情愛メランコリー 01





実弥とは大学の時に出会って7年、付き合ってもう6年になる。
同じ大学の同じ学部で。苗字が似ていた私たちは授業なんかで良く席が近くになって、少しずつ話すうちに仲良くなった。

初めは外見からとっつきにくいとばかり思っていたのに、仲良くなればなるほど実弥のその外見と裏腹な真面目さに惹かれた。
お互いが想い合うのに時間はかからなくて、「なァ、俺ら付き合わねェ?」と照れて顔が真っ赤な実弥に告白されたのは今となっては良い思い出だ。
楽しい大学生活を送りつつ、辛い就活の時期を迎え、実弥は誰もが羨むような大手企業に内定を決めた。
元々希望していた第一希望にすんなり内定を決めた実弥を祝いつつも、自分も早く内定もらいたいとの心の中の羨望の気持ちが消えなかった。

私は何度か内定を落ちたものの、ずっと夢だった番組制作がしたくて小さな会社に就職した。
といっても、残念ながら私は事務職での採用だった。
それでもいつか、異動なんかで番組制作に携わることができるかもしれない。
そう、思いつつ日々がすぎていき、就職して2年が経っていた。

私は大学の時からの同じ部屋に住み、会社まで40分くらいの道のりを通勤していた。
実弥とは幸いにも土日祝の休みが同じだったので、休みの日は一緒に過ごすことができた。
お互いの両親にも、きっちりとした顔合わせではないけどそれぞれの実家に遊びに行き、挨拶程度の顔合わせもしていた。

だからこのまま、結婚するんだろうなぁって。

実弥と具体的な約束をしたわけではないけど、何となしに思っていた。




そんな変わらない日常を過ごしていたのに、ある日私に念願の番組制作への異動が言い渡されてから生活ががらりと一変した。
仕事が忙しすぎて最終電車は当たり前。
休みもシフト制へと変わり、結果実弥と会える日はぐっと減ってしまったのだった。


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「おい、苗字?大丈夫か!?」

名前を呼ばれてはっと気づけば、先輩の村田さんが顔を覗き込んでくれてる。
周りを見渡せば社用車の中で、フロントガラスには激しく雨が打ち付けていた。
ふんわりと香る雨の匂いに覚醒した意識を取り戻せば、今日の取材場所に向かっているんだったと思い出した。
先輩に車を運転してもらってるのに、ぼーっとしてるなんて、なんて失礼。
ぶんぶんと顔を振り慌てて、村田さんに笑顔をむける。

「ごめんなさい!ぼーっとしてしまって」

「疲れてるんじゃないか?最近ずっと終電だろ?」

村田さんの指摘はもっともだった。
元々番組制作部署は人が少なくて、本職の内容から雑用までなんでもこなしていかないといけない。
異動した当初は小さいことでも全然分からなくて、悔しい思いも沢山した。
異動して3ヶ月経った今、やっと仕事にも慣れてきたけど最近は睡眠時間も少なくて、ボーっとしていることが多いかもしれない。
だからかな、大学のころの実弥とのことを思い出したの。
休みが合わないのと、実弥も繁忙期とあって1か月近く会っていなかった。

「そうですね、確かに疲れていますけど、大丈夫です」

「そうか?無理するなよ?」

村田さんはまだ心配そうな顔を向けながら、車をすすめハンドルを切った。
今日は前々から約束していた大切な取材だった。
仕事なんだから気を引き締めないとっと、事前に作成していた資料に目を通し始めた。



事務所に戻って取材内容を纏めていたら気づけばもう時計は23時を指していた。

「あ、終電なくなっちゃう!すみません、村田さんお先に失礼します!」

「ああ、気をつけろよ!」

まだ仕事は終わっていなかったが、電車がなくなってしまえば帰る方法がなくなる。
タクシー、なんて贅沢できるほどの給料は残念ながら頂いていない。
以前は会社に泊まり込みなんかも行われていたみたいだけど、色々と問題になって禁止になったらしい。
だからといって自宅に帰ったところで、また明日も早朝から出勤しないと仕事は間に合わないだろう。
通勤時間がもったいないって思ってしまうのは、すっかり会社に染まっているみたいで笑ってしまう。
家が近いからとまだ仕事をして帰るという村田さんに何度も頭を下げて、更衣室に飛び込んだ。
上着を羽織ると、荷物を肩にかけて慌てて駅に走る。
もう何度も乗っている終電の時間も覚えたし、改札のおじさんとも何となく会釈をする仲になってしまった。
カツカツとパンプスの音を響かせて階段を駆け上がり、電車に飛び乗った。
息を小さく整えながら周りをみれば、土曜の終電とあって飲み会帰りだろうか、まぁまぁ乗客はいる。
皆楽しそうな雰囲気に少し疎外感を覚えつつ、離れた場所に空いている座席を見つけてへたりと座り込んだ。

『はぁー・・疲れた』

陸上部だったし体力には自信がある方だったが、そんなこと全く頼りにならないくらいに、仕事は毎日毎日溢れるようにやってくる。

ーずっと止まらない急行電車に乗っているみたい。

私が異動前に部署にいた先輩はそういっていた。
まだ異動して3ヶ月しか経っていないのに、その言葉が身に染みる。



空を見つめていたが、そういえば今日は1度もスマホを見ていないことに気が付いた。
そっと開けば、実弥からの連絡が数通。

『今日も仕事か?』
『何時に帰る?』
『少しでも会えないか?』

既読にもしてなかったそのメッセージに、申し訳なさでジワリと涙が浮かんだ。



実弥は毎日欠かさずにメッセージをくれる。
それはおやすみ、だったり、おはようだったりたわいもない連絡なのだけど。
どうして毎日送ってくれるのか以前聞いたら

「ん?生存確認」

とニヤリと笑って言われた。
些細な事なのにすごく嬉しくなった記憶がある。

それに比べて私はどうだろうか。
ここ最近こちらから実弥に連絡を取るどころか、メッセージを送ることさえしていない。
会社の往復で疲れ果て自宅に帰りつけば、屍のようにベッドに沈むだけだった。




番組制作に異動して1度だけ。
異動して1ヶ月目くらい経って、数週間ぶりに実弥と会った時。
2人でいるときにふんわりと言われたことがある。

「なァ、お前が、その、今の仕事大切にしてんのは分かってるつもりだァ。でもお前の体調が心配だし、俺の稼ぎでも二人で生活できないことねぇし・・一緒に住むとかそういう選択肢も悪くねぇと思うんだが・・」

言いにくそうにおずおずと尋ねてくる実弥の顔をみれば、至極真剣な顔をして私を見つめていた。
それは結婚して、仕事を辞めてはどうかということを暗に意味しているって気がついた。

「うん、忙しいけど慣れてないってだけだと思うし、もうちょっとしたら落ち着くはずだから」

気にかけてくれてありがとうと、気づいていて私は笑って流したのだ。
実弥も、そうかァとだけ返し、それ以上はその話題に触れなかった。




実弥は何時も私のことを想ってくれている。
この6年一緒に居て、実弥のことがずっと大好きだし、結婚したいと、実弥の気持ちにこたえたいと思う気持ちもあった。
けれど、元々やりたかった仕事にやっと就けた今どうしてもすぐに仕事をやめるという選択ができなかった。
もちろん憧れの仕事をやっているという自尊の気持ちでもあったし。
どこかで実弥に負けたくないって気持ちもあった気がする。
やりたかった仕事に大学卒業して、会社の中でも肩書も着くようになってぐんぐん成長していく実弥に追いつきたいって焦りの気持ちもあったのだと思う。




『私ってバカなのかなぁ・・』

最近は何が一番大切で優先すべきかもわからなくなってきていた。
実弥からのスマホの文字はたった数行なのに私の固まった心を溶かしてくれる。
それなのに私からは実弥に何もしてあげられていない。
このままでいいのかな・・・。
またマイナス思考になることを振り払うように、実弥に返信しようとスマホを操作する。

『今最終電車で帰ってる!気づかなくってごめんね』

送信したが、既読はすぐにつかなかった。

『そうだよね。もう寝てるよね』

鳴らないスマホを手に電車に揺られれば、気づけば家の最寄駅に到着していた。




駅から歩いて5分ぐらいの自宅マンションに帰る。
帰ったところで、真っ暗な部屋に一人沈むだけなのだけど。
明日も早くから仕事だから頑張らなきゃ。
お風呂は今日中には入りたい。
ご飯は、冷凍が何かあった気がする。

考えながらがちゃりと玄関のドアを開けて驚いた。
部屋の電気が点いていて、家の中にはご飯のいい香りが漂っていたから。

「え・・」

「おー、おかえりィ。遅かったなァ」

驚きで固まっていたら、キッチンで作業してたのかエプロンを付けた実弥が顔を見せた。
私のエプロンだから実弥には少し小さい様子が可愛らしい。
なんて言ったら怒られるだろうけど。

「・・急にどうしたの?」

「最近会えてねぇからなァ。心配で来ちまったァ」

そういって実弥は玄関まで歩いてくると、私の顔をみて眉間に皺を寄せる。

「お前、また痩せたかァ?碌なもん、食ってねぇだろォ」

両頬を抓られながら、まるで母親のようなことをいう実弥に思わず笑った。

「いはいよ」

「あァ、悪りィ」

全く悪びれていない様子の実弥は手を離しながら、私の鞄を持ち上げる。

「風呂湧いてるからァ。先に入ってこい。その間に飯、準備しとく」

「ありがとう」

久々にゆっくりと湯船につかれると思うと思わず頬を緩めながら、上着を脱いでお風呂場に向かった。



お風呂から上がれば、リビングのTV前の小さなテーブルの上にはおいしそうなご飯が並んでいた。
久々に人が手作りしてくれたご飯を食べると思うと嬉しくて、輝いて見える食卓を眺める。
体に気を遣ってくれたのか、あっさりとした和食だった。

「もう時間もおせぇから、あんま入らねェかもしれねぇけど」

テーブルの前に座っていると、実弥も横に腰掛けてくる。

「すんごく嬉しい。食べていい?」

「あァ」

「いただきますっ」

両手を合わせるとそっとご飯に手を付ける。
暖かいお味噌汁と頃良い焼き加減の魚がお腹に沁み渡った。
食べてる間もじっと実弥が見つめてくるものだから、恥ずかしくてたまなかったのだけど。

「おいしい・・」

「俺が作ってんだから当たり前だろうがァ」

そういって笑いながら、頭をぽんぽんと撫でられた。
あ、泣きそう。
瞳の奥にじんわりと感じた感覚を仕舞い込むようにそっとお味噌汁を飲み込んだ。

あっという間に食べ終わってしまった。
片づけをしようとすると、実弥に制され、ソファで休んでいろと言われてしまう。
そのままソファに身を預けているともれなく眠気が襲ってくる。
ふわふわとした気持ちのまま、瞼を閉じかけていると隣に実弥が座った気配を感じた。

「名前・・」

その少しだけ低く甘みを帯びた声が、どういった意味を持っているか知っていたのに。
眠気に勝てなくて、そのまま私は意識を手放した。


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キッチンで洗い物を済ませている少しの間に、名前はソファの上で瞼を瞑ってしまっていた。
思わず隣に座り、起きてくれればいいと名前を呼ぶ。
が返答はなく、代わりに聞こえるのは規則正しい寝息だけだった。
我慢できなくて、名前の首筋に顔を埋めキスを落としながら太ももに手を這わせる。
何度かキスを繰り返し、手を往復させたが力の抜けてしまった反応のない身体に顔を上げてため息をついた。


名前と会ったのは1か月ぶりくらいだろうか。
仕事がクソ忙しいのは知っているし、それがやりたかった仕事と言われれば止める道理がない。
以前軽く仕事を辞めて、一緒に住もう的なことも伝えたがやんわりと断れてしまった。
最初は頑張ってほしいという気持ちもあったが、ここまで会えないと体調や遅い時間の帰宅の心配もあるし、何より俺が名前不足で限界だった。
自身も繁忙期で今日も土曜出勤になったが、22時には仕事が終わったため名前に連絡したが、既読にもならず。
幸いにも明日が休みなのをいいことに名前の部屋に来れば、部屋は真っ暗だった。
部屋はこ綺麗に片付いてはいたが、その分部屋にいる時間が極端にないんだろうと推測できて、頭が痛くなった。
最近、いつも最終電車で帰っているとの話を思い出しながら、簡単な料理をして名前の帰りを待っていた。

そして久々に会えた彼女は生気がなく、以前にもまして痩せていた。

その姿に一層、早く一緒になりたいと思う。

そして、もっと名前と過ごす時間を増やしたい。

すぐには名前は承諾しないだろうが。




すっかり眠りに落ちてしまった名前を横抱きすると、ベッドまで運び起こさないようにそっと下ろす。
狭いベッドにぐっと自分も入り込んだ。
名前の体を背中から抱きしめながら、うなじに顔をうずめる。
久しぶりに嗅ぐ名前の甘い香りを堪能しながら、片手を下半身に伸ばした。
柔らかいお尻に手を滑らせ、そのまま太ももをふにふにと揉む。

『・・・本当に、痩せたなァ』

前回名前を抱いたのはいつだっただろうか。
肉付きの落ちた足を優しく撫でながら、名前の温かい体温に眠りに落ちていった。



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MONOMO