落照の微笑み 01



夕暮れ時が嫌いだ。漆黒の夜になれば、鬼に家族を殺されたあの夜を思い出す。黒と赤に塗れたその夜を。だから、夜に誘うようなあの夕闇が嫌いだ。



名前は鬼殺隊の隠部隊に所属している。元は実力も見込まれ、隊士を有望された身だった。しかし実際に鬼を目の前討伐に当たると、他の隊士に比べ自分の実力の無さを痛感した。悔し涙を何度も飲んだ。鬼の首が切れない。鬼殺隊の隊士としては役立たずだ。そんな自分を恨めしく思いつつ、少しでも家族の無念を晴らしたい、鬼の討伐の力になりたいとの自分の想いを叶える為に隠の仕事に志願した。

配属された当初、鬼と基本対峙することがないとはいえ隠の任務は多岐にわたり、名前はこなすだけで精一杯だった。目が回るような忙しさに、仕事が終わればただ屍のように布団で眠った。泣きそうになるたびに先輩の後藤さんがいつも丁寧に説明してくれた。最初こそ戸惑うことも多かったが、討伐の後処理を何度もこなすと慣れてきた。隠の中でも個々に向き不向きがあるため、なるべく自分の特異分野を担当する様にしている。名前は医療関係の事が嫌いでなかったので、負傷者の手当てを担当するようになった。怒られてばかりだった後藤さんに、手当てを褒められたときは隠として認めてられたようで嬉しかった。

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鎹鴉がけたたましく鳴く。真夜中、鬼が動き出すため、隠の任務は明け方に呼ばれることが多かった。この日はまだ夜が明ける前に号令がかかった。一緒の任務に行く後藤さんによれば、風柱様の討伐の後処理らしい。

「風柱様の後処理かぁ、気が重いわ」

「そうなんですか?」

「苗字は風柱様の後処理初めてだっけ?」

「はい。そうです」

後藤さんと任務地に向かう為、小走りしながら会話を交わす。隠の隊服の為、目しか伺えないが、後藤さんからは明らかにげんなりした空気が漂っている。

「風柱様とてもお強いからな。めっちゃ壊れてんのよ、色々と」

「なるほど」

「あとなぁ。風柱様の性格が、きっついんだよなぁ」

俺はこないだ殴られそうになったわ、と後藤さんは頬をかきながら話す。名前はこの隠の仕事に就いて1番位が高くて乙の隊士の後処理しか担当した事がない為、まだ柱様には誰とも会ったことがない。再度なるほど、と返すと名前は見たことのない風柱様に思いを馳せた。どんな人だろう。後藤さんが怖いって言うくらいだから余程の強面なのかもしれない。

「お前ぐらいくそ真面目だったら逆に合うのかもかなぁ」

「?逆に?何に合うのですか?」

「いやいや、こちらの独り言。もうすぐだぞ」

いつの間にか目的地に到着したみたいだった。今回鴉に言われて来た場所は山の中腹部の森の中だった。



場所に着くと名前は唖然とした。周りが見渡せるほどに木が倒され、地面には幾つも抉られた跡がある。余程の戦闘が此処で行われたらしい。後藤さんの言う様に、これは処理が大変そうだ。所々に血塗れた隊服が見え、名前はその1人に慌てて駆け寄った。ばっさりと鋭い刀の様な物で左肩から右腹にかけて切られた様だ。傷からは止めどなく血が流れている。息も絶え絶えだが、呼吸はしている。

「大丈夫ですか?私のことわかりますか?」

「うぅ。いた、い」

よかった。意識がある。虚な瞳にすぐに手当てにしますね、と声をかけて止血に入る。傷もそう深くないようだ。
と、向こうで何やら騒がしい声が出て聴こえてきて、名前は思わず顔を上げた。

「風柱様!その怪我のままでは!」

「うるせェ。俺の事は気にすんなァ」

他の奴にいけ、と、白い羽織をきた銀髪の人が辛そうに刀を立ててうずくまっているのが見えた。周りで2人の隠が近寄って手当てをしようとしているようだが、それを羽織の人は許さない。苦しそうにしている様子だが、頑なに隠を寄せつけないでいた。あぁ、あの人が件の風柱様か。遠くにいるから表情はあまり伺えないが、返り血なのか、自身の傷なのか、白い羽織はあちこちが赤く染まっているのが見えた。

「風柱様!」

隠の先輩が何やら一生懸命に風柱様を止めているようだ。その場面まで見届けて意識を自身の持ち場に戻した。目の前の彼は傷の割に出血は酷くないようだ。さすが鬼殺隊の隊士だなと感心する。この様子であれば助けられる。

ほっと胸を撫で下ろした時、目の端で何が蠢く物を捉えた。その方に何気なく顔を向けた。刹那、目の前に飛び出してきたその歪な塊に眼を見張った。鬼だ。しかも無残に斬られ、残骸となった上半身の塊のようだった。半分飛んでしまった口は歪に笑っている。なぜ。首は切られたんじゃなかったのか。疑問に思った瞬間、その塊の中に不気味に光る刃のような爪を見つけた。その塊は自身の横にいる重傷の彼に向いて飛び込んでいく。

「クソがっ!」

目の端の風柱様の姿が消えるのが見え、その次の瞬間、目の前の醜い残骸に日輪刃が突き刺さる。塊が半分に割れた。だが、鬼の刃は止まらない。勢いを失わない残りの半身は上から斬りかかるようにその爪を振りかざした。このままでは倒れている彼が危ない!咄嗟に名前の体は彼を庇うように、刃の前に飛び出した。

一瞬の出来事で何が起こったかわからなかった。悲鳴と、怒号が耳をつん裂く。目の前が、真っ白になったと思った瞬間、次に目に入ってきたのは真っ暗な空と赤い色だった。あの夜と同じだ。一瞬にして動悸がしてきた。右半身に激痛が走る。何が起こった。

「はっはっ」

冷や汗がでてきて、うまく息ができない。

「大丈夫かっ!?」

顔に傷がある銀髪の顔が名前を覗き込む。これが風柱様か。焦っているその顔をみて、名前は後藤さんからの話と違って怖くないなぁと何故か人ごとのように思っていた。体は鉛の様に重く動かない。

「おい!誰かこいつの止血をしろォ!!」

その声に弾かれたように数人の隠が名前を取り囲む。先ほど一緒にいた後藤さんも来てくれて、何故か自分を見て眼を見開いた。と、すぐに腰を下ろすと手当ての道具を取り出す。

「苗字、がんばれ。俺らが処置してやるから持ち堪えろ」
俺がわかるかと問われ、名前は首だけを動かして頷いた。
何故か涙声になる後藤さんをみつめて、名前は自分ばかり隠の手を煩わせて申し訳ない気持ちでいっぱいだった。他にも助けないといけない人は沢山いるのに。不甲斐ない。ごめんなさい。段々と瞼が重くなる。眼を瞑るな、起きろ!苗字!と叫ぶ後藤さんの声が遠くに聞こえた。

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ばっと目を覚ますと知らない天井が見えた。森にいた筈なのにここはどこだろう。窓から光が差し込んで、夜はすっかり明けてしまっている様だった。ふと自分の身体を見ると、包帯でほとんど巻かれている。視界が悪い。どうやら、顔の右半分も包帯で巻かれ、目も覆われているようだ。あの後、どうなったのだろう。名前は体を起こそうとするが思うように動かなかった。

「あ!起きたのですか!?」

声が聞こえ、その方向に唯一見える左目を向けた。病室に入ってきた綺麗な女性がニコリと微笑む。

「5日も寝ていたんですよ。私の声聞こえますか?」

ニコニコと覗き込まれ、名前は頷いた。

「私は胡蝶しのぶと言います。ここは蝶屋敷。貴方は怪我をして運び込まれたんですよ」

ちょっと見せて下さいね、と胡蝶様は自身の右半身の包帯を解いて、状態を見ている様だった。うん、治りは良さそうですね、と彼女は頷いた。

「あの、確か私。隠の仕事で風柱様の後処理に向かったはずなんですが、その後どうなったんですか?」

「ああ、そうです。不死川さんが、慌てた様子で貴方を抱えてきたものだから驚いたんですよ」

違う、現場がどうなったか聞きたかったのだが、彼女はおかしそうに微笑んだ。珍しいもの見られました、と胡蝶様は言うと、立ち上がる。

「あぁ、あの後、貴方に襲いかかった鬼はすぐに処理され、現場処理も問題なく終わったと聞いてますよ。現場の生存者も皆、助かりました」

聞きたかった事が聞け、名前は胸を撫で下ろした。
よかった、私が手当てしようとしていた彼も助かったのだろう。

「そうなんですね。教えて頂きありがとうございます」

「いえいえ。もう数日、療養が必要ですよ。寝ていて下さいね。多分もう少しすれば−」

胡蝶様が話の途中で入り口に目を向ける。名前もつられて視線を移すとそこには風柱様がいた。

「!起きたのか」

「あら不死川さん、お見舞いなんてまめですね」

くすくすと笑う胡蝶様と入れ替わりに、うるせぇといいながら風柱様が入ってきて、ベッドの横に腰かける。名前は風柱様と顔を突き合わせるのは初めてだった。後藤さんがいう様に、確かに睨みのきいた顔をしている。怖い、というより近寄りがたいな。でもとても綺麗な顔だと名前は思った。じっと顔をみていると、調子はどうだと問われた。

「今起きたばかりですが、悪くはありません」

「そうかァ」

少しの間、沈黙。その間、風柱様は何故だかずっと私の顔を見つめて、苦い顔をしていた。

「かおの−「苗字!!!」

風柱様が話し出すと同時に扉が開かれ、隠の面々が姿を見せた。後藤さんに同期の隠も来てくれてる。後藤さんに至っては何故か泣いてる。

「起きたって鴉にきいたぞぉ!!大丈夫なのかぁ、、!!って風柱様ぁぁぁ!!」

ひぃっ!と後藤さんは息を飲み込んだ。同期達もまさか風柱様がいると思わなかったのか、わたわたと扉の近くで焦っている。その気配を背中で感じていた風柱様は立ち上がりまた来ると溢すように告げ、部屋を後にした。

「ええええ!ごめん!苗字、俺らもしかしなくてお邪魔だった!?」

「そんな事ありません!来てくださってありがとうございます」

笑うと顔の右側に痛みが走って、思わず顔をしかめた。その様子を見て皆は暗い表情になる。

「まだ傷が痛むんだな。安静にしてろよ」

「そうだよ。まだ食べれないかもしれないけど、お土産持ってきたから」

部屋の中が賑やかになり、名前も嬉しくなった。何気ない雑談をしていたが、あまり長居しても体に悪いだろう、と暫くすると隠の皆は帰ると告げる。

「また来るからな!」

「ありがとうございます」

皆が帰ると、疲れが押し寄せ名前はそっと瞳を閉じた。

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ふと目を覚ますと窓の外は赤く燃え上がっていて、雲が黄金に照らされる。ああ、時間がだいぶ過ぎた。いつもならそろそろ隠の仕事のため準備をしている頃だ。この体の調子ではすぐに仕事には戻れないかもしれない。ギュッと布団を掴んだ。隠の仕事は私の生きる為の心の支えなのだ。ここでじっとしているなど、やりきれない。

「邪魔すんぞォ」

声が聞こえ、扉の方を見ると風柱様がいた。逆光で表情は窺えない。銀髪の髪が燃えるように赤く染まっていた。

「はい。どうぞ」

返事をすると風柱様は部屋に入ってくる。と、彼は片手に花を握っていた。あまりの不釣り合いな姿に一瞬夢でも見てるのかなと思った。

「花」

目の前にずいと差し出され面食らう。

「・・・はい」

私、風柱様に花を差し出されている。なんとも思いがけない状況に名前の頬が緩んだ。なんとか動く左手でその花を受け取る。どうしよう、まだ体起こせない。困ったように風柱様を見つめると、何か気付いたようにその花を再度手に取ると、棚の上にあった花瓶に挿してくれた。
夕陽の赤に照らされ、風柱様が持ってきてくれた白詰草は朱色に染まっている。まどから吹き込む風に揺れるその花を見ると何故かとても心が和んだ。

「ありがとうございます。風柱様」

「・・・いや、気にすんな」

するとまた、風柱様は私の顔をじっと見つめてくる。何かついてるのだろうか。

「風柱様?」

「・・・何でもねェ」

そういうと、風柱様は席を立ち、またなと去って行った。何だったんだろう。そんなお暇でもないだろうに。もう一度白詰草を眺め、お見舞いに花を摘んできてくれたのかなと思いをめぐらせた。

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その日から数日。蝶屋敷の皆さんにお世話になりながら少しづつ回復していった。始めは不器用にしか動かなかったけど、少しずつだが体は以前のように動くようになってきてとても嬉しかった。包帯も取れてきた。ただ、体に巻いた包帯を始めて取った時、右鎖骨辺りから胸を通りお腹にかけて入った太刀傷に驚いた。結構、傷が残ってしまったんだな。何処かの令嬢で、誰かの処にお嫁に行くのが定めというわけでは無いのでとりわけ傷に関しては気にはしなかった。それよりきちんと身体の節々がが動く事の方が大切だった。幸いなことに体は以前のように動いた。

「よぉ、邪魔するぞ」

「風柱様!」

返事もろくにする前に、風柱様が部屋に入ってくる。先日も来てくれたのに、また部屋を訪れてくれたことに驚いた。とても律儀な人なんだなぁ。体を起こして彼を出迎える。
彼が来る夕方は嫌いじゃない。ただ少ない言葉を交わすだけだが、夕暮れ時に銀髪を赤く染めて来てくれる彼に会うのは名前は内心、嬉しく思っていた。
その反面、自分を咎める。彼は先日の後処理で怪我をした哀れな隠を自分のせいだと自責の念だけでここにいるのだから。上司と部下のような上下関係だけがここにはあるのだ。その優しさに甘える余計な想いは捨てないといけない。

「調子、良いようだなァ」

「はい。お陰様で包帯も取れました」

後は顔に半分巻かれた包帯だけだ。体も動くようになったし、仕事に戻れる日も遠くないだろう。

「早く仕事に戻れるように精進します」

そう言うと、何故か反対に風柱様の表情が歪んだ。

「顔の包帯はいつ取れるんだァ?」

「胡蝶様の話だと後数日だと」

「そうか」

ふと彼は手を伸ばし私の顔の右側に巻かれている包帯に触れた。直に頬には触れていないのに、何故か右頬は熱を持つ。全てを赤く照らす太陽の前に彼の温度は測りしれない。目の前の彼に湧き上がる心の気持ちに必死に蓋をする。

「風柱様?」

「っ!悪りィ」

弾かれたように手が離れ、彼は立ち上がる。またなと告げ、夕陽の色を背負って帰って行った。いつも言葉少なに去る彼は何を思っているのか。名前は考えても答えは出なかった。

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「名前さん、名前さん」

数日後、病室にいると胡蝶様がやってきた。だいぶ調子が良くなった。そろそろ退院かもしれない。

「今日は退院できるか確認に来ました」

「ありがとうございます」

後巻かれているのは顔の包帯だけだ。

「顔の包帯も外したいと思います」

「はい、お願いします」

そういうと、胡蝶様はベッドに腰掛けた私の目の前にやってきて、後頭部から包帯を外してくれる。包帯が頬をかすめる感触がして、もういいですよ、との声かけに眼を開く。が、視界は変わらない。相変わらず、右側は暗いままだ。あれ、どうして。

「名前さん、貴方の右目は失明しています」

「え・・」

思いがけない宣告に言葉が出ない。

「あと。これを」

そう言って胡蝶様から差し出されたのは手鏡だった。震える手で恐る恐る鏡を覗く。顔の右側、眉上から目の上を通って顎下まで、太刀傷が入っていた。傷はある程度覚悟していた。体に入った太刀傷は先に見ていたからだ。でもこんなに大きな傷が入っているとは思っていなかった。まして、失明しているなど。

「・・か、隠の仕事は続けられるのでしょうか・・」

鏡を見ながら消え入るような声になる。胡蝶様は顔を曇らせた。

「残念ながら難しいでしょう」

「そんな!片目しか見えないですが、何がお役に立てる事が」

「貴方もご存知だと思いますが、隠の仕事も片目だけだとこなすのも大変でしょう」

言葉を選ぶように、でも淡々と胡蝶様が告げる。分かっている。隠の仕事の事は身をもってどの様なものか知っている。戦う事が専任ではないとはいえ、様々な危険が付き纏う。片目だけでやっていけるのかと問われれば答えは否だ。
もう隠にはなれない。鬼殺隊にも居られない。そう思うのとはらはらと涙が溢れてきた。

「そう、ですか」

隠の仕事を続けられないなんて、私には死刑宣告にも近いその言葉を静かに飲み込む。泣くな。自分はただ、そういう運命だっただけだ。

胡蝶様が私の様子をみて静かに部屋を出て行き、1人部屋に取り残された。
これからどうしよう。仕事が出来ないなら、鬼殺隊を出ていかないといけない。後藤さん達に挨拶に行って荷物をまとめてどこに行こう。あてなんてない。

「父さん、母さん、皆さん、役立たずでごめんなさい」

誰もいない部屋の中、1人呟いた。

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蝶屋敷にいるのも辛くなって、その日のうちに荷物をまとめて退院することにした。胡蝶様やアオイさんは皆心配してくれたが、その気遣いもなんだか申し訳なくてたくさん頭を下げて別れを告げる。さて、とりあえず隠の待機場に向かおう。

蝶屋敷から、待機場まで荷物を抱えて歩く。すれ違う人が皆、次々に私の顔を物珍しげにじっと眺めるので、包帯を巻いてもらうべきだったなと少し後悔した。田んぼが続く道は水田が赤く染まる。私の嫌いな夕暮れ時だ。

また、1人だ。あの日、家族を失った日が思い起こされ、喪失感に身が震えた。やっと、鬼殺隊に居場所を見つけたと思ったのに。自分にもできる事があると思ったのに。足取りが重い。それだけは思ってはいけないと思いながら。いっその事こと、あの時、鬼の刃に倒れていれば−。

「苗字」

名前を呼ばれて意識が引き戻される。思わず硬い顔のまま振り返った。風柱様だった。

「風柱様。如何なさいましたか」

ふと夕暮れになるとお見舞いに来てくれた彼を思い出し、あれはやはり贖いだったのだなと、申し訳なくなった。きっと、先日の後処理の際に私が負ったこの顔の傷を気に病んでいるのだろう。もしかしたら目のことも知っていたのかな。他に亡くなった人も、傷を負った人も沢山いるだろうに。本当に彼は優しい人だ。

彼は私の顔を見ると少し驚いた表情になったが、すぐにいつもの表情になった。

「傷は痛むかァ」

「いいえ。大丈夫です」

「右目は、見えるか」

「いいえ。見えません。なので、隠の仕事もできなくなりました」

「・・これからあてはあるのか」

「特にありません。町に降りてなんとか細々やっていければと思ってます」

この顔だと細々も厳しいかもしれないと名前は思う。大きく目立つ顔の傷はきっと他の人には嫌悪されるだろう。普通の生活は難しいかもしれない。でも、皆に助けて貰ったこの命、馬鹿な考えはやめて、生きていかないといけないから。ぐっと荷物を持つ手を強く握る。

「なら、俺のところに来りゃぁいい」

「え?」

急な申し出に目が見開かれる。

「屋敷の女中が足りねぇって言ってんだァ」

そんな話は聞いたことがない。柱様の屋敷のお世話は基本隠がやっているから知っている。それに風柱様が屋敷に女中を置いているなんて初耳だった。

「風柱様、ですが」

「行くところ決まってねぇんだろ?なら決まりだな。行くぞォ」

そう言って彼は私の手を強引に掴んだ。
ぐっと力の入る彼の手を見て、彼の顔に視線をあげる。夕陽に照らされ、彼の顔も髪も朱色に染まっていた。真剣なその眼差しが私を見ていた。心が救い上げられるように、涙がこみ上げてきた。

「っ!私がおうかがいして、大丈夫ですかっ!」

思わず声が裏返った。その様子をみて初めて彼の口端が上がった。

「あァ」

必要とされる事がこんなに嬉しいなんて。藍を含んだ空を背に、またじんわりと夕陽が朱華色に彼の髪色を染める。これからはこの空色をみても寂しくなる事はないようだ。心に深く積もった感情を踏み締めて、名前はそっと一歩を踏み出した。


※企画サイト「黄昏時の夢幻劇」様 提出作品


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