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私は木の葉隠れの里の忍。階級は上忍だ。

何度も死線を乗り越えて手に入れた上忍という称号。私は忍としての任務が好きだし、誇りを持っている。今は対立していても、いつか必ず里同士が手を取り合って平和な世界が来る。そう信じて命をかけてその世界を作るのが、私たち忍だ。世界平和は全忍の夢の筈だ。もちろん私の夢でもある。


そんな話をすると大抵の忍は他人事のように聞いてるか「無謀だ」と笑う。

そんな私には長い付き合いの恋人がいる。その恋人は私の夢を唯一真剣に聞いてくれた人でもある。記憶が正しければ10年ほど前からの付き合いだ。まだそんな予定はないがもしも結婚するなら彼以外は考えられない。

「よ、●●●。お疲れさん」
「カカシ」

任務が終わった恋人と廊下ですれ違った。

「お疲れさま、今から帰り?」
「んー、あと報告書出してからかな。●●●は?」
「私はちょっと火影様に呼ばれたの」
「へえ……なんかやらかしたわけ?」
「や、やめてよ!そんな心当たりなんて……」
「あるのね」
「もー!!」
「ハハハ、先帰ってるよ」

そう言ってカカシは●●●の背中をぽんぽんっと押した。

いつもお互い忙しいから、今日みたいな簡単な任務の日くらい一緒に帰って過ごしたかったけど……こういう日に限って何か急な用事が入るのだ。

●●●は任務が終わってすぐ火影様に呼び出されていた。任務の事かな?報告書の不備?どれも完璧にこなした筈だけど……。それにしても火影様からの用事は全て直属忍を通して来るのにわざわざ私本人をを呼び出す程の理由が……?

やっぱり、なにかやらかしてしまったのかも。

もんもんと考えながら火影室へと続く廊下を歩いているとあっという間に着いてしまった。

滅多に来ない場所に緊張して手に汗が滲む。ううう。帰りたい。

勇気を出してノックをし、部屋の中へ声をかける。

「失礼します、●●●です」
「入れ」

火影様の声を確認し、恐る恐るドアを開けた。

火影室中央の大きな机に真剣な面持ちの火影様、その両脇に面をつけた暗部2人が立っていた。

3人の放つ威圧感に、何もしていないのに何かしでかしたような気分になってきた。うう、胃がキリリと痛んできた。


「任務の後にすまないな、呼び出して」
「い、いえ。とんでもありません」
「疲れてるだろう。お茶でも飲むか?」

返事をする間もなく火影様は笑顔で熱いお茶を淹れてくれた。お咎め覚悟で来たのに、火影様の声からは怒っている感じはしない。

「ほれ」
「あ、ありがとうございます…」

●●●は熱いお茶を手に包みふーふーと息をかけた。火影様は椅子に腰掛け、また真剣な顔に戻る。

「……………」
「……………」


火影室には大人が4人。
重めの沈黙が続く。居心地が悪くてソワソワしてきた●●●が声を出そうとすると火影様が先に口を開いた。

「●●●、お前の夢は何だった?」
「はい……?」

あまりにも唐突すぎる質問に口がぽかんと空いてしまう。火影様から受け取ったお茶をこぼすところだった。

「だから、夢だ。前からずっと言ってただろう」
「あ…ハイ。えっと他国同士が争い無く手を取り合える関係を…」
「フッ…」

それを聞いて火影様の側にいた暗部の1人が鼻で笑う。夢を笑われる事には慣れているけど頭に来ない訳じゃない。●●●は思わず暗部を睨む。こっちは大真面目なのに。

「失礼ではないですか?」
「…………」

●●●は鼻で笑った暗部に詰め寄った。だが、暗部はツーンとそっぽを向いたまま何も答えない。

「……悪い、●●●。私から謝ろう」

火影様が謝ってくれているので怒りをぐっと鎮める。それにしても失礼な暗部だな。


「●●●は上忍の中でもその夢を諦めずに戦っている数少ない忍の1人だ」
「ありがとうございます」
「他国との友好関係は必ず築いておきたいし、里の為にはかかせない」
「はい」
「…お前とカカシとの関係も知っているが……」
「……?」

なぜ、いまカカシの話題が?
話の行方がよく理解できない。

●●●が首を傾げていると、火影様は思い詰めたような顔でふーっと大きな深呼吸をした。


「お前は里のためにどこまでできる?」
「命も惜しくありません」
「そうか…」
「あの…?」

「…………」


「……回りくどい言い方はやめる。●●●、私も言いにくいが……」

「なんでしょうか?」

つーんと向こうを向いていた暗部の1人が●●●を見た。


「他国の大名が●●●、お前を嫁にと望んできた」


「え……?」



「成立すれば国同士良い関係が築けるだろうが、断ればどうなるかわからん」
「…………」

よ、嫁?私が?誰の?
顔も見た事ない人に嫁ぐ、という事?
カカシは?カカシは………
背中に嫌な汗が滲む。

「急で悪いが、3日以内に返事が欲しい」

その後も火影様に何か言われたけど全然頭に入って来なかった。

気がつくと火影室を出て、重い足取りで廊下を歩いていた。前方に火影様の横にいた暗部の1人が壁にもたれてこっちを見ていた。●●●が側を通り過ぎると同時に低い声で呟いた。

「夢とやらはやはり、口だけか」

●●●はハッと顔を上げた。

「早い話が政略結婚。お前1人の我慢で戦争が減り、何人の忍が負傷せずに済むか…わからんわけではあるまい」

●●●は低く俯いた。

この失礼な暗部の言うことももっともだ。
それに●●●が大名の嫁に行けば、その里とは友好関係を保てるだろう。夢の第一歩が叶うのだ。



でも、それは恋人であるカカシと離れるということ。私はカカシと離れたくない。
里のために命をかけて散るならまだしも、会ったこともない男の嫁になるなんて……そんなの嫌だよ。だったら戦って散ったほうがどれだけ……。


俯きながらすっかり暗くなった帰り道を歩く。
いつもなら活気溢れた繁華街を通るのに今日は静かな裏道を選んだ。

少し1人になりたかった。

春になりかけの夜はまだまだ寒い。

暗い道の街灯の下にしゃがみ込む1人の女の子が居た。ひっくひっくとしゃくり上げ泣いている。私も泣きたい…と思いつつ声をかけた。

「どうしたの?迷子?」

女の子はふるふると首を横にふる。

「何かあったの?」
「お父さんがっ……明日からっ…ひっ…任務でっ……国境に行っちゃうってぇっ……ひっひっ…」
「…………」

●●●は黙って女の子の背中を撫でる。女の子の瞳からとめどなく涙が溢れて袖口を濡らす。どれだけ長い時間ここに居たのだろう。体はすっかり冷えていた。

「なんでっ……ひっ…戦争なんてするのっ…ひっひっ……お父さんが死んじゃうよぉ……っ」
「……そう、だよね。嫌だよね」

私が他国の大名に嫁げば……この子は…この子の父親は危ない国境になど行かなくてよくなるかもしれない。

『お前1人の我慢で戦争が減り、何人の忍が負傷せずに済むか、わからんわけではあるまい』

うるさいな。分かってるよ。

しやくり上げる女の子を両親の元へ送り届け、帰路を急いだ。

カカシ…寝てるかな。
今日は久しぶりに一緒に過ごせる夜だからきっと、きっと起きててくれてるよね。そうだと嬉しいけど……寝ててほしいなとも思う。寝ててくれたらこんな話をしなくて済むのに。

家に着くと窓の明かりが付いていた。食べ物の良い匂いがして一気にお腹がすいてきた。

「ただいま」
「……遅い。寄り道してたでしょ」
「え、してないよ」
「ほんと?」

ちょっと不機嫌そうなカカシはドスンと椅子に腰掛けた。食卓には美味しそうな食事が並べられている。カカシは食べずに待っててくれたみたい。

「さすがカカシ!美味しそう!」
「もうお前の好物は知り尽くしてるからね」
「いただきますっ」
「いただきます」

腹ペコな2人はすぐに食事をはじめた。
あー美味しい。本当にカカシは料理がうまい。出会った頃は驚いたよ。こんなに上手に料理を作る人がいるなんて…それから私も作るようになったけど到底カカシには及ばない。

カカシの料理を食べていると、ぽろぽろと涙が溢れてきた。

「どうしたの?」

カカシが不思議そうな顔をして見つめてくる。

「やっ、なんでだろ……大丈夫…」

食事を中断して涙を拭うけど、それでも涙は止まらない。

「今度、私が……」

何か作るよ、と言おうとして反射的に口を手で塞いだ。「今度」なんて使っていいのかな。カカシはいつもと違う●●●の様子に違和感を覚えた。

「今度、なに?」
「えっと…私が茄子の味噌汁作るかも」
「かも?ま、楽しみにしてるよ」
「もう50回はつくった気がする」
「何回やっても何か1つは間違えるから成功はゼロだけどね」
「でも全部食べてくれるじゃん」
「…そりゃね」

何でもないこういう会話が好き。カカシには何でも話せるし、合間にニッコリ笑ってくれる顔も好き。


「カカシ、明日も任務?」
「ああ、明日から1週間…護衛任務だよ」

そうか、なら……。
話すなら今日しかない。

お嫁に、行くんだ。カカシじゃない、誰かの元へ。戦争を減らさなきゃ。友好関係を築かなきゃ。大名から私を指名して政略結婚なんてこんなチャンス二度とない。

戦争が減れば、あの女の子の父親が負傷することもカカシが怪我することも減る。そう願って。

こうするしか、ないんだよね?火影様。
私に選ぶチャンスをくれたけれど、里を巻き込んでの問題に1人で答えが出せるわけない。私がカカシと一緒にいたいとわがままを言えばこの里はどうなるの?戦争が終わらなかったら?

私の夢は、他国同士か助け合える世界を作ること。そうでしょう、●●●!

●●●は自分に言い聞かせて涙をぐっとこらえる。


「ねえ、カカシ。散歩しない?」
「この時間から?」
「うん。やだ?」
「いいけど、急にどしたの」


外は春になりたての風でまだ冷たい。

「あ、桜咲いてないかな」
「んーどうだろね」

2人は桜が見える丘に向かった。
丘の上には一本の桜の木が寂しそうに立っていた。

「まだ咲いてないね」
「……うん」

この桜が咲く頃には、私は……………。

無意識に俯いてしまった●●●の体をカカシは優しく包み込んだ。●●●の胸がドキリと跳ね上がる。夜風で冷えた体にカカシの体温が温かい。

「俺には言えない?」
「えっ?」
「何か…あったんでしょ」
「…………」

隠し事できないなぁ。●●●は抱きしめられたままぎゅっとカカシの服を握る。


「………もう、10年だね」
「もうそんな経つ?」
「そうだよ。覚えてないの?」
「覚えてるよ。初めて会ったときの●●●は任務終わりで泥だらけだったよね」
「そういうのは忘れていいよ!」
「ハハ」

花をつける前の寒そうな桜の木の丘に2人の笑い声が響いた。

「カカシ……10年間本当にありがとう」
「…なに?急に改まって」

カカシは腕の力を強めて●●●を抱きしめる。

大好きな人のあったかい胸の中。
もう、これで最後。


離れたくない……。


涙……出ないで、もう少し……。



「カカシ……別れよう」


2019.2.24