唇の熱



びくりと体が震えて目が覚めた。一瞬寝落ちていたみたいだ。体感は10分ほどだけど、どのくらい時間がたっただろう。繋いでいた手は離れていてゆっくりと体を起こした。

「…っ、…う」


苦しげな息遣いに目をやると猿飛先輩はうなされているのか額に汗が浮いていて、眉間にも皺がよっている。体が辛いのか、まさに今悪夢を見ているのか。
これって一回起こしたほうがいいのかな。すごく苦しそう。


「猿飛先輩…?大丈夫ですか?」


一回起こして水でも飲んだほうがいいのかも、と声をかけてみるも反応はない。肩に手を置いてポンポンと軽く叩いてみるが、起きる気配もなく。猿飛先輩が言っていた大事な人がいなくなる夢を見ているのだとしたらそれはきっととても辛いはずだ。


「起きて!」


強めに肩を揺すると、次の瞬間先輩が跳ね起きた。


「先輩、うなされてましたよ?大丈夫ですか?」


「…、アキちゃん…?」


汗びっしょりの先輩の視線はぼんやりとしていて、まだ熱に浮かされているのか私をみてるようで焦点が合わない。
意識が朦朧としているのか、これは大丈夫なんだろうか。ひらひらと目の前で手を振ってみると、次の瞬間腕を引かれて抱き込まれていた。

突然のことに呆然とし、次いでばくばくと心臓が跳ねる。熱で熱い猿飛先輩の体温と、胸板と腕の感触に恥ずかしいやら何やらで頭がパンクしそうだ。


「っ!?、先輩!ちょっと」


「アキちゃんだ…、よかった、生きてる…」


離してくださいと文句を言いかけて、振り絞るような先輩の呟きに抵抗が止まる。生きてる…?生きてるよそりゃ。そこまで考えて何かがつながりそうになる。さっき先輩は悪夢を見ると言っていた。大事な人がいなくなる夢だって。いつかの先輩は私と二度と離れたくないと言った。一度目がどうしても記憶になかった。私と先輩との間にあるないはずの関係値。もう少しでわかりそうなのに、もやもやと形にならないなにか。

不意に抱きしめられいた腕が緩む。私の頬に手を滑らせて正面から至近距離で見つめてくる猿飛先輩は、まだぼんやりと寝ぼけたように虚だ。流石に私だけ正気でこの近さは耐えられない、腕から逃れようと身をよじった直後、ぐいっと唇を塞がれた。


「ん、っ、んん…!」


は、え!?キスされてる…!?一気に思考が停止する。喰むようなキスに抵抗の仕方もわからない、振り解けない力の強さと、唇の熱。


「ん、ゃ、せんぱ…っ、」

なんとか声を出そうとして開いた唇に熱い舌が絡む。唾液の混ざる水音が、耳に響いて、恥ずかしさに眩暈がした。何これ、これもキスなの?何が起きてるのかわからない。息が続かない。


「っ、は、アキちゃん…、え、あれ、本物?」


くたりと力が抜けた私に、きょとんとした猿飛先輩の声。ようやく焦点のあった視線とセリフに今のいままでの先輩は正気じゃなかったらしいと察した。腕の中で息も絶え絶えな私を見下ろして猿飛先輩はようやく自分が何をやらかしたら思い至ったらしい。
そっと体を離すと、そのまま布団の上で後退、そして綺麗な正座ののち、頭を布団に深々と押し付けた。
 

「………ご、ごめん、えっと夢かと…」


見事な土下座と一緒に放たれる最悪のセリフ。同じく布団の上にへたり込んで腰が抜けてる私は、どう反応していいかわからない。さっきの切羽詰まった呟きは?その真意を聞きたかったはずなのに、冷静な判断力はどこかに消え失せてしまった。
気まずい沈黙の中、すたすたと人の歩く音がしたと思ったら、声掛けもなしにスパンと部屋の襖が開いた。


「佐助、才蔵が林檎を剥いたから、少し食べ…」


声の主は、幸村君だ。片手にりんごの器を持っている。言いかけて止まった幸村君の後ろから才蔵がひょいと顔を出した。


「…あー、お取り込み中でしたか…?」


言われて周囲を見ると、ぐちゃぐちゃな布団に、寝乱れた猿飛先輩が何故か正座。私はというと一緒に横になってた上に強引にキスされた直後で、顔は真っ赤、髪は乱れて、着ている服は少し皺になってしまっていた。


「は、破廉…っ!!!」


「幸村様抑えて!!」


顔を真っ赤にした幸村君が信じられない大声を出しかけて、才蔵に口を塞がれた。私はもう恥ずかしさで埋まりたい。ファーストキスだったのに、あんな、あんな…。もっと甘酸っぱいものだと思っていたのに。しかも寝ぼけた先輩に…。ショックで何も言えない私を、猿飛先輩が気まずそうな顔で伺っている。


「あ、あのアキちゃん…?」


「……帰ります。お大事にしてください。それじゃ」


とりあえず一刻も早くこの場を立ち去りたかった。抜けた腰を叱咤して、よろよろとおぼつかない足取りで部屋を出ようとする。ふらついたところを才蔵が咄嗟に支えてくれた。


「おい大丈夫か」


私のただならぬ様子に幸村君が正気に戻る。


「アキ殿、まさか佐助が無体を…?」


「なんでもないです何もありませんお邪魔しました」


「アキちゃ…」

早口でそれだけ言って2人の横を通り抜けた。背中に打ちひしがれるような猿飛先輩の声を聞いたけど、そのまま振り切るように道場を後にした。とぼとぼとアスファルトを歩く足が、だんだんと早足になり、いつのまにか全力疾走。じりじりとした日差しと蝉時雨の降り注ぐ中無我夢中で走った。顔が熱い。唇に残る感触も、耳に残る音も、先輩の体の熱さも。思い出すだけでぞくりと痺れる感覚がする。信じられない、最低。寝ぼけてファーストキスを奪われた。それなのに戸惑って、混乱して、でも嫌じゃなかった自分がいちばん理解できなかった。



- 22 -


prev | next