02. 一筋の光
「……レイブンクロー!」

 大広間を満たしていた熱気が、途端に沸き起こった歓声で大きく揺れる。なされるがままに寮のテーブルにつくと、向かいにいた上級生が「レイブンクローへようこそ」と言って、にっこりとリゲルに笑いかけた。

 周りを見渡せばいろんな生徒がいて、それぞれが異なった色を持っていた。多くの人に一度に話しかけられ、興奮で全身の血管が脈打って頭がズキズキと痛んでいるし、スリザリンのテーブルのほうからは鋭い視線が注がれるのを感じる。けれど、そんなことなんてあまり気にならなかった。これから、十一年間ずっと待ち望んでいた新たな生活が始まる。それだけで、リゲルのブルーの瞳が生き生きと煌き出すには十分だった。

* * *

 ホグワーツに入学してから一ヶ月ほど経った頃だった。同じ寮には、三歳の頃からお互いに見知っているプルウェット家の次女がいたので、リゲルは彼女と行動を共にするようになった。その日も二人は大イカのいる湖のほとりに腰かけて、魔法薬学の参考書を広げていた。時折肌を撫でる少しひんやりとしたそよ風が心地よく、いつの間にかリゲルはうとうとし始めていた。

「リゲル、ねえ、リゲルったら」
「んーなに?」

 リゲルはあくびを噛み殺して、薄っすらと瞼を開けた。すると目に映ったのは、友人の困りきった顔だった。

「どうかしたの?」

 ちょっと、なんかあの人たち、と彼女はしどろもどろになってリゲルの後ろを指差した。振り返ると、赤と金のネクタイを締めた上級生たちが、明らかにリゲルたちのいるところへ向かって歩いていた。

「グリフィンドール……」

 リゲルは顔をしかめてつぶやく。
 これまでシグナスお父さまに「グリフィンドール生は野蛮で、何をされるかわからないから決して近づいてはいけない」と何度も聞かされてきたし、入学してからも良い噂を耳にしたことがなかったので、できれば関わり合いにはなりたくないと思っていた。
 けれど、その関わり合いになりたくない人たち、それも上級生の軍団がいま、こちらにじわじわと近づいて来るのだ。この場から逃げ出してしまえば、という考えが頭の片隅に浮かんだけれど、今となってはもう遅い。リゲルは追い詰められたネズミのような表情を浮かべて、両手を固く握りしめた。


「どうした、パッドフット? 彼女たちに用があるのかい?」
「組分けの時に言ってたやつだよ」

 目の前に立ち止まったのは、制服を着崩した背の高い生徒だった。彼はそっと腕を引っ張り上げてリゲルを立たせてから、そのままリゲルの肩を抱いて、他の人たちに「俺の従妹」と快活に紹介した。
 従兄? リゲルは眉を寄せた。グリフィンドールに入った従兄はあの人しかいない。けれど……

「シリウス、どうやら彼女は残念ながら君のことを知らないみたいだけど」
「えっ、シリウス?」

 リゲルの目が驚きで大きく見開かれる。まさか、と思った。あのとき、暗い表情をして一人壁にもたれかかって立っていた少年と、いま横にいる青年が同じ人であるとは、到底信じられなかったのだ。

「ほら、ムーニー。"シリウス"、だってさ」
「ああ……そうだね」
「あの腐ったやつらのなかで、ドロメダとリゲルだけが唯一、まともなんだぜ」

 肩に回される腕の力がさらに強まり、ぴたりと体がくっつく。リゲルは顔を赤くした。

「あー彼女が君の可愛い従妹だってことはわかったけど、いい加減離してあげなよパッドフット」

 ずっとリゲルとシリウスを興味深そうにじっと見ていた、髪の毛がくしゃくしゃな生徒が、いきなりシリウスの脇腹を勢いよく小突いた。

「いった、なんだよジェームズ!」
「当たり前だろう? いくら親戚とはいえ、女性に馴れ馴れしくするのはよくない」
「お前に女性の扱いについて指示されたくないよ、だってこの間エバンズに――」

 二人はリゲルそっちのけで言い争いを始めた。けれど、それをどこか楽しんでもいるようだった。本当に仲が良いのだろう。

「……ふふ」

 リゲルは小さく笑った。シグナスお父さまの仰っていたことは、間違えだったのかもしれない。

 しばらく二人の言葉の応酬を少し呆れたように見ていたもう一人の生徒が、腕の時計を確認して「あ」と声を上げた。

「シリウス、ジェームズ、そろそろ次の時間だよ」
「そうだ、次のはいい加減行かないと」

 じゃあまたね、と口々にリゲルに言って、上級生たちは慌てて走り去り、なぜかシリウスだけがもたもたとその場に残った。
 シリウスは気まずそうな表情を浮かべてリゲルをちらりと見たり、ポケットに手を突っ込んだりしていたけれど、意を決したように「あのときだけどさ」と話し始めた。

「慰めようとしてくれたんだろ? 突っぱねるような態度とって悪かった」
「え……あの」
「初対面だったのに、本当に悪かったな」

 リゲルは目を瞬いてシリウスを見た。まさか覚えていてくれたなんて――

「迷惑だったのかと思っていたから……」
 
 リゲルのほうこそ初対面だったのに、ヴァルブルガ叔母さまに怒られた後、一人廊下に佇んでいたシリウスに大胆にも「大丈夫?」だなんて声をかけてしまったのだ。

「リゲル」

 シリウスは膝を屈めてリゲルに視線を合わせた。頭の上にふわりと手が乗せられるのを感じる。

「本当は落ち込んでたからすげー助かった。サンキュー」

 シリウスはリゲルの頭を一度優しく叩いてから、にこりと笑った。それは心の底からの笑顔だった。
 
 なんにも出来ない私が、たったそれだけのことで人から感謝された……。そんな風に心からのお礼を言われるのは、初めてのことだった。
 リゲルはお腹の底のほうから不思議な感覚が湧き上がり、ふわふわとした温かなものが全身を駆け巡っていくのを感じた。「いけない、私たちも次の授業あったわ!」という友人の焦った声は、そのときリゲルの耳にはまったく届いていなかった。


Uninterested