mojibaco


主人



「いくつから見えるようになった?」
龍之介の言葉にはっと我に返る。いきなりの質問ではある。私は普段、周りには話さないようにしている事なだけに、考えを纏めるのに時間がかかった。
「気づいたら……です。ある程度大きくなってからじゃないと他の人には見えていない存在っていう認識が難しかったですし」
私の答えを聞き、彼は満足げに頷いた。
「さっき俺の背後霊が怖いといったな。どうしてだ?」
いつのまにか一人称が崩れた彼は指を組みながら体を乗り出してくる。熱中すると素が出るタイプなのかもしれない。
「ええっと……すごく力が強いみたいです。威圧感が半端ないです。悪い人じゃないんでしょうけど」
私はなるべく龍之介の背後には目を向けないように話した。とてもじゃないが細かい容姿などは伝えられそうにない。私が見たくないからだ。
「なるほど。前田と同じこと言うな」
「前田?」
「前の秘書だ」
「はあ……」
「俺はオカルトに興味がある」
半ば予想していたとはいえ、はっきりと言われた言葉に私は再び背筋が寒くなった。
「……唐突ですね」
「まあ聞け。色々な資料を集めたりあちこち廻って曰くつきのものを集めてるんだが……俺は一度もその手の力を感じた事が無い」
そりゃそうであろう。私がビビっている彼の守護霊様はかなりの力に見える。これがついてる彼に所謂呪いだとか悪霊の力だとかは無関係だろう。どんなものが来ようと背後から追っ払っているのだろうから。……おや?
「あー、わかっちゃったよ……。わかっちゃった」
私ははあ、と大袈裟に溜息をついた。つまりは彼は霊感のある人間にいて欲しいのだ。趣味の為に。
「あのー、私自分でいうのもなんなんですけど、結構霊感強いんでその手の力、バンバン感じちゃうんですけど大丈夫ですかね?」
「何言ってるんだ。強い方が良いに決まってるだろ。情報が入る度にその情報の真偽を教えてくれれば良い。簡単だろ?」
何言ってんだ、という雰囲気の龍之介に私は首を振った。
「いや……だから私の身が持ちますかね、って意味で」
「大丈夫だろ。お前タフそうだし。少なくとも俺より丈夫そうだ」
確かにそんな色素薄くて線の細い人に言われると頷きそうになるが……。
「それにお前も俺といる方が便利なんじゃないか?俺の守護霊とやらの加護を受けられるぞ。……一度や二度怖い目に遭ってるんじゃないか?」
彼の言うことも一理ある。流石オカルト好きを公言するだけあって、そのへんの事情は知っているのかもしれない。私も余計なものが見えるおかげで怖い目にあったことは片手では収まらないのだ。
頭の中で魅力的な給料とかわいいお部屋、不気味な仕事内容が対立する――がアパートの家賃がそれを打ち破った。
「私、がんばります!」
私は鼻息が荒く龍之介の手を握りしめた。


「よくお休みになられました?」
メイドの美樹ちゃんがコーヒーを運んで来てくれる。窓からは小鳥の囀り。清々しい朝、ということだ。
「ありがとー……」
温かそうな湯気のたつそれを力なく受け取る私。
美樹ちゃんは私と同い年の新人さんで、ふわふわとした雰囲気の美人さんだ。彼女が入ったことでメイドの募集は締め切られたのかもしれない。メイド希望なら彼女と競うことになったのか、と考えるとはなから勝ち目は薄かったと思う。
テーブルにはベーコンや卵料理、綺麗に彩られたサラダに焼きたての良い匂いのパンが並ぶ。
一人暮らしの時は考えられなかった豪華な朝食だ。
屋敷の人たちは皆いい人揃いだった。美樹ちゃんはもちろん、チズさんも厳しいながら本当に私のことを心配してくれている空気を感じたし、あずきの彼、タケちゃんの友達の友達という厨房で働く吉田さんにも会う事ができた。彼も爽やかを絵に描いたような好青年で、私の好物を聞いてくれる気遣いもあった。つまりは最高の環境だと言っていい。
問題は雇い主である龍之介の性格と仕事のキツさか。ここに来て一ヶ月。早くも私は後悔していた。
一日の流れとしてはのどかなものである。ゆっくり朝食を取ったあとは資料室の整理……といっても本の整理ぐらいだが。龍之介に頼まれた資料を買いに行ったり部屋に運んだりしてるうちに美味しい夕食にありつける。日によっては龍之介のオカルト談議に付き合わなければならないが、中々興味深い話しが多いのでこれも苦痛ではない。食わず嫌いせずに私も勉強しておけば良かった、と思った程だ。
だが、本当にキツいのが私の仕事の核である霊感を働かせる時である。
龍之介は私が思っていた以上にその手の世界で有名らしく、毎日のように彼の元に「イワクツキ」の品がやってくるのだ。大抵は馬鹿馬鹿しいこじつけの話しをつけたにせものである。が、中には洒落にならないものがやってくるのである。私が青い顔になる度に彼は嬉しそうに手を合わせ、依頼人と話しを始めるのだ。その物の背景にある闇を聞き出すのである。満足するとその品を買い取り、三階にあるというコレクションルームに運ぶのだ。
そう、龍之介は仕事、などといっていたがこれで儲けているなんてことは一切無く、単に大掛かりなオカルト趣味である。金持ちの考える事はよくわからない。
霊感の無い彼にはわからないであろうが私としては『本物』が来る度に大変な目に遭う。やばいものに触れたときの恐怖感や疲労感は、当然だが霊感持ちにしかわからないのだ。
「おはようございます、龍之介様」
美樹ちゃんの声に顔をあげると、食堂に入ってくる龍之介がいた。服装こそちゃんとしているが顔は不機嫌そのもの。彼はひどい低血圧のようだ。ムスッとしたままテーブルにつき水を飲む。
「ひどい顔ですね、毎朝毎朝」
私が嫌みを言うと彼はこちらを見た。
「……まだ怒っているのか。しつこい奴だな」
彼の言葉を無視したままパンを黙々と口に運ぶ。
「悪かったと何度も言っただろう。鍵を掛けていたのはわざとじゃない。開けるのを忘れていただけだ」
「……どうせ私は図太そうな女ですよ」
私が言うと彼は不機嫌だった顔更にしかめ、大きく溜息をついた。

話しは二日前に遡る。その日の夕方やってきた客は嫌な事に「本物」であった。
やって来たのは澄川望美と名乗る女性だった。屋敷の一階にある応接室に通されるとおもむろに大きな一枚の板を我々二人の前に出した。
龍之介と同じくらいの齢に見える女性が持って来たのは絵。キャンパスに一人の女性が油絵で描かれたその絵は見た瞬間、全身の肌が泡立つ物だった。
ストレートの長い黒髪の女性が椅子に座り、こちらを向いて微笑んでいる。それだけなのだが、色合いがとにかく暗い。女性の深緑のワンピースから背景、肌の色まで。油絵だからそう見えるのか、それとも私の「やばい物」センサーにヒットした故にそう見えるのか。
疲れきった顔で重そうに口を開くと、澄川さんは話し出した。
「この絵なんですけど……、姉の自画像なんです。この絵を描いて一週間ほどで姉は亡くなってます」
冒頭からして怖い。体がブルリと震えた。
「これが2年程前の話しです。姉は芸術家肌って言えばいいんでしょうか。よく言えば、ですね。悪く言えば変わり者。世の中にはちょっと浮いてる存在だったかもしれません」
「お姉さんは火事で亡くなったんですか?」
龍之介が唐突に口を挟む。私も薄々感じていたことだ。この絵が出されてからというもの部屋がどうも焦げ臭い。澄川さんはびっくりしたようで目を大きくした。
「どうしてそれを?」
「キャンパスの下の方……、よく見ないとわかりませんが焦げ付きが見られる。絵の裏側まで続いているところを見ると絵の具で描いた演出ではないようで」
「ああ……よく見つけましたわね。知っていたらわかるぐらいの小さなものなんですけど」
……、この焦げ臭さは私だけが感じているらしい。
「確かに姉は火事で亡くなりました。姉がアトリエとして使っていた実家の離れがタバコの火の不始末から火事になって……。たまたまアトリエに引きこもっている時期のことだったのでそのまま……。普段は実家で寝泊まりしていますから、不運でした」
「……」
何やら言いたげに龍之介が口を開くが、そのまま腕を組んだ。
「続けて」
「はい。それで、その火事のときからこの絵……おかしいんです。ほとんど全焼だったのに、アトリエにあったはずのこの絵が庭に投げ出されてて無傷。絵を守ろうと姉が窓から投げ出したのかもしれません。でも確かに姉はこの絵の完成を喜んでいましたが、他にもこれよりお気に入りの絵はいくつかあって、なぜこの絵だけを出したんでしょう。それに……」
「それに?」
「絵を投げ出す暇があったら逃げられたと思うんです。離れは簡単な作りですから。でも、……実は、姉は寝たまま亡くなったらしいんです。検察の方に言われました。布団に乱れが無いって」
私は額から汗が流れるのを感じた。今は11月だ。暑いのではない。私の本能がこの話しに関わるな、といっているのだ。
私の様子をちらりとみた龍之介が澄川さんに詰め寄った。
「それは警察の仕事ですね。私は刑事でも探偵でもない。あなたが今日ここにきたのは訳があるんでしょう?」
「ええ、ここからが本題です。今言ったように姉の死はどこか奇妙な部分が多いものでした。それから私たち家族は姉の形見となってしまったこの絵を家に飾ることにしたんです」
ブルリ、と澄川さんは体を震わせた。
「間違いだったんです……!この絵を家に持ち込んだのは」
今までの様子が一変し、恐怖に顔を歪ませる彼女を見て、私は悲鳴を上げそうになった。
「持ち帰ったその日から異変が始まりました。家族の誰の物でもない不気味な声が響いたり、自分一人しかいない時に、部屋に誰かの存在を感じたり……。このくらいの時はみんな気のせいで済ませていたんです。でも、壁に真っ黒な手の跡が着くようになったりすると家族の間でも恐怖を感じる気配がしてきました。
一番耐えられないのが、夜中になると何者かが家族全員の顔を覗きにくるんです。父母、祖母、弟、誰一人として恐怖からその「何か」を見る事が出来ないんです。寝ているところを上から覗き込まれるんですけど……。怖くて」
怖い。確かに怖い。
それからは澄川さんが泣いて上手く話しが出来ないのと、私も限界がきてグロッキーになってきたのとで後日また、とお開きになってしまった。助かった、と思ったのもつかの間、なんと絵は澄川さんがどうしてもということで預かる事になってしまった。
もちろん私は反対したのだが、龍之介が嬉々として三階へと運んで行った。もう自分の物のつもりらしい。
散々な目に会った……とうなだれるのは早かった。私にとっての本当恐怖はその日の夜にやってくることになる。

その日の夜、
「うう……」
私は何度目かわからない寝返りをうった。
目が冴えて眠れない……。昼間興奮したせいだろうか。しかし特別寝付きが悪い方ではない私が眠れない時は、決まって……。
何かがある時。
「あーもう……」
きっと上にあの絵があると思うから恐怖心で眠れないのだろう。そう無理矢理自分に思い込ませる。
大体が昼間はかわいく見えるこの部屋も、夜になるとホラーな雰囲気たっぷりになるところもいただけない。レトロな家具で可愛い!なんてはしゃいだのは一日目の昼間のみであった。
「もうやめようかなぁ、ここ」
そう呟いた時だった。
ぶあ!全身に寒気が襲う。前触れの無い、いきなりの展開に私は頭が真っ白になった。 肌が痛いほど泡立ち、震えがくる。寒い。
何!?やめて!!
金縛りこそなっていないが、体にのしかかる冷気と恐怖感から体が動かない。泣きそうになった。
ごめんなさい助けてくださいたすけてください!
がたがたと震えながら拳を握りしめる。怖い、怖い!
その瞬間、聞こえ始めた微かな音に、私は絶望感に襲われた。
……っり……ずるっ……ず……ずる……
重い、重い水気を感じるような音。再び強い寒気に襲われる。
「ひい!」
何かが部屋を引きずっている。何だか分からないけど見たくもない!
……ずる……ずるっ……ずるっ……
粘着質なものが引きずられるような音だ。私は震える体を丸めた。
……ずるぅ……ずりっ……ずるっ……
止まない音に、涙で霞む目を恐る恐るベッドの下に向ける。
心臓が止まりそうになった。黒い何かがベッドへ近づこうとしているのだ。
「ややや、やめ、……て」
濃い霧のような黒い影。ゆっくり、ゆっくりとベッドに近づくと、ぽん、足下に何かが乗ったようで、布団がへこんでいる。
「あ、あ、あ……」
ひざ、ふともも、おなか、徐々に上に上がってくるのがわかる。
恐怖で声も出なくなった時、完全に私に覆いかぶさった黒い影が目の前に広がる。
恐怖感の中に、私の中で一瞬生まれた感覚。これは……男?
はっきりとはしない輪郭だが、若い男性のように見える。てっきり絵の女、つまりは澄川さんのお姉さんとばかり思っていたのだが……。
次の瞬間、影の腕が私の首を掴んだ!
「ぐ、う……」
すごい力で締め付けてくる。
殺される!
「わ、私は……かんけ、いない……!」
思わず言った言葉だが、首にかかった力が緩むのを感じた。
がばっ!急いで起き上がると、私は龍之介の部屋へと繋がるドアに飛びついた。が、
「開かない!!?」
ノブを何度も回すが、鍵がかかっているようでガチャガチャいうだけである。
「ひい!」
再び背後に黒い影が現れる。それを見た瞬間、ぶちっっと私の中で何かがはじけた。
「こぅら!開けんかい!ごらぁ!!」
怒声と共にドアをガンガン叩く。何度も何度も拳を叩き付け、蹴り上げるべく、足を持ち上げた瞬間だった。
がちゃ!
向こう側から鍵を回す音が響く。続けて開かれる扉。
「なんだ、どうした?」
龍之介の顔が隙間から現れた瞬間、私は気を失ってしまった。


「……てください、起きてください」
誰かに肩を揺すられているのがわかる。重い瞼をこじ開けると、そこにはチズさんの顔があった。
「風邪を引きますよ、こんなところで寝たら……」
そう言われて体を起こすと、確かに少し寒い。
見渡すと、どうやらここは龍之介の部屋のソファのようだ。薄いタオルケットが体にかかっている。この時期にこれでは寒いはずだ。
まだぼーっとする頭を働かせて、状況を思い出していく。
ああ、あのまま気絶しちゃったんだ……。あの後どうなったんだろう。
「龍之介様も起きてください!」
チズさんの厳しい声が飛ぶ。
ベッドの上がもぞもぞと動き、不機嫌を具現化したような顔が出てくる。
「……昨日ごたごたしたんだ、もうちょっと寝かせてくれ」
「何おっしゃってるんですか。大体若いお嬢さんを椅子に寝かせて大の男が布団でぬくぬくと寝てるというのは感心しませんね」
えーっと、確かに流れ的にはその逆の方がドラマらしいけど、押し掛けたのはこっちという事実もある。私としては微妙なところだが、チズさんは若旦那に厳しい方なんだろうか。
チズさんは私に向き直ると淡々と言う。
「何があったかは聞きませんけど、ニコさんも龍之介様を甘やかさないでくださいね。この方はちょっと常識が抜けてらっしゃる」
「はは……、いや別に優しくされなくてもいいんですけどね」
私は苦笑いで切り抜けると龍之介を睨みつけた。まだ目が半分ほどしか開いていないが、こちらの目線には気づいたようだ。
「なんだよ」
「なんだよ、じゃないわよ。こっちは死ぬところだったんだから。なんで鍵かけてんのよ」
「……あー……、忘れてたんだよ、本当に」
ぼりぼりと背中など掻いている龍之介を、チズさんが叩く。
「ご自分から誘っておいて閉め出したんですか?!どうしようもないですね!」
あわてて私が止めに入る。
「い、いや、チズさんも何か勘違いしてるみたいで……」
「いてて!なんだよ!こいつが夜中にバタバタと騒いで押し掛けてきたんだぞ!何があったか全然わからんまま気絶するし。……大体顔からして図太そうなんだから一晩くらい椅子に寝かしといても死にはしないだろ」
その言葉に眠気も吹き飛んだ私は、スリッパを龍之介に向かって投げつけた。
あんたの高尚なご趣味のせいで、こっちは殺されかけたんだぞ!

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