歩いたことのない通路を突き進んでいくと、暗闇の中から独特な模様が浮かび上がった。
「この裏に……」
タペストリーへ伸ばした手を思わず引っ込める。ため息が漏れた。
こういう時、やたら悪い予想をしてしまう。変な仕掛けがあったらどうしようとか、いきなり何かが飛び出してきたらどうしようとか。
たいていそんな予想は外れるけど、どうしても止めることができない。今だってこの裏にメデューサが潜んでるんじゃないかと勝手に想像してびくびくしている。できれば引き返したいとも思う。
でも医務室を出た時点でとっくに消灯時間は過ぎていたし、フィルチに出くわすわけにもいかないし、
「……ここを通るしかない」
腹を決めた。こうなったら一気にいく。息を吸い込み、震える手を伸ばす。指先に少し硬い繊維質が当たり――何も起こらない。
「よかった……」
安堵のため息を漏らしてから、タペストリーを潜り抜けた。あとは目の前の扉を開ければ、三階の廊下に繋がっているはずだ。もう、大丈夫。そんな気がする。今度は気楽に扉の取っ手に手を伸ばす。
あと少しで触れると思ったその時、ひとりでに扉が開き、伸ばした私の手は宙をかいた。力の抜けた指先から杖が離れ、乾いた音を立てて床の上に転がった。途端に暗闇が広がる。
私は慌てて杖を拾おうとしたものの、それは叶わなかった。扉の隙間から飛び出してきた誰かに勢いよく肩を掴まれ、壁に追いやられてしまったのだった。
耳の奥で自分の心臓の鼓動と、荒い呼吸音が反響する。時折、熱い息が顔にかかる。相手はたぶん目と鼻の先にいるのだろう。どうにかしなくてはいけないのに、思考を停止してしまった頭には何も浮かばない。冷たい――ごつごつとした壁が心地悪くて僅かに身じろぎすると、肩を押さえつけられる力が強まり、指が食い込むのを感じた。
五分経ったようにも、一時間経ったようにも思える。押さえつけられた肩にはすでに感覚がない。痛めつけるならつけるで早くしてほしい――そんなことを思い始めていた。それとも、もしかして……この状況を楽しんでる? なんて非情なやつなんだ。きっとスリザリン生だろう。マルシベール達がマクドナルドにどうやって闇の呪文を掛けたのかを思い出す。散々焦らして戦意を喪失させてから攻撃する――彼らは獲物をいたぶるのが好きなのだ。
ふと首筋に尖った感触を覚えて、杖を突きつけられたのがわかった。息が詰まる。……ついにきた。呪文をかけられる時が。杖はどこかに転がったままだ。もう、逃げられない。
私は目を強くつむった。
あれ……? いくら待っても来たる衝撃がない。不審に思って薄目を開けた時、首にある尖った感触が動き出した。それは首筋を通ってゆっくりと下へ降りていき、左胸あたりで止まった。
「やっと見つけた」
突然、耳元で地を這うような低い囁き声がして体がこわばる。
「君をここでどうにかしようなんてこれっぽっちも思っていない。僕は君らとは違うからね。それと、君のお仲間達は医務室にいるはずだ。もちろん大した怪我は負ってないさ。でも、」
杖先がさらに食い込んだ。不思議と痛みは感じない。
「今後また僕を侮辱したり、この間みたいに彼女に危害を――ルーモス」
瞬間、肩の拘束が弱まった。眩しいほどの光が目に飛び込んでくる。
「……ミョウジ?」
驚きに満ちたこの声には聞き覚えがあって、私は息を飲んだ。やっと光に慣れた目で前を見ると、やはり目の前の人物はポッターだった。
「まさか、君だったとは……」
本当にごめん。申し訳なさの滲んだ、聞いたことのない声色に反応が数拍遅れてしまう。
「ううん、驚いたけど」
「君にこんなことするつもりはなかったんだ。肩は怪我してないかい」
「肩は大丈夫。……私を誰と間違えたの?」
「それは……あー」
彼は途端に口ごもって目を泳がせた。どうやら他の人に聞かれてはまずいことを、先ほど間違えてペラペラと私に言ってしまったらしい。
――珍しいな。常に抜け目のない冷静な男が目に見えて狼狽えている。私は無遠慮にもその様子をじろじろ観察した。トレードマークの丸眼鏡は少し歪んでいて、レンズには細かい傷があり、唇の端は切れて血がこびりついている。視線をそのまま下に移動させると、首元に大きな傷があった。……血が流れてる。
「ちょっと杖貸して」
返事を待たずに、彼の手から杖をもぎ取る。位置の当たりをつけてから治癒呪文を唱えた。
「ルーモス」
綺麗にとまではいかないけれど、傷跡はほとんどふさがっていた。自分の杖じゃない割に上出来だ。あ! そうだ、杖のこと忘れてた。
「アクシオ、杖よ来い!」
間もなくいつもの慣れた感触が手の中に収まってほっとする。
「ありがとう、これ」
もう一方の手にある杖を呆然としたポッターに返しながら、私は先程までのことが頭の中で一気に結びついていくのを感じていた。
医務室にいるスリザリン生と彼の怪我は決して無関係ではないはずだ。何らかの理由で派手に一悶着あったんだろう。それで、私をその主犯格の誰かと間違えた――誰かはわからないけれど。ああ、なるほど。だから今日のミーティングにいなかったんだ。
ここまでわかったから、いまポッターとこれ以上会話する必要はない。彼も私と二人きりでいることなんて望んでいないはずだ。
「じゃあ、もう消灯時間過ぎてるし私は寮に戻るね」
目を合わせないように視線を下に落としたまま、扉の取っ手に手を掛ける。ポッターの反応はない。……ほら、やっぱり。私はため息をついて扉を押し開けた。
噂に聞いていた通り、扉の先には見慣れた三階の廊下が広がっていた。まだ気を抜けない。フィルチに出くわしたら一貫の終わりだ。これまでに消灯時間を過ぎて出歩いているのをフィルチに運悪く見つかって、罰則を受けたことは何度かある。罰則自体は良い暇つぶしになると思ってるくらいで嫌じゃないけれど、クィディッチの練習を休むことになるのは絶対に嫌だ。――急がなきゃ。
その時、後ろから足音が近づいてくるのが聞こえた。……誰か来る! 私は慌てて走り始めた。全力を出しているのに、疲れ切った足は思うように動かない。私を追いかける足音はどんどん大きくなっていく。
「ミョウジ!」
とうとう追いつかれて腕をぐいと掴まれた。
「待ってくれ」
――どうして。私は信じられない目で腕を掴む手を、それから彼の顔を見た。どうしてポッターはそんなに必死な表情を浮かべて私を見ているんだろう。