火照る身体と流れる涙

 朝起きると身体が怠かった。どうやら本当に熱が出てしまったらしい。きっと頭を使いすぎてしまったんだろう。
 ベッドサイドに置いていたスマホを見ると、実弥くんから心配するメッセージが入っていて、既読にならない私を気遣ってか最後はゆっくり休むようにと書かれていた。
 無償に、会いたくなった。自分でもどうしてこんなに気持ちが不安定なのか分からないけど、今は実弥くんに会いたい。
 そう思ってスマホを握りしめた途端に、静かな部屋に来訪を知らせるチャイムが鳴った。確認しなくても分かる、実弥くんだ。気怠い身体を起こしてチャイムに応対せずに鍵を開け、その胸に飛び込んだ。


「おい、大丈夫かァ?」


 しっかりと抱き留めてくれる実弥くんは、ビニール袋を提げた手で私を支えながら、もう片方の手で私の首元に優しく触れた。実弥くんの手が気持ちいい。その腕の中で顔を上げると、眉毛を下げて心配の色を伺わせている。


「飯食ってねェんだろ、用意するから寝とけェ」
「実弥くん……」
「どうしたァ? 具合悪ぃのか?」


 ポンと私の頭に手を置いた実弥くんの顔に、何故だが涙が出そうになった。こんな私を心配してくれたのが嬉しくて。それを体調が悪いのだと判断したのだろう。実弥くんは私を突然抱きかかえて部屋に入っていく。お姫様抱っこというやつだ。人生初、しかも軽々とそれをやってのける実弥くんに、胸が音を立てる。


「あの、重たいよっ…降ろして、」
「馬鹿かァ。酔って寝たお前をどうやって運んだと思ってんだァ? 重くも何ともねェよ」
「あ、そっか……ありがとう」


 ゆっくりと割れ物を扱うように優しくベッドに私を運んだ実弥くんは、ビニール袋からスポーツドリンクを取り出すと飲むように勧めた。お粥を作るから、と私から離れようとした実弥くんの服を咄嗟に掴む。驚いたように目を見開いた実弥くんだけど、すぐにそれは細くなって柔らかな顔をする。


「どこにも行かねェよ。今日はずっと看ててやる。そんな顔されると襲っちまうぞォ」
「……いいよ」


 絞り出した声は熱の所為か少し枯れていた。そんな私の頬に実弥くんの手が触れて優しく撫でる。その指が顎に触れて私を上に向かせると、小さなキスが落とされた。


「熱でつれぇのに無理してんじゃねェ。今は寝てろ。成瀬の身体のが大事だ」


 私を抱き寄せ、背中をゆっくり摩る実弥くんの手。本当は怠くてセックスなんて無理だった。だけど実弥くんとの心の距離を縮めたかった。自分のために。
 ごめんなさい、と呟いた声が実弥くんに届いたかどうかは分からない。でも私がその腕の中で眠りにつくまで、実弥くんはずっと私を抱きしめ背中を撫でてくれていた。


 実弥くんの看病もあって夕方には熱も下がって食欲も戻った。シャワーをしてさっぱりした私を見て、「大丈夫そうだなァ」と実弥くんは笑った。
 髪の毛を乾かしてくれると言うので素直に甘えた。こんなに実弥くんを独り占めできてる事が嬉しくて笑っていると、頬を軽く抓られた。


「何笑ってんだァ?」
「嬉しくて……実弥くんがずっと居てくれるから」
「当たり前だァ。彼女が倒れてんのに放って置けるかよ」
「……っ、うん」
「ん?」
「ううん、優しいなと思って」
「成瀬にだけだァ」


 髪の毛が乾かし終わる直前、目を潤ませていた水滴を急いで拭った。何気無いひと言がどれほど私の心を満たしたか、実弥くんはきっと分かっていない。
 今までずっと決定的な言葉がないまま、実弥くんと身体を重ね合わせていた。私の一方的なものばかりで実弥くんがどう思っているのか、態度から知るしかなくて、ずっと拭いきれない不安があった。世の中には自分の気持ちを言わない男性は半数以上いると聞く。だから実弥くんもそうなのだと自分に思い込ませていた。
 でももう大丈夫。実弥くんの表情や態度を見ていれば、私をちゃんと見てくれてるって分かる。
 だから教えて。もっと愛して。私の心を離さないで。


「実弥くん……と、したい」


 ソファに座る実弥くんの胸に飛び込んで、蚊の鳴くような声で囁く。頭上から驚きの声と唾を飲み込む音が聞こえた。少しの間、逡巡したであろうその手が静かに私の背中に回る。


「体調悪くなったら言えよ。途中で止めらる自信はねェけど」


 そう言った実弥くんは私をまた横抱きで抱きかかえるとベッドへと運んだ。さっきまでの熱とは違う熱さが、私の身体を火照らせた。手早く上着を脱ぎ捨て裸になった実弥くんが私の上に跨る。こうして下から見上げる実弥くんは艶やかで、鍛え抜かれた身体は女の私でも惚れ惚れしてしまう。
 割れた腹筋に手を伸ばすと、ピクリと波打つようにそれが動いた。


「くすぐってェ」
「実弥くんの身体、すごく綺麗。彫刻みたい」
「はっ、何だそりゃ…成瀬のがもっと綺麗だろォ」
「んっ……ぁ」


 服をたくし上げブラの上から指で引っ掻かれ、敏感になった乳首に当たる。片手で胸を弄りながら実弥くんが顔を寄せ、私の耳をねっとりと舐め上げた。心臓が締まり子宮が甘く疼く。舌先で何度も耳を愛撫され、私の嬌声が増し秘部から蜜が溢れ出す。
 何度も私の名前を囁きながら、その指と舌で私の好きなところばかりを攻めて翻弄していく。


「実弥くんっ…あぁっ、もっと……っぁあ…」


 好き。大好き。だからもっと愛して。
 口を開くと喘ぎ声しか出てこない私は、その想いを込めて私に覆い被さって穿つ実弥くんを強く抱きしめた。実弥くんの甘い小さな吐息と共に、その言葉が私の鼓膜を甘く震わせた。


「……くッ、成瀬…………好きだっ…」


 確かに聞こえたその言葉。込み上げる熱いものが溢れるも、突かれている振動ですぐに目尻から零れ落ちる。早まる律動に声が抑えられず、その想いを最奥で受け止めながら私は心の底から多幸感に包まれていた。
 幸せだ。私には実弥くんがいる。実弥くんが好き。
 心の中で何度も囁き、実弥くんの腕の中で眠りについた。きっと私にとってこの瞬間が一番幸せだったのかもしれない。





 目が覚めて隣で眠る実弥くんに安心した。実弥くんは割りと音に敏感で、私が寝返りをすると必ず目を覚ましていた。でも今日はまだ寝息を立てている。もしかしたら昨日、私からの連絡を待っていたのかもしれない。そう思うだけで、実弥くんには悪いけど嬉しさが募った。
 実弥くんを起こさないように静かにベッドを降りて、水分補給のために台所に向かうも途中で無意識に足を止めた。テーブルに置かれていた実弥くんのスマホがチカチカと点滅していたから。でもそれはそこにスマホがあるという事実を私が認識しただけに過ぎない。そのスマホが振動で震え、画面に光が刺すまでは。


「……胡蝶……カナエ…?」


 その名前に聞き覚えがあった。昔よりも鮮明に思い出せるのは、私が実弥くんを好きになったからだろう。
 どうして? まだ連絡を取り合う仲なの? それとも私が部外者なのだろうか。ねぇ、実弥くん。私のこと好きって言ってくれたよね?
 寝室の方に目を向けるも、実弥くんは起きる気配がない。それが良かったのかどうかは分からないけど、今の私の顔は到底見せられるものじゃないだろう。
 幸せに包まれていた心に、黒い水滴が落ちて広がって蠢いていく。胡蝶カナエの文字が私に重くのしかかり、まるで鈍器で頭を殴られたような気分だった。

 その先輩と実弥くんが恋人という事実は、学園内では有名だった。学園内で郡を抜くマドンナ的存在の彼女を射止めた実弥くんを私も好奇心で何度か目を追っていた。
 彼女が卒業してからも付き合いが続いていて、私が二人の事を聞いたのは大学生の時だった。共通の友人から、二人が同棲をしてるという話だった。その時はただ、羨ましいという気持ちだけだった。強面の人が見せる優しい笑顔。それを一度見たことがあった私は、そんな風に愛されたら幸せだろうな、羨ましいなという漠然とした憧れしかなかった。まだ実弥くんを好きになる前だったからそう思えた。
 でも、今は違う。実弥くんに再会して好きになってしまった。もしかしたらという不安は奥底にあったけど、彼女の姿を見ていなかったし実弥くんを信じようって思ってた。今日やっと、その言葉を初めて聞けたというのに。


「……ど、して……っ…」


 ただ名前を見ただけでこんなにも虚しくなる。本当の事なんて分からない。だけど真実がどうであれ、私が素敵だと思った二人がまだ繋がっているという事実だけで、胸が痛く苦しい。
 これは単なる嫉妬だ。実弥くんは私を好きだと言ってくれたじゃないか。その言葉を信じればいい。そう思うのに、涙が溢れて止まらない。呼吸が苦しくて仕方ない。
 私はベッドに戻ることが出来ずに、静かに台所に蹲って声を抑えて泣いた。この涙の意味も分からずに。


- 1 -
 
novel / top
ALICE+