「そういえば……」
とても大事なことを思い出した。行動に移すなら、たぶん今しかない。寮へと続く廊下を歩いていた私は、その足で魔法薬学の教室に引き返すことに決めた。
▽
教室に入って来た私を見て、スラグホーンは大層驚いたみたいだった。私の魔法薬学の実力は、入学して以来ずっとパッとしないもので、補習を受けるほど致命的なわけでも、授業後に進んで質問をするほど出来るわけでもなかったから、こんな風に授業後に改めて訪ねるのは初めてだ。
だから、このようにスラグホーンが少し顔をこわばらせて、警戒を含んだ視線を向けてくるのも仕方のないことだと自分に言い聞かせる。
「先生……あの、ちょっとお願いしたいことがありまして」
「な、何だね、ミスミョウジ?」
いや、やっぱりそれにしても警戒しすぎではないだろうか。いつの間にかスラグホーンはさりげなく移動していて、私との間に机を隔てる位置に立っていた。……私、何かしたっけ? これ以上躊躇っているとその隙をついて逃げられてしまいそうだったので、私は不審に思いながらも単刀直入に本題に入ることにした。
「先ほどの授業でフェリックス・フェリシスの調合をして、いくつか疑問点が湧いたんです」
「そうか、そうか。それなら、何なりと聞いてもらって構わん。今日の君の調合は珍しく素晴らしかった。予習をしてきたのかね?」
途端にスラグホーンはほっとした表情を浮かべて、手元の資料をペラペラとめくり始めた。
「いえ、そういうわけでは」
「それならば、さらに素晴らしい。ひょっとすると……うむ、君の父上から受け継いだ才能がようやく開花したのかもしれんな」
「ええと、私の父を……ご存知なんですか?」
「ああ、よく知ってる。優秀なスリザリンの生徒だった」
驚きで目を見開く。スラグホーンは何かを思い出すように顎を撫でていた。
「魔法薬学には天才的なセンスがあった。シーカーとして活躍しておったし、それに寮を超えた人望もあった。ああ、五年次には監督生にも選ばれておったな」
私は返事をすることが出来なかった。長いこと感じることのなかった温かな気持ちが、胸の奥から溢れ出る。知らなかった。魔法薬学が得意だったことも、監督生に選ばれたことも。
「あのような形で亡くなってしまったのは、非常に惜しいことだ。それに、間違った情報を大々的に流されて――」
「……間違った情報?」
意外な言葉に、私は物思いから引き戻されてスラグホーンをじっと見た。
「クィディッチワールドカップの試合の時に、不慮の事故で亡くなったということが間違ってるんですか? あの、私……イギリスに来た時にあらゆる新聞や雑誌で父に関することを調べました。そうしたら、父は狂ったブラッジャーに狙われて、他の選手も巻き込んで墜落してしまったって……そのブラッジャーには、相手国選手の誰かが呪いを掛けたと、どの記事にも書かれていたんです」
「……もちろん、その、そうだ。その時は方々でいろいろ書き立てられてたから、間違った記事を載せる雑誌もあったということだ、うむ」
スラグホーンを見ると、明らかにしまったという顔をして視線を泳がせていた。絶対に秘密にしておかなければならない、何か重要なことを隠している。直感で私はそう思った。開心術なり真実薬なりを使ってでも、今すぐに靄に包まれた事実を知りたかった。
けれど私は何でもないという風を装って「確かにそうですね」とため息をついた。たとえいま問い詰めたとしても、スラグホーンは絶対に口を割らないだろう。それにそんなことをしたら、今後ずっとさりげなく私を避け続けるに違いない。――それは御免だ。
「あ、こちらに伺ったのは、禁書の棚の閲覧許可のサインを頂きたかったんです。まずは自分で疑問を解消したくて……フェリックス・フェリシスの詳しい文献は、どれも禁書の棚にあるらしいので、ええと、先生のサインを頂けませんか?」
スラグホーンは数回ゆっくり瞬きしてから、「……ああ、もちろん」と慌てて羽ペンを手に取った。
▽
埃っぽい空気を吸い込んで私はむせ返った。几帳面なマダムピンスでも、この広い図書館のうち禁書の棚が立ち並ぶ場所までしっかりと清掃を行き届かせることは、さすがに不可能みたいだ。
時々むせながら薄暗い通路を進んでいき、ある棚の前で立ち止まる。その棚に詰まっている書物には特別な呪文が掛けられているらしく、どの背表紙も新品同然の艶やかな革でできており、ひどく傷んでいる棚とは対照的だった。
「ええと1941年がここまでで、1942年は……あった」
手に取ったのは、ホグワーツの卒業名簿。フェリックス・フェリシスの文献を探すなんていうのは嘘っぱちだ。以前から卒業名簿を閲覧したかったのだけれど、なかなか寮監にサインをもらう機会がなくて困ってたのだった。
グリフィンドール生としてはマクゴナガル先生にもらいに行くのが妥当なのかもしれない。もっとも、マクゴナガル先生にはこういう嘘が通用しないだろうし、だからと言って正直に卒業名簿を閲覧したい理由を話すのも、少し恥ずかしいものがある。
それで、白羽の矢が立ったのがスラグホーンだった。機嫌のいい時のスラグホーンはとても気前がいいということを、談話室でエバンズが話すのを耳にしたことがある。だから、調合で褒められた先ほどの授業の後という二度と訪れないタイミングで、サインをもらいに行くことにしたのだけれど、まさかあのような展開になるとは思ってもみなかった……。
ざらりとした感触の紙を慎重にめくっていく。生徒の名前はアルファベット順に記されているから、父の名前はそろそろ見つかるはずだ。
「……ブラック・オリオン、ん……ない!」
次のページが破かれて無くなっていた。どこかに挟まっているかもしれない――必死になって本を隅から隅までめくってみたけれど、破かれたページは見つからなかった。
「どういうこと……」
慌ててその次のページを見る。そこにもミョウジという苗字はなかった。
私は苛々して図書館を出た。あれほど丁重に保管されてるのに、破かれるなんておかしい。それもよりによって、父の名前が載っていたはずのところだ。やっと閲覧出来ると思ったのに……! そばを通り過ぎる生徒たちがこぞって不審そうな顔でちらちら見てくるので、私は何だか余計に腹が立ってきて歩く速度を上げた。
中庭の見える廊下に差し掛かると、一際大きな笑い声が耳に飛び込んできた。振り向けば、ベンチに座る男女が目に映る。ポッターがマクドナルドの肩に腕を回し、もう一方の手で自分の髪の毛を触っていて、私はため息をつきたくなった。
ポッターはいつもこう。エバンズのことが一番好きなはずなのに、自分に自信を持たせてくれるような女の子は手放せないでベタベタしている。やっぱり、自信家なんだか何なんだかよくわからない。忘れかけていたさっきまでの苛立ちが、なぜかまた湧き上がってきた。まるでポッターに八つ当たりしてるみたいに。ああ、馬鹿げてる。
私はそのまま歩き出そうとしたものの、自分の名前を耳にしてその場から動けなくなった。
「――えっ、何だって?」
「だってミョウジは飛行術の授業で凄かったのよ、一発で乗りこなしてたわ」
「へえ……あまり覚えてないな」
「そうそう、あと最近、暴れ柳の近くで飛行練習してるのを見かけたの」
「暴れ柳? そうだ、それより」
ポッターは急に声を落として、真剣な表情でマクドナルドに耳打ちし始めた。
「そんなに眉を寄せてどうしたんだい?」
突然、掛けられた声に反応が遅れてしまって、私は肩をびくりと揺らす。
「ル、ルーピン?」
「リーマスで良いって言ってるだろう。今から寮に帰るところかな」
「うん、ルーピンは? あ……リーマス」
ルーピンはくすくす笑いながら、私の抱える本を自然な動作で持ってくれた。私はお礼を言うことも忘れ、目を丸くしてルーピンを見る。
「……あれ、でも図書館のほうに向かってたんじゃないの?」
「そうだったんだけど、君を見かけて寮に戻る用事ができたんだ」
そう言って微笑んだルーピンの表情が思いの外優しいものだったので、どぎまぎして目をそらす。……まただ。この表情を向けられるたびに、何だかおかしくなってしまう。確かに感じた動揺を隠すために、私はただ「それならちょうどよかった」と素っ気なく返すことしか出来なくて、そんな自分がまた嫌になった。