだけで遮蔽物は皆無である。
ニックはおそらく、ダズの能力を熟知している。
スパスパの実が近接戦闘に特化した能力であることを知っているから、嵐脚や拳銃による攻撃で距離を取ろうとしているのだ。
しかも、中距離からの攻撃を続ければ、ダズは**から離れられない。
それは結果として、彼が逃げる隙を作ることとなる。

状況は大変に悪かった。
このままだとニックを取り逃がしてしまう可能性が高い。
それは、組織にとって大きな痛手となるだろう。

しかし、それでもダスは不思議と落ち着いていた。
この状況において、するべきことは1つであるとわかっていたからだ。
視線を下げれば、自分の服にしがみつく**がいる。
今までにない不安を乗せたその顔を見て、ダズは思わず全身に力を込めた。

何としても、この人を守らなければ。

ダズが決意を新たにしたのとほぼ同時に、**が顔を上げた。
しかし、それが自分を窺う動作ではないことをダスは瞬時に理解する。
彼女が「視て」いるのは、ダズの背後。
つまり、ニックだ。

**の顔が宙を見るように固定された瞬間、ダズは視界の中にあった花壇の煉瓦に手をかけた。
引きちぎるように力を加えると、煉瓦は意外にあっさりとダズの手についてくる。
振り向きざま、**の見ている方に向かって煉瓦を投げつける。
煉瓦はダズの狙い通りに、宙を闊歩するニックに向かって真っ直ぐに飛んでいった。
ニックはすぐさま回避の体勢を取る。
しかし、彼が次の一歩を踏み出すよりも早く、煉瓦はその身体に直撃した。

「くそっ…!」

そう吐き捨てながら、ニックは手にした銃を再びダズへと向ける。
ダズは冷静に、次の攻撃がどんな角度で自分の元へやってくるのかを予測する。
銃から飛び出した弾は、彼の予測通りの軌道を描いた。
手の甲を変化させ、刃先ではなく面で銃弾を捉える。
跳ね返ったそれは、吸い込まれるように、体勢を崩したニックの元に戻っていった。
肩口に被弾して地に落ちたニックを見ながら、ダズは自身の行動の成果を他人事のように考えていた。
さすがにちょっと出来過ぎである、と。

血の吹き出る傷口を押さえてニックが立ち上がる。
その目から戦意は消えていない。
ダズは瞬時にあらゆるパターンを想定するが、どの展開至っても結果は同じだと判断した。
一度、**から離れて戦うしかない。
自分の間合いに入りさえすれば一撃でことが済む。
離れている間に**を狙ってくるかもしれないという危惧もあるが、ダズにはそれをさせない自信があった。

ダズはニックを窺いながら、**を地面に下ろした。
しかし、手を放そうとすると、彼女は引き留めるようにダズの服を引いた。
不安なのはわかるが、ここは自分の意思にしたがってもらわなければ。

そう思って**に顔を向けたダズは、彼女の様子に眉を寄せた。
**の表情には、不安や恐れなどは全くない。
むしろ微笑みすら出しそうなほど穏やかな態度で、彼女はダズに告げた。

「来たわ」

嬉しそうな声に誘われるかのように、さらりと砂の流れる音がした。
状況を理解したダズが力を抜くのとは対照的に、ニックは悔しげに顔を歪める。
形を整え始めた砂に向かって、彼は苦し紛れの嵐脚を放つ。
現れたクロコダイルは、左の義手のみでその斬撃を受けきり、面倒くさそうに煙を吐いた。

「花壇の近くで暴れるんじゃねェよ、阿呆が」
「そんなに花がお好きだとは知りませんでした。今度、とびきり上等なのをお送りしますよ、ボス」
「生憎だが、ここの以外にゃ興味がねェんだ」
「そうですか。残念です」

言葉の終わり際、ニックは再び脚に力を込めた。
しかし、次の瞬間には、クロコダイルはもうそこにはいない。
目に見えぬ早さで動いた彼は、右手をニックに押し当てる。
それだけで、勝負はついた。

半死半生の状態になったニックを片手に、クロコダイルはダズに目を向けてくる。
彼はどう見ても不機嫌な表情だったが、発した声は意外なほどに穏やかだった。

「いつまでそうしてる?」

静かに言われて、ダズははっとする。
慌てて**から手を放すと、彼女もダズの服から手を放す。
**は両手を胸の前で組むと、不安そうに周囲を見回した。

「杖を落としてしまったみたい」

その言葉に促されて、ダズは中庭の入口を見た。
落としたのなら、自分が**を抱えた時だと思ったからだ。
しかし、彼女の杖はダズの思った場所ではなく、彼の目の前に迫ってきていた。
放られてきたそれを咄嗟にキャッチして、ダズはその奥のクロコダイルを窺った。

「部屋に戻れ。今度こそ寄り道せずにな」

その声はやはり、表情に似つかわしくないものだった。
クロコダイルはコートを翻し、右手のニックを引きずるようにして消えていく。
去り際の眼光に射竦められたダズは、このあと**に声をかけられるまで固まったままだった。

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