crazy about only you



実弥さんは完璧だ。

本人は、至ってそれが普通ですみたいな、特別なことしてませんみたいな、いや、そんなことさえも感じさせないくらいにさらりとなんだって器用に熟すものだから、湧き上がるのは羨望というよりはむしろ尊敬や憧れの感情にちかい。そうしてそれらは仕事面のみならず、私生活にも適応されることで、規則正しい生活と、掃除洗濯料理まで、その辺の女子は敵いっこないくらいそつ無くやってのけてしまう。

時に休日、ちょっとうっかり寝過ごした日には、目覚めた時には部屋中に食欲をそそるいい香りが漂っているのはもちろんで、朝陽が差し込むリビングで長い脚を組んで珈琲を啜る実弥さんの隣に行けば咎めるどころか「おはよう」と微笑まれるのだから、もう朝っぱらから心臓に悪いやら、申し訳ないやらでぐちゃくちゃになるのだ。


つまり何が言いたいかというと、どこをとってもパーフェクトで所謂ぜんぶがイケメンの実弥さんが恋人であるということは、いまさらながらわたしにはちょっぴり、もったいないような気もしている。


とはいえもうすぐ3年になる交際は順調で、存外早く始めた同棲生活を含めても喧嘩のひとつもしたことがない。そもそも、先見の明を持ち合わせる実弥さんに不満があるはずも無く、揉める原因も生まれなければ、一方的に調子が悪いわたしをその大きな器と広い胸板で受け止めてくれるからして、ひとり醸した不穏な空気なんてものはあっという間に消えてなくなる。


結局のところもったいないなんて謙遜は建前で、実弥さんがわたしの恋人であることは最高の最強にこの上なく幸せで、その気持ちをいつだって口にしていたいほどに、わたしは実弥さんのことが大好きなのだ。


「実弥さん」
「うん?」
「今日も素敵」
「おー」
「かっこいい」
「そうかィ」
「だいすき」
「ン、俺も」

用意されたバランスの良い朝食を食べながら、正面に座る実弥さんを見つめそう言えば、返ってくるのは至極冷静なお決まりの文句。もちろんわたしだってしながら子供っぽいとは思っているけれど、それでも言いたいのだから仕方がない。だってもしも明日、いや次の瞬間にでも、天と地がひっくり返るような出来事が起きて別れ別れになってしまったとしたら、告げそびれた思いを抱えたままではわたしはきっと成仏できないだろう。最も、そんなことが起きた日には地を這ってでも探しに行くし、それにきっと実弥さんも、わたしが見つけるより早く、わたしのことを見つけてくれるとは思うけれど。あれだめだ、どっちにしたって不可抗力だとしても、別れるなんて考えながらなんだか悲しくなってきた。だからこの話はもうおしまい。


それから、2人揃っての休日に、どこに行こうかなどと話していた矢先、鳴り響いた着信に眉を寄せた実弥さん。「後輩だわ、悪い」と呟きディスプレイをタップすれば通話すること数分。盗み聞きするつもりはないけれど、すぐ側で機械越しに聞こえる声はやたら騒がしく、実弥さんの眉間の皺を深くしていった。そうして通話を終えた実弥さんが暗転した画面を一瞥し携帯電話をテーブルに置くと、天井を見上げ、吐き出されるのは大きなため息。

「ッたく、トラブルだ」
「えっ?大丈夫ですか?」
「アァ。ちっと指示だけ出しちまうから、出掛けるのはその後でもいいかァ?」
「いえいえ、むしろ今日はお家にいましょうよ!ごはんもわたしが作ります!」
「そうかァ?」
「きっと後輩くんも困って実弥さんを頼ってきてるはずだし、それにほら、デートはおうちでもできるもの」
「そうかィ…うん、ありがとなァ」

もちろん楽しみにしていたからして、寂しい気持ちはゼロではないけれど、それでもパソコンに向かう姿は存外貴重だからと期待する素直な煩悩もあるのだから、本当にわたしはどうしようもなく、実弥さんのことが好きなのだ。


そうして、謝る実弥さんに構わないからと断って奥の部屋へと追いやれば、朝食の片付けと洗濯、煩くない程度にと床にモップをかける。観葉植物に水もやって、それから読み途中の本に耽っていればあっという間にお昼近くになっていた。

実弥さんはもちろん料理が上手いけれど、一応美味しいと評価もいただいているくらいにわたしもそこそこできる方ではある。平日に関しては当番制、週末は2人で作ることも屡々あった。


作ると言ったものの何か食べたいものがあればリクエストに応えようと、ついでにかれこれ2時間ほど籠ったままの、稀有な仕事モードの実弥さんを一目みたいなと控えめにノックすれば、返ってきた「いいぞ」の声に呼ばれて扉を開ける。

「どうしたァ?」
「あっ、お昼、何が食べたいかなって」
「ん?アァ、もうそんな時間か。悪ィ、せっかくの休みだってのに」
「ううん、いいの。それに、実弥さんが家で仕事するなんて滅多にないから、ちょっと嬉しかったり」
「ハ?」
「だって、なんていうか、貴重だもん」
「なんだそりゃ、ンないいもんでもねェだろォ」
「いいもんなの!なんならスーツも着て欲しいくらいです!」
「ハァ?どういうこったァ」

つい漏れ出た本音に笑った実弥さんももれなくかっこいい。と同時に、こんな人が実際にスーツを着て会社のデスクに上司として座っているのだから、間近で関わる社員の皆さんをちょっぴり羨ましく思う自分に心内で苦笑した。

「お昼、何か食べたいものありますか?」
「名前が作ってくれンなら、なんでも」
「っ…またそうやって言う」
「本当のことだからなァ」
「もうっ…、わかりました。できたら呼びにきますね」
「いや、こっちももう方が付くから、終わらせてリビング戻るわァ」

そう言った実弥さんに了解して、わたしは部屋を出てキッチンに向かった。


休日のお昼らしくパスタにしようと麺を茹でる間ソースを作っていれば、リビングに戻ってきた実弥さんからキッチンカウンター越しに視線を感じる。

「パスタ?」
「うん、実弥さんがこの間美味しいって言ってくれた、きのこの、和風の」
「あれかァ、美味いよなァ。楽しみにしとく」
「はい!10分くらいで出来るので」
「おう」


そうして完成したパスタを盛り付けて、ダイニングに目線を向ければいつの間にかランチョンマットとカトラリーも並べられていた。いつもながらの手際の良さに感動していれば、気配を感じた実弥さんがソファから立ち上がってキッチンにやってくる。

「うまそ」
「張り切りました」
「食うかァ」
「うん、食べましょう」

言いながらコップにお茶を注ぐ姿にやっぱり抜け目ないなとまたしても感動しつつ、湯気を立てる出来立ての2皿と、合わせたスープ、それから作り置きのサラダを、これまた当たり前のように伸びてくる腕とともに手分けして運んだ。


「ありがとなァ。いただきます」

向かい合った席で言葉と共に微笑まれ、それからきちんと手を合わせてフォークを手に持つ、所作のひとつひとつまで美しい実弥さんに続いて、わたしもフォークを取った。


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「んまかった、ごちそうさん」

底見えした食器を前にもう一度笑顔を向けられて、手を合わせた後席を立つ実弥さんは「洗いもんは俺がする」と腕を捲る。露わになった逞しい腕に浮き出る血管が綺麗で、思わず触れたくなったところを寸前で持ち直してからわたしもその後に続いた。

「座ってていいぞォ?」
「いいの?」
「これくらいさせろっての」
「わかった、ありがとう」

ここは素直に甘えようとリビングに戻りソファに座る。


そうして暫くして戻ってきた実弥さんもわたしの隣に座った。

「お皿、ありがとうございます」
「おう」
「トラブル解決しましたか?」
「あァ、大事にはなってねェから大丈夫だ」
「そう、よかったあ」

わざわざ休日に連絡をしてきたのだからそこそこの緊急事態であると思っていたけれど、その言葉で安堵する。もちろん実弥さんにかかれば、何だって早期解決なんだろうけれど。

「でも、休日に上司に連絡するって、後輩くんきっと勇気いっただろうなあ」
「ハッ、そうかァ?まあ何かあれば連絡しろっつーのは日頃から言ってあるからなァ。つっても寄越したのはコイツが初めてだが」
「でも、実弥さんが上司なら頼りたくなっちゃうのはわかります」
「ん?」
「だって、こんな素敵な上司がいたら、わたしだったら、そうだなあ…用がなくても連絡したいかもしれない」
「ハァ?オイオイ、随分と不純な社会人だなァ」
「だって!実弥さんが上司なんだよ?まともに働ける皆さんすごい…」
「ハハッ、ンでだよ、別に普通だろォ」
「いやいや、実弥さんもっと自分がイケてるって自覚した方がいいですよ!」
「あァ?」
「隠れファンクラブとかありそう…あ、でも、それはちょっと妬くかもしれない…」
「なんだそりゃ。ったく、いちいち可愛いこと言ってンじゃねェぞ」

突然伸びてきた腕に肩を抱かれて、引き寄せられれば、密着した半身に熱が上った。

「別になんも特別なことはねェし、それにンなクラブもできねェわァ」
「そうかなあ。でもきっと心惹かれてる受付嬢とか、いますよ」
「あァ?名前はそんなに俺をどうにかさせてェのかよ」
「えっ?いや、そういうわけじゃないけど…」

ファンクラブは大袈裟かもしれないけれど、きっとモテるであろう実弥さんは、社内外問わず人気があるに違いない。強面ではあるけれど本質面倒見が良いことは、今朝の後輩くんからの連絡でもわかる様に、慕われていないわけがないのだ。

それからやっぱり、こんなかっこいい人がわたしの恋人なのよと、大手を振って歩けるほど、わたしは自信がなかったりもする。もちろん世界一と言えるくらいに幸せであるのだけれど、そこはなんというか、持ち前のナイーブな部分がそうさせるのだ。そうしてここまで自分で言っておきながら、かわいらしい妬きもちとは違う嫉妬心がぷくりと湧き上がってくるのだから、ほんとうにもうどうかしている。

「なんだかこれじゃあ、わたしばっかり好きみたい」
「ハ?」


思わず漏れ出た一言に、空気が変わった気がした。


一切の不満もなければ、これ以上を求めることもないくらいに実弥さんは優しくてかっこよくて、それからわたしのことを本当に大切にしてくれているというのは分かりきっているのだけれど。口に出すことで愛情を伝えるのがわたしであれば、実弥さんはどちらかといえば態度一本。好きだと言えば俺もと返されるそれだけで満足ではあるし、その言葉を使わなくとも身体全部で愛を伝えられているのだけれど、それでもやっぱりたまには言って欲しくなるのだから、結局のところわたしはただの面倒くさい女だ。

「名前?」
「ううん、なんでもないです」
「いや、なんでもねェこたねェだろがァ」

肩を掴んだ掌に半身を揺すられ、座ったままでも僅か差がある実弥さんを見上げれば、微かに眉を寄せている。

「なーにを思い悩んでんだァ?」
「だって、」
「うん?」
「実弥さんは…仕事もできて、後輩にも慕われて、上司からも信頼が厚くて」
「うん」
「その上家事も得意だし、お料理も手際がよくて美味しいし…」
「おう…?」
「背も高いし鍛えてるし、髪もやわらかいし睫毛も長いし、いい匂いもするし、もうぜんぶかっこいい…」
「…いや待て、後半おかしくねェか?」
「もーう!とにかく!実弥さんは完璧なの!」

よくわからないスイッチが入り、口を衝いて出る言葉は止まらなかった。けれどそうして言い切った後に思うのは、やっぱり。

「って、なんだかすごく、子供っぽいです、ね…」

もちろん全部本音だけれどこうして口に出せば出すほど、実弥さんとの差が開くような気がした。差というのが適切かはわからないけれど、少なくとも実弥さんはわたしの知る限り子供っぽい一面を持ち合わせていないし、現にわたしの喧しい告白を受けても動じているようには見えない。もしかするとまたいつものが始まった、くらいに思われているかもしれない。


やってきた負の感情はあっという間に心を蝕んで、合わせていた視線は膝頭に着いた。


「…別に俺は完璧じゃねェよ」

暫くの沈黙の後、口を開いた実弥さんの掌は肩から降りて、わたしの両手を握る。

「なァ、名前」
「…なあに?」
「もし俺が四六時中、好きな女のことばっか考えてるって言ったら、呆れるかァ?」
「え?」

どういう意味だろうかと顔を上げれば、優しい深紫がこちらを見ていた。

「出先で美味い店に当たったら今度は名前と来てェな、とか」
「へ?」
「通りで見かけたウィンドウに飾ってあるワンピースが、これは名前に似合うなァ、とか」
「な…」
「それから雨が降りゃ傘持ってってたか、晴れりゃ日焼け止め塗り忘れてねェか、とか、なァ」
「…っ」

次々に発せられる思いもやらぬ言葉に再び視線が落ちそうになったところで、握られた両手を強く引かれ、実弥さんの胸におでこがくっつく。

「悪ィなァ。名前が完璧だって思ってる男は頭ン中じゃいつだって、お前のことしか考えてねェんだわ」

そうしてぎゅうっと抱きしめられれば、とくとくと規則正しく聞こえる心音が少しだけ早いような気がした。けれどそれ以上に自分の心音が煩くて、さらには顔どころか身体中が燃えるように熱い。

「そんなのって…」
「うん?」
「ずるい…」
「ハッ、そうかィ」

呼吸困難になりそうな中そう呟けば、見ずとも実弥さんが思いきり口角を上げたのがわかった。そうしてわたしの熱とは違う心地よい、存外高めの体温に先までの沈んだ気持ちが溶かされていく。

「実弥さん、」

身を捩って首だけ上に向ければ、無理な体制を汲んだ実弥さんは僅かに身体を離してもう一度目が合う。

「うん?」
「だいすき」
「ッ…ハッ、俺も。大好きだわァ」


やさしく甘く返された返事はすとんと胸の真ん中に落ちて、じんわりとあたたかく広がった。


「なァ名前、やっぱりこのあと出掛けねェか?」
「えっ?」
「名前と行きてェとこがあンだわァ」
「!」
「構わねェかァ?」
「うんっ、連れてってください!」
「おう、それじゃ支度すっぞ」
「はい!」


2人してソファから立ち上がれば、自然と繋がった手を握ったまま、クローゼットへと向かう。なんだか、いちばんお気に入りの一着を着たい、そんな気分だ。



わたしは実弥さんみたいに完璧じゃないし、器用でもないから思ったことを口に出してしまうけれど、もしやそれでもいいのかもしれない。それは実弥さんが優しいから、ぜんぶ受け止めてくれているからこそできることなのかもしれないけれど、好きだと口にすることがまさしくわたしの愛の伝え方なのだ。

この気持ちはきっと一生口にしていたって尽きないほどに、日に日にその大きさを増している。今だってまた、この瞬間も。だからやっぱりわたしはこの先もずっと、何度でも、口に出して言うのだ。




実弥さん、だいすき!





2021.05.14



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