クビ
『まことに勝手ながら11月1日をもちまして当店は閉店とさせていただきます。長らくのご愛用有り難うございました。
アケボノ屋』
私は無機質なシャッターに貼られた一枚の紙切れを凝視した。
あまりに衝撃的な為か中々内容が頭に入ってこない。コピー用紙に印刷された文字を何度も読み返す。隠れた文面でもあるのか?と逆から読んでみたり縦に読んでみたり、また始めから読んでみたり。
どのくらいそうしていただろうか。ようやく事態が飲み込めてきた私は店の裏口へと走った。
嘘でしょ?うそでしょ?うそでしょー?!
裏口に着くと古さから取れるんじゃないかとも思われるドアノブを、構わず回しまくる。 開かない。半ば予想していたことだが、舌打ちをする。
数ヶ月間通ったバイト先だ。他に入り口など無いのはわかっている。
「あっ、そ、そーだ店長っ!」
パニック状態の頭の中に携帯電話がキラリと浮かんだ。
震える手でボタンを押し、アケボノ屋店長の携帯へと電話のコールを鳴らす――はずだった。が、耳元から聞こえてくるのはアナウンスの女性の声。
『オカケニナッタデンワバンゴウハ……』
暫し茫然とすると、私はその場にへたりこんだ。
絶望が目の前を覆っていく。冷たいコンクリートが指に触れる感触に初めてへたりこんだ自分に気が付く、そんな状態。
こうして私は職を失ったのだった。
「笑い事じゃないんだってば!」
駅の方向へと一人、寂しく歩く私は携帯電話の向こうで人の気も知らず笑い続ける親友――あずきに非難の声を送った。
『ごめんごめん、でもさぁ、ニコって何回目だっけ?バイト先無くなるの』
あずきの言葉に私は指折り数える。
「……3つめ?」
『そんなに?!』
「そんな驚く事じゃないわよ。……一個目は個人事務所で社長が亡くなったから事務所畳んだだけだし、二個目のカフェはあんまり給料遅れるんでこっちからやめたんだし」
『充分異常じゃない』
「人を疫病神みたいにいわないでよ!とにかく絶対店長探してもらって給料払ってもらう!」
私の意気込みにあずきが溜息らしきものを吐き出すのが聞こえた。
『でもあんまり期待出来ないんじゃない?……夜逃げってやつだっけ。そういうのって難しいみたいよ?』
そう、あわてて駆け込んだ先の交番でおまわりさんから言われたのがそれだった。夜逃げした人を見つけ出すのは容易ではないらしい。更には『何故ここに?』という顔をされたので憤慨したのだ。
「そういうわけに行かないわよ。2週間近くただ働きになるんだから。それにこのままだと私……」
『私?』
「……アパート追い出されちゃう……」
あずきの二度目の溜息が聞こえる。
『貯金もない、わね、あんたのことだから』
「えへへ。……で、相談なんだけど」
『ダメ』
「まだ何も言ってないじゃない」
『お金貸して、か家泊めて、でしょ』
よくわかっている。さすが十年来の親友。
「せめて次の仕事場見つかるまで!泊めて!お願い!」
『無理無理、今彼氏と住んでるの知ってるでしょ?実家帰りなさいよ。都内なのに……』
ぐっと言葉に詰まる。実家に帰りたくないしょうもない理由を説明すべく、私が頭を回転させている時だった。
『あー、そういえばタケちゃんが言ってたな、働き手探してる人がいるって』
タケちゃんとはあずきと同棲している彼氏の名前だ。少し年上の板前さんだっけ?
「何それ!?どこ!?」
『落ち着きなさいよ、ちょっと!話し聞いたの大分前だし、第一普通の仕事じゃないっていうか……』
自分から言い出したというのに言い淀む親友に私は元気よく答える。
「全然オッケー!!」
かくして私はあずきから半ば無理矢理話しを聞き出し、ある一軒の家を訪ねることになった。
「ここ、よね……?」
私は思わず呟いた。
表札にある『大沢』の文字を見る。目の前にある重厚な木の門が威圧的だ。しばらくの間、この家の塀を左手に歩いて何となく距離を計って来たのだが、一体どのくらいの広さなのか。少なくとも都内でこれだけの広さの家を見た事がない。
家、といったが問題の家自体は門の前からは見えない。それだけ敷地が広いのだろう。凄いお屋敷がそびえる姿を想像して尻込みしてしまう。
あずきの話した「働き手」とは所謂お手伝いさん、だった。このご時世にお手伝いさんを探しているという時点でかなりのお金持ち。給料振込が遅れるカフェや夜逃げする雑貨店よりかは安定していると言えそうだ。しかもこの外見である。成金とは言い難い。
あずきの彼、タケちゃんの友達の友達の人がここで働いているが最近人手が足りない、とぼやいていた。仕事柄若い人は来ないし大変だ、とのこと。
「若さは問題ないと思うし……行けるわよね。よし!」
思いきってチャイムを押してみる。しばらくの沈黙。もう一度押してみる。
……いくら広い家だとしてもインターフォンにたどり着くには充分ではないか、という時間は待った。
留守、ではないだろう。お手伝いがいるような家だ。誰かしらはいるであろう。少し悩んだが思い切って正門の脇にある勝手口のような扉を開けてみる。鍵はかかっていないようだ。
ちょっとずうずうしいか、とも思ったが中に入って声を掛けてみれば泥棒には間違われまい。
恐る恐る足を踏み入れ、目の前の光景に私は思わず声を漏らした。
「うわぁ……」
家の敷地内は想像以上だった。かなりの距離を取って大きな屋敷の玄関ポーチが見え、続く道の左右は見事な手入れの植木が並んでいる。
「こりゃ声張り上げても聞こえないかも……」
ふう、と溜息をついた時、ふと奥に人の影が見えた。
あれは……温室だろうか?
屋敷の左側にある透明な板で囲まれた建物。中に植物が並んでいるのが透けて見える。その前に男性らしき姿が見えるのだ。私はその男性の元へ行ってみることにした。
花の匂いが漂う道を進むと男性の姿がはっきりしてくる。若い人のようだ。鋏のような物片手に花を抱えていた。
「すいませーん」
私が声を掛けるとゆっくりと振り向く。
私は思わず息を飲んでしまった。少し中性的な感じもするが絶世の美男子といっていい。歳は25、6といったところか。私より少し上の世代。そして何より雰囲気がそこらの一般人では無いことを物語っている。何というか普通の人間である私の周りには居なかったタイプの人間。この家の息子さんかもしれない。
しかし私がこの人物に気圧されるのは違う理由があった。まずい。非常に絡みたくない相手だ。
「なんだ?」
いかにも面倒くさい、といった感じだ。あまり好感触ではない。
「あの、私、こちらのお宅で雇ってもらいたいなと思いまして。その、働き手を探しているとの話しを伺いまして……」
男性から放たれる威圧感に加えて、私の個人的な理由によるプレッシャーによってどうも上手く喋れない。来る前から用意していた言葉を言い終えたのはいいが、早くも立ち去りたい気持ちになってきた。
が、頭に浮かぶのは家賃、食費、生活費の文字。気合いを入れ直したところで男性が冷ややかに言った。
「ああ、メイドの話しか。もう締め切った」
「ええー、そんなぁ……」
私は思わず肩を落とした。が、食い下がってみることにする。
「そこを何とか!雑用係でいいんです。何でもやります。あの、私結構色んな仕事したんで便利だと思います!」
「便利ねぇ……」
ちらり、と私を見る。言っておくがいやらしさは皆無である。全身で面倒くさいを表現しているのだ。
私は男性の目線に思わず後ずさる。真っ直ぐに見られると非常に辛い。そんな私の様子を見てなのか、ふと何かを思い立ったように目の色が変わる。
次の瞬間、彼が言った言葉に私は気を失いそうになった。
「お前、見えてるんだろう?」
ひやり、と背中が冷えるのを感じる。なぜ、わかったのだろう。
「あ、あの……何の話しでしょう?」
「図星か?今何が見えている?」
矢継ぎ早に質問をし、誤魔化せる雰囲気ではない。抱えていた花を落とすと私の腕を掴んだ。顔面に近づき射るような目で見られ、私はおずおずと告げる。
「……あのー変な人間だと思わないでいただきたんですが……その、あなたの背後っていうか……守護霊さまだと思うんですけど……すごく、怖いです」
私の言葉ににやり、と笑ったかと思うと彼は掴んだままの私の腕を引っ張るではないか。
「来い。お前を雇ってやる」
「え、ちょ、ちょっと、ちょっとまってよ!」
冗談じゃない。この流れで「雇う」って、絶対碌な事じゃない!大体この人、単なる家の息子さんじゃないの!?
そのままずるずると引きずられるように連れられ、玄関に入る。中も重厚な雰囲気の洋館、といった作り。ホールが広がり筒抜けの階段が伸びて上からは大きな窓からの光が差し込んでいる。こんな状況でなければ見とれていたであろう。
「おい!チズ!」
大声で奥に声を掛けると黒のシンプルなメイド服を着た年配の女性が出て来た。チズ、というらしい。
「なんですか龍之介さま。その女性は?」
静かに、だが威圧感漂う声だ。
「新しい秘書が見つかったぞ。部屋を用意しろ」
チズさんは男の台詞に眉をひそめる。
「またですか?しかもこんな若いお嬢さんを……」
「お前いくつだ?」
男に急に問われ、あわてて答える私。
「じ、19です」
「なんだ、未成年か。住み込みで働くのは問題あるか?」
「住み込み!?」
思わず声が弾んでしまう。アパートの家賃2ヶ月滞納の私としてはおいしすぎる話しだ。
「はあ……、元々一人暮らしでしたから」
「ふむ、仕事内容は私の仕事の資料の整理、あとは少々の手伝いといったところだ。どうだ?」
つまりは秘書、ということか。大きすぎる引っかかりはあるもののかなり良い話しである。決定打が次の彼の言葉だった。
「メイド希望だったらしいが別に家のことはやらなくていい。給料は――……」
想像より良い金額に私は即答する。
「やります!」
「よし、決まりだな」
そう言って彼――大沢龍之介はニヤリと笑った。
怒涛の展開だわ、と感傷に浸る余裕も無く、家の中を龍之介に連れ回される。古い、というよりは歴史を感じる建物だ。今こんな屋敷を建てようと思っても、中々希望通りには出来ないんじゃないだろうか。
「名前をまだ聞いていなかったな」
私の部屋を案内するとのことで付いて行く途中、龍之介に聞かれた。
「桜井ニコです。片仮名でニコ」
「変な名前だな」
あっさりという彼にむっとして言い返す。
「今時龍之介、っていうのもめずらしいと思いますけど」
「ここは時間が止まっているようなものだからいいんだ」
なるほど。こんな歴史を感じる屋敷でいわれると納得してしまう。しかし嫌味を返したつもりで言った台詞をこうも簡単にあしらわれるとは……。
「ここだ」
通された部屋は二階の一角。大きな出窓とお姫様用かと言いたくなるようなベッドが目を引く。
「素敵!」
感嘆の声を漏らし、私は部屋を歩き回った。かわいいチェストやレトロな化粧台。若い女の子なら誰もが憧れる部屋だ。
「前にいた秘書は男だったからな。急あしらえだが」
案内されるまで数分だったはずだが……。金持ちは家具も余っているのだろうか。前任がいた、と聞かされると一瞬戸惑うが、この部屋からは男性の気配など皆無だ。私は部屋がすっかり気に入ってしまうのと同時に、こんな仕事にありつけた幸運に舞い上がった。
ふと、一つの扉が目につく。今入ってきた廊下に繋がるドアとは別のものだ。
「ここの扉は?」
「私の部屋に繋がっている」
「ええ!?」
大声を出す私を龍之介は冷ややかな目で見る。
「秘書なら当たり前だろう。何かあった時どうするんだ?」
何か、とは?不安になる言葉である。夜中に暗殺者が襲ってくるような生活でも送っているのか?つーか秘書ってそういう仕事だっけ?
しかし、やっぱり男性の部屋と個人的に繋がったドアというものは……。女の子にとっては非常に戸惑うものなのだけど。
困惑する私の背後に龍之介が寄って来た。
「なんなら」
そう言いながら私の背後から耳打ちしてくる。
「さみしい時は来てもいいぞ」
「な、なんですと!」
顔が沸騰するのが自分でもわかる。が、反対に彼は至って冷静な顔だ。
「冗談だ」
馬鹿め、と続く空気をバンバン感じる。判明、龍之介はかなり性格に問題があるようです。
頼まれても行かないわよ!と言い返したいところだが、こんだけの美形に言われるとちょっぴり考えてしまう自分が情けない。
「次、仕事場に行くぞ」
言われて部屋を出る。遠慮なくすたすたと進む龍之介を追いかけながら、しばらく廊下を歩くと少しひんやりした空気に触れた。
同じく二階にある大きな扉を開くと龍之介が先に入り電気のスイッチを入れる。明かりが着くとそこは図書室かと思うような部屋だった。天井まで届く本棚がずらりと並び、その中には隙間無く書物が詰まっている。入りきらないで転がっている本も多いようだ。窓は本を痛めないためか暗幕が貼られている。
「ここは?」
「資料室だ。ここの資料の管理、新しい資料の入手がお前の仕事になる」
中に入り本のタイトルに目を通す。民俗学やノンフィクションものが多いようだ。中には「日本の妖怪」やら「大量殺人鬼のメンタリティ」など怪しいものもある。普段なら私は手に触れたくもないカテゴリーの本で溢れたこの部屋は、ひんやりとした空気の発生源らしい。
「……なんとなく私が雇われた理由がわかってきた」
呟く私に龍之介は笑顔で答える。
「そりゃ話しが早い。では私の部屋に行ってこれからの話しをするか」
ああ、話したいような話したくないような……。
逃げるか?と一瞬考えた私の腕を、龍之介ががっちりと掴む。
この人、人の思考を読む能力でも持ってるんじゃないかしら。
龍之介の部屋はシンプルだが高級感が漂う、所謂金持ち感がするものだった。成金とは一味違うセンスは正直に羨ましい。私に宛てがわれた部屋も広かったが、その倍はある。
「そこに座れ」
目線を追うとローテーブルを挟んだ二脚の一人掛けソファ。外国のような応接セットだ。 その一つに腰掛けると部屋を見渡した。
この部屋にも本棚が多い。重厚感たっぷりの木のデスク、パーテーションの向こうはベッドだろうか。さっきの言葉を思い出し顔が赤くなるが慌てて首を振る。
「どうした?」
反対側のソファに座った龍之介がいぶかしげな様子で尋ねてきた。
「いや、何でも」
頭を振り続ける私を見て眉根を寄せるが、すぐにどうでもよくなったらしく口を開く。
「よし、話しを始めるぞ」
「失礼します」
ドアをノックする音がすると先ほどのチズさんが入ってきた。手にはポットとティーカップが乗ったお盆。紅茶の良い匂いが漂ってくる。
てきぱきと紅茶を入れると静かに彼女は部屋を出て行った。
あの動きを見るとメイドで働く事にならなくて良かったかもしれない、と思う。ファミレスやカフェでお茶を運ぶ動きとは根本的に違いそうだ。
- 1 -
*前次#
ページ:
ALICE+