懐疑2
「おはよう」
家を出るとすぐに、口元に笑みを浮かべたアンジェラに迎えられる。
「……昨日はいつ帰ったんだよ」
「あなたがうとうとしてすぐよ」
眠気から時系列がバラバラになっていたらしい。てっきりアンジェラが帰ってから眠りに落ちたと思っていたのだが。
「起こしてくれれば良かったのに」
女性の前で眠ってしまったという失態からか、昨日の出来事程度で疲れを出してしまったという未熟さからか、マイロは恥ずかしくてアンジェラに当たる。
「起きると思ったのよ」
アンジェラの言葉に胸元の痣を思い出してマイロは頬を赤くした。彼女の口元が見られなかった。
遠くで子供達が遊ぶ声が聞こえる。被さるように響くのは母親の呼ぶ声だろう。昼ご飯に帰るように言っている。
フリュカの家までの道を歩きながらアンジェラが口を開いた。
「昨日、あの後バラック長官に会ったわ」
「あの後?夜中じゃないか」
マイロの驚きにアンジェラがふ、と笑う。
「私達は長官の部下よ。保安省に所属しているのも全てその理由」
暫く首を傾げていたマイロだが、何と無く意味が飲み込めてきた。つまり普通の上司部下では無いということか。どういう関係性か気にはなったが、双子がガーディアンとしては浮いている理由が分かった気がした。
「だから必ず長官はあなたの味方になるわ。安心して。……それに事情を話したらとても乗り気だったわ」
未だに渋る心を見透かされていたのか、マイロは複雑な気持ちになった。一番の理由は自分の心とはかけ離れた場所で事が運んでいるからだったが、ポールを助けるという目的がある以上、協力してもらうのはこちらなのだ。
暫く下を向いて歩いていたマイロだったが、顔を上げると半歩前を歩くアンジェラに声を掛けた。
「アンジェラ」
自分のいたずらからふてくされていると思っていたアンジェラは、声を掛けられた事自体が意外だったに違いない。
「俺は君の味方なの?」
マイロの言葉に思わず目を大きくした彼女だったが、すぐに少し微笑んだいつもの顔に戻る。
「ええ、そうよ」
マイロはほっとしたように息をついた。
「……ポールが君をライバル視するのもわかるわね」
「は?」
「何でも無いわ」
彼女の謎の言葉を頭の中で反復させながら、マイロは長官の屋敷へと歩みを進めた。
「ようこそおいでくださいました」
大きな白い扉の前でにこやかに微笑む初老の男性に「本当に思ってるのか?」とマイロは思ってしまう。そして小さく首を振った。ダメだ。いくら乗り気じゃないとしても彼に当たるのは間違っている。
フリュカの家、保安省長官の屋敷は案の定一般家庭とは違う大きなものだった。日の少ない地域だというのに植え込みが多く、白い建物とよく合っている。
「マイロ様ですね?」
男性に聞かれ、マイロはゆっくりと頷いた。緊張は無かった。しかし妙に懐かしい世界に苛立はあった。
「どうぞ」
と中に案内され広い玄関ホールを抜けた後、廊下を歩く。
「あの家と随分違って、緊張してるんじゃない?」
アンジェラの意地悪な質問にマイロは後ろを睨んだ。彼女はマイロの背景を分かっていて言うのだから質が悪い。
屋敷の中でも一際大きい扉が開けられ、マイロとアンジェラは中に入る。
「マイロ!来てくれたのね!」
白い豪華なワンピース姿のフリュカが駆け寄ってきた。自分の両手を握りしめる少女に、初めて妹の影を見なかったかもしれない。
「フリュカ、座りなさい。……初めまして、マイロくん」
白を基調とした広い部屋によく映える深緑のビロードの長椅子。そこから一人の男性が立ち上がり、マイロに近寄ってきた。
「ヘッデンシュバルツ保安省長官アルフォンス・バラックだ」
言われなくても分かるさ、と思ったが紹介の仕方に面食らう。てっきり「フリュカの父」「屋敷の主」といった自己紹介をされると思ったのだ。目の前の男が今、何を重点に置いているのか示された気がした。
「……マイロです。初めまして」
マイロは厚い武人の手としっかり握手した。蜂蜜色の頭に意思の強そうな翡翠色の瞳、バラックは確かにフリュカの父親らしい。
「娘が大変世話になった。思っていたより随分若いんだね」
バラックの言葉には嫌味を感じない。本心から言っているのだろう。
「デーモンから娘を守ってくれたそうだね。……メイドのサリナが軽い疲労を抱えていたのは知っていたんだが、残念なことをした」
マイロはアルフォンスの言葉に頷いた。この場ではあまり深い話しはしない方がいいだろう。深く肯定するに留めておく。
ふと気が付くとアンジェラがいない。何処へ、と周りを見渡しているとフリュカに手を取られた。
「昼食の準備が出来てるわ!さあ、こっちに来て!」
後ろからバラックの軽く窘める声がするがフリュカは気にもとめずにマイロの腕を引っ張る。
何に興奮しているのかさっぱりだ、とマイロは溜息をついた。
「付いていくからそんなに引っ張るなよ」
マイロが文句を言ってもフリュカからは鼻歌しか聞こえない。こういうのもマイペースというのだろうか。先程の部屋の向かいになる扉を開くとダイニングルームだった。屋敷の大きさにしては小さい規模を見るとプライベートな空間かもしれない。それでも装飾は豪華だ。派手だがセンスのいいシャンデリアと花やレースが散りばめられた光景にマイロは少し目眩がする。薄暗い祖末な家の方が馴れてしまったのだろうか。
「君がマイロくん?」
後ろからかかった声にマイロは振り返る。廊下を歩いてくる一人の青年。年はマイロより少し上、といったところか。
「初めまして、僕はクラウディオ・バラック。フリュカの兄だ」
「ああ……」
言われれば似ている。それにこの場にいるということは家族でしかあり得ないのだが。髪色も顔のパーツも似ているのだが、雰囲気がアルフォンス、フリュカとも違う尖った空気を纏った彼をマイロは「典型的な上流社会の人間」と感じた。握手する右手も細く柔らかい。武人の息子なのに剣の扱いも無さそうだった。
「マイロくん」
アルフォンス・バラックが一人の女性を伴ってきた。こちらは紹介される前から何者なのか分かる。
「妻のマルゴだ」
「マルゴ・バラックです。フリュカがお世話になりました」
にこり、と笑う顔は少女のように可憐で美しい。だが作り馴れた笑顔にマイロは寒気がした。しかしここで空気を悪くしてもしょうがない。マイロは笑顔で受け答える。
「さあ、座って!」
フリュカが席を叩く。マルゴがそれを軽い笑みと共に窘めるが、瞳の奥は冷ややかだ。
久々に胃の痛い食卓に参加するはめになりそうだ、とマイロは苦笑しかなかった。
「……それでこの国は四つの地域に分かれたのさ。僕はそれは正しい判断だったと思う」
「はあ……」
食事も終盤に近付き、肉料理の重さを冷たい水で流し込んでいる段階に入ってもクラウディオの話しは止まりそうに無い。マイロは返事をするのにも疲れてきていた。
バラックの長男クラウディオはお喋りな男だった。それに加えて常に話題が自分中心でないといられないようで、始めこそマイロがデーモンを葬った際の話しや何でも屋としての生活を質問していたのだが、マイロが曖昧に当たり障りなく答えているうち、直ぐに話題の中心は彼になっていった。家族も慣れているのか適当に相槌をうつだけだ。
彼の話題は自分の知識のひけらかしで、余りにも多岐に渡る話題に「この男は本当は何に興味があるのだろう」と考えてしまう程だった。しかもマイロが知っている素振りを見せると途端に機嫌が悪くなる。家族の態度が理解出来るのと同時に、なぜ自分に相手をさせるのか、と恨みに思った。
暖かい紅茶が運ばれてくることで漸く食事が終わることにほっとする。マイロは無意識に素早く飲み込んでいった。
「マイロくんはフットボールは好きかね?」
アルフォンスの言葉にマイロははっとする。カップを置くと静かに答えた。
「ええ、大好きですよ」
アンジェラから事前に言われていた返事をするとアルフォンスは嬉しそうに手を合わせる。
「そうか!なら貴重な資料があるんだが、どうかね?好きな戦術なんか談義するのも面白いと思うのだが」
「いいですね、是非」
マイロは立ち上がるアルフォンスに合わせるように椅子をたった。
来る前は何故フットボールなんだ?と疑問だったが、なんてことはない。クラウディオ、それに女性二人も興味が無い話題だったのだ。
部屋を出る途中、後ろでフリュカが「つまんないの」と呟く声が聞こえた。
アルフォンスと廊下を歩いていると、
「すまなかったな」
と隣りから声を掛けられる。
「……こんなまどろっこしいやり方に、ですか?今の拷問の時間に、ですか?」
「両方だ」
きっぱりと答えるアルフォンスは武人らしい性格だ。何故子供二人はああなのか。母親の影響なのだろうか、と思ったところで下世話な考えかとマイロは首を振った。それにしても、とマイロはアルフォンス・バラックの顔をちらりと見る。見事なまでの二面性を持つ男だ。先程まで家族といた時の顔とはがらりと変わり、今隣りにいるのは間違いなくこの国の武力を統括する重鎮そのものだ。
「こっちだ」
そう言ってアルフォンスは突き当たりになる部屋を開ける。天井まで届く本棚が並ぶ書斎。中央にあるデスクに寄り掛かる人物にマイロは目を細めた。
「何処行ってたんだよ……」
マイロが小声で咎めてもアンジェラは小さく首を傾げるだけだった。
「ナディアは?」
アルフォンスがデスク横にあるソファーに腰を下ろしながらアンジェラに尋ねる。
「町の方へ」
「そうか」
短い会話を終えるとアルフォンスはマイロに向かいのソファーを指差した。マイロは遠慮無くボスン、と腰掛ける。アンジェラが自分の横に座ろうとする姿を意外だと思いながら。自分側の人間であるという意思表示なのかもしれない。
「相棒の男が投獄されたそうだな」
アルフォンスの単刀直入の出だしは大変武人らしい。マイロはどう話しを進めるべきか、と迷ったところですぐに止めることにする。
「そうです」
お喋りは相手に任すことにしよう。マイロは簡単な返事に留めた。
「今の状況だとその男が簡単に釈放されるとは思えない。そこでだ、こちらが彼の逃亡の手筈を整える。代わりに君たち二人が揃った際にはこちらに協力してもらう、というのはどうだね?」
アルフォンスは真っ直ぐマイロの顔を見る。睨むようにも見えるがこれが彼の真顔なのだろう。マイロは暫く思案気に眉をひそめていた。
「……ちょっと待ってくれ。『逃亡』って言ったな?釈放では無いと。……あんた保安省の長官なんだろ?だったら……」
町の警備の全てを担う保安省、そのトップが一人の拘留中の男の身柄もどうこう出来ないものなのだろうか。マイロの疑問の声をアルフォンスは手を振り遮る。
「脱獄犯にしてしまうのは私も本意ではない。これは分かって欲しい。私は自分に出来ることは全てやらせてもらうつもりだ」
「あ……」
マイロはうめいた。つまり、出来ないと言っているのだ。ポールを正式に釈放することは。
暫く額に手を当て眉をなぞる仕草をしていたマイロはふ、と顔を上げる。
「……色々聞きたい事が多過ぎるぐらいだけど、聞くのはポールを連れてきてからにする。で、どうすればいいんだ?」
「ソーン水路に侵入してもらう」
アルフォンスが言うソーン水路とはヘッデンシュバルツ中に張り巡らされた地下水路。気候が厳しいこの地域で生活用水が凍るのを防ぐ為に地下に設けられたものだ。
「タイバーン監獄に繋がっているのはここしか無いからな。あそこは陸の孤島といってもいい」
「タイバーンに入れられてるのか!?」
マイロは思わず声を大きくした。あそこは囚人の中でも刑の重い者が行く監獄だ。死刑囚や一生を牢獄で終える輩しかいない。なぜアルフォンスや双子が協力する、と言ったのか分かってきた気がする、とマイロは爪を噛む。
「ポールは、ポールは何の罪に問われているんだ?」
ポールを連れ去っていったガーディアンの男は『アダムを探っていた』と言っていたが、それだけで重犯罪者扱いはおかしい。アルフォンスはマイロの質問に大きく息を吐いた後、ゆっくりと口を開いた。
「……彼には『神の加護』がある。これで大体分かるかな?」
マイロは眉間に皺寄せアンジェラを見た。アンジェラは陶器のような美しい顔を崩す事無く押し黙っている。
「要するに邪魔ってことか」
「そういうことだ」
アルフォンスははっきりと頷いた。マイロは大きく溜息をつく。
「……あんたには文句も言いたいけど、今は協力感謝する、って言っておくよ。ポールを何とかしたいのは俺の方なんだ」
マイロの言葉にアルフォンスは満足げに目を細めた。
「出発は早い方がいい。明日でもいいか?それまでにこちらも準備を整えておく」
「俺は今からだって構わない」
「まあそう急ぐな。内部の情報やら警備の人員を削るなんて手回しも必要だろう?」
アルフォンスがにやりと笑う。確かにそうか。マイロは頷き返した。
アルフォンスは立ち上がるとアヴァロンの短い日中が終わってしまった窓の外に目をやり、カーテンを引いた。
「今日は泊まっていったらどうだ?」
「いや、いいよ」
マイロはあくまでも遠慮するように答える。本音は昼のような夕餉の時を迎えるのがまっぴらだったからだが。
「ならうちに泊まる?」
横からのアンジェラの声にマイロは慌てて振り向いた。
「……なんでだよ!」
「あなた達の家、今はもう警備隊が押し寄せてるはずよ」
アンジェラからの返答にマイロは言葉を失った。そして思い出す。アンジェラが言った自分も要注意人物に挙げられているという事を。
「どうするの?」
アンジェラは無表情に問い返してくる。
「……遠慮しておく」
マイロは呟くように言いながら胸元の痣を摩った。アルフォンスがふふ、と笑いを漏らす。
「マイロ君だって男の子なんだぞ?あまりからかうな。……やっぱりうちに泊まっていきなさい」
アルフォンスからの正直助け舟と思える提案に、マイロは渋々頷いた。
マイロが泊まるという事に喜んだ顔を見せたのは、やはりフリュカだった。手放しで喜ぶ妹の横でクラウディオは話し相手なら誰でもいいのか、どこか楽しみな様子を見せマイロを不安にさせた。母マルゴはいつも通りの微笑みをたたえたままだったが、興味が無いという空気を嫌という程感じ取れた。
マイロは宛てがわれた部屋のベッドに横になりながら、天井をただぼんやりと眺める。昼食から久々に豪勢な食事を詰め込んだからか、もうすぐ夕食だと言われても入るかどうか心配だった。
真っ白な天井にランプ傘の金の装飾が反射する。磨き込まれた窓といい手入れは毎日のように行われているのだろう。
サリナというメイドはこの屋敷で、どんな暮らしをしていたのだろう。デーモンと対する時は嫌という程冷徹になれるマイロでも、故人の生活の場に触れると考えてしまうのだった。
アルフォンスは『サリナは軽い疲労を感じていた』と言っていた。ポールの言葉を思い出す。
『厳しい状況になってきた』
今までデーモンに食われるものが精神疾患者と認定されるような状態だったとすれば、確かに酷い悪化の仕方だ。これからは爆発的にデーモン化する人間が増えてもおかしくない。
では何故、なぜこんなにも状況が変化した?
マイロは頭を振るとベッドから起き上がり、窓の外を眺める。
考えてもしかたがない。答えなど降ってはこないし、既に自分の周りは動き出してしまっている。それはまるで、家から出たマイロの時が漸く流れ出したかのようだった。
腹熟しに、と庭に出たはいいもののどの方向へ行けばいいのか、マイロは迷っていた。すっかり日が沈んだ藍色の空に妹の顔を思い出す。今晩は行けそうにない。いや、暫くは無理だろう。
何が逢いたくなった時はいつでも、だ。
マイロは自嘲した。そもそもナシュカに会いに行くのは自分の罪悪感からだけだった。自分の自由と引き換えに妹をあの家に差し出したのだ。
こんなにも吐く息は白いのに健気に咲く花を仰ぎ見る。
「公園で見た花と同じだ……」
思わずマイロは一人呟きを漏らした。フリュカと出会った公園に咲き乱れていた落葉樹につく白い花。チラチラと舞う花びらはまるで雪だ。年中雪がちらつくこの地域ではあったが、神秘的な雰囲気を醸し出す木に目を奪われてしまった。
不意に聞こえてきた争い声にマイロは肩を震わせる。聞き覚えのある声だ。若い男女の言い争い。子供の騒ぎ声にも聞こえるような深刻さは感じないものだったが、気になったマイロは声の方向へ近づいてみることにした。
屋敷の角から覗き込むと裏庭にあるテラスの前で、ぼんやりとした明かりを受けながらフリュカと兄クラウディオが何かを言い争っている。クラウディオがからかうように何かを言うたびにフリュカがムキになって言い返している光景は、他愛ない兄弟喧嘩にも見える。が、クラウディオの声の一部が漏れ聞こえてきた時、マイロは面食らってしまった。
「イキオクレのくせに」
行き遅れ?マイロは眉をひそめる。フリュカのことを言っているのか?どう見ても自分と同年台の少女に言う言葉としてはズレている。昔ならいざしれず、今十代で結婚を焦る人間はいないだろう。しかし、それを受けたフリュカの顔は初めて見るものだった。
天真爛漫、浮世離れした空気を持つフリュカの初めて見る負の表情。泣き出しそうな、爆発する怒りを押さえるようにも見えるフリュカの顔に、マイロは思わず目を逸らしてしまった。
- 6 -
*前次#
ページ:
ALICE+