四苦八苦 肆



男の名は、不死川実弥という。

義勇とは同じ鬼殺隊で柱という偶然であったが、ゆき乃がそれに気づくはずもない。

同じ隊服を着てはいるものの、この時代の一般的な服装などの知識がない彼女には、珍しい格好かどうかの区別はついていなかった。

鬼がいること。それを退治していること。
その程度しか義勇は話していなかったため、当然ながらゆき乃を助けた不死川実弥が義勇と顔が知れてるという事は知らない。

実弥もまた、助けた女が義勇と繋がりがあるなんて欠片も思っていないだろう。

もし繋がりがあると分かったら、こんな手助けもしていないかもしれない。お茶を入れるなんて以ての外だ。彼は義勇のことが嫌いなのだから。



「おいひいですね!」

「口に入れながら喋んじゃねェ!」



身なりからして怖いと思っていた実弥が、お茶を用意しおはぎを懐に入れていた紙でちゃんと分けて渡してくれた事で、ゆき乃から恐怖という感情がなくなった。

名前も聞いたら教えてくれた。変わった苗字だったけど、この時代にはよくある名前なのかもしれないと、おはぎを食べながら考えていた。

この時代に来て、義勇以外の人と話したのは初めてだった。

ひと月経ち、少しではあるが慣れ始めた生活の中で、彼女は人と関わることがなかった所為で、助けてくれた実弥に勝手に親近感を抱いていたのだ。



「おはぎ好きなんだね、実弥さん!」

「んぐっ」



ゆき乃の声掛けに実弥は口の中に入れていたおはぎで危うく窒息しそうになった。

実は大のおはぎ好きの実弥だったが、それがバレないようにしていたのにあっさり知られてしまった上に、急に名前で呼びかけられたからだ。しかも彼女の口調まで変わっている。

深く知りもしない相手から急に名前で呼ばれてタメ口を叩かれたら、いつもの実弥なら間違いなく刀を抜いていたであろう。

だけど、彼女からすればこの時代で唯一話せる相手。しかも普段無口な義勇よりも会話が弾んで嬉しくなっていたのだから仕方がない。

そんな事情など知らない実弥はピクピクと青筋が立ちそうだ。刀は抜いてはいないが、やり場のない感情に肩が震えている。



「飲み込めた?さ、お茶でも飲んで!」

「……テメェ、急に馴れ馴れしく話しかけてんじゃァねぇぞォ!」

「えー、こうして一緒におはぎ食べてお茶飲んでお話ししてたら仲良しじゃないですか!ね、いいでしょ?」



何がどうなったら仲良しになるか、実弥は理解に苦しんだ。

縁側に座り、バタバタと足をぶら下げているゆき乃に怪訝な顔を向けいるが、彼女は気にすることなく実弥の方を振り返って、ニコリと笑う。

心の中で、チッと舌打ちをした。



「お茶おかわりくださーい!」

「ここは茶屋じゃねェ!テメェで入れろ!」

「じゃあ台所借ります!ついでに実弥さんのも入れてくるね!」

「ついでだァ?!」



ペロッと舌を少し出したゆき乃は、実弥が怒りだす前に急いで台所へと向かった。

でも台所の場所も分からず、たどり着いたと思ったらやっぱり使い勝手が分からず、散らかしまくっていると、遅いと様子を見に来た実弥に、しこたま怒られた。

怒った顔は凄く怖いけど、その声にはちゃんと感情があったから、その存在を怖いとは思わなかった。

義勇もそうだ。

彼は言葉が少ないし辛辣な言葉をたまに吐くけど、彼もゆき乃を思って言ってくれてるのだと彼女は分かっている。

一方的に浴びせられる罵声ほど心を抉るものはないと知っている彼女にとって、彼らからの言葉は恐怖を縛り付けるようなものではなかった。







「すみません、わざわざ……」



実弥の隣を申し訳無さそうに歩くゆき乃。

当然ながら帰り道なんて分からず、しかも町と義勇の家の往復しかした事ない彼女にとって、別方向から帰る道なんて知るはずもない。

家の場所を聞かれたところで、「あっちの山の方」としか言えないのだ。



「いい加減にしろよォ!家の方角が分からねぇとか、どーなってんだァ?着物の着れねぇし、よく今まで生きてこれたなァ」

「ほんとにねー」

「雑に返事してんじゃねェぞ!…ったく、テメェのせいで休みが台無しだ」

「その分おはぎ食べたでしょ!」

「……」

「あ、この辺で大丈夫!もうこの先分かるから!ありがとう、実弥さん」



実弥は足を止めると、横を歩く彼女に目を向けた。

今までの感じからして家まで送れと言われるだろうかと思ったし、なんならそのつもりでいたので、アッサリと別れを言われて呆気に取られた。

本当にいいのかァ、と咄嗟に出た言葉に、思わず口に手を当ててしまう。何を言ってんだ。



「今日は本当にありがとうございました!ここへ来て初めてこんなに笑ったし、美味しいおはぎも食べられたし。実弥さんに会えて良かった!」



じゃあね!と実弥の言葉を待たずに手を挙げて言ってしまった彼女の後ろ姿を、実弥は暫く見つめていた。

もう、会うことはない女の背中を。


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