"グリフィンドールクィディッチチームのシーカーを急遽一名募集につき、来週土曜日午前十時より選抜試験を行う"


 私は七列目左端の席に着いて、大広間の扉にあった張り紙を頭の中に思い浮かべた。シーカーを急遽一名募集。シーカー。その言葉を何度もなぞる。ずっとなりたいと思っていた。
 父は世界中を飛び回るシーカーだった。ずば抜けた技術と卓越したセンス。いつかの記事にはそう書かれていた。様々な強豪チームからスカウトを受けていたらしい。それに年間の最優秀選手賞を取ったことも何回かあるという。祖母はいつも目尻に皺を寄せて、そういった父の喜ばしい知らせを教えてくれた。でも、私は父が飛ぶ姿を見たことがない。たった一度も。

 ふと顔を上げると、遠くの黒板が文字でぎっしり埋まっていた。縺れてしまってどうしても解くことのできない紐のようなその羅列を苦心して解き明かしながら、羊皮紙の上にのろのろ落としていく作業を始める。
 フェリックス・フェリシス、幸運の液体。幸運……幸運っていったい何?


「ミョウジ、……ミョウジ」

 肩を揺さぶられて私は勢いよく顔を上げた。
 すぐ目の前にはブラック、そしてその隣にはポッターがいる。呆然と目を瞬く私に、ブラックが肩をすくめた。

「あー、気持ちよさそうに寝てたところ起こして悪いな。スラグホーンに言われてさ、君と組めって」

 それだけ言うと、ブラックは手際よく道具を準備し始めた。

「お前、何ぼやっとしてるんだよ。手伝え」
「どうしてだと思う?」
「はあ、いいから早くこれを動かしてくれ」
「はいはい、カリカリするなよシリウス」

 ブラックに急かされて、ちらちらと隣のテーブルのほうを見ていたポッターも、よっこらせと大げさな動作で立ち上がった。
 私といえば、そんな二人を手持ち無沙汰に眺めているだけだった。欠伸をしそうになって、そっと手で隠す。どうやら、板書の時間を丸々眠り続けてしまったらしい。もちろん理論も、作業手順もまだ写し終えていないから、何をすればいいのかまったくわからない。勇気を振り絞って「何すればいいかな、手伝いたいの」と話しかければ、ブラックに「別にミョウジは何もしなくていいよ」と面倒くさそうに返された。なるほど、賢いブラックには私が足手まといになるってこと、お見通しなんだ。

 そのまま何もしないのはさすがに忍びなかったので、私は残りの板書を写すことにした。今更ながら、これほど複雑な調合を二人が難なく行っていることに驚かされる。出来ないことなんて何もないに違いない。
 やっと写し終えて私が羽ペンを置いた時、ポッターが「出来ました、先生」と手を挙げた。スラグホーンは鍋の中を覗き込み、「グリフィンドールに二十点、完璧な調合だ」と満足げに喉を鳴らした。

「あの、これはいつものように捨ててしまうんですか?」
「うむ、そうだな……」
「幸運を捨ててしまうなんてもったいないと思います。これはちょっとした提案なんですが」

 ここでポッターはブラックに目配せした。すると、ブラックはいつも浮かべているどこか生意気な笑みをすっかり引っ込めて、熱心な生徒そのものの視線をスラグホーンに向けた。

「是非とも、作ったものの効用を試してみたいんです。大事に使うので、良ければ……頂いてもいいですか?」
「持ち帰ってよいぞ、ブラック。ああでも、ちゃんと三人で分けるように」

 ポッターは取り分けたフラスコを私に手渡す際に、"君にも分けなきゃいけないなんて馬鹿げてる"とでも言うように、眼鏡のレンズ越しにそのハシバミ色の瞳を少し細めたけれど、私は気がつかないふりをした。幸運とはどのようなものか。このきらめく液体を飲むことで、ついてない私にもそれが明らかになるのなら、ポッターの不興を買う可能性を差し引いてもフェリックス・フェリシスが欲しかったのだ。
 授業終了までには、まだ十五分ほどある。周りにも、既に作業を終えた生徒がちらほらいるみたいだった。スラグホーンの目を盗んで、時々くすくす笑いやささやき声が波打つ。
 ひんやりとしたフラスコを手の中で転がしていた私は、不意に飛び込んできたポッターの声にフラスコを転がす手を止めた。

「――当然だろ、シリウス。試験は受けるつもりだ」
「でもお前さ、もともとチェイサーやりたくてチェイサーやってるんだったよな。どういう心境の変化?」
「心境の変化というより、もともとチェイサーやりたかったってのが嘘」
「はあ?」

 素っ頓狂な声を出したブラックの横腹をポッターが肘で小突く。いってえな、と眉をひそめるブラックを無視して、ポッターは「狙ったものは必ず手に入れる主義なんだ」と口角を上げた。

「……ふーん、だから不本意なことをやってるって周りに公言するのも、なに? その美学に反するって?」
「さすがはシリウス、物分りがいい」
 ポッターはニヤリと笑ってブラックの肩に腕を回した。
「でもさ」突然ブラックは意地の悪い笑みを浮かべて、隣のテーブルを振り返った。
「おーい、エバンズ」

 名前を呼ばれたエバンズは、その声の主がブラックであると知るや否や、露骨に顔をしかめた。それはもう、糞爆弾の臭いを嗅がされた時に匹敵する表情だ。

「何かしら?」
「ジェームズが話したいって言うから、ちょっとこっち来いよ」
「あら、いったい何の用? 何もないなら私は話したくないわ」
「高貴なエバンズ嬢は、然るべき理由がないと会話の類いに一切応じるつもりがないらしい」

 二人のやりとりを少しも逃すまいと見つめていた周りの女子生徒たちは、ブラックが大真面目に放ったその言葉にくすくすと笑い出した。途端にエバンズの頬が薄っすらと赤く染まる。ブラック得意の "気の利いたユーモア" は、テコでも動かないとばかりに肩を怒らせていたエバンズに十分効いたみたいだ。「ちょっと、何であなたたちが笑うのよ」「そもそも授業中なのに」などとブツブツ言いながらも、結局彼女は私の隣の椅子に腰掛けた。

「で、何の用なの? ポッター」

 先ほどからずっとしおらしく黙り込んでいたポッターは、鋭い視線を送るエバンズから目をそらしてブラックに何やら耳打ちし始めた。
「ねえ、君が呼んだんだろ」
「と言っても、お前のためだぜ」
「パッドフット、この落とし前は――」
「わかった、わかった」
 声を落としているつもりなのだろうけれど、二人の会話は私に丸聞こえだ。ということはエバンズにも、と思って隣を見ると、やはり彼女は神経質にトントンと指先で机を叩いていた。
 それに先に気がついたのはブラックだった。彼は大きな咳払いをして、「こいつ、シーカーの選抜試験受けるんだってさ」とポッターの頭を指先で小突いた。机を叩く音が止む。エバンズは、待たされたことについて文句を言うべきか、言わないべきか躊躇うようにポッターとブラックとを交互に見やってから、「……チェイサーを辞めるってこと?」とだけ、ぎこちなく言った。

 それからのポッターは打って変わって饒舌だった。まるで、水を得たマーピープルのよう。といっても、マーピープルを見たことなんて……ううん、実は一度だけある。祖母とイギリス北部に旅行しに行った時に見かけたんだった。それにしても、ポッターのくしゃくしゃな髪の毛はマーピープルの頭部から生えているものに似ている。

「シーカーになるために、クディッチを始めたようなものだからね」
「でも、スニッチを捕まえたことはないんでしょう?」
「確かに、箒に乗ってスニッチを捕まえる練習をしたことはないさ。だけど、絶対になれるっていう自信がある」
「あら……随分な自信家ね」

 本当に、大した自信家だ。もし、今ここで私がシーカーの選抜試験を受けるつもりだと宣言したら、ポッターはどんな反応をするだろう。鼻で笑う? それとも対抗心を燃やして、試験まで練習に励む? きっと、どちらでもない。ポッターの自信に満ちた瞳には、私は決して映らない。それに、そもそも私はポッターのことが(高慢ちきでとっつきにくいと噂されるブラックよりも)苦手だから、そんな宣言をするなんてことはあり得ないのだ。

 知らぬ間に授業時間は終わっていた。頭を机に伏せたブラックの隣で、ポッターはまだエバンズと話し込んでいる。私はフラスコをロープのポケットの中に仕舞い、教室を後にした。



Uninterested