吸って、吐いて、また吸って
一拍息を止めたなら、よしと呟き後ろ手に
ポットを持って、いざや行かん
◇ ◆ ◇
「あのね、ガウェインさん。私が人でなくなっても、一緒にお茶を飲んでくれる?」
ゆっくりと停留所を発つ騎空艇は、どこまでも伸びる入道雲めがけて、巨大な船体ごと文字どおり飛び込んでいく。
その艇内。明るい真昼の日が射す歩廊は、人もまばらだと言うのに、どこかさんざめくような賑やかさをそこここで振り撒いていた。
普段通りの騒がしい空気を優しく掻き分けて届く声。小さなノックで自室から顔を出したガウェインは、「こんにちは」と笑顔で向けられた挨拶の後に続く冒頭の言葉で目を瞬かせた。
目の前には、今やよく見慣れた小柄な女性の姿がひとつ。艇内ゆえか、魔女のようなあのとんがり帽子は被っていない。
名前は確か、レナというのだったか。他の団員が呼ぶ彼女の名を思い出しながら、脈絡のない問いを受けた男は、開いたドアに凭れかかった。
「貴様も懲りんな。そういうことは団長にでも聞きに行けばいいものを」
前よりも幾分、丸くなった受け答え。それは彼が、己の業を乗り越えた証なのだろう。
長い間、ガウェインの目元を覆っていた仮面も今は無い。彼の傲慢さの象徴であったそれが取り払われて、キリリとした目元がよく見えるようになった。
光の加減で緑にも金にも、また陰れば淡い菫色にも見える不思議な瞳が、色とりどりに咲く花のようでレナは好きだった。
「まぁまぁ、団長さんに聞いても意味がないでしょう? だって、きっと団長さんなら迷わず頷いてくれるもの」
「ハッ、違いない」
今にも頬に手を当てそうな調子でレナが答える。あっさりと同意するガウェインの返事には、嘲りよりもからかいや愉快さといった感情が滲んで聞こえた。
きっと今頃、我らが団長はひとつくしゃみをしているだろう。
「ならば何故、わざわざ俺のところに来た?」
仏頂面で尋ねるガウェインには、理由など皆目見当もつかない。そも、彼女にたびたびお茶に誘われることからして、彼には解せないことだった。
顔色伺いや色目を使う女は多々居れど、レナがそういった類いの女ではないことは頻繁に行動を共にする彼のこと。よく知っている。
ならば同じように嘗て呪いに苛まれた者同士、同情や傷の舐めあいかと思えば、それも違うような気がした。
同調は飽くまで切っ掛けにすぎない。互いに不遇な身の上だ。協力こそすれど、ガウェインもレナも、同情しあって慰められるような性質ではなかった。
あまりにもの問いたげな顔をしていたのか、レナは困ったような、躊躇うような、それでも絶えぬ微笑みで答えた。
「うふふ。そんなこと、ガウェインさんとお茶をしたいからに決まっているでしょう?」
「奇特な奴だ」
元々、その傲慢さ故に敬遠されていたガウェインだ。今でこそあれやこれやと気にかける者は増えたが、あまり団員が寄り付かなかった時分から好んで話しかけに来る人間など、この騎空団の団長かレナくらいのものだった。
他人の目から見てさほど面白味のない男だったろう。だというのに彼女は、何が楽しいのかいつもにこにこと微笑みながら、お気に入りのティーポットで紅茶を振る舞うのだ。
「そうかしら? だって、ガウェインさん、なんだかんだ言いながらいつも付き合ってくれるでしょう」
「それはそもそも貴様が勝手に押し掛けてくるからだろう。何故わざわざ、今更一緒に茶を飲んでくれるか、などと聞く必要がある」
ほんの少しの訝りと、単純に純粋な疑問。それらが言葉という形をとって、彼の口から転がり落ちる。
答えるレナは、何を思って笑みを絶やさなかったのだろう。
「前に聞いたとき、あなたはお茶を濁してしまったから」
もたらされた答えに、ガウェインはそういえば、と思い出した。以前にも、一度、同じ問いを投げ掛けられたことを。
当時はまだ、彼も彼女も己の呪いに精一杯足掻いている最中で、ともすれば本当に人ではなくなってしまいそうな――明日にも物言わぬ木になってしまいそうな彼女に、『臆病風に吹かれたか』と返したのだ。
『くだらん心配なんぞする暇があるなら、貴様は次の島に降りる用意でもしておけ』
その時は、本当にくだらないと思えた問いかけにそう一蹴して、じきに停泊した島で呪いを解くための情報収集に出掛けたのだ。
けれど今、こうなってしまっては彼女の問いにも笑えない。
何の憂いもなしに呪いの解けたガウェインに反して、彼女の解呪の代償は、あまりに大きなものだった。
人の身体を捨てたのだ。
呪いの解ける前となんら変わらないように見えるレナだが、その身体を組織する構造がどうなっているのかは、本人にさえわかっていない。
一度花になり、霧散し、失われた身体を、魔物がその能力でもってして、魔物を生成するのと同じ要領で再構築したものなのだから。
今の彼女は魔物なのか、魔物でさえないものなのか。どれほど生きられるのか、どれだけの負荷がかかれば死んでしまうのか。何から何まで推し量れないことだらけだった。
ただ一点わかっていることと言えば、“彼女は人間ではなくなった”、それだけだ。
「それは、……」
わざわざ答えが必要か、と問いで返そうとして、ガウェインは口を噤む。それこそ愚問というものだ。
不要な答えを求めるほど、彼女は愚鈍ではない。ならばそれは間違いなく、レナにとって必要なものなのだろう。
ガウェインは僅かにばつの悪そうな顔をして、腕を組んだ。いくら傲慢さを多少改めたとは言え、素直な気持ちをそのまま言葉にすることは、いまだ少なからずの抵抗がある。
もはやこれは条件反射だ。自分に言い訳じみたことを言い聞かせながら、ガウェインは、今の彼の精一杯の本音を口に乗せた。
「人であろうがなかろうが、貴様は貴様なのだろう。頭に花を咲かせたような締まりのない顔で、ことあるごとに余計な世話を焼いてくる」
「はぁ……」
「ならば俺も、何も変わらん。貴様が好むお茶の時間とやらは、暇潰し程度には……ならんこともないからな」
いまいち要領を得ない様子で、曖昧な相づちを打ったレナだったが、次の瞬間にはみるみる内に目尻を緩め、花が綻ぶように満面の笑みを浮かべた。
素直ではないガウェインの、ひねくれ曲がった是認の言葉。それはレナに、確かな安堵と名状し難い幸福感を与えた。
ドア口を塞いでいたガウェインが、言うことは言ったとばかりに部屋へと引き返す。けれど一向に閉まる気配のないドアに、レナが小首を傾げた時だ。
「何をしている。早く入れ」
「あらあら、いいの?」
手招きもなく促され、レナはそろりと彼の部屋に足を踏み入れた。鼻で笑ったガウェインは、早々にテーブルへ腰を落ち着ける。
彼は、ドレスの衣擦れを立てながら側へ寄り添った彼女の、隠れた後ろ手を透かすように見やった。
「よく言う。また茶の誘いに来たのだろう? 隠していたつもりだろうが、俺の目線からでは背後のそれは丸見えだぞ」
途端、レナは頬を朱に染めて、参ったとばかり苦笑する。彼には最初から、すべてお見通しだったのだ。
「ガウェインさんは背が高いものねぇ。うっかりしちゃったわ」
背後から胸の前へ。ようやくほどかれた彼女の手には、カバーを被ったティーセットのトレイが握られていた。
◇ ◆ ◇
とぷとぷと、白磁のカップに琥珀色の芳しい液体が注がれる。彼女のまとう花の香りに似た芳香は、知らずとガウェインの心を解きほぐした。
こうして向き合って、レナの淹れた紅茶をふたりで飲むのは何度目だろう。数えきれないと言うほど多くもないのに、何故だか、互いにそれが当たり前のことのような気がしていた。
「本当はね、許してもらえないんじゃないかって、思ったの」
ぽつりと、静かな室内にレナの告白が零れ落ちる。「だから、実は少しだけ、ドキドキしていたのよ」と彼女は続けた。
「なんだと?」
「あなたの目の前で呪いに負けて、消えてしまって、そしてもう一度この姿を取り戻したとき、あなたはとても、怒っていたでしょう?」
レナの脳裏に思い出されるのは、眉間に深く皺を刻んで、拳を握り締めるガウェインの姿。彼は見開いた瞳を怒りに燃やしながら、けれど、レナに怒鳴り散らすことは一切なかった。
ただ歯を食い縛り、ほんの少し手を伸ばそうとして、下ろされた手甲の痛々しさを覚えている。
「だからもう二度と、こうして一緒にお茶をしてはくれないんじゃないかしらって」
「あれは……」
咄嗟のていで出た言葉に、ガウェインは言い淀んだ。彼の表情からは、その心中など窺い知れない。
レナは待った。ただひたすら、花の香りに口づけて。
カップの中の紅茶が半分以上なくなる頃、やがて彼の唇は再び声を紡ぎだした。
「貴様ではない」
「私じゃない?」
「自分に向けた怒りだ」
「自分に……どうして?」
ことりとレナが首を傾げる。それを視界の端から追い出すように、ガウェインは波立つ紅茶を一息に呷った。
仲間を守るだなんだと豪語しておきながら、もっとも大切な時に守りきれなかった無力さ、悔しさ、自嘲。そんなものが混じりあって、怒りに震える手を彼女に伸ばせなかったのだ、と。
ややあって、彼はそのような意味のことを言った。
違うのに、とレナは思った。助けてくれたのはガウェインだ。団長だ。ルリアだ。ビィだ。
共に人果蔵器の元へ向かい、共に戦ってくれた彼らだ。彼らが諦めなかったから、レナは今、こうしてここに在り続けていられるのだ。
彼女は真実そう思っていたが、レナがどれほどとうとうとそう説いたところで、彼は納得しないだろう。
「うーん、そうねぇ」
まだ温かい紅茶をくっと飲み干して、レナはほぅ、と息をついた。
「ねぇ、ガウェインさん。私、今、幸せよ」
「……は?」
「人ではなくなったけれど、いいの。人ではない私を、それでも受け入れてくれる人とこうして一緒にお茶を飲めるのだもの」
「だが」
「それだけでは、駄目かしら?」
尚も言い募ろうとするガウェインに、レナは彼を擁護するでもなく、また否定するでもなく、ただ幸せだと告げた。
それでガウェインは、虚を突かれたように押し黙る。駄目だなどと、どうしてそれ以上の後悔を口にできようか。
幸せであること――日常の中のささやかな幸せを見つけていくこと。彼女がそれを何よりも大切にしていることは、彼も嫌と言うほど知っていた。
そのレナ本人が、今を幸せだと言うのだ。ガウェインに、彼女の在り方を否定する道理はなかった。
「貴様という奴は……本当に」
敵わんな、と、聞こえた気がした。けれどレナは、小さく笑うにとどめてそれ以上追求しなかった。
わざわざ聞き返したところで、彼がもう一度いまの言葉を聞かせてくれることはないだろう。
“怒りん坊のガウェインさん”は、優しくて、素直ではなくて、負けず嫌いだということを、彼女もまたよく知っていたのだから。
「ひとりじゃないって、とっても幸せね」
知らぬ間に凝っていたわだかまりが解けていく。
「もう一杯如何?」と問えば、無言でカップを差し出す手がある。
それがどれほど尊いことかと、レナは、涙に明け暮れた幼き日々を思い出して噛み締めた。
あの日ベッドに突っ伏して、怖いと泣いた寂しい女の子はもう居ない。
カップの底に残された弱さごと、飲み干してくれる優しい人に巡り会えたから。
end
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