ここに群青、溺れる



※現パロ。営業の実弥さんとの話※


「ねぇねぇ、聞いた?不死川さん、今度うちのチームに来るらしいよ」

「本当ですか!?」

私がその悲報を聞いたのは、同じ法人チームの事務担当のまきをさんからだった。


不死川さんといえば個人営業担当部署のトップ営業マンで、この会社でその名を知らない人はいない。自身の営業成績は首位を独走しているのはもちろん、最近はチームリーダーとして、同じチームの後輩の時透くんや、嘴平くんのサポートにも入り、2人の成績も目に見えて上がってきているらしい。つまりとっても優秀な営業マンだ。そんな彼が、来月から急遽法人チームへの異動が決まったとのことだった。

確かに私が事務職で補佐している法人チームは最近人が辞めて慌ただしくなったばかり。その手が足りない状況、プラス法人の底上げに不死川さんが抜擢されたとのことだった。
不死川さんはその成績だけでなく、容姿の良さでも女子の社員の中では噂になる人だ。だが、事務職の中ではある意味1番関わりたくない存在とされている。事務泣かせの不死川、と。依頼してくる仕事量が半端無い、らしい。同期の事務職が、何度泣言を言っていただろうか。もちろん、その事は事務職内では主知の事実で、あーやだやだと目の前の席で文句垂れているまきをさんと同じく私も天を仰いだ。


不死川さんが異動してくると決まってから、法人チームのリーダー、悲鳴嶼さんが席の移動だったり、荷物の置き場所だったりを決めていく。段々と現実味が増してくる異動に私はなんだか落ち着かなくなった。彼とはほぼ話した事はなく、人となりは知らない。営業に成績の向上の期待半分、噂の不安半分だ。彼は悲鳴嶼さんの隣、私の真後ろの席になった。


「悲鳴嶼さん、よろしくお願いします」

チームに異動初日、彼は手に持てるだけの荷物を抱えてやってきた。思ったより物腰の柔らかそうな感じに驚いた。
個人営業の時はクールビズもあってネクタイもせず腕まくりもしてラフな格好だった彼だけど、今日はさすがに紺色のスーツをしっかりと着こなしていた。そのいつもと違う姿にスーツフェチの私の胸が高鳴った。いやいや落ち着こう。だって相手はあの、不死川さんだもの。どんな無理難題が飛び出すか。

「ああ、不死川、よろしくな」

悲鳴嶼さんも笑顔で返すと、不死川さんは自身の荷物を席に置いた。


朝礼にてチームの中でそれぞれに自己紹介をする。それが終わると、今日は不死川さんは悲鳴嶼さんと一緒に営業先に挨拶まわりにいくらしく、2人でミーティングを始めた。

「すまない。今から出かけてくる」

少しして悲鳴嶼さんに話しかけられて、私はくるりと振り向いた。

「はい!いってらっしゃい。・・不死川さん、ネクタイは?」

スーツはしっかり着こなしている彼は慌てて首元に手を回す。

「っ!やべ!いつもの癖でネクタイしてくるの忘れたァ」

「そんなこともあろうかと!ちゃんと予備準備してるから大丈夫!」

そう言って私の目の前の席のまきをさんが、簡易ネクタイを私に投げて寄越した。ネクタイが結んだ形になってて、後ろで金具を止めれば出来上がりっていう簡易的なやつだ。法人チームはネクタイ必須なので、忘れた時の為にチームで準備されている。

「スーツ着たまま着けるの大変だろうから、着けてもらったら?」

「じゃぁ不死川さん後ろ向いて下さい」

まきをさんに言われるがまま、座ってこちらに背を向ける不死川さんに立って近づき首元に手を添える。柔らかい彼の髪が手に当たる。悲鳴嶼さんとまきをさんの視線を感じ何故だか無性に照れながらワイシャツの襟の下でカチリとネクタイを止めた。

「できましたよ」

「おー、ありがとなァ。事務係ィ」

「事務係?」

首元を整えながら言われた事が一瞬意味がわからなかったが、私の事を言っているのだと気付いた。

「ちょっと!ちゃんと名前呼んであげないと失礼でしょ!」

言いたかった事をまきをさんが代弁してくれたが、彼はさして気にせず悲鳴嶼さんに行きましょうと告げて一緒に会社を出て行ってしまった。

「失礼なやつ!時々いるのよ!営業のが事務より偉いって思ってるやつ!」

とまきをさんは私の代わりに文句を言ってくれている。

「気にしなくていいですよ!」

適当に相づちを打ちつつ、でもネクタイを止める時の赤くなった耳はどう言う事なんだろうと一人思案した。



夕方、悲鳴嶼さんと不死川さんが帰ってきた。

「お疲れ様です」

振り向いてそういえば、不死川さんは何故か生き生きと私の顔を見ている。なんか、嫌な予感。

「事務係ィ、これ、今日中に作成できるか?」

手渡された資料には法人顧客のデータがびっしりと並び、何やら沢山の書き込みが入っている。

「この数字とこのデータを一緒に比較できる様な表がほしいんだよ。まずはこの数字を−」

水を得た魚のように話す彼を横目に見ながら私は半分泣きそうだった。
まずこの時間はまきをさんは時短で帰っている為、法人事務は私1人だという事実。そして、残りの仕事もしながら、この目の回るようなデータを処理すると言う無理難題に頭を抱えた。うう、これが噂の事務泣かせかぁ。


「今日中・・ですか?」

ちょっと猶予はもらえないかと、一途の望みにかける。

「悲鳴嶼さんと話してよォ、その表が出来れば明日からの営業が格段にやりやすくなるんだよォ」

確かに不死川さんの言っている事は最もで、なぜこんなデータ表が今までなかったのか、私も目から鱗だった。が、仕事内容からすれば軽く拷問である。

「不死川が今日1日営業についてきて考え出してくれたんだ」

さすが、営業トップは考えることが違うんだなぁ。悲鳴嶼さんのいつも分かりにくい表情が緩んでいることに気がついて、私は思わず「わかりました」などと返事をしてしまっていたのだった。




「うぅ、終電までには帰りたい」

今日は不死川さんの歓迎会をするぞと、同じチームの宇髄さんがチームメンバー誘って早々と帰ってしまった。

「終わりそうか?」

唯一、悲鳴嶼さんが心配そうに聞いてくれたけど、まさか今からあのデータ表を作ります!なんて言ったらきっと私に遠慮して飲み会に参加しなくなりそう。チームリーダーを引き止めるわけにはいかない。

「大丈夫です!もう私も帰りますから!」

なんて、勢いよく返してしまった。後悔しても後の祭りだ。部署内には私一人。カタカタとパソコンを打つ音だけが響く。薄暗い社内はとても心細い。いや、おばけとか怖くない年なんだけど!

データはパソコンの中にほぼ入っているから、あとはエクセルで関数を組むだけ。真剣にやっていたらいつの間にか時計は22:30を指していた。

「もうちょっと」

「オイ」

「ギャ!」

完全に独り言だと思っていたら返事があったものだから、この世の終わりのような変な声が出た。
半分泣きべそかきながらドアの方を振り向くと不死川さんが立っていた。

「あれ?不死川さん!飲み会じゃないんですか?忘れ物です?」

「いや」

そう言って、彼は自身の席から椅子を引っ張ってくると私の隣に座った。椅子の背面に上半身を預ける彼は赤い顔をしている。隣の席からはふわりとお酒の匂いが香る。やはり彼は飲んでいた帰りのようだ。上着を脱いで、ネクタイも外したワイシャツ一枚のいつものラフな格好だった。

「事務係ィ、まだやってたのかァ?」

仕事が遅い、との小言は聞きたくないと、

「いや、もう終わります!」

と、話しもそこそこにパソコンに向かった。最後に少しだけ関数を整えれば彼が望んだ表が出来上がった。

「ほら、終わりました!」

「そうかァ」

そういう彼はパソコン画面でなく私を見ていた。あれ、思ったより反応が薄い。何か足りない部分あったかなと再度画面を覗き込む。

「悪かったな、遅くまで仕事させて」

そう言って彼はずいっと顔の前にビニール袋を差し出した。
受け取って中をのぞくと美味しそうなコンビニスイーツがたくさん入っていた。しかも期間限定や今一押しのスイーツがたくさん。しかも私の大好きな牛乳プリンも入ってる。

「不死川さん、これは」

「礼だァ。受け取れ」

「いいんですか!ありがとうございます」

夕ご飯もカロリーメイトで過ごしていたし、これは嬉しい貰い物だ。先程まで恨み言を言わんばかりだったけど、今は不死川さんが仏様にみえる。現金な自分に呆れつつ、思わず顔が綻んだ。
同時に私の頭にふわりと優しい手が降ってきた。
え、何が。
ひとなですると微笑んだ不死川さんと目が合った。と、同時に彼は帰るぞとバッグを持って立ち上がる。早鐘を打つ心臓を押さえながら、私も後に続いた。

会社近くの駅まで送ってくれた彼とは、駅で分かれた。最終電車に乗り込み、速くなる胸の音をかき消すように服の上から押さえつけた。



次の日。

「悲鳴嶼さん、おはようございます」

なかなか寝つけず寝不足ながら、なんとかいつも通り出勤出来た私は、チームで1番に到着する悲鳴嶼さんに挨拶をする。

「昨日は遅くなったのか」

なんだかお見通しだったみたいだなと思いながら、はい少しだけ、と返した。

「不死川にお前が残業している事を伝えると、血相を変えて飛び出していってな」

様子を思い出したのか悲鳴嶼さんは少し笑っていた。
なるほど。悲鳴嶼さんに聞いて昨日は来てくれたのか。なんとなく納得する。

「無事に家に帰れたか」

「はい、終電には乗れましたよ」

そういうと、悲鳴嶼さんは意外そうな顔をしてそうかと呟いた。

「・・・意外と奥手なんだな不死川は」

「?はい?」

言いたいことがよく分からず、首を傾げる。そこに不死川さんが出勤してきた。

「おい事務係ィ、昨日の表見せろォ」

朝っぱらから睨まれ、慌てて表の印刷に取りかかった。



悲鳴嶼さんは笑いながら、独り言のように呟いた。

「気になる女性の名前も呼べない様では、先は長いな」


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