不明瞭な恋の片影を歌う 01



小さい頃から、歌だけは上手だと褒められた。
一度聞いた歌は音程通りに歌えたし、言葉の意味はわからなくても歌詞通りに発音することができた。
音楽以外の他の勉強なんかは、お察しって感じの頭だったけど。

母の知り合いに紹介されて地域の合唱団に入団したのが5歳の時。
そこから歌を歌うことがますます大好きになった。

高校生になった時、ある映画の主題歌のオーディションに連れて行ってもらった。
別に有名になりたいとかそういった気持ちがあったわけじゃない。
でもその映画の主題歌は映画のために書き下ろしされたもので、初めて聞いた時に心震えて鷲掴みにされたように聴き入ってしまった。
気持ちを込めて歌ったオーディション。
まさか受かるなんて思っていなかった。
そこからはとんとん拍子だった。
映画が公開されると同時に、私が歌った主題歌も注目され、期待の新人としてテレビなんかでも小さいながら取り上げられた。

結果、事務所に所属することになり、新人歌手としてデビューすることになった。
全く野心も希望もない、ただの凡人の少し歌の上手だった私が、急に有名人になって仕事をすることになったのだ。

仕事が忙しくなったから、東京に引っ越してこないか。
映画が公開されて1か月程経ったころ、事務所の社長から急に提案された。
両親とも未成年の私を一人東京に行かせることを断固反対した。
私自身は歌を歌いたいって夢はあるけれど、正直一人は不安だった。
両親と相談し断るつもりだったのに、社長さんはこれからの私の展望や、今までの仕事なりを熱心に語りどうしても折れる様子がない。
困ったね、と近所の幼馴染の家族と話していた夕飯時。
「俺がマネージャーとして名前についていきます」
そんな実弥くんの一言で、私の東京行きが即座に決まったのだった。

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幼馴染の実弥くんは10歳年上でお兄ちゃん的存在のとても頼れる人だ。
実弥くんの妹が私と同い年だったことや、家が近所だったこともあり実弥くん達とは本当に家族のように過ごしてきた。
あんなに心配していた両親も、実弥くんがついて行ってくれるなら安心ね、名前のこと頼むね、なんて言い出す始末。
部屋もルームシェアしたらお金も浮くしいいわね、社長にはマネージャーとして実弥くんのこと頼んでおくからと大賛成。
私は実弥くんに迷惑かけられないし、社長さんもそんなこと承諾するはずないっていったのに。
社長さんは私がくるなら条件を飲むなんていいだしたのだ。

私の気持ちと反対に東京行きが決断されていくこの状況に、私は一人、焦っていた。
何を隠そう幼馴染の実弥くんは私の初恋の人で、10年近くの想い人だからだ。
小さいころは、ただの仲のいい近所のお兄ちゃんだった。
それがいつからだろう。
実弥くんの事を異性として意識しだしのたのは。
小学生のころは、無意識を装ってよく実弥くんにお嫁さんにしてほしいって頼んだものだ。
そのたびに、大きくなったらな、って笑ってあしらわれていた。
やっぱり妹みたいにしか思われていないんだな、幼心にそう感じた私は実弥くんへの気持ちをなかったことにしようと、それ以降、実弥くんへの気持ちを口にすることはしなかった。
叶うはずがないって奥底に閉じ込めていたのに、ずっと私の恋心は燻ったまま。
まさかそんな状況で、こんなことになるなんて思っていなかった。

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「じゃぁ、こっちが名前の部屋なァ。俺は手前の部屋を使う」

今日はついに来てしまった東京への引っ越しの日だった。
事務所からも比較的近いマンションを実弥くんがいくつか選んでくれて、家族とも確認してその中の一つに決めた。
部屋に最小限の荷物を引っ越し業者が運び込むと、実弥くんが片付けしながら簡単に済むためのルールを決めていく。
両親は色々言っていたけれど、寂しそうに送り出してくれたし、むしろ実弥くんの両親の方が泣きそうな表情してくれていた。
何かあったらいつでもいうのよ、と言いながら、これ渡しておくわねと両親は私に封筒を渡してくれた。
何かあったら使いなさい、と。
いつなんどきにも備えておくべきと両親はギュッと私の両手に強く封筒を押し付けたのだった。



「部屋の鍵は閉めんなよォ。寝坊しても、起こしてやれなくなるからなァ」

よく二度寝をして、遅刻ギリギリで学校に行っていた昔のことを思い出したように、実弥くんはにやりと笑う。

「もう!子ども扱いしないで!ちゃんと一人で起きるよ」

「どうだかなァ」

「実弥くんの意地悪!」

笑いながら段ボールを奥に運んでいく実弥くんの後姿を見つめながら、私は洗面所の片づけを始める。
洗面台の前に実弥くんの歯ブラシと自分の歯ブラシが並んでいるのみて、思わず固まってしまった。
これじゃまるで、同棲を始める恋人同士みたいじゃない・・。
顔を赤らめて、一人意識していることが恥ずかしくなる。
実弥くんにとって、私なんて歳の離れた妹の一人くらいにしか思われていないのに。
そうじゃなければ、一緒に住むなんてきっと、承諾しないもの。



「明日はまず事務所行って、雑誌の取材。そのあとはニュース番組の取材がAテレビ局である。終わったら、歌の稽古だな」

眼鏡をかけながら、仕事用のタブレットをすいすいと動かしていく実弥くん。

「?実弥くん、目悪かったっけ?」

「伊達メガネ、な。仕事してるって雰囲気でんだろォ」

そういって眼鏡のふち越しににやりといたずらっ子のように笑う実弥くんは10歳も年上なんて思えないほどの幼い笑顔だった。
それに眼鏡の力は偉大だ。
普段見慣れてない分、かっこよさ増し増しになるんだよ。
心の中でドキドキしながら、私の仕事を確認する実弥くんにまた申し訳なさが募ってきた。

「実弥くん、ごめんね」

「あ?」

「自分の仕事辞めてまで、私なんかの為についてきてもらって・・・」

結局私のマネージャーの仕事の為に、実弥くんは働いていた大手企業の仕事をやめたのだ。
きっと仕事のできる実弥くんのことだもん。
将来も有望だったんだろうなと思うと本当に申し訳なくて、口籠もる。

「私“なんか”なんて言うなァ。名前の事を認めてる人たちに失礼だろォが。俺を含めて、な」

「・・実弥くんも私のこと応援してくれてるの?」

「じゃなきゃ、ここにいねェよ」

私の頭をぽんぽんと叩きつつ、真っ直ぐの濃紫の瞳が私を捉える。
確かに実弥くんの言う通りだなと、思い私はよしっと心に決める。

「私、もっと皆んなに届くような歌を歌えるようになるように頑張るね!」

「おーその意気だ、新人さん」

眼鏡越しのにやりとした実弥くんの表情にさっきドキドキと心臓が鳴りっぱなしだ。
それに触れられた頭の上が熱を持って仕方ない。
こんなに近くで実弥くんに気付かれないか不安なくらい。
本当に実弥くんはいつもずるい。

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「梅ちゃん!」

取材の打ち合わせ場所で親友の梅ちゃんの姿を見つけ、私は細身な梅ちゃんに抱きついた。
こんなに綺麗で体も細いのに胸だけは大きいから本当うらやましい。

「名前、あんた生きてたのね」

「会えてうれしい〜!」

「ちょっと、私の渾身の嫌味、聞いてた!?」

抱きつく私の体をぐいぐいと手で押しのけながら、梅ちゃんは相変わらずなクールビューティーだと嬉しくなる。

梅ちゃんとは同じ地元の合唱団で歌を歌っていた仲だ。
私よりもずっと歌もうまくて、その容姿の良さから早い段階で大手事務所からお声がかかった。
誰にもあたりの強い梅ちゃんだけど、いつも私が「梅ちゃんも歌もきれいだねぇ」と後をついて回っていたらいつの間にか仲良くなっていた。

「本当、相変わらずの間抜け面」

「梅ちゃんは相変わらず綺麗だねぇ」

ふんわりと伸びた髪を優しく撫でれば、梅ちゃんは深くため息をついた。

「マイペースっていうかなんていうか」

「梅ちゃんも仕事?」

「そうよ。そういう名前も東京に引っ越してきたらしいじゃない?」

私の服をぐいっと引っ張りこれでもかと顔を寄せ、耳元で小声で尋ねる。

「アイツと一緒に住むことになったんでしょ?」

「アイツ」とは実弥くんのことだ。
梅ちゃんは恋愛事に本当に鋭くて、私がずっと隠していた実弥くんへの恋心にも仲良くなってすぐに気づいた。
ずっと梅ちゃんには実弥くんのことを弱音共々相談してきたけど、いつももう諦めたら?って答えが返ってきて。
ぐっと言葉を詰まらせた私の顔を見て、結局気持ちがそっち向いてるなら仕方ないでしょ。って笑いながらお決まりの慰めの言葉をかけてくれていたのだ。
その言葉に何度も折れそうな気持ちは救われて、まだ、まだ好きだからって未練たらしく実弥くんを想いつづけていた。


「え?な、なんで知ってるの?!?」

実弥くんとはいえ、傍からみれば男性との二人暮らしなんて格好の噂の的だ。
事務所の社長とも厳重に秘密にしていたことなのに。
目を見開いた私に、梅ちゃんはこれでもかって綺麗に口角を上げた。

「名前の癖に私に隠し事なんて100年早いのよ」

「えっ!?えー??」

よくわからない理由だったけど、梅ちゃんがその事実を掴んでいるのは本当の事のようだった。
自信たっぷりに鼻を鳴らす梅ちゃんはまたぐいっと顔を寄せる。

「・・・なんかされてないでしょーね?アイツに」

「な、なんかって何・・」

あわあわと慌てる私をじっとりと一瞥すると、梅ちゃんはぱっと手を離した。

「その様子じゃ何にも進展してないみたいね」

「し、進展って・・・」

進展も何も、私は実弥くんにとってただの妹みたいな存在で、女性としての対象とならないからこんな二人暮らしの提案に乗るくらいであって・・・、あ、自分でいってて涙出てきそう。

「ま、名前が何考えてるなんかなんて表情見てればわかるけど」

はぁとため息をつきながら梅ちゃんは腰に手を当てびしりと私に指を突きつける。

「逆に考えなさいよ。そんな気のない女と一緒に暮らすわけないじゃない、アイツが」

「・・・・それは」

「あんたのこと特別に気にかけてるって証拠でしょうが」

実弥くんは私の事、気にしてないからこそ一緒に住むってばかり思っていたけど、梅ちゃんに言わせれば特別だからってことになるらしい。
まるで目から鱗な意見にぱちぱちと何度も瞬きした。
この瞬間まで私が特別だなんてこと一瞬でも考えたことなかったからだ。

「そ、そうかな・・・」

「そうよ。私の感は鋭いんだから」

梅ちゃんはいつもおどおどしている私と違って、言いたいことをはっきりと自信満々に告げる。
大好きな梅ちゃんに力強く言われ私は思わず、頬が緩んだ。

「そう、かな。そうだといいなぁ」

「・・本当、名前ってー「名前」

梅ちゃんが言いかけたところを通った低い声が遮る。
名前を呼ばれた方を振り向けば、実弥くんが手を上げていた。

「実弥くん」

「立ち話はそこまでだ。次の仕事に行くぞォ」

「うん、梅ちゃんまたね」

私はにこりと笑うと、手を振って実弥くんのところに近寄った。


「本当、いけ好かない奴」

去っていった名前と実弥の廊下を見ながら梅はつぶやいた。
去り際、実弥がこちらを振り返り、鋭く梅の事を睨みつけてきたことに名前は気づかなかっただろう。

何時もそうだ。
今までもずっと名前の一番傍にいて、名前の気持ちは受け取らないくせに、ずっと名前に触れる全てのことを本人の知らぬところで排除してきたのは実弥なのだから。
梅にとって、実弥の印象は、「怖い」であった。
表情が読めない、いつも名前と一緒にいる梅のことをわずらわしそうに見てくる。
名前が実弥のどこを好きのか全く理解できなかった。
でも実弥が名前にだけ見せる優しい笑顔には気づいていた。
実弥もきっと名前のことは普通以上、もう幼馴染の枠にはまらないくらいに想っているのだろうことは。
じゃなければ、わざわざ自分の仕事を辞めてまで、一緒に来ない。
いつも実弥は本心を隠して名前の一番傍に寄り添っていた。

『それならさっさと自分のものにしときなさいよ』

余裕で笑っている実弥に心底腹が立った。
全て見透かしたようなその笑みが、梅は嫌いだった。


そんな時、梅のスマホが揺れる。
画面をみて、梅は笑った。

「ちょっとは素直になったらいいのよ」

そういってスマホに返信を打ち始めた。

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「はぁ・・・。疲れたぁ・・・」

やっとこさ、今日のスケジュールが終わって家に着いたはもう日付が越えようとする寸前だった。
歌の練習だって地元の比じゃないくらいにハードな内容で、私はもうくたくただった疲れ。

「お疲れ様」

家の玄関を入れば、後ろからついてきた実弥くんが荷物を置きながらポンと頭を撫でてくれる。
満足げに笑うその顔に、また私の心臓は大きく跳ねる。
落ち着け、落ち着け。
呪文のように私は心の中で繰り返す。
実弥くんにとっては妹をねぎらうのと変わらない触れ合いなんだから。
・・・また自分で言ってて少し悲しくなってきた。
梅ちゃんは実弥くんにとって私が特別だって言っていたけど、やっぱりそうじゃない気がする。
だって私だったら好きな人とこの空間に居られるだけでおかしくなりそうなほど嬉しいし。それと一緒に、恋愛感情はないのかと思うと、身がちぎれそうな程、切ないもの。

「先に風呂入っちまえよォ」

「お、ふろ・・・」

一緒に住んでいるんだから当たり前なんだけど、実弥くんにいわれるのはこそばゆくって恥ずかしい。

「・・・うん、入ってくる」

少し熱を持ってきた頬を隠すように自分の部屋に走りこんだ。

「はぁー、一人でこんなに意識しちゃって、これから大丈夫かなぁ・・」

私の独り言は誰にも届かず、暗闇に消えた。



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