04
緩やかな風がスカートを揺らしながら顔にかかる髪をのける。少し先の公園からは、きゃあきゃあと子供たちの楽しそうな声が聞こえてくる。よく昔あそこの公園で遊んだなぁ、なんて、暖かな春を感じながら無言のまま隣を歩く幼馴染の顔をちらりと見たが、視線が交わることはない。
学校をでて少し歩いても彼は一向に話そうとはしなかった。
慣れ親しんだ帰り道を何も発さず何も動かず、ただ足だけを前に進めていた。
平和そのものの夕方の中で、そこだけ切り取られたようにわたしたち二人の空気は重い。
中々口を開かない出久に、さてどうしたものかと思案し始める。
話がしたいと言ったのはこの子だ。わたしから「話って?」とふっても良かったのだが、そう思って待っていたら今更もうそんな空気ではなくなっていた。
それに、わたしも彼が話したいという内容に、少しだけ緊張している。教室での彼の目を思いだす。
そうしてこの空間の打開策をみつけられないまましばらく歩いて、分岐点まであと半分になったところで、ようやく彼が立ち止まった。
一歩遅れてわたしも立ち止まる。
顔をあげわたしをしっかりと捉えたその瞳に、先ほどの教室で伺えた不安と共に強い意志を感じて思わず息を飲む。
しかし出久の小さく開いた口から音がでることはなく、わたしは黙ったまま彼の瞳を見つめて言葉を待った。
ぎゅっと一文字に結んだ数秒後、再び重苦しく開く口。
「僕、雄英受けようと思うんだ……」
ヒーロー科、付け加えるように絞り出した声は震えていたが、はっきりわたしの耳に届いた。わたしの言葉をまつ出久は拳をぎゅっと握りしめて、下を俯いている。
「ヒーロー科、ね」
折寺中初の雄英合格者になる、そう豪語するみみっちい彼が頭によぎる。
それとはまるで正反対の無個性のこの子が受かるハズがない。記念受験ってやつだろうか。
倍率の高いヒーロー科に思い出として受験をする子は少なくないと聞いたことがある。
もしかすると、彼なりのけじめなのかもしれない。幼い頃から諦めきれなかった夢を、叶うはずのない幻想を。これを最後にきっぱりと諦め、現実と向き合う為に必要な事なのではないだろうか。
それならば、わたしから言うことは何もない。この子には現実をみて自分の身の丈にあった将来へ歩んで欲しい。むしろ遅すぎたぐらいだ。
一大決心を告げるような出久に、うーんと唸ってから、けろっと、いいんじゃない?と返すと、彼はがばりと勢いよく顔をあげた。
拍子抜けしたのか、その瞳はまんまると見開かれている。
「え、怒らないの……?」
「怒らないよ」
「でも……」
「普通科も受けるんでしょ?」
「う、うん、一応」
「そっか、じゃあわたし経営科だからどっかで会えるかもね」
「え!なまえちゃんも雄英、ってヒーロー科じゃないの!?」
「うん、そんなに驚くこと?」
再び歩きだしたわたしと出久の会話は、かっちゃんが絡まなければ穏やかなものだ。
出久は緊張がほぐれたようで、テンポよく言葉を返してくる。
少しだけ緩やかになった雰囲気と、通り過ぎた公園から聞こえるはしゃぐ声に一瞬昔を思い出す。もちろんここにはいないもう一人の幼馴染も。
本当はこの会話にだって無関係ではないのに、彼の名前がでてくることがないのはおそらくお互いにあえてだった。
この関係になってからわたしからは勿論、出久の口からも語られた事は一度もない。
そう思っていたから、急に壊されたそれにわたしは自分が思っていたよりも動揺した。
経営科、と告げるわたしに出久は驚いた様子で声をあげる。
「だって、かっちゃんのサイドキックは……」
予想外の言葉に思わず歩みを止める。
先程とは逆に、一歩前で出久が立ち止まる。
どうしてきみはいつもまっすぐなんだろう。
彼の口から久しぶりにきいたもう一人の幼馴染の名前と、つい最近も聞いたその単語。
振り返りこちらをみる出久はきょとんとしていたが、すぐにハッと気がついたように肩を揺らした。
咄嗟とはいえ、お互いに自然と避けていた名前を出してしまったことを後悔しているのだろうか。出久の顔色は悪い。
そういう風に捉えられてしまったのか、いったいわたしはどんな表情をしていたんだろう。
なんとも言えない恥ずかしさを感じながら歩きだすと、一瞬遅れて出久が慌てて隣に並ぶ。
「ごごごめん」
「ううん、違う違う、ごめんね」
「僕なんかが余計なお世話だよねなまえちゃんが色々考えて決めたことだろうし僕が口出すのはおかしいよねほんとごめん……!!」
「だから大丈夫だって、ちょっとびっくりしただけだから落ちついて」
わたしこそごめんね、苦笑すると、彼はわたしが怒っていないことに安心したのか、次第に落ち着きを取り戻していく。
ううん、僕こそ……そう言った彼は表情をわずかに明るくした。
「子どものころの話でしょ?幼かったし、なんというか、ほら、ね?ちょっと恥ずかしくて……」
自分でもしどもろどろで随分歯切れの悪い返しだと思う。でも仕方ないじゃない、本当にそうなのだから。
幼さゆえの無知で純粋な言動は、あの頃よりみえる世界が広がり成長した今、こんなこともあったね、と他人に振り返られるとむず痒さでいっぱいになる。
大きくなったらお父さんのお嫁さんになる!なんかと感覚はいっしょだと思う。
まあわたしの場合は、その気持ちは一切揺らぐことなく、むしろ諦めたからこそより一層強いものへと変化しているのだけれど。
もごもごと昔の話だし……とそんなわたしに、出久は気の抜けたような小さい笑い声を漏らした。
「あの時のなまえちゃん、いつも言ってたもんね」
「いつもではなかったと思うけどなぁ」
「いつもだったよ?」
「そうだったかなー……?」
「かっちゃんが野良犬を追い返した時も、鬼ごっこで一回もつかまらなかった時も、帰り道で財布を拾っていっしょに交番に届けに行った時も、あと、」
「ごめん出久わたしが悪かったから、うんそうだねいつもだったね、……よく覚えてるね」
「あはは、ごめんごめん。でも、本当にいつもなまえちゃんは言ってて僕もそう思ってたし、多分、かっちゃんもその気だったと思うよ」
「……この間、本人にも言われた」
どうしてそうはっきりと覚えているのか、いやまあ確かにあの頃は事あるごとに口にしていた気がするけれど。
くすくすと楽しそうに笑う出久に、わたしは肩を竦める。
やっぱりね、そう笑ってから、変わらないなぁと出久は柔らかく目を細めた。
「ずっと二人のこと見てきたからわかるよ」
一瞬、わたしは言葉を失い黙る。
困ったように、でも何故だか少し嬉しそうに言う彼が、どういう心境でこんなことを言うのか、わたしにはわからなかった。
優しい幼馴染は、こんなに歪んでしまったわたしに変わらず笑いかけてくれる。
蓋をした罪悪感が浮上しかける。わたしはそれをすぐさま胸の奥底に押し込んだ。
きっと卒業して出久から離れれば、かっちゃんも落ち着くだろう。それまでは、まだだめだ。
「なまえちゃん」
「ん?」
「僕、変わるよ」
何かを決心したような燃える目でわたしを見つめる出久のその手は、よくみると震えていた。
「応援するよ」
かっちゃんの邪魔をしなければね。
心にもない事を口にするわたしはやはり最低だ。隣を歩くこの子とわたしの距離は近いようで遠く、もう子供たちの声はきこえない。
このときの会話をわたしが後悔するのは、10ヶ月も先のことだった。
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