世界の果て


「綺麗……!」
 もうすぐ下山、という道まで降りてきた時、わたしの口から思わず漏れる感嘆の声。灰褐色の枯れ枝の隙間から覗く外界は、ウェリスペルトではまだまだ先の雪景色が広がっていたのだ。その雪を照らす青、紫、ピンクの光の数々。見たこと無い光景に鼓動が高鳴る。絵本の中に迷いこんだような幻想的風景に寒さも忘れる。
「あの綺麗な光は何?」
 わたしの質問にアルフレートがゆっくりと答えだした。
「青いのは氷の下級精霊。ウィル・オ・ウィスプと同じ可視型の精霊だ。他の不気味な色のはシェイルノースでしか見られない植物だな。幹、枝、葉の全てが発光しているもんだから、日差しが少ない環境ではいい照明になる」
「ぶ、不気味って、綺麗じゃない」
 口を尖らせるわたしをアルフレートは鼻で笑った。
「下に行って実際に目にすりゃわかる。形がグロテスクだぞ? それに夜中だろうと延々ぴかぴかしてるんだから、頭おかしくなる」
 歪な形の植物が発光しながら眠りを邪魔してくるのを想像し、わたしは、うっと詰まる。街中にも普通に生えてるんだろうか。それだと確かに困るかも。事前に知っていればアイマスクぐらいの準備はしてきたのに。「チカチカする」と形容したのは、こんな理由からか。
「そういや今って時間どのくらいなんだろう?」
「イルヴァが騒いでないんだから、夕飯までは大分あるでしょ」
 ローザのわかりやすい答えに納得する。それだとしてもウェリスペルト側に比べればとても暗い。厚雲に覆われて雨の降り出す直前のような雰囲気だ。日中は日が昇る時間帯があるみたいだけど、日照時間は短いという。無理してうろうろするとすぐに夜になってモンスターたちの時間になってしまいそう。わたしの考えがわかったのか、ローザが手を叩く。
「こっちに来たら無理な行動は禁止! 個人行動なんてもってのほかよ! 特にそこの二人!」
 指さされたわたしとアルフレートは思わず顔を見合わせる。
「私? この小娘はわかるが、この私?」
 不服そうなアルフレートにわたしもむっとする。
「何よ、それ。自分は実力あるから平気、みたいなの気に食わない」
「今までの経験からふらっといなくなりそうなのがあんたたちってこと!」
 ローザの厳しい声に、揃って首をすくめるしかなかった。
 道の悪さから進みがゆっくりだった馬車が、ようやくスピードに乗ってくる。
「しばらく降雪はなかったらしいな。街道はきれいなもんだ」
 御者席からフロロの軽快な声が聞こえてきた。いよいよ下山。シェイルノースの大地に降り立ったのだ。窓からの景色、チカチカと瞬く光の数々はやっぱり綺麗だった。薄暗い中に浮かび上がるシルエットだけでも独特で、故郷では見たことのないものばかりだ。真っ直ぐ天に伸びる姿や、うねりながら四方八方に枝を伸ばす姿のそれぞれが多々な色合いを見せている様は、キャンディ棒などのお菓子を連想させる。暗い空と雪の大地とのミスマッチさが面白い。ぼんやりとその光景を見続けていると、光の数々の中の一つの個体が、吸い込まれるように馬車内へと入ってきた。
 淡い青色のこぶし大のそれは、緩やかな動きで車内を彷徨った後、ヘクターの周りを旋回しだす。
「精霊は男前が好きなんだ」
 前にも聞いたことのあるような豆知識を、ニヤつきながら披露するアルフレート。ってことは女性なんだろうか。そう思うと少し妬けるような。
「あ、宿場町が見えてきた。やっぱり山からすぐだったわね」
 ローザが窓から身を乗り出し前方を指差す。倣って前を見ると、周りの光とは違う乳白色の光と、人の気配があった。それを目にするだけで大いにホッとする。その時だった。
「うわ!」
 フロロらしき悲鳴と突風が馬車内へなだれ込む。馬が嘶き、馬車が止まった。
「どうした!?」
 ヘクターが外へ飛び出す。わたしはそのまま窓から周囲を見回し、そして上空を移動する影に気がついた。
「マケ鳥だ……」
 目にするのは初めてだというのにすぐに理解できてしまう、その巨体。もし今が明るい日中だったら、血塗られたようだ、という口ばしも見られたのかもしれない。周囲の植物を激しく揺らし、悠々と去っていく。まるでこちらに姿を見せつけるようだった。
「襲っては来なかったわね……」
 ローザの呟き通り、マケ鳥は人間たちを慌てさせるだけで満足だったのか、旋回することもなく真っ直ぐアルフォレント山脈の方向へ飛んでいってしまった。
「な、なんだよ、悪趣味な野郎だな」
 フロロの悪態も、心なしか震えていた。




 わたしの目の前にあるのは巨大なキノコだった。シェイルノース固有の種だというこれはヘクターよりまだ頭一つ分大きく、白い滑らかな軸の上に広がる傘は青地にオレンジの斑点というエキセントリックな見た目。その上、紫の光をぼんやりと放っているのだ。
「へ、変なの」
 思わず本音が漏れる。
「早く行くわよー」
 ローザの呼びかけにわたしは到着したばかりの宿場町『キューブル』を振り返り見た。石造りの堅牢な建物が等間隔に並んでいる。そのどれもに宿であることを示す看板が打ち付けられていた。どれも似たようなデザインなのを見るに、計画的に造られた町であるように思えた。宿以外の建物はほぼ無く、真っ暗である。「ほぼ」というのは他に馬車の管理を請け負う丸太小屋が町の入り口にあるからだ。他にあるべき食堂や飲み屋、雑貨屋などは全て宿の一階部分にそれぞれ構えられている。風情はないが、これはこれで便利だな、と思う。
 なにしろこの寒さである。景観がどうの、なんて住民でなくても考えていられない。わたしは小走りに、先を行くメンバーたちを追いかけた。
「宿、ここにしたの?」
 一軒の宿屋に入ろうとするところを、わたしが尋ねるとローザが振り返った。
「どこでもいいんだけど、看板に『シェイルノース料理』って書いてあったのよ。どうせなら、って思ってね。シェイルノース料理ってローラスの中でもかなり特殊だっていうから」
「へー、確かに嗅ぎ慣れない匂い」
 扉を開けると流れてきた匂いにわたしは鼻を動かす。嫌ではない。むしろ空腹を呼び覚ますような匂いだが、独特のスパイスかハーブ類が使われている気がする。魚介、肉類と香味野菜が混ざり合う美味しい香りにイルヴァでなくてもため息が漏れる。
「六人分のベッドと、それから食事も」
 フロロの言葉にカウンター内にいた男性が帳簿を出す。名前を書きながらフロロが尋ねた。
「シェイルノース料理ってどんなのがあるの?」
「そうだな、まずは油の乗ったサーモン! それにマトンの煮込みだな。臭みのなる肉を大量のスパイスで煮込むんだ。それに忘れちゃいけないのが『ピュリカ』だ。シェイルノース料理にはこれが欠かせない」
 髭をいじりながら語る男性にわたしは「ピュリカ?」と聞きなれない名前を反復した。男性は大きく頷く。
「この辺以外じゃ、あんまり口にしないらしいけどな。ピュリカは野菜だよ。独特の香りがするんで香り付けにも使うし、食べても美味いぞ。……実際に食べてみるのが一番わかりやすい。ささ、どうぞ」
 もちろんそのつもり、と言わんばかりに、イルヴァが右手の扉に進む。上部に付けられた開閉によって鳴る呼び鈴が、リンリンと澄んだ音を立てた。
 むわりとする熱気と、料理の匂いが一段と濃くなる。そして中にいた店員の一人と数人の客が一斉にこちらを向いた。まだ冬本番ではないからか、旅人は多いようだ。移動した先の隣のテーブルで、女性が食べている白いムースに赤いソースがかかったデザートがとても美味しそう。あれも頼もうかな、と機嫌がよくなってきた時だった。
「大きい内乱になるかもしれん、ってことか」
 直ぐ側から聞こえる低い声。
「まあそういうことだろうな。肝心の『オズゴート』の領主が動こうとしないんじゃ、みんな好き勝手するさ。タンヴァーの領主も気の毒に。まともに働いてるばっかりにババを引く」
「誰が領主でも同じだろう。蛮族どもに人の法を押し付ける方が間違ってるんだ」
「……まあそうかもしれんがね。しばらくは警戒して方が良さそうだ。何ならシェイルノースは避けて南との交易に絞った方が懸命かもしれん」
 後ろのテーブルの会話に気を取られ、座るのを忘れる。
「どうしたの?」
 ローザに言われて我に返り、慌てて着席した。




「オズゴートってどこ?」
 後ろのテーブルの二人組が店を出ていくのを確認し、わたしは質問した。乾燥したいちじく、くるみ、チーズを肴にシードル酒を飲んでいたアルフレートが手を止める。
「シェイルノース西側の海岸線に近い地域のことだ。どうやら領主は能無しらしいな」
 彼も後ろの話を聞いていたのだろう。横でフロロもうんうんと頷いている。
「あんなぺーぺーの商人たちが知ってるんじゃ、住民誰もが知ってるレベルでまとまりつかなくなってるんだろうな。レオンの家も相当忙しいだろうし、あんまり長居は出来ないかもね」
 遠慮、という言葉がとんでもなく似合わないフロロから出る台詞とは思えないが、わたしも同感だ。
「なんで忙しいんですか?」
 イルヴァの純粋な疑問。誰もが『説明してこいつが理解できるのか』という雰囲気で言葉を探す中、またアルフレートが語りだす。
「ローラスでは少数民族による自治区を認めていない。シェイルノースの領土は全てローラス人である領主に分配され、土地を手放すことも認めていない。だが現実は違う。各領主たちがそれぞれの地区にいる少数民族と話し合い、争い、様々な条件付きで共存している。レオンのいるタンヴァーもオルグレン卿の統治で維持されているが、お隣オズゴートの領主はボーっとしているだけの能無しだ。間にいる少数民族が何やら騒がしいが、オルグレン卿が独りで奔走してるのが実情だ、って感じだな」
「なるほどねぇ」
 ローザが納得のため息を吐くが、肝心のイルヴァは理解を放棄してマトンのカレー煮とサーモンのグラタンを食べるのに忙しそうだ。
「レオン、元気かな」
 ヘクターの呟きに、わたしは眉間にしわ寄せてウーラに飛びかかる彼の顔を思い出していた。
「ピュリカシチュー、美味しいわ」
 ローザが感心げに声を上げ、スプーンを啜る。わたしもダイスカットされたピュリカの乗るサラダを食べながら同意する。芋よりも濃厚で味が濃く、でも滑らかな舌触りで食べやすい。この北国の貴重な栄養源に違いない。でも食べ過ぎると隣のテーブルのおじさんのようなお腹になりそう。





 宿のお風呂のお湯が出ない、というトラブルに見舞われながら一晩過ごし、機嫌いいとは言えない翌日。日中のシェイルノースの景色を見るのは初めてになるが、夜のあの幻想的な風景とはまた違っていいものだ、と馬車からの景色に少し気持ちも回復する。
 気温が低く澄んだ空気の中、独特な灰青色の空に太陽からの一筋の白い線が伸びて、数日前に降ったと思われる残り雪に突き刺さる。光がはじけ、また冷たい外気に溶け込んでいくのだ。
「やっぱり寂しいところよねえ」
 隣の席で表を眺める親友の言葉は、わたしとは真逆のものだった。彼女の好きな緑覆い茂るような植物は確かにない。そのせいだろうか。わたしはといえば、この刹那的とすら表せそうな光景が気に入っていた。やっぱり根暗だからだろうか。
 昨晩泊まったキューブルの町から、レオンの住むタンヴァーまではさほど距離は無いらしい。道が良ければ昼までには着いてしまうとのことだ。後は凶悪モンスターが出てこないのを祈るのみ。昨日のマケ鳥との出会いで思ったのは、厄介なほどの高度な知能を感じることだった。あの巨鳥の意地悪い動きは何だったんだろう。
「馬たちも慣れない道で疲れないかな」
 ヘクターが聞くとローザが頷く。
「雪自体はウェリスペルトでも嫌ってほど降るけど、凍ってる状態なのが怖いわね。あまり無理はさせないようにしましょう。フローラも寒いみたいで元気ないのよ……」
 オカマお母さんの「ほう」というため息の中、街道の奥の奥、行先の道の上に何か黒い物があるのに気づく。道のど真ん中に見える。「危ない物じゃないかしら」と、わたしが目を細めるとアルフレートが「これはこれは……」と呟いた。
「何?」
「いいからどんどん近づけ」
 わたしの質問に答えず、アルフレートは御者席に声を上げた。馬車はスピード上げ、黒い何かにどんどんと近づいていく。人だ、と気づくまでさほど時間はかからなかった。黒い防寒着に身を包んだ男が跪いている。同じ黒の髪は風に煽られるままに荒れ、生気が無いように感じた。
「イリヤ!」
 見覚えのある横顔にわたしは叫ぶ。馬車が止まり、わたし達は全員飛び出していた。駆け寄る六人の足音にもイリヤは動かず、自分の足元を見るだけだ。その不自然さにわたしは嫌な予感がしていた。
「どうしたのよ、こんな所で! どこか怪我してるの?」
 動かないイリヤの肩を叩きながら顔を覗き込む。一瞬の間を置いて、虚ろな目がこちらを向いた。その不自然さに思わずぞくりとする。
「……あ、リジア、他のみんなも……どうしたの?」
 金色の瞳の中に浮かぶ光が揺れた。
「どうしたの、じゃないわよ! 何? どっか具合でも悪いんじゃない? 他のメンバーはどこよ」
 顔を上げるイリヤのぼんやりした空気に、ついつい質問攻めにしてしまう。周りを見ても人の影はおろか他の生き物の気配はない。嫌な予感は加速していく。
「他の……」
 呻くような声の後、ローザの「危ない!」という悲鳴。ぐらりと傾くイリヤの体を、ヘクターが慌てて受け止める。
「……気絶したみたいだ」
 ヘクターの厳しい顔にみんな言葉を無くす。何がどうなっているの?
「とりあえずイリヤを馬車へ。フロロ、何か聞こえる?」
 ローザの指示にヘクターがイリヤを背負い、フロロが耳に手を当てる。
「いや、小動物の気配だけだ」
 はっきりとした答えにアルフレートが頷き、北を指差した。
「ならタンヴァーに向かった方がいい。こいつを休ませるにしろ、情報集めるにしろ、町に行かなきゃどうにもならん」
 わたしはゆっくり頷きつつも、倒れる前のイリヤの顔を思い出していた。眉間に皺寄せ、疑問に顔を歪ませていたのは気のせいだったんだろうか。

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