悲涙の空 壱



「邪魔だァァァ、どけえェェェェ!」



荒々しい怒号に、前方にいた隊員達がおののいて左右に広がる。体がぶつかろうが足を止める事もなく前に進み、風の呼吸で鬼を片付けていく。

複数体の鬼がいるという情報に、柱である実弥と数人の隊員達が任務に向かったが、殺気立った実弥が四方八方へと飛び回り、結局一人で鬼を倒した。

風柱すげぇ、という声が隊員から聞こえるも、それさえも疎ましく思い、「これくらい倒せねェなら鬼殺やめちまえェェ」と目を吊上げ睨みを利かす。

前々から怖いと評判だった実弥だが、更に磨きがかかったそれに、誰も口を効けなかった。

任務から戻っても、実弥は体を動かすことを辞めなかった。

完全に疲れさせなければ眠れなかったのだ。

思い出したくない光景が脳裏に浮かび、その度に実弥は鬼への復讐心を呼び起こし鍛錬に打ち込んだ。

何故ゆき乃は此処に来ていたのか。あの笑顔も偽りだったのか。抱きしめ口付けを受け入れてたのは、本当に単なる同情だったのか。



「馬鹿馬鹿しい…」



考えても仕方のない事に精神が乱されている。

何もなかった事にすればいい。忘れればいい。ただそれだけの事だ。そう思って、実弥はまた刀を握りしめた。

重たく広がっていた雲が雨を降らす。

実弥は体が濡れようとも気にすることなく、その場に倒れるまで刀を振り続けた。







ゆき乃が実弥の屋敷を訪れたのは、その数日後だった。

実弥と唇を重ねたあの日から、どんな顔をして来たらいいのかと悩んでいたゆき乃だったが、いつもと同じようにおはぎを手に持ち屋敷へと向かった。

ゆき乃は屋敷に近づく度に速る気持ちを抑えられなかった。

毎日思い出す実弥の表情。それはゆき乃の心を高鳴らせ、胸が締め付けられる感覚になった。

ただ、義勇にも同じような感覚になることもあり、それが恋なのか何なのか、正解のない感情にゆき乃は悩んでいたのだ。

気持ちが定まらないにしても、今のこの気持ちに嘘はなく、暫く会えていなかった実弥がいるかもしれないと思うと自然と足取りも軽かった。

それに、彼に隠していることを打ち明けようとも考えていた。

この時代の人間としての関係を望んでいたゆき乃だったが、このまま隠しておく事に罪悪感を覚えたのだ。実弥が自分の過去を話してくれたのに、自分は偽っていていいのかと。



「実弥さーん!こんにちは」



いつもの様に門を潜り、雨戸が開いている事を確認すると声を上げて実弥を呼んだゆき乃。

居なければ少し待って、鶴を折って帰ろう。

そう思って庭の方へ回ろうとすると、凄まじい音が聞こえ、見えた光景に思わず足を止めた。

実弥が目に見えない程の速さで刀を振るい、打ち込み台を切り刻んでいる姿がゆき乃の目に映ったのだ。

ゆき乃が初めて見る実弥の姿だった。

思わず息を呑んだゆき乃がその場で動けず固まっていると、一つの台をズタズタにした実弥がゆき乃に背を向けたまま刀を持った手をおろし立ち尽くしていた。

背中から感じる気迫に声を掛けるのを躊躇ったゆき乃だったが、「実弥さん」と発した声に被せるように、「何しに来たァ」と低い声が届く。

今まで聞いた事のないその声は、まるで体に電気が走ったかのような衝撃をゆき乃に与えた。



「…実弥、さん?」

「気安く呼ぶんじゃァねぇぞ」



怒鳴りつけられたわけでもないのに、その静かで低い声から怒りを感じた。

以前とは全く違う実弥の態度に戸惑いを隠せなかった。ドクドクとゆき乃の心臓が低く脈を打つ。

そんなゆき乃を、漸く振り返った実弥が、まるで初めて見るかのような視線で一瞥する。

ゆき乃はその場から逃げ出したくなった気持ちを抑えて、震える喉に空気を送った。

それでも、鼻の奥がツンと熱くなっていく。



「テメェ……冨岡の女だったんだなァ」

「え…?」

「危うく騙されるとこだったぜェ。どの面下げて此処に来てんだァァ?!」

「あの、実弥さん…」



突然突きつけられた言葉に動揺するも、ゆき乃は実弥に事実を伝えようと彼の服に手を伸ばした。

だけど…―――「触んじゃねェ」という声と共にその手を払われ、持っていたおはぎの包みが地面に落ち、中身が散らばった。

それを見つめるゆき乃の目から涙が溢れ、頬を伝い落ちていく。

だがもう、実弥がゆき乃の涙を拭うことはなかった。

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