予知
アヴァロン 一章 ハント
1予知
「ポール、待った」
「何だよマイロ……」
隣を歩く少年に腕を引っ張られ、抗議の声を上げようとしたがポールはそれを引っ込めた。
ぽとり、二人が歩みを進める数歩先にカラスだろうか、野鳥の糞が落とされる。乾いた土に広がる染みを見て、ポールは大げさに飛び退いた。
「おっと」
間の抜けた声を出し驚く相棒を忠告人マイロはちらりと見る。
腰まで伸びる黒髪はけして手入れが良いとは言えず、その上に茶の煤けてくたびれたハットをかぶっているポールは見ようによってはジプシーのようだ。
かなり長身の体を覆う茶のコートと、その天辺に乗った同じ茶のハットには、ワッペンやらバッジやらが重そうに引っ付いているが、必要なデザインなのかは首をかしげるところだ。
年もそろそろ30に手が届くところだというのに女性受けはあまり良く考えてなさそうだ。唯一知的さを感じるとすれば切れ長の目と、鼻に掛けた小さい眼鏡だろうか。
「何度見てもすごいな!」
ポールはそう言うと、先ほど市場で手に入れた戦利品を持ち直した。袋の中のじゃがいもがごろりと揺れる。
「……そうでもないよ」
同じく両手に荷物を抱えた少年マイロは、なぜか憮然とする。
ポールよりもかなり若く、15、6だろうか。
肩まで伸びる色の薄い金髪も見事だが、少女にも見えるその美貌は見るものに息を飲ませる。
ただこちらもベージュの分厚いコートは煤けており、それがまた異様なコントラストとなっている。ポールと同じ大きさの荷物が彼には重そうだ。
「なにふてくされてんだ。せっかく久々にまともな飯が食えるんだぜ?」
ポールに言われるがマイロは表情を変えない。
「あんたがさぼらなきゃ、毎日でも良い飯は食えるよ」
「……俺は気分屋だからなぁ。期待すんなよ」
自分で言うポールが可笑しかったのか、マイロも思わず苦笑する。
「ところで『さっきみたいなの』ってお前にはどういう風に見えるんだ?」
ポールの問いにマイロはしばし黙る。
さっきみたいなの、とはあのまま歩いていたらポールは野鳥に腹を立て、罵倒を空に響かせることになっていたであろうことだ。
マイロは言葉を探し終わると口を開いた。
「俺にはあのままあんたの頭にカラスの糞がかかるところまで『現実に体験した』ように感じる。……でもそのあと気づくとその直前まで引き戻されるのさ」
「現実に?夢みたいなもんを見るようにじゃなく?」
ポールには予言や予知をする人間は、白昼夢のようなはっきりと現実とは違う感覚のものーーひどくボンヤリとした映像を見て未来を知るイメージがあった。夢には目覚めた時、場合によっては見ている間にも『これは夢である』と気付かせる奇妙な光景が広がっているものだから。しかし少年は首を振る。
「いや、俺にも引き戻されて初めて『予知』が見せた映像だと気づく」
「現実と全く同じ感覚ってことか。でもそれだとよく『予知』だって気がつくな。俺だったらごっちゃになりそうだ。現実と」
ポールに言われて初めて気づいたようにマイロはハッとする。
「……そういやそうだな。……いや、たぶん勘だよ」
マイロは自分でも不確かな質問に、適当に返事した。他人から初めて気付かされたことが、なぜか良くないことのように感じられたからだった。
マイロが自分の力に気が付いたのは七歳の時だった。
その歳で力が身についたのではなく、自分以外には無い力だと気付いたのが、である。
歩いていると石に躓く。
あっ、と思った瞬間には石に躓く数秒前へと引き戻され、彼は今度はその石を避けて歩く。そんな力だった。
しかし、いつもその力が発動するわけではない。
ある時は石に躓いたまま、痛い膝小僧を抱えることになる。
そんな点でマイロは普通の人間並みに『慎重』であった。
むしろ力を「ややこしいから」という理由で煩わしく思っていた時期もある。人におおっぴらに自慢する力では無い、ということも幼い頃から分かっていた。
何度かあった力を持たない者との感覚のズレに、気まずい思いをしたことを思い出す。そんなマイロの隣で相棒は口笛を吹いている。彼の機嫌はいつも一定に『ご機嫌』なのだ。
「帰ったらまず、食う為の場所を空けなきゃな」
乱雑に散らかった自宅の食卓テーブルを思い起こし、ポールは呟いた。
坂を登ると二人の安住の地「カカシの家」が見えてくる。
カカシの家とは近所の子供達が呼んでいる名だ。
ある時、理由を聞くと子供達曰く「たんぼのカカシみたいにオンボロだから」だそうだ。
その言われ様には腹が立つというより「うまいことを考えるものだ」とマイロは感心してしまった。
そんな古いくたびれた家のドアをポールは無遠慮に力一杯開け放つ。
積み上げられた書籍に、物が乱雑に詰め込まれた箱、それらで埋まる部屋に、似付かわしくない女性が二人、彼らを出迎える。
ポールはまるで二人が家に元からある装飾品かのように気にとめない様子でずかずかと入っていくが、マイロは露骨に眉をしかめた。
黒髪に褐色の肌、黒いコスチュームの女と、金髪に白い肌、白いコスチュームの女。いずれも一目で戦士だと分かる姿の彼女達はソファーに腰掛けることもせずに、まるでその美しい体の線を見せ付けるかのように立っている。よく見ると顔は似ているが印象はまるで違うのが不思議だ。それは身につけている物の色のせいだけではないだろう。
「仕事だ」
そう言って黒いコスチュームの女が一枚の紙を差し出す。ポールはそれを受け取り目を落とした。
しばらくそれを眺めると大して興味がないように用紙をテーブルに投げ、隣の彼女に向き直った。
「ナディア、君は相変わらずキレイだ」
ナディアは無表情のままだが振り払うこともしないのはまんざらでもないように見える。
次に白いコスチュームの女に向き直ると、ポールは彼女の手を取りささやく。
「アンジェラ、君も相変わらずカワイコちゃんだな」
アンジェラは眉を少し上げた後、おどける男に嬉しそうに微笑んだ。
そんな三人の光景を横目で見ながら、マイロは黙ってテーブルを片付け始める。
いつ見てもくだらない小芝居だ、マイロは心の中で悪態吐いた。
褒めるポールも、喜んでみせる双子もどこまで本気なのか分からない。それは一人年下のマイロにはやけに苛立つ光景だった。
夜、マイロは表通りに出る。ポールの『夕飯には戻ってこいよ』という言葉を心の隅に置きながら。
冷えきった空気が心地良い。思い切り吸い込むと肺まで浄化されるような気分になる。
春のやって来ないこの地では皆、日が出れば肌を出して積極的に日光浴をする。そのくらい日差しに飢えている。しかしマイロは闇に覆われる夜の方が好きだった。まるで善くないものに魅入られたような自分の感性も、同じように好きだった。
しばらく歩くと、前方に見慣れた光景である道ばたに寝転がる酔っぱらいを見つけた。
妻子はおろか孫もいてもおかしくない年頃の男は鼻まで赤くして寝息をかいている。
「おっさん、寝ちゃ駄目だ。死ぬよ」
マイロは男を抱き起こす。
「う、うん……」
眠りが浅かったのか思いのほか簡単に男は意識を取り戻した。
「ああ……寝てたのか?お嬢ちゃん、ありがとうな……」
酔っぱらいどころか素面の人間にも女の子に間違われることがたまにではないマイロは、怒る気持ちも通り過ぎて苦笑する。
「家は近いのか?」
マイロの言葉に男は目の前の家を親指で指した。
「ここだぁ。安心してうっかりしちまったんだ……」
「駄目だよ、表で寝たらどうなるかわかってるんだろ?朝日を拝めないどころか<黒竜の時>を迎える前にフロー神の元に行っちまうぜ」
マイロの言葉に男は大口を開けて笑う。
「上手い事言うなあ、お嬢ちゃん」
まだ酒が残っているのか笑い続ける男をなだめて家の方向へ連れて行く。よろよろと玄関口まで歩いていく姿を見て、マイロは道を歩き出した。
気温の低いこの地域でのおなじみになってしまっている光景として、酒に酔っぱらって道ばたで凍死してしまう人間というのがある。寒いから酒を飲む。浴びるように飲むのが普通なのだ。しかしそれによって危険を近づけている。
警備団の連中も道で絶命した人間を見れば「また酔っ払いか」と調べもしない。でもそれも普通の事なのだ。
ふー、と白い息を吐く。空へのぼっていく自らの息を眺めながら、
ナシュカは酔っぱらいが嫌いだったな
と思い返していた。
ツタの絡まる煉瓦作りの壁をよじ登り上に立つと、斜め上に見える出窓に向かって小石を投げる。
一瞬の沈黙の後、中にいる住民があわててこちらに向かってくる。
「兄さま!」
窓を開けるなり声を上げた少女に向かってマイロは「静かに」と、人差し指を口に当て合図した。
少女ははっとした表情の後、「待っていて」と言い残し消える。
暫くすると庭の方にショールを引っ掛けた少女が出てきた。マイロは壁から庭へ飛び下りる。
マイロと同じ金髪に緑の瞳。背はやや低く髪はカールしている少女は走ってきた為か白い息を忙しなく吐き出していた。
「よう、ナシュカ、元気にしてたか?」
なるべく明るい声でマイロが尋ねると少女ナシュカはこくんと頷いた。
「兄さまは?」
「俺は……あいかわらずだよ」
マイロの返事にナシュカが視線を地面に移す。
「じゃあ……まだ『悪いもの』と戦っているの?」
あいかわらずそんな絵本に出てくるお姫様のような言い方をするんだな、とマイロは苦笑いをした。ナシュカだけじゃない。この屋敷自体が時を止めている。
「だいじょうぶ、今のところヘマはやらかしてないよ」
安心させるように言い聞かすが、ナシュカの望む答えではなかった。そしてマイロもそれを知っている。
「でも、その、お父様もお母様も心配してるわ。……帰ってこないの?」
少女のその言いように、お前はどうしてほしいんだ?そんな意地悪を言いたくなったがやめた。
「……今度来る時は何か買ってきてやるよ。何が良い?」
ナシュカは黙って首を振る。マイロがお菓子や装飾品の名前を出しても微笑んで首を振るだけだ。
ナシュカは、妹は俺を畏れている。いつからこんなにも距離があいてしまったんだろう。 寂しいという気持ちも通り過ぎてしまった。どうにかしたいという欲求が湧かないからかもしれない。
マイロは自分によく似たナシュカの顔を見つめた後、額にそっと口付けした。
ようやく照れたような笑顔を見せるナシュカに、マイロも微笑んでみせた。
マイロの家庭はここヘッデンシュバルツでも指折りの名家だ。夫婦二人に二人の子供。長男であるマイロに妹のナシュカ。一族の美貌は同じ上流階級の人間の中でも羨望を浴び、主であるマイロの父親の町民からの信頼も厚かった。華やかな世界に入っても一際目立つ、そんな存在。誰もが羨む幸せな一家。人々の話しに上がる時にはそんな言葉が枕詞のようにつけられる家。
誰がこの家の人間の歪みに気がついただろう。
マイロが両親に不信感を持ったのは、自分の予知能力に気がついた歳と同じ七歳の時だった。
盛大に祝われたマイロの誕生日の日、それまで一度も妹の生まれた日を祝った事が無い事に気がついたのだ。ぽつんと湧いた両親への疑問。小さな綻び。
遠出から戻った父親がお土産を渡すのもマイロにだけだった。寝る前に母親が髪を梳かすのもマイロだけだった。
マイロは表に出て遊びたがったが両親は許さなかった。遠慮の無い子供に暴力を振るわれたら困るという理由だった。妹には一度も言わなかったが、ナシュカは表に出ようとはしなかった。
両親はマイロに様々な習い事をさせた。楽器や勉学、体操のような運動に乗馬、剣術。妹は黙ってマイロの様子を見ていただけだった。
母親は様々な洋服を買ってきてはマイロに着せ、父親は靴や帽子、着せ替え人形になったマイロを見て嬉しそうに笑った。妹はいつも同じ白の無地のドレスを着ていた。
妹ナシュカは、この家にいないのと同じだった。
絵に描いたように幸福なこの家庭でどんどん膨らんでいった大きな闇。
先に心が折れてしまったのはマイロの方だった。
「アマンダは元気?」
マイロがこの家に古くからいる女中の名前を出すとナシュカはようやく声を出してくれた。
「元気よ、全然変わらない」
はあ、と息を吹き出し手を温めるナシュカ。その様子を見てマイロは尋ねる。
「寒い?じゃあ俺、そろそろ行くよ」
マイロは妹の手を取ると軽く握り、放した。
「……今度はいつ来てくれるの?」
マイロがこの家にいた時には考えられないかわいらしいドレスに身を包んだナシュカを見てマイロは微笑む。
「お前が逢いたくなった時には来るよ」
かわいい妹。この歪んだ家でただ一人愛する家族。
お前を何度この家から連れ去ろうと思っただろうね。
歪んだ父親、歪んだ母親、その二人を棄てられない可哀相な妹。
俺は、そんな妹が大嫌いだ。
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