心の葛藤 参



消毒液の匂いが漂う部屋で、ハァと大きな溜め息を吐くゆき乃を真っ直ぐな目で見つめる胡蝶しのぶ。

ここは蝶屋敷の診察室でもある、しのぶの部屋だ。

蝶屋敷にいる患者、特に重症患者はしのぶが診察し、症状に合った薬を即座に調合している。

その為、この場所は様々な匂いが混ざりあっている。

そこにやってきたゆき乃は、診察ではなく心に溜まった気持ちをしのぶへ吐き出しに来たのだ。

ゆき乃の事を気にかけて今まで何度か声を掛けていたしのぶだったが、「しのぶさぁん」と泣きつかれるように返事が返ってきたのは初めてだった。

だが、話を聞けばしのぶが心配しているような事ではなく、どちらかと言えば専門外の悩みだ。



「えーっと、つまりゆき乃さんはその方の事を、」

「わたしじゃないの!知り合いの話!」

「はいはい、そうでしたね。つまり今まで男として意識していなかった人と口付けをして急に意識してしまうようになったと言うことですか。いいんじゃないですか?」

「良くないです!その人に沢山隠し事してるし、しかもその人と顔見知りじゃないかって人の家に住んでて、しかも手とか繋いじゃってちょっとドキドキしちゃったし……なんかもう頭パンクしそう」



机に項垂れるゆき乃を見て、やれやれとしのぶは眉を下げた。

しのぶはこれがゆき乃自身の話だと分かっていたし、もう一人が誰か分からないにしても、義勇が絡んでいる事も想像できた。

殺伐としてる毎日で、たまに恋柱の甘露寺密璃からその類の話を聞いてはいたが、キュンキュンする話とはまた違う雰囲気だったので面白そうに聞いていたのだ。

まさか義勇が自ら手を繋ぐなどと想像できない。

思わず笑ってしまいそうになったが、真剣なゆき乃、いやその知り合いの話なので真表情のまましのぶはその悩みを聞いていた。



「お知り合いの方は、どうされたいのでしょうかねぇ。私は色恋の話に大した助言もできませんが、誰かを好きになるのは悪いことではありませんよ。いっその事、二人と恋仲になるっていうのはどうでしょう」

「しのぶさん、悪い顔してる…」

「あらあら、そんなことないですよー。ただ、私はゆき乃さんが楽しそう笑っているのが一番いいと思います。最初にこちらに来た時よりも随分と、生気が戻っているような気がしますから」

「しのぶさん…」

「それより考えすぎると熱を出してしまいますよ。思い詰める程悩むのであれば、いつでも蝶屋敷へ身を置いてくださっても構いませんよ」

「……知り合いの話ですから」

「フフ、そうでしたね」



そんなやり取りの後に、帰ろうと立ち上がったゆき乃が目眩を起こし診察室で倒れてしまったのだ。

きっと悩みすぎて寝不足だったのだろう。若干の発熱もあったので、蝶屋敷の空いている部屋に運んで休ませた。

まるで手のかかる妹を見つめるようだった。

実際には年齢差はないのだが、必死にこの時代に慣れようと前を向いている姿を近くで見ていたので、しのぶもゆき乃の事が放っておけず、義勇へと頻繁に鴉を飛ばして近況を報告していたのだ。



「ゆっくり休んでくださいね」



ゆき乃が寝ている部屋を出ると、義勇に鴉を飛ばしてしのぶは仕事へと戻った。

熱が出たから今夜はこちらに泊める、という内容だったのだが、義勇が血相を変えて蝶屋敷へやってきたと聞いて、しのぶは面白いものを見ている感覚だった。

常に無表情の義勇をここまで変えてしまったゆき乃に興味が湧く。



「胡蝶!ゆき乃の容態は…」

「落ち着いてください冨岡さん。知恵熱が出ただけで風邪でも何でもありませんよ。鴉にもそう伝えたじゃないですか。きっと寝不足のせいもあるでしょう」

「……寝不足」

「彼女なら奥の部屋ですよ。寝かせてあげてくださいね」



呼吸を整えた義勇が部屋に入る背中を見送ったしのぶ。

ゆき乃を悩ませているもう一人が誰なのか、少し察しがついてはいたが、ゆき乃が何かを言ってくるまでは静かに見守る事にした。

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