21:お帰りと愛情の狭間
屋敷までの道中、名前に負担がかからないように慎重に抱きかかえて運ぶ。
壊れ物を運ぶように、時に力加減を変えながら実弥は家路を急いだ。
煉獄が言っていたように薬が効いているのか、名前はぐったりとしたまま全く起きる様子がない。
疲労の浮かぶ名前顔を見ながら、実弥は今日は何と長い一日だったかと深く気を沈めていた。
祭りに誘って、気持ちを伝えるだけだったはずの計画が尽く裏をかき、飛んだ方向に転んだものだと深くため息を吐く。
去り際の寂しげな名前を思い出してぐっと抱きかかえる腕に力を入れれば、鼻を掠めた香りに実弥は足を止めた。
名前から漂う香の香りは、いつも彼女から香るものと異なっていた。
良く見れば、名前が着ているものは祭りに一緒に行った時と違う柄だった。
『・・・・煉獄のところのかァ』
しばらくの滞在で移ったのか、もしくは名前が着ている着物から香るのだろう。
実弥は腹の底から湧き上がる怒りのまま眉を寄せ、大きく舌打ちをした。
今すぐに名前に纏わりついたこの香りに上書きしたい。
煉獄を思い起こさせるこの香りから名前を引き剥がしたい。
自分勝手な衝動に駆られながら、屋敷へと走り出した。
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名前がふと目を覚ますと、ぼやけた視線の先に薄らといつもの天井が見えた。
深くに沈んでいた意識をゆっくりと浮上させる。
すぐに動かない頭で寝惚けたまま、何度も瞬きを繰り返す。
『私、どうしてたんだっけ・・・・』
実弥様とお祭りにいって、藤宮様に会って、女の子を家に送っていて、鬼に出くわして・・・それから・・それから。
順を追って思い出していた名前の意識は炎のような煌めく影を思い出し、急激に覚醒した。
『そうだ!煉獄さんに助けてもらって・・・それからー』
そこから先の記憶がない。
確か最後の記憶では抱えられて、炎柱様の屋敷に行っていたはずである。
『でも、此処はいつもの、風柱様の屋敷だ』
訳がわからず寝たまま動けずに考えていると、不意に襖が開いた。
「!目ェ覚めたのかァ」
「・・実弥様」
急な主の登場に名前は慌てて上半身を起こし、布団から出ようとした。
そのままでいいと名前に告げながら、実弥は名前の寝ている布団の隣に腰を下ろす。
「体調はどうだァ」
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」
「傷は、痛むかァ?」
「いえ・・」
胡坐をかいて座った実弥を見ながら、名前は回らない頭で考える。
「実弥様。あの、私、炎柱様のところに居たような気がするのですが」
実弥は上半身起こした名前の首元に手をあて顔にまかれた包帯をゆっくりと外す。
くっきりと締め付けられた赤い傷の状態を見ながら、実弥は再度は名前の問いに答える。
「俺が連れて帰ったからなァ」
「左様でございますか・・。お手を煩わせて申し訳ありません」
頭を下げようとする名前を実弥は、気にするなと制した。
「俺が連れて帰りたかったから連れて帰った。それだけだ。お前が気にすることじゃねェ」
連れて帰りたかったからー。
きっと深い意味はないだろうに、その言葉に揺れる心を名前は恨めしく思う。
「それよりー」
間を置くように止まった実弥の言葉に名前は俯いた顔を上げた。
「名前。着てるもん、脱げェ」
「・・・・・・・脱ぐ・・・?」
一瞬何と言われたかわからなくて名前が遅れて返事をすれば、実弥はチッと舌打ちをした。
「その、寝間着。煉獄のとこのだろうがァ」
苛立った態度そのままに、実弥が青筋を立てる様子に名前は焦る。
「・・・・・・あ、えっと」
言われて着ているものに目を向ければ、身に着けていた寝間着は見た覚えのないものだった。
鬼に襲われた時に来ていた浴衣は破かれてしまったし、煉獄の屋敷に連れて行かれた際に、隠が着替えさせてくれたのだろうか。
そんなことを思いつつ、名前は目の前で実弥が何故こんなにも苛々としているのか不思議だった。
お借りしてしまった寝間着は一刻も早く煉獄へ返却しないといけないのは理解している。
今、脱いだところで洗濯して日に干して、できるなら皺もよく伸ばして返却するからー
返却までの日数を計算していると、待ちきれなかったように実弥の手が名前の帯にかかる。
ずいと身体を寄せてくる実弥に反射的に名前は身体を引いた。
「さ、実弥様。私、風呂にも入ってないですし、汚いからー
「拭いてやる。傷の手当ても、俺がしてやる」
近づいてくる実弥の肩越しに、既に用意された桶や手拭いなどが見えて、名前は益々焦った。
女中の立場である自身に、主である実弥に対応させてしまっていることが心苦しかった。
どうしてそこまで今すぐに、寝間着を、とこだわっているのか理解ができない。
それに時刻は昼である。
何度か身体を合わせたといっても、こんな真昼間から自分だけ裸になるなんて恥ずかしくて消えてしまいそう。
必死に考えている間に、腹あたりで留められていた帯を真顔で解かれて、名前は実弥が本気なのだと悟った。
一気に顔に熱が集まっていく。
「さ、実弥様!そんな、実弥様の手を煩わせなくても、隠の誰かに頼みますので」
「駄目だ」
懇願にも近い声の望みは、強い声色にぴしゃりと絶たれてしまった。
慌てている名前を気にせず、実弥は名前の帯をしゅるりと抜き取った。
「わ!待ってください!」
今にも肌蹴てしまいそうな寝間着を胸元で押さえながら、名前は片手を止めるように実弥の前に差し出した。
一瞬、動きの止まった実弥に、その短い間に名前は必死に考える。
「ま、前は自分でするので!せ、背中を」
せめて背中なら、まだ、まだ、良いかもしれない。
普段の女中としての在りようを忘れて、名前は肩からずり落ちてくる寝間着で胸を隠すのに必死だった。
「・・・分かったァ」
渋々といった様子で、実弥は名前の背中側に移動する。
背中からじっと視線を感じて、名前は観念したようにゆっくりと寝間着を下ろした。
白いうなじから腰のあたりまで、露わになった背中を見て実弥は眉をひそめた。
色んな箇所が切り傷や、打撲の痕で赤くなっている。
『クッソ』
名前に入った傷でさえ、他人に付けれたのだと思うと嫉妬の念が腹の底から湧いてくる。
苛立ちを落ち着けるように持った手拭いをお湯で濡らすと、ゆっくりと名前の背中を拭いていく。
「・・・痛ェか?」
「いえ、大丈夫です」
名前は必死に頭を下げて、恥ずかしさで消え入りそうになる気持ちを抑え込んでいた。
傷だらけの今の自分の身体は、いつも以上に見せられたものではないのに。
ましてや実弥に身体を拭いてもらうなど本当であれば言語道断だ。
加えて、実弥への恋心に気付いてしまった今となっては、色んな感情が溢れ出て声が漏れそうになるのを堪える様に名前は俯くしかなかった。
綺麗に背中を拭き終わると、実弥は胡蝶にもらった塗り薬を手に取った。
小さな楕円の硝子容器に入った軟膏を指に掬い取り、名前の背中の傷の上に這わせる。
名前の身体が揺れた。
「滲みるかァ」
「いえ、少しくすぐったくて」
ぬるりと優しく背中を這う感触が実弥の指だと考えるだけで、名前は胸の奥底が熱くなり深い吐息を吐き出した。
MONOMO