普通が欲しい
どうしても恋人っぽいことがしたい。
外泊届を出してジャミルくんのお部屋で過ごすのにも勿論文句も異論もない。ただ、俗世とはどういうものなのかを知ってしまって、世でいう普通っぽいことをしてみたい私には何故か物足りなく感じてしまっていた。
あんなに顔が良くて何でもできる彼を恋人に持っておいて何が普通だそれだけでスペシャル贅沢なんじゃないかと何度も自分に言い聞かせたがそうではない。スペシャル贅沢な彼と世の中でいう普通の幸せを感じてみたい、それだけなのである。
思い立ったが吉日、急がば回れ、鉄は熱いうちに打て。
思い立った次の瞬間は決断していて、大食堂でお弁当を食べるジャミルくんに1日、いや半日、放課後だけでもいいから、麓の町におりて2人きりでデートをしてみたい、と告げてみた。
渋られるか嫌な顔をされるかの2択かなぁと重いながら恐る恐る顔を上げると何故か照れた顔の彼が目の前にいて。口元を手で押えたまま固まっていた。
隣にたたずむカリムくんははニコニコと嬉しそうに笑いながら良かったなジャミルー♪と囃し立てる。うるさい、と言わんばかりに咳払いをすれば後で連絡をするから待っていてくれとだけ言い残してカリムくんとどこかへ行ってしまった。
「こんなあっさり?」
あの蛇のことだ、持ち上げて落とすなんて事も有り得なくはない。執念深く緻密に計画を張り巡らせ、欲しいものは相手から近寄ってきたように見せかけるプロだ。そんなことは何度もされている。
はじめて彼に話しかけた日も、勇気をだして連絡先を聞いた時も、恐る恐るデートに誘った日も。お付き合いをする時だって言葉巧みに引き出して涼しい顔をしていた。頭の回転が早いというのは羨ましくもあり、疎ましくもあり。
……ただ、さっきは珍しく照れたような顔を魅せていたしなとも思う。いやいやいやそれも作戦だったらどうするのさ。脳内で1人、わあわあと会議をしていたらその日の授業はあっという間に過ぎてしまったほど。
飛行術でもひとり黙々と体力育成に励む私を見てアズールの方から話しかけてきたくらいだったから相当だったのだろう。
放課後もなんだかそわそわとしてしまい1人でいられない事態が発生したがお生憎様お友達はバイトだの部活だので予定も合わず、モストロラウンジで今はやってるらしいスペシャルドリンクを注文して机に突っ伏していた。
くすくすと笑う声がしてなんだろうと顔を上げてみればドリンクを運びに来てくれたジェイドと目が合う。
「アズールが寂しがっていましたよ」
「……はへ」
「今日は平和すぎる、なんて言ってましたかね」
「ああ、飛行術…」
「ジャミルさんにお熱なのは構いませんが、うちのアズールもよろしくお願いします」
ジェイドはいつもニコニコしてるのに、こうやって悪いことを言う時だけ鋭い歯が覗く。意外と分かりやすい人なんだよなと思いながらドリンクを受取ればでは、と踵を返して他のお客様の元へ。
アズールが寂しがってるのはそれはそれで問題なんだけど、今はそうじゃないんだよなと思いつつドリンクに挿されたストローを加えてぼんやりスマホを見つめていると小さく振動がふたつ。
“遅くなった、すまない”
“今どこにいる?”
いつもと何も変わらない文面なのにやたらと心臓がどきどきと高鳴って“モストロラウンジにいるよ”と打つ指がかすかに震える。告白の返事を待つかのような気分にそんなに自分ってピュアだったっけと思わず遠い目になる。
“今から行く”と簡潔な返事が来れば再び心臓が暴れ出す。いやいや、別れ話をするでもないんだからいい加減落ち着いてくれ、と自らの心臓に頼み込む。噂になってるスペシャルドリンクの味も大して分からないくらいにはやられているようだった。
しばらくしてモストロラウンジの入口が開く音がすれば、少し居心地の悪そうな顔をうかべた彼が見えた。落ち着きを取り戻してきた心臓もはたまた熱を帯びて高鳴る。だが、それと同じくらいこそばゆく嬉しさが込み上げてきて。だらしなくにやにやとしながら小さく手を振れば案内をしようとしていたスタッフに一言二言告げてから近づいてくる彼。
走ってきたのかほんの少しだけ息を荒らげさせながら向かいに腰かける。
「悪い、待たせた」
「大丈夫だよ、なんか飲む?」
メニューを差し出せばありがとうと呟きまじまじと見つめる。モストロラウンジにジャミルくんが飲めるようなものあるのかな、ていうか何飲むんだろ、スポドリとお水以外飲んでるところ見たことないなあと想いながらメニューを見つめるジャミルくんを見つめる。
間接照明が彫りの深い彼の顔を優しく照らしていて、綺麗な顔立ちがよりいっそう引き立つ。
そういえば、2人でここに来るのは初めてなんじゃないかと過去の記憶が蘇る。ジャミルくんの部屋か、時々放課後お散歩する以外のデートなんて本当に数えるくらいしかしていないから記憶に相違はない。
「……その、それは美味しいのか」
眉間にうっすらとシワをよせたジャミルくんが私のスペシャルドリンクを指さす。可愛らしい人魚の尾びれを模した形のグラスにさまざまなフルーツと可愛らしい色合いのドリンクだ。購買部でも売ってるものの、飲んだことは無いらしく、飲むのにも抵抗があるのは彼らしい。
「あー……多分」
「飲んでいたんじゃないのか」
「なんか分かんなかったからもう一回飲む、同じのでいい?」
ドリンクを見つめたまま刻りと頷く姿が可愛らしくてもう色々と卒倒しそうになる。小さく手を上げればすぐさまスタッフが駆けつけ「それをふたつ」と涼しい顔で注文すればもの珍しそうに室内を見渡す。
そうだよね、こんなこともなければアズールが警衛するモストロラウンジになんか来ないよね、色んな意味で仲良しだもんね。それにしてもいつどこで見ても彼の顔は美しいなと思いじいっと見つめているとハッとした後すぐさま少し恥ずかしそうに眉をよせた。
「そういえば、何かしてたの?」
「ああ、すぐ連絡しようと思ったんだが」
カリムがー、といつも通りのカリムくんの突発的な行動に振り回されていたらしくため息混じりに状況説明をしてくれる。途中、ドリンクが運ばれてくれば透明感溢れるカラフルな飲み物に一瞬固まっていたものの、ひとくち含んでみれば割と気に入る味だったらしく「悪くない」と喜んでいた。
授業が被ることはあっても彼はできる限りカリムくんの御側付きをしているから同じ授業でもなかなか接点はないため、あの時こうで、この時こうで、と今みたいにあとから彼の苦労話を聞くことが多い。うんうんと頷きながら時折笑ってしまったり目を丸くしてしまったり。
いつもと違う場所、少し死角になる席ということもあってかいつもよりも少しおしゃべりに熱中していた。
これってもしかして、普通っぽいのではと閃いた私の表情はみるみるうちに輝いていたみたいで目の前の彼が不思議そうな顔を浮かべてなにか思い出したような表情をうかべる。
「そういえば2人きりでと言っていたが」
「……もう満足かも」
「…は?」
えへへ、と笑みをこぼす私と対象的に抜けた声を出す彼。
「なんか、2人きりでこーやってるの、普通っぽくて楽しい」
「……はあ」
「満足しちゃった」
それならいいんだが、と表情をゆるめる。
お付き合いを始めてからというものの、彼は色んな表情を見せてくれるようになった。それに、ほんの少しの眉の動きや口元の動きで今何を思ってるのかわかるようになってきた。スカラビアの寮生にも、最近副寮長の顔が優しくなりました!って報告されたこともあったりして、その中の要因に私か含まれてたら嬉しいなぁと奢り昂ってみたりして。
「来週の週末なら」
「なら?」
「少し時間を取れた」
「……ということは」
「行きたいところを考えておいてくれ」
流行りものは分からないから、君に付き合うよ。
瞳をいっそう輝かせた女子生徒に表情を緩ませたスカラビアの副寮長が微笑みかけている現場を見かけたスカラビア寮生がここぞとばかりに隠し撮りをして、寮長に見せびらかしたのがバレたのはふたりがデートから帰ってきたあと、だったらしい。