20:夜濡れのアジタート




実弥は屋敷に向かって走っていた。
辺りは夕暮れに包まれて、じきに日が沈む。

『遅くなったァ』

名前が後、慌てて駆けて行った後を追いかけようとしたものの、藤宮に掴まれた腕がそれを許さず。
いい加減にしてくれ、と思わず漏れた本音と低い声に藤宮は泣き出した。
お付きの使用人が藤宮に駆け寄り、手が離れたその隙を見逃さず実弥は名前と同じ方向にすぐに走り出した。
が、結局、道中名前の姿はみつからなかった。



何故、名前が藤宮の事を知っていたのか疑問だった。
あえてその話を自身は名前に伝えていないので、きっと他の隠か誰かに聞いたのだろう。

『チッ・・・余計な事を』

そう思うと同時に自身の知らぬところで広がっていく噂話に腑が煮え繰り返るようだった。
有る事無い事に尾鰭がついて、陰で言われているに違いない。
今回のことで名前との間に溝が開くことは避けたかった。
先程の名前の無理をした笑顔が浮かんできて実弥は舌打ちをした。




屋敷が見えてきて、実弥は違和感に気づく。

『・・?明かりがついてねェ』

名前が帰っていておかしくない時間なのに屋敷の門には明かりがついてない。
あの名前がつけ忘れるなんてそんなことはあるはずがない。
急いで屋敷の戸を開ける。

「名前?いんのかァ」

玄関から声をかけるが返事はなかった。
屋敷の中は真っ暗でしんと静まり返っている。

『どういうことだァ』

屋敷に居ないとなると考えられる事は一つ。
名前は家に帰っていない。
つまり帰り道で何かがあったという事だった。振り返れば外はもう、夜だ。

『チッ!』

思うが早いが帯刀し、鴉を呼びつける。

「名前を探してこい!」

「承知シタァァ!」

空に高く飛び上がる鴉を見ながら、実弥はきた道を全力で疾走した。





道すがら、くまなく探すも名前の姿はない。
遠くには行けないはずだとめぼしい脇道も探すが姿はなかった。
自分から名前が寄り道をするとは考えにくい。
ならば何かがあって、道を逸れた事実が考えられた。

『・・まさか、鬼に』

幾度も味わったじんわりと沈むような底冷えが足の先から襲ってくる。
いや、何もわからないのに悪い方向に考えるなと自分を律し、再度足を進めた。
走りながらも、実弥は喉がつかえるのうな感覚を覚える。

『・・どうしてこうなったァ』


夏祭りを一緒に楽しんで、気持ちをやっと伝えるつもりだった。

始まりは色々とあったが、これからはもっと名前の事を大切にするつもりだったのに。

『クソッ!』

家を出る時の微笑んだ名前の顔と、寂しそうに袖を引いた名前の顔が浮かんで、実弥は立ち止まった。

心臓の音が煩く聞こえ、そっと額に手を当てる。

冷や汗が止まらない。

こうやって、すぐ側で幸せは壊れていくのに。 


いつも、いつも、俺はー






と、鴉の羽音が聞こえ意識を取り戻す。
肩に降りてきた鴉はけたたましく叫んだ。

「名前!鬼ニ襲ワレタ!!」

「なっ!」

おもわず目を見開きながら、言葉が出てこない。
ああ、最悪の結果にと、目を伏せかけた瞬間、また鴉が叫ぶ。

「デモ、無事!炎柱ガ駆ケツケテ無事!!」

まるで嬉しさを表現せんばかりに大袈裟に羽根をばたつかせる鴉に、実弥は心を撫で下ろし深いため息をついた。

よかった。

名前は生きている。

「名前、炎柱ノ所ニ居ルッテ!」

「煉獄の・・」

意外なの名前の登場に眉をひそめつつ、実弥は煉獄の屋敷に向かうべく走り出した。





「不死川!」

「煉獄」

煉獄の屋敷まで来ると門のところに煉獄の姿を見つけた。
駆け寄れば、いつもの様子で煉獄は続ける。

「鴉が名前は、不死川のところの女中と教えてくれたんだ!」

「名前の様子はァ?」

「鬼に襲われたが、命に別状はない。ただ怪我をして鎮静剤を飲んだ。今は寝ている」

実弥は名前を怪我をさせてしまった現状と、助けてやれなかったことを忌々しく思いながら、無事でいてくれたことに安堵した。

「・・手間かけて悪かったなァ。名前は俺が連れて帰る」

「それは許可できない!」

勢いよく腕を組んで返事をする煉獄に実弥は眉を顰め、眼を血走らせた。
腕にも青筋が浮かぶほどに力が入り、全身の毛が逆立つように怒りを滲ませる。

「ハッ!?なんでてめぇの許可なんぞもらわなくちゃならねェ?」

絞り出すようなしゃがれた声にも、煉獄は全く表情を崩さない。

「今動かせば、名前の体にひびく!」

至極真っ当な理由を言われ、実弥は口を結んだ。
正直、他の男の家に名前を置いて帰るなど、言語道断である。
が、名前の体調に触ると言われ、その怪我の原因を作ったのが自身の行動とあれば、強くいえなかった。

「・・・名前と知り合いなのかァ?」

いつもの様な威勢の良い煉獄の話を聞きながら、実弥は名前と呼ぶ煉獄に苛々が隠せないでいた。

「昔、少し一緒に鍛錬した仲だ!」

「・・・へェ」

これほどになく、苛ついた。
昔の名前を知っている煉獄に対する嫉妬心だと分かっていた。
いくら自身が求めても知ることのできない名前の過去を知っているのかと思うと、叫び出しそうに心が揺れる。
一度落ち着こうと、実弥は息を吐き出した。

「・・・名前の様子、見てもいいかァ」

「うむ!多分寝ているだろうが、少しなら大丈夫だろう」





煉獄は名前が寝ている部屋に実弥を案内した。
すっと襖を開けると、名前は部屋の中央の布団に寝かされていた。
瞑られた目に顔や首元にも痛々しく包帯が巻かれている様子に実弥は深くため息をついた。
膝をついて、名前の顔の傍に正座する。そっと、手の甲を名前の頬に当てればほんのり伝わってくる暖かさと、手をかすめる名前の寝息にやっと胸を撫で下ろした。

『・・・・生きてる』

煉獄がたまたま居合わせなかったら。
もう、一生、名前に会うことは叶わなかったかもしれない。
そう思うとじんわりと心に広がるものがあって、そっと名前の頬に両手を伸ばし、その頬を包み込んだ。
親指で顔の傷をなぜるとそっと額をくっつけた。

『ありがとう、ございます』




煉獄は目の前で、名前と額を合わせ動かなくなった同僚の背中を見て固まっていた。
不死川といえば、いつも粗暴で言葉も荒く吹き荒れる木枯らしのような男だと煉獄は思っていたからだ。
自分の知らないところで、女性や子どもには優しかったのかもしれない。
だが今目の前の不死川は自分の知らない人のようだった。こんなに愛情深い表現をするような男だったか。

『ここにいるべきではない気がする』

そう思ってそっと廊下に出て襖を閉めようと手をかけた。

「煉獄」

声をかけられ途中まで閉めかけた手を止めた。 

「ありがとなァ」

それが、名前を助けた礼の言葉だと気づいて煉獄は頬を緩める。実弥は向こうを向いているので表情はうかがえないが、穏やかな声だった

「あぁ」

「・・気ィ使ってもらって悪りィが」

そう言った次の瞬間には実弥は名前を抱えて立っていた。

「名前をここに置いておけねェ」

「不死川っ!」

待て、と言おうと手を伸ばした瞬間には2人の姿は消えていた。
煉獄は空になった布団を見つめる。

「・・・うむ!」

1人腕組みをして納得する。
不死川のあの名前への接し方はやはり、女中と主人のそれではない。

「それなら此処に置けないというのも納得がいく」

1人、煉獄が呟いた声は暗闇に吸い込まれていった。



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