不明瞭な恋の片影を歌う 03




名前がしょんぼりと俯きながら部屋に戻った後風呂に入った物音を確かめると、俺は深く息を吐き出した。



俺には前世の記憶がある。
前世で俺は鬼殺隊と呼ばれる隊に所属し、「鬼」と呼ばれる化け物を倒すことに明け暮れていた。
その時恋人だったのが同じ鬼殺隊の隊士だった名前だった。
俺とは正反対で、いつも笑顔を絶やさない朗らかな女性だった。
お互い何時死んでもおかしくない状況で、名前は遠くを眺めながら良く言葉を零していた。

「もし・・。来世ってものがあるなら、また実弥の恋人になりたいな」

「・・・なんだァ、急に」

「ううん、ちょっと感傷的になっちゃったね」

名前は寂しげに笑った気がする。記憶はおぼろげだ。
そんな会話を交わした数日後、名前は任務で命を落とした。

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この世界に生まれ変わった時、最初は前世の記憶なんてなく名前のことも近所の可愛い幼馴染みの女の子くらいにしか思っていなかった。
ある日、俺が高校生で名前が小学生ぐらいの頃だったと思う。
名前が何時もと違う様子で、もじもじとしながら俺の横に座った。

「どうしたァ?」

兄妹も多かった俺は近所の妹の一人、という感じで名前を可愛がっていた。

「あの・・・、あのね!!私、実弥くんのこと大好きなの。大きくなったら、私を実弥くんの恋人にしてほしいの」

頬を染めて顔を上げる幼い名前の顔に、重なるおぼろげな昔の面影が見えた。
そこからまるで流れ込んでくる記憶に溺れるように前世の事を思い出した。



前世の俺は両親からの愛情に飢えて育ったためか、恋人になったものの名前との接し方がわからず、感情のままにぶつかることが多かった。
ある日は嫉妬から。ある日は虫の居所が悪くて。ある時は任務がうまくいかなくて。
怒りを情動のままにぶつかることしかできない俺を、名前は辛抱強く接してくれていたと思う。
名前は俺のことが理解できない、と涙を零すことが多かった。
だから来世でも一緒に居たいなんて言ってくれるなんて、言葉を聞いた時は驚いたものだ。



記憶が戻ってからは名前を今世では絶対に大切にする、守りたいという気持ちが強くなった。
名前は幸いにも俺の事を好きだと言ってくれている。
ただ10歳の歳の差はすぐに埋まるものじゃない。
俺が小学生の名前を恋人にするなんて、名前の両親が良い顔をするはずがない。
名前が20歳になるまで待たなければ。
それまで名前が俺の事を想ってくれているかはわからないが。



そこからはあらゆる手を使って名前を、本人の知らぬところで自身の手の届くところに置いておこうとした。
学校までの送迎や、習い事への送迎、遊びに行く時の付き添いまで可能な限り目の行き届くところで見守っていた。
幸いにも名前と妹の寿美が同い年だったため、寿美と一緒に面倒見ますというスタンスであれば、感謝こそすれど誰も反対などする人はいなかった。
名前に降りかかる虫は本人の知らぬところで勝手に払っていたし、それが本人にわからないように気を付けていたつもりだった。
中学に上がるころから、名前は以前のように俺のこと好きだなんて言わなくなった。
でもその優しい笑顔の矛先はずっとこちらに向いていることを願って。
それに応えてやることはすぐにはできないとわかっていて、傍に居続けた。
ただ、名前が中学生になったころからあの謝花妹だけが、俺にうるさく詰め寄ってきたのだ。
名前の事を放っておけ、恋人にする気もないのにかまうのはやめろ、と。
俺たちの問題にしゃしゃり出てくる謝花妹にいい気はしなかったが、謝花妹と名前は性格も正反対のようだったし、きっと交流もすぐなくなる。
そんなに注意しておくことはないと思っていた。
名前が何故か彼女をとても気に入って、仲良くなってしまったのは計算外だった。



歌を歌いたいとの夢をかなえるため東京に行く。
その話が出た時は正直焦った。完全に名前が手の届かないところにいってしまう。
だから名前のマネージャーになることは望んでもないチャンスだった。
名前の行動はすべて把握できる。
仕事中はずっと一緒に行動できる。
その上、同棲できるなんて本当に天が味方してくれていると思った。


だが、一緒にいる時間が増えた分、自分の欲が増していくのを日に日に感じていた。
名前が笑いかけるのも、触れるのも、話すのも、全て全て自分だけでいい。
深く漆黒の優しい瞳は自分の方だけ向いていてほしい。
前世の記憶がない名前は、前世の恋人だった名前とはもちろん別人なのは理解している。
名前が誰を好きになって、恋をするのかも、もちろん、自由だ。
何度も理性に言い聞かせているはずなのに、少しずつ心の欲望は溢れてくるばかりだった。
大きくなっても以前と変わらず名前が愛情を持って俺に接してくれているのはわかっている。
でもそれが恋心なのかは月日が経つごとに段々と自信がなくなっていた。
幼い頃の恋心なんて憧れに近い。
今は家族愛として俺の事を好いてくれているかもしれない。
年齢を重ねるごとに、より広い世界が名前を待っていて、俺といる世界はその一部になってしまう。
それを受け入れられない自分がいる。
彼女の世界は全て自分だけでいい。
欲望のままの独占欲に塗れた我儘だということは百も承知だった。



今日だって、妓夫太郎からのメールを見た瞬間、一気に頭に血が上り勢いのまま飛び出して名前を連れ帰った。
本当は心の冷静な心では分かっている。
童磨は昔から名前がファンだといっていた歌手で、謝花妹はそのことを知った上で名前と会わせたのだろうということ。
その写真もただのファンとの交流として撮ったものだということも。
でも、どうしても。名前の肩に触れるその掌が許せなかった。
このまま一緒にいたら、際限なくどこまでも名前のことを束縛してしまいそうだ。
家族でも、ましてや恋人でもない、只のマネージャーとタレントの関係だというのに。

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「・・・・そろそろ離れる、いい機会なのかもなァ・・・」

そんな気はさらさらもないのに一人天を仰ぐように呟いた言葉は、どさりと物が落ちる音にかき消された。

「!名前・・」

「さ、実弥くん・・。私と離れるの?」

名前が手に持っていたペットボトルを床に落としたようだった。
呆然とした表情で黒い瞳は縋るように俺を見つめる。
前世と変わらない煌めきが心を擽り、思わず小さく息をのむ。

「・・・・名前」

「わ、私の事が嫌いになった・・?」

慌てて駆け寄ってきて、ソファに座る俺の足元に正座するように座り込む。

「わ、たしがちゃんと言ってなかったから・・・・梅ちゃんと遊ぶだけ、なんていって」

「名前、別に俺は名前の事を怒っているわけじゃねェ」

今にも溢れんばかりに涙を湛えた瞳が上目使いにこちらを向く。
風呂上りでふんわりと香る甘い香りに酔いそうになりながら、ぐっとこらえた。

「怒ってねェから。それに名前と離れることもないから気にすんなァ」

「でも、今・・」

「・・・名前が望むなら、ずっと傍にいる」

本音だった。名前が望むなら、本能のままに。

「実弥くん・・」

「さ、明日も仕事だし、早く部屋に戻れェ」

名前の手首を掴んで、しゃがんだままの名前を立ち上がらせる。
まだ戸惑うような名前の気配を見ないふりして、付き添うように彼女の部屋に名前を連れて行った。

「・・・早く寝ろよォ」

部屋に入ってもまだ我慢するように下を向いたまま、唇をきゅっと噛む名前の頭を優しく撫でた。
扉を出ようとすると腰にギュッと柔らかい暖かさを感じて、思わず固まる。

「名前」

「私、実弥くんとずっと、一緒に居たい」

抱きついたまま見上げた真剣な瞳と赤い頬に、先ほどの俺の言葉に対する返答なのだと気づいた。

「・・・・それは、どういう意味だァ・・?」

期待してしまっていた。言葉に含む真実を分かっていて、あえて問わずにいられなかった。

「実弥くんが私のこと妹としてしか見てないのもわかってるっ・・マネージャーとして、仕事として私と一緒に居てくれるのも知ってる。・・けど、私は、ずっと、ずっと実弥くんのこと、が好き、なの」

返答を聞いた瞬間、体中に鳥肌が立った。

触れ合った身体が服越しにもわかるほどに、熱い。

くらくらと酔ってしまったかのような感覚。

「・・・困らせることいってごめー

次の言葉を紡ぐ前に離れようとした名前の頬を抱え、赤い唇に口づけた。
戸惑ったように息を吸い込んだ名前のぷっくりとした下唇を甘く噛む。
それだけの刺激で名前の身体は面白いように震え、思わず逃げないように抱きしめた。
名前髪を梳かしながら、露わになった耳元に口を寄せ、かすれた声で呟く。

「俺も、ずっと名前事が好きだ」

「!実弥くんも?ほんとに・・?」

驚いた顔の名前に薄く笑いながら片手で慈しむように後頭部から首筋を撫ぜ、耳朶を触れるか触れないかで柔く触れる。

「・・んっ」

頬を染め、睫毛を揺らし、身じろいだ名前の甘い声。
懐かしい名前の甘美な香りに、腹の底から湧き上がる衝動を制する。

「名前・・・悪ィ。これ以上は・・・・」

夜の準備なんてしてないし、ましてや名前は未成年だ。
今までそう思って気持ちを懸命に抑えてきたのだから。
ここで名前を情動のままに押し倒して良い訳がない。
感情を押し殺すように、名前の細い肩を両手で押し返し距離をとる。
俺の手の甲にカサリと何かが触れた。

「はっ?」

何かと視線を向けた先にあったのはまさかの避妊具の袋で、思わず本音の声が漏れる。
なんで、名前がこんなもの持ってる。
名前の真っ赤になって伏せられた瞳が恥ずかしそうに上がった。

「ここに引っ越してくる時に、お母さんたちからなにかあったら使うように封筒、渡されて。お金だろうって思って、この間、開けたら、これも入ってて・・・」

「はっ!?」

いやいやいや、事実なら名前の両親には俺の気持ちは筒抜けだったということか。
これを渡してくるということは、名前との仲を認めてくれていると少しは自惚れてもいいのだろうか。

「さ、実弥くん。私、もう子供じゃないから・・・」

ダメ、かな・・・そういう名前の耳まで真っ赤になった顔を見て、10年近く抑えつけていた俺の理性はどこかに吹っ飛んだ。


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