久し振りに足を踏み入れた店内は、シンと静まりかえっていた。

自分の足音がやたらと大きく響いて聞こえる。

テーブルにはうっすらと埃が積もっていた。


事務室の扉を開けると、すぐに目に入ったソファー。

彼に初めて会った時の事を思い出す。

あの時、大きな態度でここに足を組んで座っていた。

ここに座って自分に怒鳴った事もあったなと、懐かしく思いながら同じ場所に座り、ソファーを撫でる。

不意に涙が溢れてきたので、慌ててそれを拭った。

今は感傷に浸っている時ではない。

自分の気持ちを奮い立たせるように立ち上がると、掃除用具が入っているロッカーを開けた。



一通りフロアの掃除を終わらせ、次はキッチンに取り掛かろうとした時、急に立ちくらみに襲われる。

そう言えば、最近ろくに食事をしていなかった。

持っていた箒を支えにして、ふうと深呼吸する。

後は明日にしよう。

そう思い直し、後片付けを終え店を出た。


外に出ると、すっかり日も落ちていた。

ネオンの中を一人歩いていると、前方から聞き覚えのある声がする。


「ええでええで、シャンパンでも何でも好きなの頼んだらええ」

上機嫌な独特の関西弁。

ハッとして、声のした方を見ると、見知らぬ二人の女性に挟まれるように腕を組まれ、こちらに歩いて来る蛇柄のジャケットの男がいた。

彩香の脚が止まる。

「そん代わり、今夜は寝かせへんでぇ」

ヒヒっと笑いながら彼女たちを交互に見ると。

「もうやだぁ、真島さん。声大きい」キャハハと女達が笑いながら彼の腕にすり寄る。


何処かに身を隠そうとしたが、足元が凍りついたように動かない。

ふと、彼の片方だけの瞳が彩香の姿を捉え、目が合った。

その瞬間彼から笑顔が消え、真顔になる。

急に黙ってしまった彼に気づいた女の一人が、目線の先の彩香に気付いた。

「え?何?知ってる人?」

「……いや…」

彼はスッと目を逸らせ目線を地面へと落とす。

「人違いやったわ」

そう言うと、そのまま何事も無かったかのように横を通り過ぎた。

彩香は自分の耳を疑った。


人違い…?

そう聞こえた。

そこまで嫌われるような事を自分はしてしまったのだろうか?


「今夜は飲むでぇ」
 
という彼の声と、彼女たちの笑い声を背中に聞きながら、彩香はその場で身動きを取れずに立ち尽くしていた。

思考が停止したまま再びゆっくり歩き出す。

マンションには戻りたくなかった。部屋に一人でいるのが嫌だった。


あても無く暫く夜の神室町を彷徨っていると、バックの中の携帯電話が震えた。

相手を確認もせず、停止した頭のまま電話に出る。

「……はい」

「彩香さん?あ、いや特に用は無いんだけど、元気かなって思ってね」

「……秋山さん?」

いつもと変わらない秋山の声に、停止していた思考が動き出す。

「うん?そうだけど…元気無いね…何かあった?」

彼の優しく気遣う言葉に、一気に感情が溢れてきた。

「秋…山さん…私どうすればいいか…」

最後は涙で声にならない。

「……今、何処にいるの?」

言われて初めて周りを見渡す。

「第3…公園の近く…」

「すぐ行くから、公園で待ってて」

そう言うと通話が切れた。


涙を拭い、ベンチに座ると携帯の時間を確認する。

一時間近く、神室町を歩いていたらしい。

何を…しているんだろう自分は……。


溜め息をつき、両手で顔を覆う。

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