呼吸の簒奪者
思えば俺の時間は五年前のあの日からずっと止まったままだったんだなと、お前と再会したときに気づいた。たとえば、ハウスを出た日、星命学やアバランチの存在を知った日、初めて人を殺した日。そんな日の夜は、お前が夢の中に会いにきてくれた。お前は黙して語らず、ただ隣に在った。いろんなことの重圧に押し潰されそうな俺を、沈黙で慰めるかのように。二度と戻らない過去のなかで、お前は確かに俺の最愛だった。
呼吸の簒奪者
一身上の理由で、兎にも角にも神羅が憎くて仕方ない。神羅が困ることならばなんでもいい。プロパガンダでも窃盗でも爆破でも人殺しでもやってやる。
その思いでアバランチに入って、生まれて初めて銃を手にした。そいつで初めて人を殺した時のことは今でも鮮明に覚えている。乾いた銃声。硝煙の匂い。指先から全身を駆け巡る反動。吐き出された空薬莢が床に落ちるのと、目の前の標的が床に倒れ込むのはほぼ同時であった。
俺が放った弾丸は、正確に敵の急所を貫いた。俺のフォローについていた古株のメンバーが「いい腕だ」と告げる。刹那に俺は銃に対する恐ろしさと頼もしさを知った。銃を握る手は恐怖心で震えている。それを誤魔化すように乾いた笑いを漏らした。
星命学は心の拠り所のようなものだった。生命は星を巡り、循環する。俺が殺めた無数の命もまた、新たな命としていつかこの世に生まれてくるのだ。そう思えば、神羅の人間を殺すことに対する罪悪感は薄らいでいくような気がした。自己中心的で卑怯な考え方だが、そうやって無理矢理にでも納得させなければ、到底耐えられなかったのだ。
俺が加入して間もない頃のアバランチは、今よりもずっと力を持っていて、武力衝突にも積極的だった。そういうドンパチが頻繁に勃発するような状況であったから、俺もまた手当たり次第に作戦に参加する。何人殺したのかを数えるのを諦めて、ようやく引金を引くことに躊躇しなくなった頃。
『その瞬間』は唐突に訪れた。
七番街スラム外れの廃倉庫にて開かれる定期集会に参加し、次の作戦についての打ち合わせを終えて解散。七番街スラムにある自宅に向かって帰路についていたときのことだ。
集会自体は当初一時間程度を予定していたようだが、アバランチの中でもしばしば対立しがちな穏健派と過激派、それぞれの派閥による議論は白熱化し、終わる頃には深更に及んでいた。よくあることだった。国家レベルの組織に対抗するレジスタンス集団に属するような人間なんて、血気盛んで主張の強い奴らが大半だから。
そういうわけで、明日は表向きの仕事である自警団の当番があり、朝もそれなりに早いのにな、などと思いながら、
ふと、意図的に隠された人の気配を感じた。つけられている。すぐにそう思い至る。
人数は恐らく三、あるいは四。囲まれているだろう。俺が歩みを進めれば進めるほどそれらの気配は濃くなってきて、この時間であってもそれなりに人通りのあるメインストリートに入るまでには片をつけるつもりだという意図がとってわかった。
神羅ならばアバランチ相手にこういうやり方はしない。向こうは自分が絶対的正義だと思い込んでいるから、コソコソやる必要がないのだ。奴らは真っ向から武器を構えて突撃してくる。それにわざわざ解散してから俺一人を狙ってくるというのも不可解だ。今回の集会には俺よりもずっと立場が上の、それこそ命を狙われてもおかしくない主要メンバーがいた。
結局、思索に結論が出ないまま、いや、結論が出ない故に、俺はやつらを相手取ることにした。衝突を避けたとて、今後何度も同じ状況に陥るのを危惧しながら生活を送るのなんて御免だった。なによりも目的と正体を明らかにしたかった。明らかにした上で、命が狙われる原因として明らかに俺に非があると認められるような、つまり情状酌量の余地があれば命までは取らないかもしれないが。
だが俺にはやり遂げなければならないことがある。いかなる理由であっても、おいそれと命を差し出すつもりはない。命を狙うものは同じく奪われる覚悟を持って然るべきだ。
ホルスターに収納されている銃のグリップに手をかける。それが合図だと言わんばかりに、奴らの気配の一つが急激に近づいてくるのを察知した。
直後、銃声が夜のしじまを破った。
「っ……くそ! 挨拶もなしかよ!」
やはり目星をつけていた位置から弾丸は飛んできた。三発、立て続けに放たれた弾丸の精度は、良くはないが最悪というほどでもない。それらを避けて、近くのコンテナに身を隠す。
さあ、ここからどうする。
長く息を吐く。それから吸う。決して呼吸を乱したり止めたりしてはならない。酸素が行き届かない脳は判断力を鈍らせるからだ。それから、五感を研ぎ澄ます。14時の方向の物陰から砂利を軋る音。自身が今身を隠しているコンテナの向こう側に感じる息遣い。そのさらに奥から撃鉄を起こす音。
分かる範囲でまずは三人。多分、射撃の腕だけで比べるなら俺の方が一枚上手だ。いけるか。
14時方向にいる一人目がこちらを撃とうと頭を出したところを仕留める。こちらは身体は出しすぎないように。発砲直後、短い断末魔が返ってくる。そのままコンテナの上に乗り、仲間の被弾に気を取られている様子の、奥にいる二人目を片付ける。コンテナの真下に屈んで張り付いている三人目は、敢えて急所を外して一発食らわせ、こめかみに銃口を当てたまま羽交締めにする。万が一、四人目がいたときのための盾かつ人質として。あわよくば口を割らせるつもりだった。
「ぐぁっ……」
「さあ、お仲間の二人はやられたぜ。答えてもらおうか。お前ら、どこの誰だ?」
俺の問いに、そいつは舌打ちをするのみで答えようとはしない。締め上げる腕に力を込めてみる。苦しみ喘ぐ声がより一層大きくなった。
「なぜ俺を狙う? 目的は?」
「し、知るか……!」
知るか? こいつらが直接的な恨みや命を狙う理由をもって俺を狙っているわけではない、ということだろうか。俺の死を望む張本人は別にいて、こいつらはそいつによる差金──殺し屋かなにか。
「お前ら、誰に雇われたんだ」
「……呑気に聞いてる場合か?」
「なに?」
腕の中の男は、痛みに冷や汗を滲ませながらも、余裕ありげに笑みを浮かべる。次の瞬間。
「!?」
視界の端で、鈍く光るなにかを捉えた。軌道は音もなく真っ直ぐとこちらへ向かってくる。──まずい。そう思った時にはもう遅すぎた。不意を突かれて腕の力を弱めたところを、すかさず男がすり抜けて脱出していく。最早、それを止める余裕などなかった。
鈍く光るなにかの正体は、刃物の切っ先であった。刺客はもう一人いたのだ。状況を理解して、それからようやく視界にその刺客を捉える。
息が詰まる。
「#ロゼ#……」
そのまま大気に紛れて消え行きそうなほど、小さく掠れた声で呟く。眼前に差し迫るその人は、俺が長年探し求めていた尋ね人だった。
脳裏を去来するのは、かつて幼少期に過ごした孤児院と、そこで共に住まう彼女の姿。五年前、突如として消息を絶った彼女が、いま、目の前にいる。瞬間、あの日から止まっていた時間が、秒針が、再び時を刻み始める音がした。容姿の細かな経年変化は見てとれるものの見間違えるはずがない。
彼女は俺の、俺の──。
「#ロゼ#!」
今度ははっきりと口にする。このまま彼女に切り刻まれるかも、なんてどうでもよかった。吸い寄せられるかのように、自ら彼女へ向かって一歩踏み出す。ダガーの刃先が僅かに首の皮膚を突き破り、数ミリ肉に埋まっていく感触がした。痛みはなかった。
彼女は自身の得物と同じくらい鋭く冷たい瞳を、僅かに見開く。収縮した瞳孔は俺の姿をしっかりと反射している。それから、俺の頸動脈に向かって滑らせようとしていた刃の動きを引っ込めた。
「だれ」
「#ロゼ#、ああ、お前なのか」
「エックス! なにぼさっとしてんださっさと殺せ!」
背後で男が叫ぶ。彼女は後退し、距離をとって獲物を構え直す。だがその表情には明らかな焦りや苛立ち、動揺が見て取れた。俺を殺すことを躊躇しているんだと気づいたとき、背骨のあたりが溶け出して力が抜けていくような、なんともいえない安堵を覚えた。死を回避したからではない。俺に『だれ』と問う彼女が、その心、あるいは記憶の片隅のどこかに俺を残していて、故に殺すのを躊躇したのだと確信したからだ。やはり目の前の人は#ロゼ#だった。
「くそ、素人一匹潰すだけにどんだけ手こずってんだ! どいつもこいつも使えねえ!」
男が背後で銃を構える気配がした。直後に、目の前の彼女は姿を消す。俺の真横を夜風と共に影が通り過ぎる。聞こえてくるはずの銃声は、いつまで経っても鳴ることはなかった。
呆然として、緩慢な動きで背後を振り返れば、男は首を掻かれた状態で既に事切れていた。傍にはそれを見下ろすように静かに佇む彼女がいた。
血溜まりの上、スラムの太陽の光を背後に立つ彼女は、五年前と変わらず綺麗だった。
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