懐疑



寒空の下に立つカカシの家はいつも以上におんぼろに見える。一人で帰ってきたという孤独からかもしれないが。
ポールも災難だったんだ。本当に片付けてやってもいいかもしれない。共同スペースである居間を散らかすのはいつも彼なのだけど。
そんな事を考えながらマイロは玄関の扉を開けた。ぼんやりと明かりが燈る室内に息が止まりそうになる。
「あ、やっと帰ってきた」
こちらを振り向く少女の金髪がふわりと揺れた。
「……勝手に入るなよ」
暖房が着いていないせいかファー付きのコートを着込んだままの少女、フリュカをマイロは軽く睨みつけた。
「そんなに怖い顔するなら鍵つけときなさいよ」
フリュカは頬を膨らます。別に勝手に入られたことはどうでも良かった。自室には鍵がついているし、キッチンや居間は盗られるような物は転がっていない。女の子が一人、こんな汚い家によくいられるな、とは思ったが。それよりも、とマイロはコートを脱ぎながら少女を見た。
妹ナシュカかと思ったのだ。背格好も髪型もよく似た少女に妹がついに家を出て来たのではないかと一瞬でも思ったことを、マイロはひどく不快に思った。なぜそんな事を考えてしまったのだろう。
「で、どうやってここまで?」
マイロが聞くとフリュカは嬉しそうに微笑む。
「酒場、っていうの?あなた達みたいな人が集まる所。そこで聞き込みしてきたのよ」
そう言うフリュカはとても誇らし気だ。確かに彼女のようなお嬢様がやることにしては勇気ある行動だ。
「竜のマークが架かった所で聞いたら一発だったわ。あなた有名人なのね」
「……銀竜亭?」
「そんな名前だったかも」
時系列的に考えてマイロ達が来店する前には聞き込みがあったはずだ。一言言ってくれればいいのに、とマイロはマスターであるランスの顔を思い浮かべた。
「何か用があって来たんだろ?」
マイロはシャツを脱ぐとソファーに投げつけた。フリュカが上半身裸になったマイロを見て目を見開くと、頬を赤くしながら睨みつけてくる。
「……悪い」
慌ててマイロは椅子にかけてある部屋着を取ると、素早く着込む。どうやらポールのだらし無さが伝染ってきているらしい。
「躾がなってないわ!」
フリュカは怒りながらソファーに体を埋める。が、すぐに身を起こす。
「うちのお父様があなたにお礼を言いたいんですって」
「あんたの親が?」
マイロは暫く考え込む。
何処の金持ちか知らないが、何でも屋風情にわざわざ礼を言いたいとは。普通なら有り難い話しだが、マイロには余計でしかなかった。
「……それでわざわざ娘が来たわけ?あんたまた勝手に家出て来たんだろ」
マイロが言うとフリュカは視線を反らす。どうやら図星らしい。
「で、でもお父様が会いたがっているのは本当よ」
「娘が夜中に忍び込んでる家の人間だと分かれば、良い顔はされないだろうね」
言い返されることが気に食わないのかフリュカは口を尖らせた。
「あなた達『何でも屋さん』って、モンスター退治なんかが仕事なんでしょ?だったらうちのお父様に会って損は無いわよ。うちのお父様は保安省の長官なんだから」
「本当か?」
マイロは思わずきつい口調で尋ねてしまった。フリュカも驚いたようで目をぱちくりとさせている。
「ほ、本当よ」
マイロは再び思案の為に黙り込んだ。
現在の保安省の長官は確かバラックという男だ。マイロは実家にいる時代、会った覚えのない名前にどうするべきか迷う。囚人の管理を担う保安省に近付いておきたい気持ちはある。が、もし自分を知っていたら?あのガーディアンの男が知っていたぐらいだ。可能性は充分過ぎるぐらいだ。
「……悪いけど」
「会ってあげなさいよ」
扉からした声にマイロは言いかけた言葉を引っ込め、振り返った。

「会っておいた方が良いんじゃない?」
「アンジェラ」
マイロはこちらに向かってくるガーディアンを見て驚いた。来ることは分かっていたが、彼女が今の話しを勧めてくるとは思わなかったからだ。アンジェラのブーツのヒールが木造の床を踏み鳴らす音が妙に響き渡った。
「あなたガーディアンね?あなたからも言ってやってよ。この人、昼間も家に来るの嫌がったのよ」
フリュカが言うとアンジェラは微笑む。無邪気な少女を嘲笑うようにも見えた。
「ポールの事も何とかなるかもよ?」
アンジェラはマイロの隣に腰掛けると、「でも」と渋るマイロの口を指で押さえる。
「バラックは平民出身の長官よ」
小声で囁かれ、マイロは息を飲んだ。つまりマイロとは顔なじみは無い、と言いたいのだろう。アンジェラはガーディアンだ。ガーディアンが所属する保安省の長官といえばアンジェラの上司ということになる。ある程度の確証はあってのことかもしれない。
マイロは額に手を当てると眉をなぞるように触る。つまらない癖の一つだった。
「……わかった、行くよ」
「本当!?じゃあ明日の昼には絶対来て!うちの場所はね……」
声を弾ませるフリュカをアンジェラが手で制した。
「私が知っているから、大丈夫」
「ならお願いするわ。きっと来てよ?」
フリュカがマイロの手を取り、振り回す。マイロは静かにそれを押さえると首を振った。
「行くつもりが無いならここで断ってる」
マイロがはあ、と息をついてもフリュカは一人はしゃいだままだ。昼間会った時も思ったことだが、彼女の中だけで世界が構成されているような、独特の雰囲気を持っている。それは妹ナシュカとは正反対の性格といえた。
「じゃあ、私帰るわ」
フリュカが立ち上がり、手袋をはめる。
「送っていこうか?」
マイロは流石にこの時間に、少女一人で歩き回らせる気にはなれずに席を立った。しかしフリュカはブンブンと首を振る。
「大丈夫よ。だって一人でここまで来れたんだし」
自信の理由になっていない答えにマイロは少々わざとらしく息を吐くと、首を振った。
「昼間、デーモンに襲われたのをもう忘れたのか?そんな向こう見ずじゃ、あんた命がいくつあっても足らないぜ?」
「大丈夫だったら!お客様が来てるのに家を空ける方が変でしょう?」
フリュカはアンジェラを指差す。ムキになって反論する様子を見ると、マイロの言い方が少女の性格上、気に食わないものだったにちがいない。
面倒な、とマイロは腕を組んだ。アンジェラが溜息と共に立ち上がった。
「……衛兵を呼ぶわ」
その言葉にフリュカは慌てだす。
「こ、困るわ。その……」
「大丈夫。家の前まで送らせたら、中には報告しないよう言いつけるから」
家人に言い付けられることを一番避けたいフリュカの意思を、アンジェラは分かっているのだ。
そのまま返事も聞かずに玄関を出ていくと、指笛を鳴らす。暫くすると、この辺りを巡回していたのであろう衛兵がやって来た。
紺色の制服に大きな盾、スピアを携えた男はアンジェラの指示に一瞬、「はあ……?」と怪訝な顔をしたもののすぐに頷く。ガーディアンは特殊部隊だとはいえ衛兵達から見れば目上の人間だ。かしこまった様子で、
「わかりました」
と言うとフリュカを見た。
「さあ、家の前まで送っていきます。参りましょう」
フリュカは少し困った顔をするが仕方ない、といった様子で玄関に向かう。流石に断れなかったらしい。
「じゃあ、明日の昼にね」
フリュカが壊れかけた門の前で手を振った。マイロは組んでいた腕をほどくと手を振り返す。
「もう一人で出歩くなよ」
偉そうだが、いちいちこんなやり取りをさせられては堪らない。マイロは去っていく二人が街灯の魔法の光に照らされながら小さくなる姿をある程度見届けると、表の寒さに身震いしながら扉を閉めた。

「で、バラックっていうのはどういう人物なんだ?」
「可愛い子ね」
マイロは自分のした質問に全く合わないアンジェラの言葉に、一瞬自分の声が聞こえなかったのかと思った。
「……バラック長官はね」
続けて話しだすアンジェラに「聞こえてたんじゃないか」と文句を言うが流されてしまった。
「さっき言ったように平民出身の珍しい武官よ。考え方も革新的といっていいかもしれない。だから敵は多いわ」
「……あんまり仲良くしたくない人物じゃないか」
これ以上ごたごたを増やしたくないマイロはその説明に顔をしかめる。アンジェラは「そう?」と言って笑った。
「あなたと気が合うと思うわよ?今必死になってデーモンの大量発生の原因を探ってる人だから」
アンジェラの言葉をマイロは暫し考える。国の中心の、しかも武力を纏める立場の人間なのだから当たり前じゃないか。やってもらわないと困る。だが、アンジェラは自分と気が合うと言ったのだ。
「それって、つまり……君たちも『止められてる』の?その、発生原因を探るような動きを取るのを」
マイロの質問にアンジェラは黙って頷いた。自分で聞いておきながら驚いたマイロは声を失う。暫くしてソファに身をあずけると、天井を見る。今の話しだと保安省長官よりも大きな力を持った人物が、動きを止めているということだ。それは誰?王室の人間?いや、今の国王にそんな力があるとは思えない。しかしアンジェラはマイロと同じ、原因究明の動きを求めているという事だ。そして国の中心部でも同じように不気味な流れに抗っている人間が一人。そのバラックに会わせようということか。
マイロはふう、と息をつくと立ち上がる。双子の中でも感情が感じ取りやすいと思っていたアンジェラも、やっぱり何を考えているのか分からない。ポールを頼るならまだ分かる。しかしポールや双子に比べれば力の劣る自分に何を求めているのだろう。
マイロはテーブルの上のピッチャーを手に取るとコップに牛乳を注いだ。
「……飲む?」
「いただくわ」
予想外の答えにマイロは少し慌てた。綺麗なカップを取りにキッチンへ戻る。洗い物は主にマイロがやるため食器は綺麗だが、この家の様子を見てアンジェラが不快に思っていないか、初めて気になってしまった。


マイロは寒さで目が覚める。固くなった体を起こしながら周りを見回すと、目の前に空になったコップが二つ並んでいる。ぼんやりとする頭を振ると漸く居間で寝ていたことを思い出した。家に一人になった開放感からか、初めて自室でなく居間のソファーで寝てしまったのだ。体にかかった自分のコートを見る。うとうとしながら体に掛けたことは何となく覚えていたが、こんな格好で寝るなら自分の部屋に戻ればいいのに、と自ら思う。
再び前にあるローテーブルに目を移した。昨日はアンジェラと牛乳で乾杯という不思議なことをしたのだった。その行為にも、アンジェラがそれに付き合ってくれたという意外な展開にも、今更になって妙に気恥ずかしくなってしまい、マイロは無意味に周りを見渡した。
部屋の中は真っ暗だ。しかし寝ていた感触から多分早朝だろう。痛む腰を伸ばすとマイロは立ち上がり、自室へと戻る。
部屋に戻ると窓のカーテンを開けた。やはり朝になっている。薄雲に覆われた太陽が申し訳なさ程度に日の光を放っていた。
マイロは大きく息を吐く。今日は忙しくなりそうなのだ。一人になった事は天からの授かり物と解釈して、珍しく豪勢な朝食を取るのもいいかもしれない。キッチンにある残りものを思い浮かべながら一先ず着替えることにした。
上に着たシャツを脱いでふと鏡を見た瞬間、息が止まりそうになる。
「……あの野郎」
鎖骨の下、シャツを着れば見えないと思われる微妙な位置に残る赤い跡。アンジェラだ。大人のいたずら、というものなのかもしれないがひたすら迷惑な彼女の印に、マイロは顔を赤くしながら奥歯を噛み締めた。

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