「やっべ……」

 痛みに顔をしかめて汗を拭う。ピンチというほどに危険な状態ではないが、はっきりと、いい状況でないのも明らかだ。
 彼は物陰に身をひそめ、目と鼻の先を気配が通り過ぎて行くのをひたすらに待つ。

 ドジを踏んだ。少々無茶をした。それでもこのままじっとしていれば、追手を撒き逃げ切れる自信があった。もう何度となくこんな場面を潜り抜けてきたから――。

 軽い足音にはっと目を開ける。瞬間的にかもしれないが、眠ってしまっていたのかもしれないと思い至る。
 小さな人影に、こんな辺りの暗くなった時間に子供が、と思ったが、そのシルエットは徐々に見知った姿へと変わって目に映ってくる。

「ジョーカー……?」

 ぎくり、と微かに身体が震えた。そういえば近い場所だと知っていたはずだった。
 だがまさか、こんな夜に出歩いているなんて、思ってはいなくて。

「ケイン」

 澄んだ声が、彼の名を、呼んで。

「……レミ……」

 驚きの色を浮かべた瞳が、互いにぶつかった。
 こんな暗闇の中でもレミの瞳は青く澄んで美しいのだと、ケインは知った。

「ケイン、怪我をしているの? うちへ――」
「いい。大丈夫。……レミこそ、こんな時間に出歩くなんて」
「何かの気配を、感じた、から。気になってしまって」

 こんな話をしている場合ではないのに、つい言葉を交わしてしまって。
 再び近付いて聞こえてきた足音と人の声に、ケインはレミを抱きかかえるようにして陰の中へと滑り込んだ。それはすぐに過ぎていったから、時間にするとほんの短い間だったのだろうが。

「悪いな、レミは隠れる必要なんてないのに……」

 黙ってケインを見つめていたレミは、ゆるやかに首を振る。

「ケインがジョーカーなのね。だから追われているの?」
「まあ、そういうこと。出来ればフィオルにも言わないでほしいんだけど」

 そうは言いながらも、それはなかなかに難しいことだと彼は思っていた。あの妹大好きなフィオルが秘密など簡単に嗅ぎ付けてしまうような気がしたし、そもそも二人の間に秘密などないような気がしていたから。

「それでは兄様には言わないわ。もちろん他の誰にも」
「……助かる」

 だからその答えに少し驚いて、彼女の髪を軽く撫でた。
 フィオルと同じ金色の、彼よりやわらかな美しく長い髪が、手のひらの中で流れる。

「だけどジョーカーって何をしているの?」
「……名前だけ知ってて何者かは知らないのかよ」

 ケインの顔に笑みが浮かぶ。おそらくは噂の類もフィオルが止めているのだろう、レミの耳に変な情報が入る前にと。想像が容易すぎてこんな状況にも関わらず笑ってしまう。

「ケイン?」
「ん、義賊を気取ってるだけ……かな」
「義賊……?」

 軽く頷いて、壊れてしまった手の中の仮面を見つめる。

 コールダリィは比較的いい国であったけど、どうしても他人のものを奪い、または他人を傷つけ、それでものうのうと生きている者は出てきてしまう。彼はそういった者から弱い者を救いたいと――

「ケインはいい人だったのね」

 少しの驚き混じりに真面目にレミが言うから、ケインは笑った。

「お前、オレをどんなやつだと思ってたんだよ」





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