泣いて泣いて、最後に笑って




「め、面目ない……」
「あー、いや。俺もなんていうか、すっかり忘れてたし……。そ、そんな気にすんなって。な?」

 人混みを避けるように木陰にある木製のベンチに座って、かれこれ一時間は経つだろうか。項垂れる私の背中を一定のリズムで撫でてくれる電気は、困ったように笑っている。電気を楽しませる、とのあの言葉に嘘はない。けれど、いや。まさかここまでとは。

 私は、死ぬほど乗り物に弱かった。

 そう、しっかりと描写されていたはずだ。USJへ向かうバスの中で酔い、相澤先生にため息を吐かれる様子が。しっかりと。
 まさかこんなところでこんな伏線を回収されるなんて、思ってもみなかった。とんでもないフラグだったんだ、あれは。ああいや、もういい。メタ発言ここまでっ!

 とにかく、小学生くらいの子が楽しそうに乗っているかるーい乗り物なら大丈夫かな、なんて思って試しに乗車してみたら、見事に酔った。時間も経っているし今はだいぶ楽になっているけど、簡単に言うと、そういうこと。
 私に付き合って電気まで時間を無駄に使う必要はない。乗りたいのあるなら行って来てね、と伝えたけれど、電気は頑なに拒んだ。「なまえと楽しむために来たのに、なんでなまえ置いて俺だけ楽しまなきゃなんねぇんだよ」と。いや、まあ、電気の立場ならそう言うよね。うん。愚問だった。

「軽いのなら大丈夫だから」
「さっきのアレも充分軽い乗り物だと思うけど」
「訂正。もっと軽いのなら大丈夫だから」
「あれより軽い乗り物?ベビーカーレベルじゃね?そんなんある?」

 電気は持っていたマップを豪快に広げて、うーんと唸る。その手元をのぞき込むけど、なんだか派手な乗り物ばかりが目について、私に優しい乗り物が見当たらない。

「いっそちっさい汽車みたいなやつ乗ってくるか?幼稚園児と一緒に」
「電気それバカにしすぎだと思う。カーブ多いから私あれでも酔う自信あるよ」
「ごめんなまえの三半規管バカにしすぎたわ」

 へらっと笑う電気に、釣られて笑う。こんな風に嫌な顔一つせず合わせてもらって、申し訳なく思う気持ちはもちろんある。だけどそれ以上に、嬉しい、と思ってしまうのは、恋する乙女としては仕方がないことなのかな、なんて。
 優しく私を気遣ってくれる電気はやっぱり、いい男だなぁと思う。見た目もいいから、相当モテてるでしょ。知ってるんだよ。早く彼女、作っちゃえばいいのに。
 そうしたら私も、潔く諦められるんだけどなぁ。

 ふふ、と思わず笑ってしまって、電気が不思議そうな顔をした。

「どした?」
「んーん。……電気が優しくしてくれるの、嬉しくて」
「……あー、俺、いつでもなまえには優しくしてるつもりなんだけど、」
「そうだね。いつも優しい。気にしてくれてる。これでもちゃんと、わかってるんだよ」

 ありがとね。連れてきてくれて。私、今、楽しいよ。とっても幸せ。

 思ったことを素直に口に出す事は、恥ずかしいことでもなんともない。そう思っていた。言わなきゃ伝わらないこともある、だよ。だから、そのまま伝えた。私にとっては、それだけのこと。
 電気は私の性格なんて熟知しているはず。
 素直な気持ちを聞くのも、いつものことなはず。
 それなのに、何故か、その顔は少しだけ上気していた。いかにも、開いた口が塞がりません、という表情で、だけどなんだか複雑そうに、瞳は揺れている。

 あ、れ?……泣きそう、

「……なまえさ、ほんと、」
「電気?どうしたの?大丈夫?」
「……あー!いや、えっと」

 言い淀んで、電気は居心地悪そうに頭をがしがしと乱暴に掻いた。視線を落として瞬きを繰り返した時、じわりとその綺麗な瞳から何かが滲んでいるのが見えて、一瞬、呼吸が止まる。

「……むり、待って、ごめん」
「でんき、」
「ごめん、かっこわりぃな。おれ、ほんと」

 びっくりして、何も言えなくなる。小さく震える身体に触れようとして、躊躇った。
 泣かせてしまった。どうして。何か、電気にとって辛いようなことを言ってしまったんだろうか。無意識のうちに、傷付けてしまった?

「ねぇ、ごめん、ごめんね。なんか変なこと言っちゃった?私、あの、ごめん。自分勝手だった。……ごめんなさい」
「あ、や、……ちがくて」
「あの、……あのね。最近電気、なんか変だったよ。ずっと悩んでたよね。私に言えることなら言って?電気の力になりたいよ。私に出来ることなら、なんだってするから」

 鼻をズルズルと鳴らしながら目元を拭う電気の服を掴んで、まるで懇願するみたいに悲痛な思いを口にした。頼って欲しい。お願いだから。何のために私がいると思ってるの。
 なんとも言えない、覇気のない顔で見つめられる。涙はこぼれない。ただ、今にも溢れだしそうなものを瀬戸際で必死に耐えているのは明らかで。
 電気にとって、痛みを伴う話かもしれない。だけど。

「言ったよね。電気のこと、守りたいの」

 真剣な眼差しを向け、はっきりとした物言いで、短く私の決意を伝えた。膝の上で震える拳の上に、手のひらを重ねる。暫くかち合ったままでいた不安に揺れるはちみつ色の瞳は、すっと逸らされた。「ずりぃよ、」と震えた鼻声が小さく聞こえる。

 それからの沈黙は、長かった。電気が何を考えていて何を悩んでいるのかなんて、想像もできない。なんだかすごく、心臓に悪いよ。すぐ近くに雑踏があるのに、なんだか二人だけの世界に生きているような、そんな気さえしていた。

 どれくらい時間が経っただろう。かたくかたく握り拳に力を入れ続けていたその手から、ふと力が抜けたのがわかった。おれ、と、か細い音がした。
 話してくれることを辛抱強く待っていたから、やっと聞けたその声にほっとする。ああ、漸く本音を話してくれる。これで、力になれる。

 うん、と返事をして、電気の言葉の続きを促した、その時だった。
 私の声と、人々の平和な賑わいをかき消すように、耳を劈くような爆発音と、地鳴りが響いた。あたりにいた人々から、甲高い悲鳴が次々と上がる。

「な、なに!?」

 すぐ近くのアトラクションで、何かが起こったみたいだった。煙が上がっているのが見えて、身体がすくみ上がった。USJのことが、頭を過ぎる。

「まさか……敵……!?」

 こんなところで、こんな時に……!
 最悪の事態を想像して、膝が笑う。頭は雑多に考えを巡らせ、混乱している。
 どうしよう、と、小さく漏らした迷いは、いろんなことに対してだった。それでも、電気だけは絶対に守らないと、というのはいつだって最優先事項だ。今度こそ、という思いで、私は拳を握った。

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