足跡


 薪の爆ぜる音と冬の匂いが交じる中、欠伸をするレオンにわたしは謝る。
「ごめん、こんな遅くまで」
「いや、構わない。出来る限り思い出そう」
 談話室の暖炉の前、レオンは恥ずかしそうに咳払いした。
「先ほど話したことの繰り返しになる部分もありますが」
 主の傍らで長身の護衛、ウーラが背筋を伸ばす。
「レオン様がデイビス様方と話す時間があったのはサントリナからタンヴァーまでの馬車内。この時は三日間というかなり急ピッチなものだったので、休憩に寄った宿場では食事の後にすぐ休む、といった流れでした。あとはオルグレン邸に戻ってからの一晩。久々にゆっくりとした食事になったのでようやく会話らしい会話が出来たのを覚えています」
 ウーラは『彼らの足跡を追いたいので協力してほしい』というこちらの質問に、真摯に応じてくれた。レオンも頷いている。
「前に君らと、私も学園にきたらどうか、という話をしただろう? それでなのか彼らもプラティニ学園の話をよくしてくれた。学園内の生活、仲間の話、彼らの今までの冒険なんかをね」
 そこからレオンが指折り話すエピソードはわたしも知っているような名物教官、有名な先輩、学園の七不思議…… という名の、どこの学校でもありふれた噂話だった。
「教官から貰うクエストがどれもゴブリン退治や畑の手伝い、子守ばかりで飽々していた時にリジア達と行動するようになって世界が開けた、と声を揃えていたぞ」
 思わぬ形で聞けた彼らの本音に、わたしは照れくさくなって鼻をかく。それに対しレオンはふっと大人びた笑みを見せる。
「硬い表情が取れたのはその話題の時ぐらいだったろうか。そう、シェイルノースでどういう活動をするつもりなのか、はあまり聞けなかった。肝心のイリヤが緊張気味に見えて、言葉少なかったからだ」
「そう……家族に久々に会うから、でしょうね。単純に考えれば」
 わたしは言いながら頷く。周りもバラバラにではあるが同調していた。家族が辺境地で見つかったとなれば安否が気にかかるだろう。それで心休まらない状態になるのは想像がつくし、久々に親に会うというのは気恥ずかしさが生まれるものだ。ただイリヤの場合、会話中から普通とは違う家族環境だと感じ取れる時が多々あった。
「ねえ、誰かイリヤの家族だとかそういった話を聞いたことある?」
 わたしの問いかけにみんな首を振る。頼みの綱のフロロまで肩をすくめる始末だ。
「探り入れたことはあったよ。ビーストマスターの血族なんて気になるじゃん。でもびっくりするくらい情報が無いんだよな」
 フロロのため息の後、扉の蝶番が軋む音に、一同一斉に視線を動かす。
「それは俺から話すよ」
 部屋の入り口、青白い顔をしたイリヤが立っていた。





「俺の名前はイリヤ・ヤヌフ……になっているけど、この名前は君らの名前みたいに『名前』と『家族名』じゃない。俺は『ヤヌフ一族』の中の『イリヤ』だ。ローラスに来るまで姓の概念も無かったんだ」
 毛布をローブのように被り、暖かいミルクを手に抱えながらイリヤはぽつぽつと語りだした。
「ヤヌフ一族は元々ローラスで暮らしてたわけじゃない。遠い遠い昔に故郷を出されて、ずっと旅をしてるって聞かされてた。住み着く場所を求めて移っては、先住の民に追い出されを繰り返して人数もどんどん減っていったらしい。俺の子供の時で50人いただろうか。そんな規模なんだ。キャラバンにすら負けるような……」
「そのヤヌフ一族はみんな、あなたみたいな力があるの?」
 わたしが聞くとイリヤは頷いた後に首を振るというややこしい仕草を見せた。
「力はある。でも今思うと俺の力は一族の中でも異端だった。だから俺は追い出されたわけなんだけど……。ごめん、わかりにくいね。少し考えさせて。整理するから」
 目を瞑ったイリヤのふう、と苦しげな息が室内を虚しげに響く。アルフレートがカーテンを少しめくって表を覗いたが、すぐに手を引っ込めて語り部を見た。そのタイミングでイリヤはまた口を開く。
「最低限の家畜と一緒にテントで暮らす生活だった。常に隠れるように生きていて、明かりも暖を取る焚き火だけでね。一族には族長すらいないんだ。ただババ様って呼ばれる年長の老婆がいて、その人もみんなに指示するわけでもなくただ知恵を授けてくれるような存在だった。そのババ様が一番力が強かったんだけど、それでも小鳥や家畜の感情を読み取って『囀り』で意思疎通を図れるぐらいなものなんだ」
「あなたがやる、あの囀りね」
 わたしはイリヤがバンダレンの洞窟でやっていた口笛のような音を思い出す。レオンとウーラが顔を見合わせていた。
「あれも一族に伝わる知恵の一つだね。元々いた遠い地では囀りを使って占いをやっていたんだって。それをある時、偉い人の怒りを買って迫害されることになった、って聞いた。大昔の話でどこまで本当か分からないけど」
 ミルクを飲むイリヤを全員で見ていたが、ローザがおずおずと手を挙げた。
「さっきイリヤも『追い出された』って言ってたわよね。どうしてあなたが一族から追い出されるの?」
 ローザの質問にイリヤはじっと考え込む顔を見せ、次に苦笑する。
「今言ったように一番力の強いババ様でもそんな程度の力なんだ。俺のように大型の動物や野生種、あげくは人間の感情を読んだりするような存在は危険なんだよ」
 みんなが黙り込む中、イリヤはじっとミルクカップの上澄みを眺めていた。
「俺が感情を読む力っていうのも人の心の声が聞こえたりするんじゃないんだ。ただ体温変化だとか目の動き、仕草を読むのに敏感で、あとは大きな感情の揺れはその人のオーラの色に現れて見える。一番わかりやすいのは恋愛の感情だとか、逆に激しい悪意。あとは嘘だ。ババ様の話だとエルフが精霊を可視するような力に近いんじゃないか、ってことだった」
「それを、感情を読まれるのを恐れてあなたが追い出されたってこと?」
 ローザにイリヤは首を振る。
「親が言うにはそんな単純な話じゃないんだってさ。両親も俺と一緒に一族から逃げたんだけど、二人の話だと『外の人間に力を利用されるのを恐れて』らしい。今までも時々俺みたいな異端が生まれてきたけど、必ず利用されてその度に一族みんなが危険な目に会ってるらしいんだ」
 フロロの唸るようなため息が聞こえた。
「らしい、らしい、ってそんな曖昧な理由で仲間を追い出しちゃうなんてあんまりじゃない?」
 本音が口を出たわたしの頭をアルフレートが小突く。
「一族が故郷にいられなくなった理由が『力』のせいだぞ? 体の奥底に刻まれたトラウマなんだ。力を利用されるのだってな、お偉いさん同士の争いに巻き込まれて政局に使われるんだったり、大衆の見世物にされるのなんかまだいい。マッド・サイエンティストの研究の対象にでもなってみろ。研究と称して体を切り刻まれたり、一生を籠の中で暮らすはめになることだってあり得るんだ。いや、長い歴史の中でそんな目にあってきたヤヌフ族は必ずいるね」
 アルフレートの冷静な話に喉を鳴らしつつ、わたしは「でもだって……」と言いよどんだ。それはよく分かるんだけど、だからって追い出されたイリヤはどうなってもいいみたい。仲間の加護が無くなったら余計危険が多くなるのに。
「それで、その両親とも一緒にいないのはどうしてなんだ? 今はシェイルノースにいるらしいけど」
 脱線した話を元に戻したのはヘクターだった。ダークブルーの目に見られ、イリヤは頭をかく。
「両親は今まで通りの生活を続けた。つまり旅から旅の生活をね。俺は学園に通うことにした。だからウェリスペルトに留まった。それだけなんだ。ただ定期的な手紙すら届かなくなって一年以上になって、流石に心配になってきたところに『ヤヌフ族の夫婦とみられる二人組がシェイルノースで占い師をしている』って情報が舞い込んできたんだ」
「ちょっと待て、その情報は誰からなんだ?」
 アルフレートの問いにイリヤはキョトンとした顔で彼を見る。少し間が空いたが、はっきりとした口調で答え出した。
「誰って、ローザじゃないか」
 全員がぽかんと口を開け、続いてローザの顔を見る。全員の視線を受けたローザはまさに寝耳に水といった顔で強張ったままだったが、次第に赤くなっていった。
「う、う、うそよ!? 何それ知らない! そんなわけないじゃないの、ヤヌフ一族だなんて今初めて聞いたのに!」
 ローザが情報源というのはあり得ない。それは全員がわかっていることだった。ただこうもしっかりと答えられるとなると困惑してしまった。
 ローザもそれは分かっているようで、ただ今の状態のイリヤに強く否定することも出来ずにただ百面相をするだけになっていた。その様子をちらりと見、レオンが身を乗り出す。
「イリヤ、君は少し前にもここへ泊まっていったな。その日もここで少し談笑したはずだ。その時、グラスを派手に引っくり返したのは誰だった?」
 その問いにイリヤは一瞬眉を寄せ、次に口を開く。
「ウーラだったはずだ」
 言われたウーラは否定も肯定もせず、じっと前を見ていた。レオンはソファーの背もたれに身をあずけると大きく頷いた。
「……わかった。さてもう遅い、今夜はもう休むとしよう」





「やっぱりイリヤの雰囲気が変わったように感じるのはわたしだけ? 別人とまでは思わないけど」
 わたしは寝室のベッドにあぐらをかき、仲間達の顔を見回す。イリヤには休むように言って、メンバーだけの相談である。
「力を失ってるから、だと思ったな。前は色々なものが感じ取れる分、人と触れ合うのがおっかなびっくりに見えた」
 ヘクターの意見はとても鋭いものに思われた。ただ今のイリヤが普通の人になったかと言われればそうではなく、虚無感に襲われているように見えるのだ。そこに危うさを感じて心配になってしまう。
 ふーむ、と唸る中、ドアがノックされる。一番近い位置に立っていたイルヴァが扉を開けると、蝋燭を手にしたレオンが立っていた。
「先程の件だが……ああ、やっぱりこっちに集まっていたか」
 レオンは部屋の中をちらりと見て、そう言った。わたしは入るよう手招きし、椅子を勧める。レオンは「これだけは話しておかないと眠れなかったんだ」と前置きしてすぐに話しだした。
「グラスをひっくり返したのは誰だったか、とイリヤに質問しただろう? あれはデイビスのことだ。彼がほろ酔いになってやらかした後、うちの母に土下座する勢いで謝っていたんだ。君らもわかっているだろうけど、ウーラは私が起きている間、酒は飲まない。ましてや部屋の中を不必要にうろつくなんてことは無い」
「それって……記憶の改竄?」
 わたしの言葉にレオンは頷く。
「イリヤは仲間のことを覚えていない、と言っていたな? だからデイビスのやったことは覚えていても、『彼』ではなく今も記憶にあるウーラがやったことに改竄している。そして『ヤヌフ族の夫婦がシェイルノースにいる』という情報を流したのはローザじゃない。仲間の内の誰かのことをローザだと改竄しているんだ。つまり情報を掴んだのは記憶から消えた仲間の内の一人になる」
「なるほど……」
 そう答えたものの、じゃあ誰が、となるとピンとくる人物がいない。情報収集といえばシーフ担当だが、あのパーティーのシーフは『あの』ヴェラである。
「それと、彼らに何をアドバイスしたか思い出したんだ」
 続く話の方がわたしの気になっていたものだった。思わず身を乗り出す。
「この地で占いをする人達はいるか、と聞かれたんで『星読みの民』と『目無しの民』の話をした」
「両親が占い師をしてるって情報からね」
 答えるものの、聞きなれない二つの名前にわたしは困惑する。
「この二つはシェイルノースに古くからいる部族だ。星読みの民はその名の通り、独特の占星術を用いて部族を束ねている。定期的にこの町で物を売ったり、物資を購入していく者もいるが、決して馴れ合おうとはしない気難しい部族なんだ。そのせいか町の中ではあまり歓迎しない人もいてね。まれに衝突が起きるのも事実だ」
「例の事件に絡んでる部族だな?」
 アルフレートが言うとレオンは少しの間、黙ってしまった。それは肯定と同じだろう、と思ったのか少年は苦笑する。アルフレートは「もう一つは?」と続きを促した。
「『目無しの民』。こちらも占い師が一族の長につく習慣があることまでは分かっているんだが……正直、族長の名前すらわからないほど情報がない。彼らは滅多に姿を見せないし星読みの民のように町へも出てこない。その上『混沌魔術』と呼ばれる不思議な術を使うらしい。その生活はとても原始的で、近代化を嫌う。お互いアンタッチャブルなものとして過ごしてきた」
「すごくインパクトのある名前よね。目無し……」
 わたしの呟きにレオンは顔に何かを嵌めるような仕草をして見せる。
「常に仮面を付けているんだ。数少ない目撃情報もすべて仮面をつけた姿だった。彼らの素顔を見た者がいない」
「ぞくぞくするけど、面白いじゃんよ」
 フロロの意見には同感だ。
「っていうことは、その二つの部族を追って、デイビス達は出発したのね?」
 わたしは不安が濃くなる。
「そういうことになるな。両部族とも極端に閉鎖的だ、とは伝えたんだが、他にあてもないし、と言っていたんだ。しかし彼らから見れば町の人間こそ淘汰されるべきで、モンスターと同じ扱いだ。冒険者が行って交渉できるとは思えない」
 領主の息子であるレオンには、この二つの部族はとても大きな問題なのだろう。彼にしては消極的な態度である。
「それでも、行ってみなくちゃ。もしかしたらデイビス達はどちらかに捕らえられてるのかもしれない」
 わたしが言うとメンバーからは「当然」という返事が返ってきた。

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