猫の住む村


 久しぶり……とも言えない頻度で訪れているチード村。行商人以外でこれだけ足を運んでいるのもわたし達ぐらいなんじゃないだろうか。早朝に出発したけど、着いたのは昼過ぎだった。前回は猫の旗があちらこちらに掲げられている光景に驚いたものだが、またしても変化を見せつけられることになる。
「げっ、なんだこの悪夢は……」
 馬車を降りるなりアルフレートが肩を落とし呻く。彼の後ろから村を覗き込んだわたしは一瞬、意味がわからず眉を寄せるが、景色の中に動く人影に目を移して納得する。
「ふ、増えたわねー、モロロ族」
 そう、路上にたむろす姿も、露天を出して貴金属を売る姿も、定食屋の前で呼び込みをしているのも、村の入口で暇そうに煙草をふかしているもの、みんな猫耳のモロロ族なのだ。揃いも揃って妙にちょこまかと落ち着きがなく、目つきが抜け目がない。今も揃ってこちらの様子を窺っているのがわかった。
「何が悪いんだよ、これがベストだっていうから俺がわざわざ頼んでやったのに」
 フロロが口を尖らせる。そう、これは前回この村にやってきた際に、フロロから同種族仲間に向けて『チード村をとにかく使ってくれ』と頼んでもらえるようお願いした結果なのだ。それにしても既に住民の雰囲気なのが気になる。彼らの適応能力は恐ろしい。
「あの旗も止めちゃったみたいね」
 ローザが呟くのにわたしも頷く。タンタ達を使って村おこし、ってのも邪魔されちゃったし、猫の村で名を売るってアイデアも方向転換させたのかもしれない。モロロ族なんて珍しくもなんともないし、目玉にもならないわけだ。ここの村役場の人達の顔も知らないが、村がこれから増々うるさくなるであろうことには同情する。モロロ族といえば夜になっても乱痴気騒ぎするんで有名だもんな。ウェリスペルトの繁華街でも問題になっていたりするくらいだ。
 村の中に入り、通りを歩いても猫耳、猫耳、猫耳の影の連続。尻尾をゆらゆらこちらをにやけ顔で見る彼らに嫌気がする。それを横目にローザがため息をつきつつ口を開いた。
「バレットさんの家に行かないなら、宿取らないと」
 時間帯としては人の行き来も多い、まだまだ移動可能なものだが、無理をすると寒い地域に入ってからの野宿になる。旅慣れているメンバーが多いので『無理はしないに限る』の意見が圧倒的だった。
 一番人通りの多い道にある宿に入り、入り口から真っ直ぐにあるカウンターに向かう。時間が早いからか他の客の声は少ない。近隣の店のチラシがベタベタと貼ってある壁に目を取られた後、中の店主に顔を向けた。
「いらっしゃい」
 ゆっくりとした動作で振り向いてから、低音の声でそう言う男の顔を数秒見つめた後、わたしは目を逸しつつ呟いた。
「……ば、バレットさん」
 わたしの呻きともいえる小声に、禿げ上がった白髪頭に白髭を蓄えた小柄な老人、バレットさんは大きく身を乗り出してきた。
「そう! 正解! ねえねえ君ら、何でここにいるの!?」
 ややヒステリックな感もある声でそう叫ぶバレットさんの目はなぜかとても潤んでる。彼を無視するこちらの予定は、完全に読まれていたのではないか。なんで、とかいつから張ってた、とか聞きたいことは多いが、掴みかかってきそうな彼を誤魔化すので精一杯だ。
「何でって、山越えしてシェイルノース側に行くんですよ」
「うん! だから何で山越えするのにウチに寄らないで、こんな安宿に来てるのってこと!」
 こちらに詰め寄る顔は瞳孔が完全に開いている。コワイ。
「あんたに会いたくないからに決まってるだろ」
 耳を掻きながら言うアルフレートに、バレットさんはとうとう「うわーん!」と泣き出す。
「ひどいよ! こっちはマブダチ認定してたのにさ! 友達じゃないならいいよ、フローラ返してもらっちゃうよ!」
 それは困る、と全員の動きがピタリと止まる。全員で目配せしあった。
「しょうがないな……。じゃあちょっと寄ってくだけですよ? 新しいダンジョンで遊ぶとか絶対しませんから。今回、本当に時間無いんです」
 ヘクターの譲歩には爺さんの泣き声もピタリと止まる。本当に食えないジジイだこと。
「本当に?」
 上目遣いで確認するバレットさんに、キモいなあという本音は隠したまま頷いた。




「本当に利用するだけして、行っちゃうんだねえ、君ら」
 翌日の早朝、猫達と共に玄関前で整列し、こちらを見るバレットさんはしみじみと言い頷いた。たらふくご馳走を食べ、バレット邸の大きな浴槽で汗を流し、広々ベッドで身を休め、一晩贅の極みを楽しんだわたしは、
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
と怒ってみせる。
「お気をつけてにゃ」
 そう言ってこちらの手を握り、ぷにぷにの肉球を押し付けるタンタに、わたしは笑顔で語りかけた。
「大丈夫、帰りは人数倍になってるけど、また寄らせてもらうね」
 冗談のつもりだったのだが、タンタはクリーム色の毛を朝日に光らせながら首を傾げて微妙な顔のままだ。
「シェイルノース、少し騒々しいみたいにゃ」
 可愛らしい声で言うのは予想外の言葉。
「あら、そうなの?」
 横から尋ねるローザにタンタは頷く。
「旅人さんから聞いたにゃ。今、とってもたくさんの人がいっぱい争って喧嘩してるっていうにゃ」
 とても心配そうな目でこちらを見るタンタに、わたしは言葉が出てこなかった。またしても嫌な予感。……これで何回目になるのか分からないけど。顔を見合うわたし達にバレットさんが口を開いた。
「シェイルノースはそういう所。なぜなら少数民族が多い。部族間抗争は年柄年中じゃぞ。常時のことだから大丈夫、ではなく、それほど危険な地域に足を踏み入れるのだと覚悟はした方がいいぞい」
 淡々と、だが珍しく真面目な顔で語るバレットさんに、わたし達は神妙な顔で頷くしかなかった。




「正直、不安になっちゃったな……」
 馬車の中、わたしは窓枠に腕を乗せ、うなだれながら呟いた。山道もウェリスペルト側に比べて細く、整備が追いついていない。昨日の快調さに比べるとかなりスピードが落ちていた。
「考え方の違いさ」
 のんきな声を響かせたのはフロロだった。
「世界の中でもとりわけ危険な所に行くんじゃない。ウェリスペルトが平和すぎるんだ。ほんのちょっと『現実』ってやつを覗かせてもらうだけなんだな」
「その考え方、いいね」
 ヘクターも笑って応えているが、わたしは増々不安になっただけなんだけど。
「リジアも成長したじゃない」
 ローザが不思議なことを言い、けらけらと笑っている。首を傾げるわたしに彼女は続けた。
「前までなら不安も口に出さずに顔、強張らせてただけだったじゃない。言葉に出せるだけ成長したわよお」
「……それ、喜んでいいの?」
 笑うメンバーたちを睨みつつ、そうとも言えるかもな、なんて思ってしまう単純人間なのであった。
 が、そんな楽観も早くも敗れ去る事態が訪れる。御者席側の小窓がこんこん、と叩かれ、アルフレートが顔を半分覗かせた。
「……怪鳥の声がするぞ」
 その言葉に一瞬にしてわたしの心臓は跳ね上がる。
「おっと、俺としたことがお喋りに夢中で聞き逃したぜ」
 フロロがそんな軽口を言いながら耳に手を当てた。
「……これはマケ鳥だな。馬を狙ってきたんだろ」
「マケ鳥!? マケ鳥ってすごい、すっごいでかい鳥でしょう!? 馬、羊なんかの大型家畜を軽々獲っていくっていうやつ!」
「あんた本当に知識だけは一丁前なんだな……」
 興奮するわたしにフロロが呆れた声を出す。その騒ぎの横、ヘクターが腰を浮かした。扉に手をかけるヘクターをフロロが止める。
「出迎えて騒ぎ起こしたら、馬が暴れて下手すりゃ全員谷底かもしれないぜ。それより突っ切った方がいい。……運任せになるけどな」
「大丈夫、幸運の女神がここにいるわよ」
 自分の胸を叩き真面目な顔で言い放つローザを、わたしとフロロが半目で見た。わたしは図鑑で見たマケ鳥の姿を思い浮かべ、その巨体が馬車の上空を舞っているのを想像してしまう。灰色のワシのような姿で、くちばしだけが真っ赤なのだ。人すらも軽々と持ち上げる、という脚は大木のように太いのだという。しかし窓から覗き見ても、影すら視界には入らなかった。それでも鼓動は速まり続け、手や背中には汗がじっとりと浮かんできているのが自分でも分かる。
「だ、大丈夫よね?」
「わかんね。正確に言えば距離はそうとう遠い。でも向こうもこっちには気づいてるな。腹が空いてりゃ来るだろうし、じゃなけりゃスルーしてくれるさ」
 わたしの質問に答えるフロロも、馬車にいるヘクター、ローザの表情も硬い。意味はなさそうだがみんなが黙りこくる中、隣から手を握られた。
『大丈夫』
 そう言っているようにヘクターの手は暖かい。ローザとフロロがわざとらしくこちらから目を逸していった。





「下手に騒がんのが功を奏したな。早速、シェイルノースの洗礼を受けるかと思った」
 馬を休ませるために停車した山道で、アルフレートが馬を撫でながら呟く。山頂を逸れた道を来たはずだが、標高はチード村よりも高く薄暗い。植物も少なく、灰色で木肌の禿げた細枝が所々から顔を覗かせているだけだ。同色の岩がごろごろ転がっているし、霧まで出ている。わたしは厚手のニットの上にムートンのポンチョを羽織りながらくしゃみをしてしまった。馬二頭にもコートを着させるローザを手伝いながら、ヘクターが小声でぼやく。
「……もうちょい目立たない物なかったの?」
「しょうがないでしょ!! 白に金はフローのシンボルカラーだもの!」
 てっかてか金のフェイクファーという世にも珍しい外套を着込む馬がわたしの前に現れる。マケ鳥に見られたら今度こそ襲ってきそう。喧嘩売ってるとしか思えない姿だ。
「お、外界がぼんやり見えるぞ」
 アルフレートが霧の中を指差し、感嘆の声を上げるがわたしには何も見えない。エルフってやっぱり目がいいんだなあ。彼には「チカチカしている」というシェイルノースの世界が見えているんだろうか。無意味とわかりつつも目元に手をあて、景色に目を凝らす。灰色の世界が広がるだけで、感じられるものは頬や耳を刺す空気だけだった。
「……イリヤたち、大丈夫かな」
 わたしの漏れた声にアルフレートは「さあな」と首を振る。なんとも彼らしい返事に苦笑してしまう。
「なぜシェイルノースが、我々の住む南側とは違う体制のままなのか、わかるか?」
 アルフレートの質問に即答できず、しばし唸る。
「少数民族が多いっていうし、生き方が違いすぎるから?」
 それには頷きが返ってくる。
「そうだ。ローラスの広大な土地を征服した王たちも、北のあらくれ者を従えたケニスランドの国王ですらも、彼らをルールで縛れなかった。征服者の圧倒的な力も関係ないんだ。そういう混沌とした蛮族の世界に行くんだからな」
 アルフレートの話にわたしは喉をならす。まるで最悪な結果も覚悟しておけ、と言っているようだ。
「おいおい、あんまり脅かさないでくれよ」
 割って入ってきたのはフロロだ。その軽い声にもアルフレートは表情を崩さない。
「とりあえずまともな街はタンヴァーだけだと思っておけ。あとは弱肉強食の荒涼とした雪の世界だ」
「それって、イリヤたちがタンヴァーにいなかったら……」
 わたしは言葉が続かなかった。フロロが口笛を吹く。
「なんか機嫌悪いな、アル」
「寒いからだ」
 厚手のウールコートを着込んで前をがっちり閉める仕草のアルフレートにわたしは肩を落とす。確かに急激な変化で震えるほど寒いけど、それが理由で人をピリピリさせないで欲しい。
「お腹空きました」
 いつも通りのイルヴァの言葉に、わたし達はバレット邸猫の特製弁当を停まった馬車の中で食べることにした。この先進めば、馬を休ませる環境では無さそうだ。

- 3 -

*前次#


ページ:



ALICE+