「……こうして、青年は冥銭を全て揃えることができ、三途川を渡る父の背を笑顔で見送りましたとさ。……おしまい」
「うおおおおお!! 其大変感動いたしましたぞ円拝殿!!」
「お喜び戴けて何よりでございます」
「もう一度初めからお頼み申す!」と人懐こい笑みを浮かべながら、人慣れしすぎた犬のように今にも飛びかかりそうな赤い若武者を、こちらも「かしこまりましたので落ち着かれますよう」と手のひらを向けて仰け反る。
すぐに彼の影が降り立ち主を引き剥がしに掛かるが、なかなかに勢いが強くて引っ張られている。おかげで私はすっかりその若武者と忍の下敷きになってしまった。
「……つられるとはまったく、猿飛様はまこと人の影でございまして」
「いやはや、面目ない」
言葉のわりにはへらへらと笑って態度が軽い忍である。心ないことを言う、さすが忍はずるいものだ。
なんとか這い出ると、彼の君たる真田幸村はすぐに姿勢を正して非常に期待に満ち溢れた輝かしい面で私の『お話』を聞く体をとった。仕方がないので、私ももう一度同じ話を聞かせる。
甲斐の国に立ち寄ったのは、陸奥の国へと行く道すがらだった。
北へと進むのは、恐山へ修行でもと思ってのことである……というのは建前で、本音はとある武人がどうやら西のあたりをふらふらしているらしく、その人物から少しでも遠くに離れたかったためである。
どうせ北上するのなら知っている顔を拝もうと思うのもまた道理、武田信玄公は快く私を上田城に迎え入れてくださった。
そして、城下にて物資の調達や情報収集とお寺へご挨拶に行こうか、と貸し与えられた部屋を出た先で、真田に捕まってしまったのだった。
「ある貧しい村に、一人の青年がおりました。彼は村で一番、信心深く善行を積んだ若者でした」
「うむ、きっと徳も高いのでござろう!」
ふんふんと力強く頷きながら私のお話に耳を傾ける真田のことは嫌いではない。
私と違って日の下を堂々と駆ける彼はまさに虎の若子であるし、私の時間が掛かっているわりには一向に上達する兆しのない棒術と違って彼の槍の扱いぶりは目を張るものがあって素晴らしい。
「そんな彼もときには、病に伏した家族の者をいかにして救うか悩んだり、領主の悪政を仲間とともに苦しんでは、その度に皆に支えられながらなんとか善を保って生き抜いてきました」
「よくぞ、よくぞ耐えられた!! 偉い!」
何より、この青年はいつだって生きるのにひたむきでまっすぐで、輝いている。その身が暗い水底へと沈んでいっても、きっと自分の力で這い上がって何度でも立つのだろう。周りの者も進んで彼を助けるために身を投げ出すだろう。純粋で力強い勇猛果敢な若い虎である。伸びしろがあるのは、純粋に羨ましい。
……けれど、きっと私がしんだところで、また。
もう何度語り聞かせたかわからないお話を、真田は好んで何度も聞かせてくれとせがんでくる。
それが可愛くないこともないので、初めは戸惑った話し聞かせも、今はなめらかに唇から紡いでいく。この若者はいつだって、私のお話を初めて聞いたかのように楽しげに聞いてくれるから。
「ある日、彼は大雨で氾濫した川に呑まれた父を助けるために荒れ狂う川に飛び込みます。目の良い彼は父を見つけると、しかと両腕で抱えました。けれども彼が必死に浮き上がり川面に顔を出したとき、彼の腕には何もなく、また見知らぬ川に身をたゆたえていたのです」
「なんと!」
「どこを見ても陰鬱な暗い川辺に上がり、青年は父を呼びながらさまよい歩きます。次第に体も冷えてきて、青年は震えながら懸命に父を探しました。やっとのことで見つけた父は『金をどこかで落としてきてしまった、おかげであの世に行くこともできない。おまえまでこんなところに呼んでしまって、ご先祖様に申し訳が立たない』と真っ青な顔で啜り泣きます」
当然だが、これは私の作り話である。元はもう少し単純だったような気がするが、何度も繰り返すうちにあちこち尾鰭を足してしまって長いお話になってしまった。
それでも飽きずに真剣な顔をして聞き入ってくれる真田のためにも、私はますます得意になって聞かせるのだ。
けれども、半目をした子守は何遍も聞いて飽きているらしく。
「その青年が親父のために密林に行ったり池に沈んだり山登ったりして六文銭集めて、最後は笑顔で父親を見送ってお家継いで終わりでしょ、ハイ! めでたしめでたし!」
猿飛は強引に割り込んでくるなり「ちゃんちゃん!」と手を打ってしまった。
これもいつものことなので、苦笑いをしてしまう。遮られて怒るのはいつだって私でなく真田だ。
「さ、佐助! どうして勝手に最後まで話してしまうのだ!!」
「えー、だって旦那これ尼法師サマ来る度に聞いてんじゃない。さすがに展開覚えちゃうでしょ、普通」
「俺は円拝殿が話し聞かせてくださるのを楽しみにしていたのだぞ……! ええい我慢ならぬ! 佐助ぇえ! 表に出よ!!」
「ええー」
二人がやいのやいのと揉め出したので、私はその隙にと立ちあがる。
急ぎではないけれどもそろそろ町へ向かいたいのも事実である、真田には悪いが私は行かせてもらおうか。
「それではお二方、私は城下に用事がございますのでこれにて」
「ああっ、円拝殿お待ちくだされ、この幸村も付いて行きまする!」
「旦那は道場で修練でしょ、ほーら尼法師サマも忙しいんだから邪魔しないの」
「円拝殿ぉおお〜……」
手を振る猿飛と、彼に引きずられていく真田に微笑む。あの二人は見ていて和んでしまうな。
そのまま門をくぐる手前で声を掛けられた。腹の底に響くような力強い声である。
この城の主が青い葉の茂る桜の下からこちらに視線を向けていた。その目が穏やかに細められ、私は深く頭を下げた。
甲斐の虎、武田信玄公その人である。
「武田様」
「上手くやっておるようだのう」
「今のところは、ですよ。ここは相変わらず温かい、十分温もってから北へ向かわせて戴きます」
「うむ、それがよい。幸村もそなたに懐いておる。帰りもまた顔を見せい」
「帰りは上杉様にご挨拶をと思っておりましたが、ちゃんと覚えていればお向かいいたしましょう」
にこり、笑みを浮かべてみせる。
生憎、記憶力に自信はない。一国の主のお誘いをそんな態度で受けては失礼も承知であるが、事実私は北で時間を過ごせばきっと些末なことは忘れてしまうだろう。
自分のことだって私は覚えていないことの方が多いということを、この武田様は知ってらっしゃる。一瞬、その視線を物言いたそうに落とされた。すぐに顔は上げられたけれど。
「……そうか。引き留めてすまなんだな。夕餉には間に合うよう帰るのだぞ。今宵はそなたのための宴よ」
ガハハハハ、と武田様が高らかに笑う。
きっと夜にはこの城名物の熱い師弟愛が見られるのだろう。そして真田には先ほどのお話を再度せがまれては、再び猿飛に中断され真田が怒るのだ。武田様もいらっしゃるのだから、きっとその後は酒の飲み比べになるだろう。そして気付けば皆と広間で雑魚寝になっているに違いない。
想像にたやすい『いつも』の光景を思い浮かべて私も笑った。
「ふふ、武田様くらいですよ、この私に帰るよう仰ってくださる方など」
「いっそのこと、旅をやめるよう言えれば良いのだがな」
「そればかりは叶いませぬよ、ふふふ。それでは、いってきます」
「うむ。気をつけて参れ」
再三、頭を下げて私は城の外へ出た。
上田城にて
ここはいつも温かすぎるから、つい長居をしてしまいたくなる。
久しぶりに胸に風穴があいたような寂寥を感じてしまった。埋められる気配など一向にないこの穴、誰かに空けられたものだった気がするのだけれども──いったいいつからあったか、誰に空けられたか、思い出せる顔は未だない。
(2015 06/29) 【
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