私はこれでも一応僧の肩書きを背負ってはいるが、それでも神社への参拝をすることもある。
仏教なんて元はお隣から伝わった外の法なのだから、日の本に既に根付いていたものを蔑ろにする気は全くない。
陸路の安芸を抜けて因幡出雲に。その前に厳島の大きなお社を拝んでから行くのも悪くない。ついでに、かの有名な智将にご挨拶もしておくか……いや、きっと梅雨で機嫌は悪いのだろう、通り抜けるだけにしておくか。
そう思って笠を深く斜めに被り、雨でぬかるむ道をのんびり歩いていたら、国境であっという間に囲まれて問答無用で城に連行されてしまった。なんでこうなった。
「面を上げよ」
恐ろしく温度のない声で命じられ、上座に腰を下ろしている冷たい切れ長の眼の男をじろり見る。
男はむすっとした面で気怠そうにゆっくりとまばたきした。案の定の機嫌の悪さである。
「まったく御大層な歓迎で、毛利様」
「駕籠は快適であったであろう?」
「中であちこちぶつけて痣をこさえましたよ」
「貴様の軟弱が悪い」
「はァ、左様でございますか」
私から言わせてもらうと、婆沙羅だか何だかとかいう不思議な力を持っている方がおかしいのだ。私の耐久は一般人と何ら変わらないはずである。
この御仁はこちらの上辺だけの返事には意も介さず、勝手に話を進めようとするので困る。
皮肉も世辞も全て眉一つ動かさず平然と聞き流し、何が何でも場での主導権を頑なに握り続けるこの男が、私は少々苦手であった。
「貴様をここに呼んだのは他でもな」「お断り申し上げます」
「遮るな。貴様に一つ仕事をくれてやる」
「いりませぬので結構です」
「近頃長雨続きで久しく日輪を拝めておらぬ。故に尼入道、貴様がこの空を晴らせよ」
「御無理を仰いませんよう、私ただの人間でございます故。その手のことは祈祷師にでも拝んでもらいますよう。それではこれで」
「是とするまでこれは返さぬ」
す、と得意気に掲げられたのは私の旅道具である鑿一式を仕舞った袋だった。無銘だがよく手に馴染み扱いやすい鑿の形違いを箱に数本入れており、袋には今生では木瓜紋が入っている。
その紋を見て毛利が一言「貴様、根無し草ではなかったか」と呟いた。
別段それに深い意味はない、あの魔王がただの気まぐれで私に投げよこしたものである。
下賜されたものを捨てるわけにもいかないので使っているのだが、毛利は私が家紋を拝領したと認識したやもしれぬ。
実際はこの男の言うとおり私に下ろす根はないので、そんなことは全くないのだが。
奪われてしまったのなら、他を見繕う。それが駄目なら『今回』はさっさと終わらせて次へ行ってしまえばいいだけのこと。
私は平生どおり薄ら笑いを浮かべてかぶりを振った。
「まあまあ、なんとお手癖の悪い。しかし私、大して困りませんよ。物には執着しないたち故、また別の物を揃えるまで」
「貴様、これを見捨てるということは織田を見捨てるということか」
「そう話を飛躍させますな。この尼入道、元より一ツ処に下ろす根などありませぬ。旅の道中で織田に与した覚えもなし。それが欲しいのなら献上いたしますので」
「……」
毛利の細い目がさらに鋭く細められる。
わかっている、この男はその袋など必要ではないし中の鑿も言わずもがな。ただ空を晴らすことさえできれば良い。
しかし天を動かすなんて神でもあるまいに、そんな無理難題をわざとふっかけてくる程度には参っているのだろう。
人に空を動かすことなどできはしない。故に神に乞うのだ。
「私のような尼僧よりも、常日頃より日輪を崇める毛利様の方がよほど空を晴らせましょう。きっとそのお力があるはず」
ちらと、襖を見遣る。
向こうの廊下の戸の外は、雨。
私はここから出る算段を考えていた。姿を眩ませるには、この雨の間が良い。
降り止めばそこで毛利の希望は叶うのだからそれはそれで良いが、下手に逃げ出せば降り止んだ後に恐らく追っ手でも寄越してくるだろう。
ここはなるべく穏便に済ませたい。波風立たせずこの城を脱し、それから眩ませるのが良いだろう。あと一押しか。
詭弁のために口を開く。
しかし、僅かに毛利の方が早かった。
「つまり、貴様を贄に天に祈祷すれば、我が天を晴らせるということか」
「……なに」
「尼僧である貴様のことだ、その霊験ある身を奉ずれば日輪も姿を現そうもの……試してみるか」
ここにきて初めて、毛利元就は口を小さく歪ませてみせた。その目は相も変わらず冷え切っている。
やりかねないというよりは、実行できないことを口にはしない男なのだから、やると決めたらやるのだろう。
冷や汗こそかかなかったが、自分の立たせてしまった『フラグ』の存在にはさすがに気が付いた。それに久しぶりだ、この私がまだそんな言葉を覚えていたなんて。できることなら思い出さずにいたかった。
……こんなことなら、挨拶など考えずに真っ直ぐ出雲へ行くべきだった。
「どちらでも良いぞ、『尼入道』。貴様が自力で晴らすか、我が貴様で晴らすか……選ばせてやろう」
そんなもの、どちらも死亡フラグではないか。ぐっと鳴る喉を押さえる。
「どうした、早く返事をせぬか」
この、さも不思議そうでいて実際何の色も浮かんでいない冷めた声ときたら。
渋々、本当に全く渋々ながら、私は手を揃えて頭を下げた。
「……この尼入道、謹んでお受けいたします」
厳島にて
空を晴らす方法など皆目見当もつかないが、どうにかして晴らさなくては……殺される。
自分で選ぶのと他人に強制されるのとでは、同じ死でも勝手が全く違う。不本意すぎる死は避けたいのが心情だが、この際もういつ死んでも大差ないのでは。
どうしたものか額を床に押し付けたまま悩む私に、毛利の「期限は三日とする」という非情な追い打ちが掛けられた。……そんな無茶な。
(2015 12/30) 【
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