ふたりの男

 リヴァイ部長が来てから一ヶ月が経った。営業部の雰囲気は思ったより悪くない。もちろん初日があんな感じだったからリヴァイ部長の人となりを知る前に恐怖が走ったけど、実際仕事が出来る人を目の当たりにすると、その恐怖さえ受け入れてしまう。
 そんな私は仕事が出来る人故その補佐役に日々勤しんでいた。海外と日本での仕事の仕方は多少なりとも違いがあるようで、その確認作業で二人で残業する事も多かった。
 今日もまた新しく舞い込んできた仕事のスケジュール調整の為に定時を回ったオフィスでパソコンと向き合っていた。リヴァイ部長は一ヶ月の報告会議に出かけたきりまだ戻って来ない。
 この一週間の疲れもあって、私は椅子の背に体重を乗せて誰もいないのをいい事に大きく伸びをした。パキッと骨が鳴るあたりに歳の積み重ねを感じてしまう。何だか本当に、このまま仕事に邁進してしまおうかと思う程に疲れはあっても充実していた。
 実弥くんは、今日はベランダにいるんだろうか。


「疲れてんのか?」
「リヴァイ部長っ! すみません、変な格好してて。ずっとパソコン見てると肩が凝るじゃないですか、それで」


 見られた恥ずかしさで饒舌になる私を他所に、自席に戻ったリヴァイ部長は書類を机に置くと深い溜め息を漏らした。疲れているのだろうか。そういえば残業している私よりも遅く帰っている部長はちゃんとご飯を食べているのだろうか。ずっと仕事をしている気がする。


「リヴァイ部長もお疲れですか?」
「まぁまぁだ」
「なんですか、まぁまぁって。そうだ、リヴァイ部長の歓迎会をやろうって話をしているんですけど、仕事立て込んでたので来週あたりどうですか?」
「歓迎会か……めんどくせぇな」
「そんな事言わないでくださいよー! みんなリヴァイ部長に近づきたいんですから!」
「分かった、俺のスケジュールに入れておいてくれ」


 リヴァイ部長の前向きな返事に気を良くした私は、残りの仕事を片付けようと再びパソコンに向かう。その時、オフィスの静寂を破った腹の虫。犯人は私のお腹だ。恥ずかしすぎる。


「飯でもいくか?」


 笑い飛ばして欲しいとさえ思った私に、まさかの言葉が落ちてきた。予想だにしない展開。しかも席を立って私の隣に立ったリヴァイ部長が、ポンと私の頭に手を置く。その瞬間に分かりやすく胸の音が大きくなった。


「いいい、いいんですか?!」
「あぁ問題ない。俺が赴任してからよくやってくれていたからな。飯ぐらい奢ってやる」


 二つ返事をした私に、少し柔らかな表情で目を綻ばせたリヴァイ部長。行くぞ、とすぐに準備をしてしまうからほんの一瞬しか見れなかったその顔を、もっと見たいと思った。
 リヴァイ部長は普段はどんな人なんだろう。口は悪いけど海外特有なのか、女性の扱いが上手な気がする。普段とは違う一面を見ただけで浮ついてしまう私は、どれだけ飢えているのだろう。これが何かに繋がるとは思っていないけれど、男性と二人でご飯に行くのは、あの最低な君じゃない男以来だった。





 リヴァイ部長との食事を終え、お腹も心も満足して帰宅する。食事をする姿も新鮮で、潔癖な性格が出ているのか変な持ち方でマグカップを飲む姿も新たな発見だった。そういえば会社ではあまり飲み物を飲んでいる姿を見ないなと、改めて仕事をしてる姿ばかりなのが目に浮かぶ。
 私はというと、そんなリヴァイ部長を観察したいがために今日はアルコールを控えたのだ。それ故に今は喉を潤したくて仕方ない。久しぶりにベランダに缶チューハイを持って所定の位置に座る。

――仕事の時は別だが、俺は結構喋る方だ。そんなに意外だったか。

 食事の席でのリヴァイ部長との会話を思い出し、思わず口許が緩んだ。あんなに会話が続くとは思わなかったし居心地も良かった。
 そんな事を考えながら缶チューハイを喉に流し込んでいると、隣からカタッと物音が聞こえ、考える間もなく「実弥くん?」と声をかけていた。


「おぅ、成瀬もいたのかァ」
「なんか久しぶりだね! 忙しかった?」
「まぁな。そっちも忙しそうだったじゃねェか、ほとんど会わなかったよなァ」
「上司が新しい人になってね、ちょっと忙しかったけどそろそろ落ち着きそ……クシュッ」


 最後まで言い終わる前に我慢出来なかった生理現象が会話を途切れさせた。タイミング悪い、なんて思いながら謝る。そういえばもう秋夜なのだから冷えてきて当然だ。ベランダでの会話は身体を冷やしてしまう。そういえば実弥くんとの会話が始まったのは冬の終わり頃だったから、秋冬はどうして過ごしたらいいのだろう。


「だいぶん冷えてきたなァ。これじゃ風邪引いちまうな」
「そうだね……春までお預けかぁ」
「……」
「日課みたいになってたから、ちょっと寂しいね」


 言葉にしてからしまった、と思った。寂しいと思ってるのは私だけで実弥くんは何とも思っていないかもしれない。否定されたらそれこそ悲しすぎるのに。日常の一部に過ぎない事なのに、なんで私はこんなに重たい発言しかできないのだろう。
 黙ったままの実弥くんに、「なんてね」と冗談めいた事を言おうとした私の言葉と、実弥くんの言葉が綺麗に重なった。


「宅飲み、するかァ?」
「え……?」
「そこまでっていうなら構わねェけど、俺も成瀬との時間がまったく無くなるのは考えられねェ。成瀬が嫌じゃなけりゃ、だけどなァ」
「家、あがってもいいの?」


 彼女気にしない?――その言葉は飲み込んだ。
 聞いたらこの提案も水に流れてしまいそうだったから。実弥くんの家に彼女がいる気配は勿論なかったし、行き来する様子も見たことはない。だけど私の記憶が正しければ、私の知る人との関係はあるはずだった。それを今まで聞かなかったのは、知るのが怖かったからだ。


「俺は構わねェよ。その代わりいい酒持ってきてくれよなァ。予定が合いそうな日、連絡くれよ」
「……連絡先、知らないけど」
「そうだったかァ? じゃあ言うぞォ」
「え、ま、待って!」


 スマホに触れる指が震えている。寒さからなのかそれとも…。実弥くんの口から数字が聞こえる度に鼓動が高鳴っていく。数時間前まで、リヴァイ部長にも感じていたものと同じ感情が湧き出てくるようだった。


「LINE、送ったよ」
「あァ、また連絡する。身体冷やさねェうちに部屋入れよ。もし寝込んだら看病してやるよ」
「……うん、ありがとう」
「そこは遠慮しとけェ」
「え?! どっち?」


 慌てる私に、「冗談だァ」と珍しく声高く笑う実弥くんに私も一緒に笑った。その時、手に持っていたスマホが震える。画面に表示された差出人と少しの文章にトクンと胸が揺れる。

――無事についたか。明日の社外ミーティングだが、コハルも同行してくれ。

 簡単に名前で呼ぶと日本では勘違いする人がいますよ、と教えてあげなければいけない。


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