扉の外で何かが弾けるような軽快な音がした。椅子に腰掛けていたリゲルの青白い頬にさっと赤みが差す。
「リゲル」
重い鉄製の扉を押し開けて入ってきたのはシリウスだった。去年顔を合わせた時に比べて随分と背が伸びている。リゲルは目を輝かせて立ち上がり、シリウスのほうへ軽い足取りで駆け寄った。
「おーっと、いきなり動いたら駄目だろ」
シリウスの大きな温かい手がリゲルの肩を支えた。右肩にあった温かみが消えたと思えば、すぐに頭をくしゃりと撫でられるのを感じた。
「大丈夫よ、シリウス。重病人じゃないもの」
リゲルはわざとつん、と目をそらしてシリウスの手を振り払った。本当はそのままずっと触れていてほしいけれど、この一瞬でさえどうにかなってしまいそうなほど心臓が踊り狂っている。次第に熱を帯びてくる頬を隠すように視線を落とすと、太い糸のようなものが二本、垂れ下がっている靴が目に入った。
「シリウス、この糸はなに――」
動作の不自然さを誤魔化そうと口を開いた時、両頬がシリウスの手に包まれてグレーの瞳が心配そうにリゲルの顔を覗き込んだ。
「どうしたのかと思ったら大丈夫そうだな」
「えっ……」
いよいよ耳まで真っ赤に染めてあたふたとし始めたリゲルをよそに、シリウスは安心したように息をついて手荷物をガサゴソと漁り始めた。
「あーっと、今日はリゲルに持ってきたものがあるんだけど……」
あれおかしいな、だとかここに入れたはずなんだけど、だとかぶつぶつ呟くシリウスをリゲルはやっとのことで呼吸を整え、じっと見つめる。ゆるいウェーブのかかった黒髪、艶やかな頬、少しごつごつとした両手。シリウスのなにもかもが手を伸ばせばすぐ届く距離にあるのに――。
「お、見つかった。ほら、これだ」
大声でリゲルはハッと我に返った。シリウスはにっと白い歯を見せて、黒い角ばった何かをリゲルの目の前に掲げていた。差し出されたそれを恐る恐る受け取る。冷んやりとしていて、想像よりもずっと軽かった。
「全然わからないわ。でも、これはきっとマグルのものでしょう?」
リゲルが慎重にそう言うと、シリウスはパッと顔を明るくして嬉しそうに頷いた。
「その通り! さすが俺のリゲルだ」
またくしゃりと頭を撫でられた。"俺のリゲル"と心の中で密かに繰り返す。リゲルは照れ臭くなってうつむいた。本当はマグルの、って言えばシリウスが喜ぶことを知っていたから、そのように言ってみたのだけれど。
「でもな、なにかはわからないんだろ? 使ってみればわかる。絶対にリゲルが好きなものだ」
「好きなもの?」
「ああ。まあ、使ってみてからのお楽しみってとこだな」
教えてくれたっていいのに、と頬を膨らませてみせても、シリウスはただ目を細めて笑うだけだった。こうなったらもう、なにも教えてくれないことを知っている。シリウスは私をあっと驚かせるのが得意なのだ。
「あと、これは秘密な」
シリウスは人差し指を唇の前に持っていき秘密、ともう一度ゆっくり口を動かした。
「シグナスお父さまに見つからないように隠しておくわ」
机の上の小箱へ手のひらにあるものをそっと入れる。また一つ、シリウスと私だけが知っている秘密が増えた――。
昔からシリウスとリゲルは様々な秘密を共有した。スリザリン生との乱闘に勝ったとか、マグルの街で買い物をしたとか、屋敷の中にあるゴブレットを全部カエルに変えたとか、そういったことを度々、シリウスはリゲルにこっそり報告した。どれもほんの小さなことかもしれない。けれど、シリウスがなにかを打ち明けてくれるたびに、リゲルは全身を突き抜けるような高揚感を覚えた。シリウスが秘密を共有する相手として自分を選んでくれるのがとても嬉しかった。
「よーし、今日のところはこのくらいにして……そうだな、また明後日に来る」
すでにシリウスは大きな手荷物をひょいと持ち上げて、ドアノブに手をかけていた。リゲルの瞳が不安で揺れる。
「ねえ、シリウス。今回はいつまでいるの? 夏休み中はいるわよね?」
シリウスの顔に、暗いなにかがちらりとよぎった。けれどそれはすぐに消え失せて、いつもリゲルを安心させる優しい微笑みが、シリウスの口元に広がった。
「もちろん。じゃあリゲル、そろそろ休んだほうがいい」
いまだに不安げな表情を崩さないリゲルの額に軽く唇を押し当てると、シリウスは薄暗い廊下の奥へと消えていった。
「誤魔化していたわ……」
リゲルはふらふらと椅子の背もたれに手をついた。先ほどまでの幸福な気分が、少しずつ萎んでいくのを感じた。