旅
「うわー、気持ち良い!」
目の前の山に囲まれた景色に私は大きく伸びをした。龍之介も車から出て来ると腰を伸ばす仕草をする。
そう、私達はY県の馬護田村まで龍之介運転の車でやって来たのだ。
龍之介の車は意外にも国産車であった。もちろん庶民の私にとっては高級と思えるラインではあったけど。本人曰く「下手な外車より遥かに乗り心地がいいから」とのこと。
まあ、そんなことはさておき道中はなかなか快適な旅であった。私には一切運転を任せたくないらしく、ずっと助手席で食っちゃ寝出来たし。まるで主従関係が逆転したかのような心地好さであった。
「取り敢えず宿行かないとね」
私が言うと龍之介は露骨に眉間に皺を寄せた。
「お前なあ、少しは休ませろよ。ったく、免許取りたてなんて知ってたら車でなんて来なかったものを」
「取りたてだろうと運転は出来るのに嫌がったのはそっちじゃない」
私の反論が気に食わなかったのか龍之介は返事もしない。むっつり黙ったまま車に乗り込む。私は肩を竦めると助手席に乗り込んだ。
「……で、宿だって?」
ゆっくりと車をUターンさせながら龍之介が口を開いた。
「そうっここ!」
私は下調べ済みの村の宿が掲載されているガイドブックを龍之介に突き出す。
「見えん!前が!……ったく、何を急にはしゃいでるんだ」
「だって温泉に入るのなんて久々なんだよねー」
声を弾ませる私を嘲笑うかのように龍之介が鼻を鳴らした。
「それは『温泉に女は喜ばなくてはならない』という観念に捕われているだけだ。お前、何処も悪いところなんてなさそうじゃないか」
「健康体には違いないけど、温泉っていったら美肌効果でしょー!?女の子は食いつくに決まってるじゃない」
私がムキになって反論すると、龍之介の手が私の頬をぺちぺちと叩く。
「肌だって綺麗じゃないか」
あっさりと言う龍之介とは対極に、私はなでなれた所を中心に顔が赤くなった。
な、なんでこの人こういう事を平気でやるんだろう。キザとか女癖悪いっていうより脳に欠陥ありそうなレベルだわ。
「温泉だって肌が弱い人間には合わなかったりするから、万能じゃないんだぞ?……まあその面の皮の厚さなら大丈夫か」
ふん、と鼻で笑う龍之介。
「もう!ムカつくわね!」
どきりとするような態度を見せたかと思えば、鈍感そのもののデリカシーの無さを見せる。私は龍之介の顔にガイドブックを投げつけた。きっと人が動揺するところが見たいのか、究極なまでに世間知らずなんだ。
車が止まったのは砂利の敷き詰められた駐車場だった。丘高くなった場所だが、下に見えるのが目的の旅館だろうか。古きよき日本家屋といった感じの長細い建物が見える。
すたすたと歩いていく龍之介を追いかける私。いつの間にか開いた距離を必死に追いかける。一言言ってくれれば良いのに。
そのまま龍之介にくっついていく形で宿まで辿り着く。着物姿の女中さんがさりげなく荷物を取ってくれた。
「予約した大沢だ」
木の門を潜りながら龍之介が言った言葉に私は驚いてしまう。よ、予約?
「お待ちしておりました。お部屋に御案内致します」
さらっと返ってきた返事に私は再び驚いて固まってしまった。
「……予約してたの?」
「祭が近いのに飛びこみで泊まる気だったのか?」
冷たいお答えと視線。一応、秘書という立場の私には大変気まずい。
私の心境とはうらはらに龍之介と女中さんは和やかに会話をしながら廊下を歩いていく。窓から日本庭園の美しさをこれでもか、と詰め込んだような景色が見えた。大沢邸の洋式の庭も素敵だけど、やっぱり苔むした岩まで計算されたような庭もいいなあ。
「こちらでございます」
案内された部屋は入り口からして凄そう。私が泊まったことのある旅館には無かったようなものだ。
建物の中にまた玄関?というような二重扉。そこを開くと和洋折衷といったセンスを感じる洋間。テーブルには茶器が用意されていた。
「どうぞごゆっくり」
静かに言うと、音も無く消えていく女中さん。
私は部屋を探検しようとしたところではっと気付いた。
「部屋って、同じ部屋なの?その……」
私と龍之介さん、と言おうとしたところで龍之介の溜息に掻き消される。
「何日いるか分からんのに二部屋も頼んだら迷惑だろう。嫌なら椅子で寝ろ」
……常識はあるくせに、女性の扱いは抜け落ちた奴め。
「お風呂も凄いよ!」
内風呂とは思えない豪華な露天風呂を見てきた私は、洋間でお茶を啜る龍之介に声を掛ける。
「……さっきまで赤い顔したり青い顔してた奴が随分楽しそうだな」
呆れた返事が返ってくるが私は肩を竦める。
だって動揺してたって状況は変わらないんだし。楽しんだ方が得だもの。我ながら良い性格だと思う。
「それにしても宿の予約だとか、一言言ってくれれば良いのに。一応秘書なんだし、そのくらいやるわよ」
気が回らない自分を棚上げした台詞で龍之介を睨むと、大きな溜息をつかれる。
「秘書が至らないせいで自分で予約した宿に泊まり、自分で煎れた茶を飲んでいる状況も中々良いものさ」
「……えーっと、お代わり要ります?」
私はごまかすように手揉みしながら笑顔を作った。
「お前、葉も変えずにお湯だけ足すつもりだろ」
「出がらしだって美味しいじゃん」
口を尖らせる私に再び溜息が返ってくる。
「いらん、それより飲んだら出掛けるぞ」
一見落ち着いているように見えるが、実際はそわそわしているのであろう。龍之介はちらりと窓の外を見た。私としてはこのまま単なる旅行で終わらせたいんだけど、そういう訳にもいかないか。
「まず何処行くの?」
私が聞くと龍之介は湯呑みを静かにテーブルに置く。
「依頼人の比留間透の家だな。そこに行かなくては何も始まらない」
確かにそうか。というかそこ以外に行く所の方が見付からない。花傘も比留間さん家にあるんだもの。
「行くか」
龍之介はそう言うとこちらの返事も聞かずに立ち上がった。
部屋を出て宿の玄関口に向かう途中、何人かの女中さんとすれ違い会釈を受ける。
気のせいかちらちらと見られたような。私達二人を見たのか華やかな見た目の龍之介単体を見たのかは分からなかったが。
「ねーねー、宿の女中さん達って、私達の事何だと思ってると思う?」
車に乗り込もうとするところの龍之介に尋ねると、
「どうでもいい」
という素っ気ない返事。
つまんない奴。人の事はからかうくせに、ノリ悪いなあ。
私はぶつくさ言いながら助手席に乗り込んだ。
龍之介がギアを入れながら片手でメモを見ている。比留間さんの家の住所が書かれたメモだ。
「近いの?っていうか住所見るだけで分かるの?」
「……お前に聞いても意味ないだろ」
もー!なんだよ!私って本当に『霊探知器』の役割しか無いじゃん!
頬を膨らます私に気付いているのかいないのか、車は静かに発進した。
「お前、この村にいる間は俺から離れるなよ?」
「はいはい、そんな事言っても動揺しませんよー」
私の不機嫌な声に龍之介は「はあ?」と呟くと首を傾げ、そのまま黙り込んでしまった。
「お待ちしてました」
立派な日本家屋の前で私達を待っていたのは比留間透さん。龍之介と握手すると家の方へ歩き出す。「どうぞ」という言葉に従い着いて行くことにする。ふと目に入った家の前にある大きな木を見て私は尋ねた。
「これって枇杷じゃないですか?」
「そうです、でも実は美味しくないんですよね、大きくて立派なだけで」
透さんは苦笑する。何度か挑戦した事があるに違いない。
引き戸の玄関を入ると正座姿の中年の女性に迎えられた。透さんと目元が似ている。お母さんだろう。
「まあまあ、わざわざ東京からすいません」
車で数時間の距離をここまで恐縮されると何だか申し訳ない。龍之介が柔らかな笑顔で答える。
「こちらこそお忙しい時期にすみません。……随分と立派な日本家屋でいらっしゃる」
「いえいえ、古いばっかりで……」
透さんのお母さんは嬉しそうな笑顔を見せるが、わたしは二重人格者の龍之介が気味悪くて仕方が無い。どうしてここまで外面が良くなれるのだろう。
「どうぞ、上がって下さい」
透さんの言葉に龍之介が靴を脱いで足を踏み出した時だった。
突風に襲われたような感覚に、私は思わずたたら踏む。脱ぎかけていたパンプスを踏み潰してしまった。
「大丈夫ですか!」
透さんに腕を取られる。
「あら、貧血かしら」
お母さんに心配そうな顔をされるがそうではない。あ、これ嫌がられてるな。私は直感した。
家に入るのを拒まれているのだ。……家の中の誰かに。こういう面倒な体質のせいでこんな扱いにも馴れている私は構わず進むことにする。
「大丈夫です!ちょっと足が痺れてただけなんでー」
私が声を弾ませて手を振ると、透さんもお母さんもほっとしたようだ。
「広いですねー!映画に出てくる家みたい」
廊下を案内されるがまま進んでいる途中、私ははしゃいでみる。心配されないように、というのもあるが実際広い。
「田舎だからですよ。古い家ですから」
透さんはそう謙遜するが、立派な家だ。古いということだってそれだけ管理が良いから保っているのだろうし。
「こちらにどうぞ」
案内されたのは洋間の雰囲気に改装したような部屋だった。壁や低めの窓は日本家屋のものだが、床はカーペット、ソファーとローテーブルが並んでいる。
「どうも、お忙しいところにすみません」
龍之介が玄関口での挨拶と同じ台詞を掛けたのはソファーから立ち上がった男性。歳の割に背が高くがっしりとしている。
「あ、どうも……」
頭を掻きながらぺこりとお辞儀した。ぶっきらぼうというより少し緊張しているように見える。
「父です」
透さんの紹介に龍之介、私、お父さんは一斉に頭を下げた。
「この度はわざわざすいません……、まさか息子が本気で霊能者さんを連れてくるとは」
お父さんの台詞に私は固まる。れ、霊能者……。そう言われると私達って結構半端ものなんだけど良いんだろうか。霊が見えるだけの私に、本人の意思とは関係無しにお祓いしまくる龍之介だもの。
こんなに本気で頼りにされていると思わなかった私は、少し戸惑ってしまった。
「花傘は絶対に使わせちゃならん」
力強い言葉で言い切るのは透さんのお祖父さん。頭は大分薄くなり真っ白だが、透さんにお父さんともよく似ている。代々長身の一家なのだろう。年の割に大きな人だ。皆がソファーに腰掛ける中、一人カーペットの上に直接胡座をかいているのが頑固さを感じる。
「呪いといったものが本当にあると?」
龍之介が笑いはしないものの、面白そうに尋ねた。お祖父さんは大きく頷く。
「あるも無いも、実際わしは見ているんだからな」
ぎろり、と私達を見る目に少しビビる。怒っているわけではないのだろうが、続く展開に嫌な予感がする。
「実際に、見た……。興味がありますね」
龍之介の言葉に私は無意識のうちに首を振っていた。やだ、聞きたくない。
私の反応が見えなかったのか、敢えて無視したのかは分からないがお祖父さんは再び頷くと、
「昔話をしてやろう」
そう前置きして長い話しをし始めた。
お祖父さんの子供の頃、何十年前の柳恩祭の準備に村が沸いた時の話し。当時も当たり前のように比留間家の花傘ではなく、板垣家の花傘を使用することを前提に準備を進めていたという。
しかし問題が起きた。板垣家の管理する花傘に修理が必要になったのだ。
この時も比留間家の花傘を使うか否か、話し合いはもつれたらしい。断固拒否する比留間家の当主、透さんのお祖父さんのお祖父さんに「そんなことを言って、本当はあなたの家の花傘は既に売ってしまって無いのではないか?」と軽口を言った者がいたという。
当主はその軽口に流されることなく無言を貫いたが、騒ぎ立てる声は大きくなり「見せるまでは引かない」という意見で溢れてしまった。
そうなると断るにも苦しい。なぜなら花傘は比留間家個人の物では無く、村の物だからだ。渋々当主は開かずの間を開き、部屋に眠る花傘を村の者に見せたのだという。
傘本体に限らず、傘の鎮座する部屋自体も陰気で満ち溢れ、じっとりと空気が重い。今の今まで血気盛んに騒いでいた若者達も口を閉ざす程であったそうだ。
「やっぱり、やめないか」
その場の全員が思っていたであろう台詞を代表するように口にしたのは板垣家の当時の次男坊。場の空気がほっとしたものに変わった時だった。
「呪いがあるとでも言うのか、馬鹿らしい。お前ら情けないのう」
そう言ってどかどかと足を進めていったのは、当時村ではその傍若無人さから半分鼻つまみ者になっていた若者だった。初めに「傘を売ってしまったのでは」という話を出したのもこの若者だったそうな。
「今でも後悔していることがある」
眉間に深い皺を作りながらお祖父さんは声を響かせる。
「わし自身も花傘の呪いなど信じちゃいなかったんだろう。そしてわしは子供だった。その横柄な態度の若者に『こいつが花傘を手にすればいい』そう、一瞬だけだが思った。そして実際にそうなった」
龍之介の指がぴくりと動いた。お祖父さんの話しは続く。
「若者が花傘を持ち、掲げる。『ほら、何も無いじゃないか!』そう叫ぶ。その内、若者の取り巻きが後に続く。三人目だったか……、花傘をおっかなびっくり持つ若いのを皆で見ていた時だった。突然、雷が落ちたんだ」
私は無意識に窓へ目をやり、硬直する。今現在の空も急に曇ってきていたからだ。
「音からして村の何処かに間違いなかった。大人達の目がぎょろぎょろと動く様子が何とも恐ろしかったな。今考えれば彼らも恐怖していたんだろう。何も無い、と安堵した途端の轟音に誰もが凍りついていた。そして悲鳴が上がった」
窓を大粒の雨が当たり始める。透さんが立ち上がり、窓の閉まりを確認した。
「初めに率先して花傘を取った若者が倒れた。胸元を押さえるような仕種をしながらもがき苦しんでいたよ。誰も近寄れなかった。そのうち動かなくなり、大の字に寝転ぶ姿に『死んだ』と分かった。いや、様子を見て分かったんじゃないな……。『呪い』を知っていたからだ。でもそれも誰も口にしなかった。その場にいる全員が恐怖を通り越して絶望に覆われていたんだ」
私はごくりと喉を鳴らす。比留間家の人達は知っている話しのようで、驚いたり怖がっている様子は無かったが神妙な顔だった。お祖父さんの話しはまだ続く。
「凍りついている中、表から鐘の音がするのに気が付いた。何人かが顔を上げた。『警報だ!』誰かの声に全員が弾かれたように表に飛び出した。人の死を見ても動かなかったのにな。村の災害を知らせる鐘がワーンワーン、と騒がしく、そいつが知らせるのは火災だった。……花傘を二番目に掴んだ男の家が全焼した。両親が亡くなり、その後本人も攣ってしまったよ」
沈黙が続いた。話しは終わりを迎えたらしい。途中から耳鳴りの酷かったわたしはほっと息をつく。
「なるほど、恐ろしい話しで」
龍之介が低い声を呟くことで長い話しは終わりを迎えた。おじいさんは頷くと龍之介を見る。
「先生、あんた呪いの力を確かめに来たらしいな。花傘を見てもいいが一つ条件がある」
「何でしょう?」
先生、と呼ばれた龍之介はにこやかに返す。
「絶対に『触るな』。触らなきゃ確かめられない、なんて言われても駄目だ」
おじいさんの言葉に龍之介はちらり、とこちらを見た。が、直ぐに視線を元に戻す。再びにっこり笑うと「分かりました」と頷いた。
「では、この流れで早速拝見してもよろしいですか?」
龍之介の言葉に今度は透さん一家が顔を見合わせる。張り詰めたような空気に変わるが、嫌がっている様子ではない。
「……じゃあ行こうか。こっちだ」
おじいさんが立ち上がる。八十近いように窺えるが、しっかりした足取りだ。おじいさんの後に龍之介、私が続き、残りの家族はそれについて来る。
廊下をみしみしと歪む音が響く中、おじいさんが振り返らずに声を出す。
「散々言ったがな、わしも心配なんだ。自分が死んだ後も花傘はこの家に残る。出来れば死ぬ時にわしが『あっち』に持って行けたらいいんだがな」
その言葉に後ろから透さんのお母さんの「もう、またそんな」と咎める声がした。
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