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春になりたての冷たい風が2人を包み、抱き合っている体がブルルと震えた。
別れの言葉を抱き合った状態で言うなんて普通じゃない。だけどカカシの背中に回した手を離せなかった。


「……何言ってんの?」
「……………」

カカシは体を少し離して、返事をしない腕の中の●●●をじっと見た。●●●は目を伏せたまま名残惜しそうにカカシの背中からゆっくりと手を離した。

●●●は深呼吸をしてからパッとカカシを見上げて口を真一文字に結び、涙を堪える。
自分で一方的に決めた事だし、カカシの前で涙なんか流したら変だよね。



「今日火影様からの話で……」

●●●は火影様と話した内容を全て、カカシに伝えた。カカシはまぶた1つ動かさず、じっと●●●の話を聞いている。なんだか空気がピリリと痛い。

一気に話を終え、カカシを見るとカカシはどこか力なく微笑んだ。



「そういう事か……わかったよ」


●●●の胸はドクンと大きく鳴り、重たくズキリと痛んだ。自分をじっと見つめるカカシを前に、今にも泣いてしまいそうだ。●●●は慌てて俯いた。


カカシとの関係が終わった………。


胸にぽっかり大きな穴が空いた気分。今にも息が止まりそうだ。

ていうか、少しくらい寂しそうにして欲しかったなあ……。カカシにとって私の存在はその程度だったのかぁ。私の中はカカシでいっぱいなのに。里のためといえど、別れるのこんなにもツライのに。

自分で決めたことなのに…情けないね。


「じゃ、帰ろうか」
「うん」

少し離れてカカシの後を●●●が歩く。暗くて足元があまり見えないけどカカシはずんずん進んで行く。カカシは昔から夜目が効くもんね。
こうして2人で歩くことも今日で最後だ。そう思うとこの瞬間さえもかけがえのないものに感じてくる。


空には大きな月が出ていた。もう随分高くまで登っている。


「……明日早いんだよね、ごめんね遅くまで」
「…………」
「…………」

黙って前を歩くカカシが急に立ち止まった。
つられて●●●も慌てて足を止める。カカシは振り返る事なく立ち止まったまま。


「カカシ…?」

おろおろしながら●●●がカカシの顔を覗き込むと、いつになく真剣な顔をしていた。


「●●●は…楽しかった?俺といた10年」

「えっ…」

突然のことに驚きつつも段々と目頭が熱くなってきた。やめて、折角我慢していたのに泣いてしまう。目元をどうにかして隠そうとする●●●をカカシは思い切り抱きしめた。ふわりとカカシの匂いがしてプツリと何かが切れた。

我慢しきれなかった●●●の涙がツーっと頬を伝った。もうそれから涙は止まってくれなくて次から次へと流れ出た。

……やっぱり嫌だなぁ、離れたくない。●●●は自分を抱きしめるカカシの背中に手を回し、思いっきり抱きしめた。

温かい……

「カカシ…ありがとう」

どうかカカシのこの温もりを、匂いを一生忘れませんように。

「…………」

カカシは●●●が泣き止むまで、ずっと優しく抱きしめたまま離さなかった。








・・・



「本当にいいんだな」
「ハイ」
「では、婚約の手続きに入る」
「………」

火影様が控えていた暗部に書類を渡すと、暗部はサッと姿を消した。
●●●は火影室を後にし、外へ出た。

どんな人なのだろう。会った事も話した事もない、得体の知れない女を嫁に寄越せと言う物好きな大名とは。

どんな人だっていいか……
その人はカカシではないんだから。

昨日……我慢出来ずカカシの前で大泣きしてしまった。ダメだよなぁ。家に帰ってからのことはあまり覚えてない。朝、目が覚めたらカカシはもう居なかった。早くから任務だって言ってたもんな。



●●●は俯いて「ハハ…」と力なく笑った。

今日は春のような日差しで暖かい。
昨日の桜の丘の桜はまだ咲いてなかったな…。日中はこんなに暖かいのに。


●●●が火影岩の上で近々見納めになるであろう木の葉の里を見下ろしていると、背後から人の足音が近づいて来た。

「●●●っ!」

●●●が名前を呼ばれて振り向くと、見たこともない男性が両腕を広げて飛びついてきた。

●●●はこうみえても上忍だ。素早く体を捻らせサッと避ける。すると男性は●●●が立っていた地面に大きな音を立て顔面から突っ込んでいった。


「うー!いたい…」
「だ、大丈夫ですか?」

●●●は、顔を抑えてうずくまる男性にゆっくり近づいて声をかけた。男性は●●●を見た途端にパッと笑顔になった。

「●●●!やっと会えた」
「えっ…?」

●●●はどこかで見たような男性の顔をじっと見つめた。この顔、どこかで……あ!

「…オビトさん?」
「んん?」

カカシの枕元の写真に写ってる黒髪のオビトさんに似てる。うん、髪色は違うけど短髪とか黒い瞳がソックリだ。オビトさんが大人になったら多分こんな感じかも。

「……私はグラス。風隠れの大名息子だ」
「大名様の…!し、失礼しました」

●●●はぺこりと頭を下げた。
グラスと名乗る男性は「いいよいいよ」と言いながら風の国特有のマントについた埃をパンパンと払う。

「……なぜ大名のご子息が私などの名前を…」


埃を払い終えたグラスは、●●●に近づき手を取るとニッと笑って走り出した。

「!?」

●●●は、訳がわからないながらも大名息子の手を振りほどけず、引かれるがまま走った。

しばらく走っていると、木の葉を流れる小川に出た。つくしが生えて蝶が飛び回っており、ここはすっかり春だ。カカシと別れた昨日の夜は、あんなにも寒かったのに。

●●●がグラスを見ると、ゼーゼーと息を切らして地面にノビていた。

「…大丈夫ですか?」
「●●●はスゴイな!あれだけ走って息もきれてないとは…はーっしんどい」
「一応木の葉の上忍ですのでこのくらいは…」

ノビていたグラスは体を起こすと●●●をじっと見た。

「ねえ、俺のこと覚えてない?」
「はい…?」

●●●はグラスをじっと見つめるがイマイチピンとこない。髪色と瞳色は違うけどオビトさんにそっくりということ以外はなにも。そう思っていたのが顔に出たらしく、●●●の顔を見てグラスは大きなため息をついた。

「覚えてないじゃーん」

グラスは駄々をこねる子供のようにバターンッと再び地面に倒れた。

「子供の頃、この場所でさーーー」


グラスはサラサラ流れる小川を見つめながら優しい顔で話し始めた。



・・・

幼い頃、グラスが大名である父親と木の葉に来ていた時のこと。時期大名であるグラスはいつも室内で勉学ばかり。外に出ることは稀で、ましてや他国など初めてでとてもとても嬉しかった。

「グラス、ここが木の葉の里だ。同盟国とはいえ他国。決して1人になるな」
「ハイ、父上」

父親が木の葉の大名と話している間、退屈で暇を持て余したグラスは、ひっそりと控え部屋を抜け出した。護衛の忍も居たが今日はうまくまけた。口元を薄い布で覆って、帽子を深く被る。
外に1人で出るのなんて初めてだったけど、恐怖よりワクワクが優っていた。
キョロキョロしながら街を散策する。見るもの会うものすべてが初めてで心が躍った。

縁日のような繁華街は子供連れの家族で溢れており、グラスが1人で歩いていても全く不自然は無かった。ふと目に止まったのは金魚すくい。グラスはワクワクしながら順番を待った。

「おじちゃん、僕も一回」
「あいよー」
「カカシ、もう一回やろ!」
「何回やっても同じでしょ」

グラスと同い年くらいの男女が真横で金魚すくいで争っている。男の子の方はかなり手慣れた手つきだ。グラスはその手さばきに見とれてしまう。

はじめての金魚すくいは惨敗で一匹も取れなかった。日が傾いて来た頃、お金もなくなってとぼとぼ歩いていると小さな小川に出た。はじめての木の葉で、帰り道も全く分からなくなってしまった。

そばにある石に腰掛けて、夕日が反射する水面を見ていた。これから、どうしようか…どうやって帰ろう。

「お腹空いたなあ」

そう呟くと、目の前にさっき取れなかった金魚が見えた。

「あげる」

グラスが驚いて見上げると、金魚の入った袋を片手に金魚すくいで見かけた女の子が立っていた。金魚すくいの時の真剣な顔つきとは違ってやわらかい笑顔だ。

「え、どどうもありがとう……」

グラスは手の中の袋で泳ぐ赤い金魚と黒い金魚を見て嬉しくなった。それと同時にお腹から大きな音が鳴った。グラスは恥ずかしくなって、赤い顔を伏せた。

「お腹空いてるの?…そうだ!」

女の子は服の袖を捲り上げ、目の前の小川にざぶざぶと入って行った。全く予想できなかった女の子の行動にグラスは目をパチクリさせて驚いた。

「えっ!?えっと…何をする気?」
「お腹空いてるんでしょう?魚とったげるよ」

グラスはポカーンとした。
だがそれ以上にワクワクした。あの素早く動き回る魚を手で、しかも同い年くらいの女の子が……本当に採れるの?グラスは小川の側に駆け寄って水面と女の子を交互に見つめた。

女の子は金魚すくいの時同様、真剣な表情だ。
素早くパッと水面に手を突っ込むと、1匹の小さな魚が取れた。

「わっ!とれたとれた!」

女の子は興奮しながら魚をグラスに渡そうとする。

「はやくはやく!受け取って!」

グラスは急いで手を伸ばし、魚を掴んだ。思いっきり跳ね回ってぬるつく魚を逃すまいとワタワタしていると足が滑り、そのまま小川にドボーンと落ちた。

水の中で尻餅をついているグラスと、水しぶきでびしょ濡れになった女の子は数秒見つめ合った後 大きな声で笑い出した。

「あははっ何してんのー!びっくりしたぁ」
「僕もびっくり!アハハハ」
「えい!」
「わっ、鼻に水がっ」

2人は水をかけあって遊び始めた。友達と遊ぶってこんな感じなのかな…。
グラスはお腹が空いていることも忘れて笑い転げた。



「あの瞬間は俺の人生で一番楽しかったんだ」
「…………」

小川を懐かしそうに見つめるグラスの横でどんどん青ざめていく●●●。

「子供の頃の話とはいえ大名息子様とは知らず、とんだ無礼を……」
「ハハハッ、ホントだよ!……しかも俺あの後名前も知らない女の子のことを、ずっとずっと忘れられなくて…」

グラスは真剣な表情で●●●を見つめる。
●●●の胸はドキリと鳴った。




金魚すくいから数年後、青年になったグラスは木ノ葉で催される中忍試験本戦に招待された。『あの女の子にまた会えるかも』そう思うとグラスの心は弾んだ。

本戦の日。試合観戦そっちのけで、グラスは護衛の忍を従え会場中を探し回った。本戦会場には木の葉の民も大勢集まる。人探しにこんなに適した日は無いだろう。

会場をグルグルと探し回ってみたが、それらしき人物は1人も見当たらなかった。歩き疲れて観戦席に戻ると、中忍試験最終試合が始まろうとしていた。グラスは最後の試合くらい見ようと格闘場を覗き込んだ。格闘場にいる人物を目にして、グラスの胸がドキッと大きな脈を打った。それと同時に、転落防止用の柵に思い切り身を乗り出していた。



「秋花サイ太VS●●●の試合を始める!!」



格闘場には、あの女の子の姿があった。間違いない。あの子だ。成長してはいるが面影はそのまま残っている。会えた。やっと。

●●●…と言うのか…。


名前を知れて嬉しい反面、試合を止めたい気持ちが膨らむ。傷ついて欲しくない。怪我して欲しくない。なぜ、忍などに………。


試合はなんとか●●●の勝利で幕を閉じた。●●●とちゃんと会いたくてグラスは格闘場から出る●●●の後を追った。

自分のことを覚えているか?
自分を見たらどんな反応をするだろう……



「勝ったよ、カカシ!見てた?」
「ぎりぎりって感じだったけどね」
「勝ちは勝ちだもん」
「はあ…あんまヒヤヒヤさせないでよ」
「あはは、カカシ心配してくれたの?」


●●●が仲良さそうな男と話している。

「あの男は……」

グラスは物陰からカカシを見て嫌な汗が出た。…カカシの風貌はかつて砂を襲った『白い牙』にソックリだった。そのカカシと仲良く話す●●●。

グラスは●●●に会うことなく、暗い表情でその場を後にした。





「中忍試験ではじめて●●●の名前を知ったんだよ。その後何度も木の葉の里に●●●との婚姻を要求してたんだけど、ずっと却下されてさ!」
「…………」

「それでよーーやく今回婚約受けてくれるって聞いてすっ飛んで来たんだよ!」
「いや、しかしなぜ婚約までする必要が?大名と忍では身分が違いすぎますし、お父様も納得されないのでは…」
「その言葉遣い!俺嫌いだな」
「えっ」
「昔みたいに話そうよ」
「えっ、いえ!そういう訳には」
「お願い」

グラスの真剣な眼差しに●●●は参ってしまう。だけど大名息子相手に敬語使わないなんて…。

「あのはたけカカシと話すみたいに話して」
「えっ?」
「仲いいんでしょう?」
「……………カカシを知ってるのですか」
「写輪眼の、っていえば有名だから」

私達が仲よかったのも、知ってるんだ…。
この人の目的は何?
本当に平和が目的なの?


「ね、●●●」

名前を呼ばれてピクリとする。
この人は……嘘をついてる?






次はカカシ目線のお話