「先輩、勉強を教えてください」
「えっと…それは遠まわしにわたしに喧嘩売ってるってことです…?」
「?」
学年1位の成績を誇る三海家の当主殿に勉強を教えるなどと、そんな恐れ多いことが出来るだろうか。いや出来ない。
「わたしなんかには荷が重すぎる依頼だよ…」
正直なところ、頼ってくれるのはとっても嬉しい。ありがたいし、可愛い後輩の頼みとあらばぜひ聞いてあげたいのだけど、如何せんわたしの成績は他人の勉強を見てやれるほど芳しいものではなかった。端的に言うと赤点・補修のギリギリのラインを綱渡り状態だったのである。ちなみに椿里くんにはよくこのネタでからかわれる。
つらい。
「じゃあ僕が先輩に勉強を教えます。それならいいですか」
「…」
反論する間も無く言いくるめられた。
というか最初からそれが狙いだったな…!
「三海くんのそういうところ嫌いじゃないよ」
「……ありがとうございます」
なぜ赤くなる。
* * *
「diffusion…うーん…?」
「 “拡散” です。それ、化学に関する例文でもよく出る単語なので、先輩は覚えておいた方がいいですよ」
「…うう」
自分の情けなさに思わず呻き声が出た。
「ごめんね…」
「謝る必要ないです。言い出したのは僕ですし…。それに、とてもたのしいですから」
無の表情で三海くんは淡々と語る。
とても楽しそうには見えない。
「……本当ですよ?」
すこしだけ眉を八の字に寄せた三海くんが、不満げにそう言った。
*
知恵熱がでるんじゃないかと思い始めた頃、三海くんが教科書を閉じて、「休憩、しましょうか」と呟いた。
盛大なため息とともに机に突っ伏したわたしに、三海くんが小さく笑うのが分かった。
「…そんなに難しいですか?」
「難しいです」
先輩が後輩に勉強を教えてもらっているなどという、こんな理解困難な状況、あってたまるか。
「先輩ならできます」
「進研ゼミ?」
「…?よくわかりませんけど、先輩は実力のある方だと思ってます」
「三海くんは優しいね…。前に椿里くんに数学教わった時とは大違い」
「…あの人と、随分仲がいいんですね」
──空気の温度が、少し下がった気がした。
「うーん?まあ一応、クラスメイトだし…」
「…僕もあと1年早く生まれたかったです」
「なんで?」
「先輩と同じクラスになりたかったので」
「…」
この三海朝多くんはさらっとこういうことを言うので末恐ろしい。狙って言っているのか、それとも混じり気のない天然100%の素の台詞なのだろうか。…まあ、後者だろうな。
なんともむず痒い感覚に口元を押さえながら、わたしは話題を変えようと言葉を発した。
「あ、あーー、そうだ三海くん!おかし食べる?」
「いえ、お構いなく」
「そう言わずに、さ!和菓子と洋菓子どっちがいい?」
「あの、本当に大丈夫なので…」
「そ、そう?」
──もしかしてそんなにお腹空いてないのかな。食の細そうな体型をしているし…。
「でも三海くんはお客さんだし、せめてお茶くらいは用意させて欲しいな」
なんとか冷えつつある空気を変えたくて、懇願するように三海くんに言ってみる。
すると彼はなぜかさっと目をそらして、そのまま目線を合わせないまま、
「…じゃあ、お願いしてもいいですか」
と、何故かまた頬を染めるのだった。
* * *
──で、だ。
わたしは先ほどの少しばかり赤面した状態の三海くんを脳裏に焼き付けていたのだが。
これまでの発言、行動全てが素だと言うのなら、わたしは惜しみない賞賛の言葉を彼に贈ろう。
もし逆に、素などではなく、計算だったとしたら────
「…好きです、先輩」
「あ、ありがとう…?」
わたしは、どうするんだろう。
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